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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第七章 最初の関門
86/89

第84話 貪欲な鳩

お待たせしています。

最近はあまり書く時間をとれておらず、ストーリーの流れも書いてる本人すらよくわからなくなってきたので時間がかかります。

気長にお待ちください。

 ケンと"鼠"の頭領、そこに護衛コンビを合わせた4人が向かう先は町の南東。南側にある貴族街と東側にある商業地区の、ちょうど境目辺りだった。

 それなりに太さがある道の真ん中をケンと"鼠"の頭領が並んで歩き、その前後を護衛コンビが固め、更にその周囲では【黒犬】の盗賊たちが姿を見せないまま護りにつく。

 "鼠"の頭領の移動に合わせて形を保ったまま移動するその陣形は、上空から見れば凡そ涙滴型になるだろうか。陣形の尖った部分が進行方向を指していて、おかげで向かう先が分かり易い。

 襲撃者にとっては、その辺りが付け入る隙になるのではないかとも思ったが、護衛を担当する部下でも何でもないケンが気にすることでもあるまい。



「少し疑問に思ってる事があるんだけど、聞いても良いか?」

「おう、構わんぜ」

 慎重な"鼠"の頭領が身を潜めずに堂々と歩いているならば、襲撃の心配はないのだろう。

 だからケンも周りを気にするのを止めて、隣をのんびりと歩く"鼠"の頭領に暇つぶしのために疑問をぶつけた。

「屋敷で、あんたは『【黒犬】の縄張りは全体の5割とちょっと』って言ったよな」

「おう、言ったな」

「その後に『その9割を"鳩"の元締めが仕切ってる』とも言ったよな。そうなると、全体の半分近くがたった1人のモノってことになっちまうんだが、それで間違いないのか?」

「おう、間違ってねえぞ。あの(ねえ)ちゃんはこの街の半分を支配する"女王"だからな」

「半分……さながら"夜の女王"ってところか」

 探索者という巨大な需要者を抱えるこの町の歓楽街は、他の都市と比べてもとりわけ規模が大きい。

 大陸で最も大きな国力と人口を持つレムリナス王国の中で最大ということは、つまり大陸一の規模であると考えて間違いないだろう。

 その半分を支配しているとなれば、"女王"の称号も誇大とは言えないかもしれない。

「それで、【黒犬】の幹部連中から不満は出ないのか?」

「不満も何も、現実にそうなっちまってるんだから仕方あるめえよ」



 探索者ギルド、冒険者ギルド、魔術師ギルド、盗賊ギルド。

 これらは全て同じ「ギルド」という言葉が付く組織であるが、それぞれの有り様は大きく違っている。


 探索者ギルドは、探索者パーティが規模を拡大したものだ。

 迷宮上層の狭い洞窟では、あまりパーティの人数が多くても行動し難くなってしまう。

 だが、迷宮中層は一気に地形が広大になり、一度の探索で滞在する日数も長くなることから、集団としてのまとまりが保てるのであれば人数が多い方が有利となる。

 それ以外にも、死亡、引退、脱退、怪我による長期離脱に伴うパーティ人数の不足を補うためなど、新たなメンバーを追加したくなる理由はいくらでも考えられる。

 メンバーにするなら必要とされるだけの能力を持ち、それに加えて信頼できる人格であることが望ましいが、欲しいと思った時にそんな都合のいい人材が見つけられるはずもない。

 それならば自分たちで人材を育成しよう。そう考える者が現れるのは当然の流れだった。

 初めは新人をパーティに入れて使い物になるまで鍛えあげるだけだったが、時間を経れば手法は洗練されていく。

 今ではギルド内の実力者を集めて奥を目指す一軍パーティと、一軍に供給する人材を育成する二軍パーティといった形がよく見られるようになった。

 大規模な探索者ギルドにはさらに三軍や四軍くらいまであるようだ。



 冒険者ギルドは、仕事の仲介や人材の斡旋を行っている集団だが、元は個人や少人数でやっていたものが発展し、組織化されたものだった。

 同業組合(ギルド)の名に反して"冒険者"と呼ばれる人間は組織の一員ではなく、下請けや取引先といった言葉を当てるのが相応しい関係だろうと思われるが、細かいことを言っても何も始まらない。

