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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第七章 最初の関門
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第81話 アードルフの迷宮探索

 アードルフとベイジルの2人が、探索者ギルド【ガルパレリアの海風】の人たちと出会ってから数日が過ぎ、探索者として行動するために必要な最低限の教育と準備が終わった。

 だから、現在の彼は武器と鎧で身を固めて迷宮入口前にある広場に立っている。もちろん、親友のベイジルとその他の仲間たちも一緒だ。

 ポールによる本日の予定説明とパーティ構成の再確認は既に完了し、今はカストから出発前の訓示を聞いている。

 これが終われば、ついに迷宮の中に足を踏み入れることになる。

「―――そういう訳でオメエら、今回も全員生きて帰って来い!」

「「「「「おうよ!」」」」」「はい!」「……」


 カストの号令を合図にして、ギルドメンバー全員が迷宮の入口に向かう。

 ギルドの金庫番であるポールが予め全員分の入場税を支払っているため、彼らの行く手を阻むものは迷宮の入口を囲むように立てられている柵だけだ。

 柵に作られた入口を順番に通り、1人の徴税官と2人の警備員に見送られながら【ガルパレリアの海風】の一同はカストとポールを先頭に、迷宮に潜っていく。



 ギルド全員がまとまったまま行動するのは最初のうちだけで、すぐに"順路"を外れて今日の狩場を目指すことに決まっていた。

「うっし、今から本格的にいくぞ」

 もっと奥の狩場を目指して"順路"を往く他のパーティを少しだけ見送ってから、カストがその場に残った全員に向けて宣言する。ここから先は、メンバーたちがきちんと隊列を組んで進んでいく。

「最初は俺とダミアーノとエンツォが前な」

「あいよ」「おっす」

 ダミアーノは長剣(ロング・ソード)円形盾(ラウンド・シールド)を、エンツォは自分の身長ほどの長さの短槍(ショート・スピア)を得物としている。どちらも熟練の戦士である。


 今回、アードルフが所属しているパーティは総勢9人。

 パーティの前列は戦士5人のうち3人が交代で担当し、残りの2人は休憩と後方警戒を兼ねて後列に回る。治癒術師のパヴリーナ、魔術師のアードルフとベイジルの3人は、基本的にずっと隊列の中央に配置される。

 熟練の戦士に前後をがっちりと固められているおかげで、モンスターに対する不安は微塵もない。

 空中を飛べる洞窟コウモリであれば、この鉄壁の守りを突破することも不可能ではないかもしれないが、その程度でどうにかなるほど中央の3人もヤワではない。



 斥候(スカウト)のケンイチロウは隊列に加わらず、単独で先行して索敵や罠の解除、リーダーの方針に従って進行先(ルート)の選定などを担当する。

「そんじゃ、いつも通り頼まぁ」

「ああ」

 短く答えた背嚢も含めて全身黒尽くめの男は、<暗視>が付与されているというゴーグルを装着する。迷宮の奥を見据えて魔道具の効果を発動すると、それと同時に気配が感じ取れなくなってしまった。

 相変わらず姿はきちんと見えているし、狼人族の鋭い鼻は臭いも捉えている。しかし、どうしたことかケンイチロウがいる辺りだけ、霞かかったようにしか感じられなくなっている。

 影のような男(ケンイチロウ)は全く音を立てずに素早く進み、エンツォが持つ<持続光>の魔道具が発する光が照らす範囲を抜けて、あっという間に姿を消した。


 彼が着けているゴーグルに、<暗視>以外の特別な効果が付与されているという話は聞いていない。

 <隠身>や<眩惑>など、他の生物から認識されにくくする効果の魔道具はいくつか知られているが、そういった魔道具は例外なく稀少で、かつ高価なものだ。

 その稀少さは「裏社会における需要の多さに比べて供給量が極めて少ない」ことに起因しているため、伝手さえあるなら入手は不可能ではないが―――ゴーグルとは別の魔道具を使用しているようには見えなかった。