 マッケイブの町にも冒険者ギルドはいくつか存在しているが、一部の探索者ギルドが冒険者紛いの仕事を請け負っているせいであまり繁盛はしていないようだ。


 魔術師ギルドは全ての魔術師を支配するための組織であると同時に、研究機関であり、教育機関でもある。

 一応は組織としての独立を保っているが、ギルド長(ジョーセフ)が王家の相談役を務めていたり、行政府に専門家や官僚を派遣したりするなど、国との関係が深い。

 軍が軍人に対する自治権を持っているのと同様に、魔術師ギルドもギルド員に対する自治権を持っているため、もはや国家の一部門であると考えた方が良いのかもしれない。



 そして盗賊ギルドは、元を辿れば「組織間の利害調整」を行うための集会だった。

 動物は本能的に縄張りを持ちたがるものだが、盗賊という人でなし(・・・・)の道を歩く奴らはとりわけ動物的な本能が強い。

 人族が動物と違うのは、生きていくために十分な縄張りを持つだけでは満足できず、それを不必要に広げようとするところだろうか。

 町で生きる盗賊団が自分勝手に縄張りを広げていけば、いつか別の盗賊団と領域を接することになる。そうなれば、縄張りを巡る衝突が起きるのは火を見るより明らかだ。

 一方が極めて優勢であれば劣勢な側は尻尾を巻いて逃げるかもしれないが、大抵は血で血を洗う戦いが始まる。

 勝利できたとしても戦いの中で大きな傷を負っていれば、漁夫の利を狙う第三者に付け込まれる恐れがある。敗北していればなおのこと危機的な状況に追い込まれるだろう。

 そこで、盗賊団の頭目同士が話し合って縄張りを分け合うという選択や、複数の盗賊団が協力して(利用しあって)勢力を強めるという選択が生まれる。


 だから、盗賊ギルドはひとつの組織であってもひとまとまりになった集団ではなかった。

 外部からの脅威に対しては協同して当たるが、普段は自らの利益のみを求めててんでんばらばらに行動している。

 "三大盗賊ギルド"なんてご大層な事を言っても、内情はただの寄り合い状態でしかないのだ。

 "鼠"と"穴熊"と"鳩"が比較的良好な関係を保てているのも、活動する領域が適度にずれているおかげで、敵対よりも協調の方が大きい利益を得られるからにすぎない。

 結びついているのは信頼関係からではなく、打算と欲望によってということだ。



 探索者(オトコ)だらけのマッケイブでは、女を使った商売はかなり手堅く、普通にやってもそこそこの、上手くやればこれ以上ないくらいの収益が見込めるという優良産業だ。

 身内であろうとも、誰か1人に独占させておくには惜しすぎる。

「そっち方面に手を出す必要がないあんただから『仕方ない』で済むけど、それじゃ収まりがつかない奴もいるだろ?」

「そりゃあモチロンいるさ。でも、まあ、もう手遅れだろうな……姐ちゃんの下にある店をかすめ取るならよっぽど良い条件を出さにゃならんし、上手いこと店は手に入れられても女を引きぬかれれば商売はできねえ」

 新たな店を作ったとしても、成功に続く道はどこにもない。

 まず、自発的に夜の街で生きている女を募集しても、応募はない。夜に生きる女同士の繋がりは凄まじいものがあるので、故意に悪評を流されてしまえば対処は困難を極める。

 買うなり攫うなりして無理やり頭数を揃えることはできるだろうが、自分から動かない(プロ)に高い金を払いたがる男はそういない。

 様々な妨害を乗り越えてどうにか開店までこぎ着けても、それに合わせて競合店に安売りでもされれば、先細って消えていくだけ。


「"鳩"の元締めってのは、ずいぶんと女からの信頼が篤いんだな……どうしてだ?」

「あの姐ちゃんは、ただの娼婦からギルドの大幹部にまで上り詰めた成功者だもんよ。女の待遇が他よりずっとマシだし、娼婦上がりに自分の店を任せたりもしてるし、上手くやれば後釜にすわれるかもしれねえとなれば、喧嘩するより下に付いたほうが利口だろ?」