 先行するスカウト(ケンイチロウ)を除く8人は念のために周囲の警戒を怠らず、足並みを揃えて前進する。

 そして、本格的な探索を始めてから十数分。2つ目の分かれ道で早くも変化があった。

 1つ目の分かれ道では、進む方向を示すためによく光を反射する小石が1つ置かれていただけだったのに、今回は複数の石を使って矢印などの図形が描かれている。

「えーっと、この数と置き方だと、横道のけっこう近い所に小さな群れ……3から5匹のワンコロ、か? どうしますか、おやっさん」

「あー……後ろから来られるのも面倒だな。なんだかんだで迷宮が久しぶりってのもあっからよ、準備運動(ウォーミング・アップ)がてらに片付けてくか」

「そっすね」

 前衛の3人のみが背中から荷物を下ろし、通行の邪魔にならないように壁際の地面に置く。その間に、他のメンバーが地面の置かれていた光る小石を全て回収していた。


 8人全員で横道に入って少し進むと、アードルフには何者かの唸り声や獣臭さが感じられるようになった。あちら側もこちらの存在に気付いたらしく、急速に彼我の距離が縮まっていく。

「来んぞ!」

 カストが警告の声を発した直後、暗闇の中から矢のような勢いで飛び出した1匹の洞窟狼が、先頭に立つダミアーノの足に噛み付こうと飛び掛かった。

「甘ぇ!」

 彼我の実力差を測ることができなかった迂闊な1匹目は、ダミアーノに盾で鼻面を強く殴りつけられ、痛みのせいで動きが止まった瞬間に胴体を両断された。

 ダミアーノは踏み込んだ勢いを殺さず、前に進む。狙うは手前にいる2匹目ではなく、最も奥にいる4匹目だ。

 横をすり抜ける存在に気を取られた2匹目は、カストの戦斧(バトル・アックス)で頭蓋を砕かれた。同時に、戦うか逃げるかを迷った3匹目は、エンツォの槍で心臓を貫かれた。

 残った4匹目も、ダミアーノの掬い上げるような第一撃を躱せずに前足を切り飛ばされ、第二撃で首を切られてあっけなく散った。

 記念すべきアードルフの迷宮初戦闘は、開始から十秒と経たないうちに終わりが来てしまった。

「準備運動にもなりゃしねえな。せいぜいが眠気覚ましってとこか」

「入口に近いんだからこんなもんですって、おやっさん」



 先ほど武器を振るった全員が、アードルフの予測を超えた強さを持っていた。

 探索者を志した者のうち、数十人に1人しかなれないと噂される中層探索者を甘く見ていたつもりはない。

 しかし、中層探索者パーティでここまで強いとなると、マッケイブ全体でたった数十人しかいない下層探索者はどれほどの強さだろうか。

 過去にごく少数だけ存在したとされる最下層探索者に至っては、もう人間の領域を遥かに超えているとしか思えない。


 狼人族と比較して、猿人族は手先の器用さと敏捷性に優れる代わりに、腕力と耐久力が劣るとされている。

 また、猿人族は明るい場所でなら細かい部分まではっきりと見えるが、暗い場所ではほとんど何も見えず、耳や鼻もそれほど鋭敏ではない。

 しかし先程の戦闘では、3人の中で一番小柄で細身のダミアーノでさえも、アードルフを上回る腕力を発揮していた。

 洞窟狼の胴を両断できたのは腕力のみではなく、彼の高い技量も合わさった結果であると承知しているが、仮にアードルフがダミアーノと同じだけの技量を持ったとしても、同じ事ができたかどうかは疑わしい。

 ケンイチロウに対しても同じことが言える。アードルフの倍以上の距離から、モンスターの種類と数を正確に見分けるなど尋常な(わざ)ではない。



 そうやって狼人族の青年が考え事に耽っている間にも、戦闘の後始末は進んでいた。

 武器に付いた血や脂をボロ布で軽く拭い取り、刃毀(はこぼ)れや傷ができていないかを確認する。

 迷宮の中にいるモンスターは死ぬとすぐに死体が消えるのだが、何故か生きている間に武器に付いたり飛び散ったりした体液は消えずに残る。

 武器の性能を維持しようと思うなら、きちんとした手入れは必須だ。

 それらの事を手早く済ませた後、ダミアーノは地面に転がっている洞窟狼の魔石を拾い上げた。そして、後ろを振り返ってアードルフを見た瞬間に、わざとらしい驚きの表情を浮かべる。