「納得したよ」

 今でこそ、夜の街における【黒犬】の縄張りは半分を超えているが、"鳩"の元締めが加入する以前は【夜鷹】に()されて散々な有り様だったらしい。

 そこで、十年ほど前。

 自らが所属していた娼館の経営者を籠絡して乗っ取り、なおも勢力を拡大しつつあった"鳩"の元締めを、当時はただの情報屋でしかなかった"鼠"の頭領が【黒犬】に引き入れた。

 "鼠"が情報収拾してお膳立てを整え、"鳩"が女を使い、必要があれば"穴熊"が男手を提供することで次々と既存の娼館を傘下に収め、あるいは一度潰して作り直した結果が今の状況である。

 その結果として"鼠"は現在の地位まで上り詰め、"穴熊"は娼館の用心棒という大量の働き場所を得て勢力を伸ばした。

「そうか。だからあんたたち3人はあんなに仲が良かったのか」

「べつに仲良しってワケでもねえけどよ、"鳩"の姐ちゃんも"穴熊"んとこの野郎もヘンに義理堅くてなー。信用が第一の情報屋としては、先に裏切るわけにもいかねえだろ?」

「そういう関係を、普通は『仲が良い』って言うんだと思うんだけどな」




 2人でくだらない話をしながら歩いていれば、やがて一つの建物の前に辿り着く。

 そこにあった館は、これまでにケンが見たことのあるどんな建造よりも上等そうで、華やかで、とても美しい。

 しかしそれは退廃的な美しさであり、建物の中では多くの人間が活動しているにも関わらず、何故だか住人が全て死に絶えた後の廃墟のような気配も漂わせていた。

 建物の正面に示されていた名は【楽園(パラダイス)】。この町では最高級の、それどころかレムリナス王国の中でも最高の娼館だ。

 店名は、男に極上の心地よさを味わわせてくれる天国(パラダイス)に入るために、喜捨(しんこう)という資格が必要になるという店主なりの皮肉(ジョーク)だろうか。

 ケンが1人でいる時には近付こうなんて思いすらしない場所だが、今回の目的地は間違いなくあの建物だろう。

 飄々とした足取りで進む"鼠"の頭領に倣い、ケンも何食わぬ顔で歩を進めていった。


 近付くにつれ、店の営みが詳しく見えてくる。

 普通の娼館であれば、入口に立つのは取り次ぎと用心棒を兼ねた厳つい男と相場が決まっているものだが、【楽園】では見目麗しい2人の女剣士が入口を固めていた。

 ばっちりと化粧を決めた顔に営業スマイル(ほほえみ)を浮かべる彼女たちだが、立ち姿にはほとんど隙がない。

 服装は夏らしく薄着で、惜しげも無く晒された肢体は引き締まっていて、修錬の跡を覗わせる。白い長手袋で隠された掌には、おそらく硬くなったタコがいくつもあるだろう。

 女剣士たちは近づいてくる"鼠"の頭領の姿を認めると、無言のままに道を開けて中へ入ることを促すような仕草を見せた。

 "鼠"の頭領御一行様は入口を抜け、普通の人間では一生足を踏み入れることが叶わない【楽園】へと足を踏み入れる。



 店に入って最初に目に飛び込んできたものは、一部の隙もなく整えられた内装だった。

 足元も壁も天井も、ひと目でそれと判る高級品で揃えられている。センスがよく、派手ではあるが下品さは全く感じられない。

 誰かに「ここは貴族の屋敷だ」と言われたなら、あっさりと信じてしまいそうだ。


 そして当然のように、中にある(・・)女たちも最高級である。

 ケンたち出迎えたのは真紅のドレスに身を包んだ美女だった。夏なので生地は薄手だが、意外なくらい肌の露出度が低い。辛うじて見えている手や首の肌は白磁のように白く、滑らかそうだ。