「ヤベェ! 4匹だけだと思ってたのに5匹目がいやがった!」

 あまり大声ではない、しかしその場に居る全員がはっきり聞き取れるくらいの声量で叫び、武器を持たない両手を胸の前に上げて戦闘態勢(ファイティングポーズ)をとった。

 全員の視線がアードルフに集中し、一拍遅れて何人かがニヤリと笑う。


 4匹の洞窟狼(オオカミ)に続く、5匹目の狼人族(オオカミ)がそこに居た。

 もちろん、猿と猿人族が全く別の種族であるように、狼と狼人族も別個の存在だ。しかし、今ここで望まれているのはそんな正しい(・・・)指摘ではない。

「なんて事を言うんですかダミアーノさん! ぜんっぜん違うじゃないですか、あんなものと一緒にしないでください!」

「違ぅう?! 何が? どっちも同じ(おんなじ)オオカミじゃねぇか!」

 こういった冗談を本気で受け取って、怒ったり落ち込んだりするのは対応として最悪のものだ。どうにかして笑い飛ばすのが、アードルフがとれる唯一の正しい(・・・)対応である。

「だって、俺の方がずっとカッコイイじゃないですか! この牙の大きさと鋭さと白さ! この豊かな毛並み! 自分が怖くなってしまうくらいの美形っぷりですよ……」

「お、ぉう……そうなのか……」

 この程度であれば、猿人族の国(レムリナス)に留学してから今までに何十回と言われてきた。今回の戯れに嘲りや蔑みの意図が含まれていないのは明らかだから、べつに腹も立たない。

「クックックッ……こりゃあ誰が見てもアードルフの勝ち、だな。なあ?」

 カストの判定は他のメンバーからも支持され、アードルフはわざと勝ち誇った表情を浮かべながらダミアーノを見る。

「チッ! しゃあねぇな。外に帰ったら一杯奢ってやるよ」

「はい、ありがとうございます!」



 ちょっとした中断はあったが、すぐに戦闘の後処理は完了した。一行は分かれ道まで戻って荷物を背負い直し、隊列を組んで奥を目指す。

 前進を再開からしてからわずか数分で、またも変化があった。

 曲がりくねった通路の先から、薄ぼんやりとした光が漏れている。

 迷宮上層の通路部分には光源が全く配置されていないため、あの先には人間か人間型のモンスター、もしくは探索者から"モンスター部屋"と呼ばれる大きめの部屋があるはずだ。

「んー、モンスターってわけじゃねえようだな」

 それでも一応は襲撃に警戒しつつ進んでいくと、通路の途中でケンイチロウが壁に寄りかかりながら立っているのが見えた。彼の周囲が薄暗いのは、<持続光>の魔道具に厚手の布をかけて光量を抑えているからのようだ。

 ケンイチロウの数メートル手前でパーティが足を止め、リーダーのカストが何事かと問いかける。

「おう、こんなトコでどうしたよ?」

「丁度いいモノを見つけたから、ちょっと実験がしてみたくてな。そこの2人にいくつか魔術を使わせたいんだが……良いか?」

「オメエが必要だって言うんなら、俺が反対する理由はねえな」


 手招きを受けて近寄った魔術師2人に対し、ケンイチロウが実験内容の説明を行う。

「ベイジル、それとアードルフ。ここから20メー……25歩から30歩進んだぐらいの場所に、<魔力感知>なんかの探査系統魔術をいくつか使ってくれ」

「やるのは構いませんが、あそこに何かあるのですか?」

 ケンイチロウが指し示した場所に目を凝らしても、特におかしな部分は見つからなかった。何の変化もない洞窟が続いているだけである。

「まあ、答えを言う前にまずは一度やってくれ。できれば、認識しているかどうかで結果が変わるかどうかも知りたいからな」

「あ、はい、分かりました」

「じゃあ、僕は、<危険感知>やります……」

 ケンイチロウからの要請に従って、アードルフとベイジルが習得している限りの探査魔術を行使する。

 アードルフの<生命感知>や<魔力感知>などはいずれも反応無しで、ベイジルの<危険感知>と<罠感知>には両方とも反応有りという結果になった。



「罠、ですか?」

「ご明察。術者が存在を認識していなくても、ちゃんと感知できるもんなんだな。そうじゃないとの意味もない魔術だから当然か……しっかし、どういう原理で見つかるんだか予想がつかん」