 優雅な、本物の貴族令嬢のような所作でこちらに歩み寄ってきた美女は、落ち着いた穏やかな声で歓迎の言葉を述べる。

「ようこそいらっしゃいませ、ジェリー様。本日は如何なさったのでしょうか」

「よう、シルヴィアちゃん。ちょっと用事ができたから姐ちゃんに会いに来たんだけどよ、今はいるかい?」

女主人(ミストレス)でございますか? すぐに確認させますので、少々お待ちくださいませ」

「あいよ」

 真紅ドレスの女(シルヴィア)が店の奥に向けて目配せすると、それを受けた褐色の肌に翡翠色のドレスを纏わせた美女が何処かへと去ってゆく。


 それからシルヴィアの意識はケンに向けられた。

 頭の天辺から爪先まで素早く値踏みを済ませ、また"鼠"の頭領に視線を戻す。

「ジェリー様。たいへん不躾なお願いではございますが……初めてお目にかかるこちらの旦那さまを、私どもにご紹介いただけませんでしょうか」

「ん? おお、こっちの兄ちゃんは俺っちの兄弟分よ。前にちょっとだけ話したことなかったっけか? 姐ちゃんとは前に顔を合わせたこともあっから、会うのに問題はねえよ」

「左様でございますか。無礼を致しまして、誠に申し訳ございませんでした」

 形だけの謝罪を受け入れた後、さほど待たされることもなく褐色の美女はケンたちの前へ戻ってきた。

「お待たせいたしました、ジェリー様。主人はすぐにお会いになるとのことです」

「おお、そんじゃ行くか。しばらく待たされると思ったけどラッキーだったな」

「私がご案内させていただきます」



 案内に従って階段を上がれば、すぐに最上階に着く。

 途中で見えた他の階には廊下があり、その先に複数の扉があったが、最上階には廊下ではなく踊り場のような空間があり、扉は一つだけしかない。

「こちらでございます」

「おう、あんがとさん。後はこっちで適当にやるわ」

 案内人の返事も待たず用心棒コンビの片方が扉を開けると、"鼠"の頭領は何の躊躇いもなく部屋に足を踏み入れた。ケンは多少の不安を抱きつつも、覚悟を決めてそれに続く。

 部屋に足を踏み入れた瞬間、正体不明の甘い香りがケンに押し寄せた。

 砂糖菓子のような甘ったるさではなく、新鮮な果物のような甘酸っぱさでもなく、さりとてどんな花のものとも違う香気は、頭の芯を痺れさせるような甘美さを伴っていた。


 軽く頭を振って意識をはっきりさせ、いつの間にか止まってしまった足を動かす。

 一つの階を丸ごと使った部屋の中は薄暗く、香を焚いてでもいるのか僅かに煙っていて、そこかしこで系統も様々な半裸の美男美女が何をするでもなく寛いでいた。

 歩いていると、あからさまな情欲を込められた視線がケンの全身に絡みついてくる。

 一際強い視線を感じた気がしてそちらを向くと、そこには長椅子の上で寝そべった美少年がいて、蕩けたような表情でこちらを見つめていた。

 何が嬉しいのか、クスクスと笑いながら招くかのように手を振る少年には何も応えず、ケンは部屋の奥を目指す。


 とっくに想像はついていたが、やはり部屋の中にあるものは全て、一般人ではお目にかかれないような逸品ばかりである。

 高級品とはまた違うが、最も驚いたのは部屋の中央に鎮座する天蓋付きのベッドだ。

 ケンがいつも使っている【花の妖精亭】の宿泊部屋より、さらに面積が大きいベッドが存在するなんて事は想像したこともなかったし、そんなに巨大にする必要性が全く理解できない。



 絶え間なく誰かの視線が絡みついてくるのを感じつつ、"鼠"の頭領の後を追って一番奥の部屋に辿り着けば、そこでは気怠げな様子でグラスを傾ける"鳩"の元締めの姿がある。