 アードルフは、ベイジルの<罠感知>に反応があったと言われる部分に再び目を凝らした。しかし、やはり罠と判別できるようなものは何一つ見つけられない。

「あそこに罠があるのですか……? 俺にはぜんぜん判らないんですけれど、ケンイチロウさんには判るのですね。いったいどうやって探しているんですか?」

「特別なことはしてないぞ。罠が仕掛けられている部分はどうしても他とは違うから、違和感がある部分を探せば簡単に見つけられるだろ?」

「……ダミアーノさん、ここから見分けられますか?」

「ぁあん? 分かるわけねぇだろそんなもん。もっと近付いてじっくり調べりゃ、もしかしたら見つけられるかもしれねぇけどよ」

「そうですよね!」

「そうか。入口近くの罠でも、落とし穴の場合はそこそこ罠発見の難易度が高いからな」

 そういう問題ではない。アードルフの口元まで言葉が出かかったが、ケンイチロウには言っても無駄だろうと思って何も言わない道を選択した。


「それとベイジル。もう一つ実験したい事があるから、魔力量が大丈夫ならあと少しだけ付き合ってくれ」

「……はい。大丈夫、です」

 了承を取り付けたケンイチロウは、落とし穴があるらしき場所の近くで地面や壁をしばらく探った後、戻ってきてベイジルに魔術を行使するように促した。

「<危険感知>は、反応が無くなって、<罠感知>はやっぱり、反応します」

「<危険感知>の方は納得だけど、<罠感知>の方は予想外だな。発動しないようになっていても罠自体は残ったままだからか? それとも迷宮だからか、落とし穴だからか……」

 ケンイチロウの悩みは深く、再び前進を始められるようになるまでは暫しの時間が必要だった。


 以降も探索そのものは順調だった。

 通路を歩き回りながらモンスターとの戦闘を積極的にこなし、条件が合えば魔術を行使する。

 魔術を利用した戦術を考えるのは、主にケンイチロウとベイジルの役目となっていた。

 彼らが提案し、カストが吟味した上で承認し、実行する。休憩時にはパーティ全員から意見や感想を聞いて、必要があれば戦術の修正を行う。

 攻撃系魔術の使用頻度がかなり低かったのは、立案担当者2人の嗜好が反映された結果なのだろう。ケンイチロウに言わせれば「その程度のことは試さなくても分かる」とのことだったが。



 朝から数えて都合10回の戦闘をこなし、もうすぐ迷宮の外では昼の鐘(正午)が鳴るくらいの頃、アードルフの体に異変が発生した。

 軽い頭痛があり、体が重くて足が動かしにくい。大きな舌がどうにも口の中に貼り付くし、喉が痛かった。

「ゼェ、ゼェ、ゼェ……ゴホッ!」

「ドルフ、大丈夫……? 疲れた?」

 心配そうな表情をこちらに向けるベイジルに対し、アードルフは無理矢理に笑みを浮かべて頷きを返した。

「おい、アードルフよ。次に適当な小部屋があったら飯にすっからよ、それまで頑張れっか? 無理そうなら首を横に振れ」

「だい、ダいじょうブ、デす」

「……そうか、分かった。じゃあ、もうひと頑張りしろや」

 数十分にも感じられた数分が過ぎ、見つけた小部屋の中で昼食休憩をとることになった。アードルフは荷物を下ろす気力もなく、地面にうつ伏せに倒れ込む。


「すまねえが姉ちゃん、コイツ見てやってくんねえか?」

「ああ、了解した! アードルフ、まずは荷物を下ろそうか」

 ベイジルとパヴリーナに手伝ってもらいながら背嚢を地面に下ろした。

 アードルフを地面に座らせて、パヴリーナが診察を始める。目の下や口内にある粘膜の様子を見て、額ではなく彼の黒々とした鼻に手を当てて熱を計る。

「うん、口の中が乾いていて体温が少し高いというのは、脱水症の軽いやつだな。おそらく、水の飲み方が足りなかったことが原因だろう。というわけで、この革袋の水を焦らずゆっくりと飲み干すのだ。干し肉の塩がたくさん付いている部分と、砂糖も少し舐めるといいぞ!」

 パヴリーナから言われたとおり水分と塩分と糖分を摂りつつしばらく休んでいると、すぐに体の調子が回復し始めた。

「水を飲む量が足りなかったんですね……自分としては、きちんと飲んでいたつもりだったのですが」

「迷宮の中は意外と空気が乾燥しているし、ずっと歩きっぱなしだからな! それに、こういったものにはかなり個人差がある。同じ水の量でもある人には多すぎて、別の人には足りないなんてこともあるのだ。どうにか自分で適量を見つけるしかない」