「よう! ジュリアの姐ちゃん。ご機嫌はいかがだい?」

「……あまり、良くはないわね……」

 女主人が座る椅子の両脇に一糸まとわぬ全裸の美女が1人ずつ侍り、向かって左手側の赤毛の女は酒瓶を手にしていた。

 見知らぬ男(ケン)の視線を受けても全く恥ずかしがる様子はなく、むしろ豊満な肉体を見せ付けるように胸を張り、誘惑するような流し目を送ってくる。


 しかし、そんな美女たちの存在が霞んでしまうほど、"女王"は蠱惑的だった。

 横にいる全裸の美女たちとは違って布を纏っているが、そのドレスは薄暗い照明の中でも肌が透けて見えるほどに極薄の生地で作られている。

 どう見ても、全裸よりも卑猥さが増している。

 寒さを和らげる、あるいは体を隠すという「服」としては全く用を成していないが、男を誘惑する道具としての役目は十全に果たしていると言えるかもしれない。

 眠たげに伏せられた瞳、真っ赤な口紅が引かれて潤った唇、うっすらと見える肌、ゆったりとした所作の全てが男を惹きつけて止まないのだ。

 【楽園】に来る道中に聞いた"鼠"の頭領の話から推測すれば、少なくとも今のケンよりもかなり年上になるはずなのに、全くもってそう見えない。

「それで、今日はどんな用件なのかしら……?」

「これから、あんたんとこの縄張りで少し騒がしくするかもしれねえから、ちょいと挨拶に来たのよ」

「……そう」


 "鼠"の頭領は空いていた椅子に座り、テーブルの上に置かれていたグラスを軽く持ち上げて酒を要求した。

 それに応え、赤毛の美女が手に持った酒瓶から酒を注ぐ。血のように紅い酒がグラスに満たされ、薔薇のような香りを辺りに振りまいた。

「……面倒だから、その程度の事でワタシを煩わせないでほしかったわね」

「おーっ、こりゃいい酒だ! ……姐ちゃんと俺っちの間柄ならまあ、全部終わってから知らせるんでも良かったのかもしんねえけどよ、今回は俺っちじゃなくてこっちの兄弟が動くもんで、念の為にな」

「……きょうだい?」

 そう聞いて初めて存在を認識したのか、"鳩"の元締めの視線がケンに向けられた。

 その瞬間、ケンは素肌の上を蛇が這いずり回るような幻触を感じて、全身の毛を粟立たせた。

「見覚えがある()のような気もするけれど……誰だったかしら?」

「探索者やってる黒鎚の兄弟だよ。去年の冬にウェッバー家の娘(リサ・ウェッバー)が誘拐されそうだって騒いでた時に、姐ちゃんと何回か顔を合わせたじゃねえか。喰っちまいたいとか何だとか散々言ってたくせに、忘れたのか?」

「……ぁあ、そんなコトもあったかしら。あの時とはだいぶ様子が変わっている気もするのだけれど……その時に食べてしまわなくてよかったかもしれないわね?」

 少し前までは日向で微睡む猫のようだったのに、今は暗闇の中から獲物を狙う猛獣のような雰囲気を漂わせている"鳩"の元締めに対し、ケンは首をすくめて曖昧に頷きを返すことしかできない。



「それで? いつもは穴の中(迷宮)に篭っている()が、なんだって夜の街で暴れようとしているのかしら?」

「今、俺っちと兄弟が一緒に進めてる仕事(ヤマ)があって―――」

 "遺跡"調査計画への介入、【クリーチャーズ・ハウス】で発生した問題、それから問題解決の障害になっている娼館の主(ファビアン)について、"鼠"の頭領が要領よく説明を行った。