「そうなんですか。俺は、今までこんなに長い時間歩いたことがありませんでしたから……」

「ケンイチロウなんかは凄いぞ! 迷宮の中だと普通の人の半分くらいしか水を飲まないのに、平気な顔をしているからな。そう言えば、ベイジルもあまり飲んでいないけれど大丈夫そうだな」


 確かに、ベイジルは半日歩き続けているのに全く平気そうな様子だった。

 訓練を兼ねて数日分の食料と夜営道具まで持ち込んでいるアードルフと、日帰り探索に必要な最低限の物資しか運んでいないベイジルを単純に比較できない。

 華奢で気の弱そうな見かけによらず、ベイジルは体力と根性は人並み以上に持っている。これまでの付き合いの中で、アードルフはそれを知っていた。



 昼食の準備が整う頃には、何とか食事を摂れなくもないくらいまで不調は解消された。

 せっかく【風の歌姫亭】で作ってもらった美味い弁当だが、味わって食べるだけの余裕はない。午後からの探索のことを考えると、無理矢理にでも腹に詰め込んでおきたい。

 アードルフが苦労しながら水で食事を流し込んでいると、とっくに食べ終えていたカストがふと思いついたことをアードルフたちに問うてきた。

「そういや、オメエらはヤったことあんのか?」

「やったこと? 何をですか?」

「モンスターを殺したことがあるのかってことよ。別に人間でも、でかめの獣でも構いやしねえけどよ」

「俺は、こっちに来てから小鬼人(ゴブリン)を何匹か仕留めたこともあります。迷宮の外ですけれど」

「僕も、ドルフと同じ、です」

 魔術師ギルドで同門の先輩から攻撃魔術を教わった際、1人の先輩に「実戦で使えなければ使えることにはならない」と言って町の外に連れ出され、何匹かゴブリンや獣を狩った経験がある。

「それなら別に無理やりやらせることもねえか。ああ、でも念のためゴブリンの1匹ぐらい()っとくか?」

「やれと言われればやりますけれど、どうしてでしょうか?」


 人間が「死」というものを感じた時に受ける精神的苦痛(ストレス)の量は、人によって雲泥の差がある。

 人間の死に対して何ら痛痒を感じない者もいれば、何も手につかなくなってしまうくらいにショックを受ける者もいる。

 他人がモンスターを殺す場面を見るのも苦痛という人間もいるし、見るのは平気だが自分の手で殺せないという人間もいる。人間は殺せないが獣や怪物(モンスター)ならば何とも思わないという者もいるだろう。

 どちらが良い、どちらが悪いという話ではなく、探索者に向いているかどうかという話に限定すれば、死に対して敏感すぎる人間は探索者には向いていない。

()ってるうちにだんだん平気になってくる奴もいるけどな。ダメならダメでさっさと探索者なんか辞めた方が本人も周りのヤツも幸せになれんだろ?」

「なるほど……」

 新人2人がモンスターを斃すかどうかは「午後の探索中に機会(チャンス)があれば」という結論を出し、長めの昼食休憩は終わった。



 午後の探索は午前以上に順調で、何の問題も起きなかった。

 昼の休憩が終わってから3時間弱が経過したあたりで本日の探索は終了となり、全員で迷宮の入口目指して戻り始めた。

 帰路における最後の小休憩が終わり、あと数十分で迷宮から脱出できるというくらいの場所まで戻った時に、その機会(・・)は訪れた。


「前から素ゴブリンが3匹、こっちに来てる。やるんだったら丁度いいと思うが、どうする?」

 先行していたケンイチロウが進路上のモンスターを発見し、わざわざ後戻りをしてまでパーティに合流した。そして、開口一番で言い放ったのがこの内容である。

「おう、せっかくだしやらせっか。アードルフとベイジルが1匹ずつで、残りが……そうだ、ダミアーノよ」

「なんすか、おやっさん」

「アードルフは、ただのゴブリンぐらいならイケるんだろ?」

「問題ねぇでしょうよ。まっ、元々ゴブリンなんて、ちょっと武器が使えりゃ負けようがねぇですから。パヴリーナの姉ちゃんもいるんで、死ななきゃ何とでもなりますしね」

「そりゃそうか。そんじゃ、アードルフは魔法じゃなくて剣で1匹()れ。ベイジルが魔法で1匹、もう1匹は……」

「それだったら、俺がやるよ。せっかく持ってきたのに、今日は一度も使ってないからな、コレ」

 そう言って背嚢の上に括りつけられた(クロスボウ)を軽く叩いた。



 ケンイチロウの提案はカストに採用され、なるべく直線距離が確保できる場所で素早く迎撃体制を整える。

「松明持ちが1匹だけいる。そいつを残して左をベイジル、右を俺がやる。首尾よく2匹とも片付けられたらアードルフだけが突っ込め。仮にどっちかでも殺し損ねた場合は、ダミアーノも行って余分なのを始末してくれ」