「ふうん……なるほどね」

「説明してて思ったんだけどよ、姐ちゃんも一枚噛んでたじゃねーかコレ」

「そうだったかしら? 記憶に無いわね」

「……そう言うと思ったよ」

 説明を聞かされている間、始終つまらなさそうにしていた"鳩"の元締めは一転し、獲物をいたぶる猫のごとき表情を浮かべている。

「それで? アナタは、ワタシにどうしてほしいのかしら?」

「はい、こちらとしては"鳩"の元締めに―――」

「ジュリアよ」

「はい?」

「ワタシの名前。これからはジュリアと呼ぶことを許してあげるのだから、光栄に思いなさい」

 突然の指示に戸惑うが、"鼠"の頭領の方を見ても黙って頷くだけだったので、従っておくのが得策であると判断する。


「はい、これからはそのように。……ジュリア様には、特に何かをしていただくつもりはありません。ただ、少しだけ騒ぎを起こすかもしれませんので、それを黙認していただければと」

 "鼠"の頭領が挨拶をしておくべきだと言ったからここに来ただけで、元から協力してもらおうとは思っておらず、助けてもらえるなんて期待もしていない。

 最悪の場合、自分一人で何とかするつもりもあったくらいだ。

「それじゃあつまらないわねぇ……もし、ワタシが『ダメ』と言ったらどうするつもりなの?」

「それは……土下座でもしてお願いするか、こっそりやるくらいしか思いつきません。できれば、すんなり了承していただけると有り難いですが」

「それじゃあダメね。知らなければ見逃してあげたかもしれないけれど、知ってしまったからには……ね」

 これでは、藪を突いて蛇を出しただけではないか。

 ケンは元凶となった"鼠"の頭領を睨むが、ぎょろ目出っ歯の男は素知らぬ顔で酒を味わうだけで、助け舟の一つも出そうとしない。



 そのうち鼠野郎の出っ張った前歯を引き抜いてやろうと心に決めたが、今はどうにかして目の前にいる魔性の女と交渉を成立させねばなるまい。

「それでは、どのようにすれば許可を頂けるのでしょうか?」

 まさか"鳩"と敵に回すわけにはいかない。万が一にも敵対すれば、"鼠"は間違いなく黒鎚(ケン)よりも"鳩"を選ぶ。

 "遺跡"調査計画への介入失敗はケンにとって致命傷でも、【黒犬】と"鼠"にとってはそうではない。

 逃すには大きすぎる魚かもしれないが、生命と引き替えにしても捕まえようなんてことは考えていないだろう。

「そうねぇ……じゃあ、こうしましょう。アナタがワタシのお願い(・・・)を一つ聞いてくれるなら、黙って見逃すだけじゃなくて手伝ってあげる。アナタがやろうとするよりもずっと上手くできるでしょうし、失敗したとしてもアナタが罪を負わなくても済むようもできるわよ」

「それは、とても魅力的なご提案ですが……」

 (ファビアン)を排除するために、自らが手を下さずに済むのであればそれに越したことはない。

 失敗して官憲に拘束される、またはこの町から逃亡せざるを得なくなれば、"遺跡"調査そのものが成り立たなくなってしまうからだ。

 成功させる自信はあるが、何事にも絶対はない。

「受け入れるかどうかは、ジュリア様がお考えになった『お願い』の内容を伺ってから、返答させていただきたいかと」

 ジュリアから提示される交換条件(お願い)の内容次第では、合法的にファビアンと交渉するか、【ガルパレリアの海風】抜きで"遺跡"調査計画を成功させる道を、なんとか見出さねばならなくなる。


「難しいお願いではないのだから、そんなに身構えなくても良いじゃないの」

 交渉に手応えを感じたのか、ジュリアが嬉しげな表情を浮かべた。ただしそれは、猟師が罠にかかった獲物を見つけた時の様子に酷似している。

「とても簡単なことよ……アナタがワタシに抱かれ(たべられ)るだけの、とても簡単で、楽しくて、キモチのいいこと」

 女は、地の底に棲んで人間の魂を啜ると伝えられている怪物のように、艶やかに微笑んだ。

第七章では、第三章以来のダブルヒロイン(だと作者は思っている)です。

三章の二人は平均年齢がローティーンだったので外角低めギリギリでしたが、第七章の二人は『平均年齢』がハイティーンになりますので、多くの人にとって打ち頃になるのではないかと。


話は変わりますが、塩っぱすぎる料理に大量の砂糖を入れても、塩っぱさは消えないらしいですね。

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