「はい!」「……了解」「あいよ」

 ケンイチロウが地面に片膝をついた姿勢でクロスボウを構え、隣には杖を構えたベイジルが立つ。2人の背後でアードルフが両手に剣と杖を持ち、更にその後ろではダミアーノが腕組みしたまま控えていた。

 他のパーティメンバーは<持続光>で照らされる範囲から外れるように、少し離れた場所で待っている。

「詠唱始め」

 ケンの合図に従って、ベイジルが呪文の詠唱を始める。

 それから数秒してゴブリンが通路の先に姿を現し、こちらを見つけてからすぐに抜身の剣を振り上げて突進を始めた。


「ベイジル、自分のタイミングで良いぞ」

 どんどんと距離を詰めてくるゴブリンを見ても、ベイジルは慌てず騒がず淡々と詠唱を続ける。小柄なゴブリンの小さい歩幅で残り30歩の距離にまで近づいた時、魔術が完成した。

「<風刃>」

 ベイジルが掲げ持つ短杖(ワンド)の先に生まれた風の刃は、一瞬で目標までの距離を駆け抜け、向かって左を走るゴブリンに過たず命中した。

 胴体を深く切り裂かれたことで血飛沫が飛び、ゴブリンは大きな悲鳴を上げながら地面に倒れる。

 <風刃>が命中したことを確認してから間髪を入れず、ケンイチロウが構えたクロスボウから太矢(ボルト)が放たれた。

 矢は向かって右側を進むゴブリンの右目に吸い込まれるように飛び、眼窩から入って脳にまで到達した。



「行け、アードルフ」

 アードルフが最後に残ったゴブリンに突撃する。

 一方のゴブリンは、自分より遥かに巨体の狼人族に対して完全に腰が引けているものの、逃げずに迎え討つことに決めたようだ。

 どうせ体格差があって逃げても追いつかれるのだから、これで正解だろう。どちらにせよ、待っているのは死という結末だが。

 ゴブリンならば二十数歩はかかる距離をアードルフは10歩で詰た。これで、踏み込めば互いの剣の届く間合いになる。

「ギ、ギィッ!!」

 先手はゴブリンが取った。

 胴を狙った下手糞な突きを、たどたどしい動きでアードルフが払いのける。錆が浮いた小型剣(ショート・ソード)と樫製のワンドが衝突し、カツリという乾いた音をたてた。

「ハッ!」

「ギャァッ!!」

 お返しとばかりに、アードルフが踏み込みながら右手の剣を真上から斬り下ろす。長剣(ロング・ソード)の根本部分が、ゴブリンの禿頭の頂点に当たってゴツリと鈍い音を響かせた。

 ゴブリンが衝撃を受けて一瞬だけよろめくが、すぐに体勢を立て直して剣を構える。


「おぉい、アードルフ! ちったぁ間合いを考えろ。テメェの方がずっとでけぇんだからよ、踏み込んだらそうなるに決まってんだろが!」

「はいっ! すみません!」

 お粗末極まりない失敗に、いつの間にか近くまで来ていたダミアーノから叱責が飛んだ。アードルフの背後に悠然と立ち、弟子に対する指導を始める。

「まずは攻撃を受け流して、そっから反撃しろ。万が一にでも死にそうになったら、俺が助けてやるから安心しとけ。そんときゃ……二度と『魔法剣士になる』なんて寝言は言わせねぇけどな?」

「……はい! 絶対に勝ちます!」

 命令された通りにアードルフは防御を重視した構えを取り、ゴブリンの攻撃を待った。ようやく自分の運命を悟り、絶望の表情を浮かべたゴブリンは破れかぶれになって斬りかかる。

 アードルフは冷静に攻撃を捌き、ゴブリンの5撃目に対する反撃の突きが胴体に深く刺さり、追撃の左薙ぎでゴブリンの頭と胴体は泣き別れになった。



 こうしてアードルフとベイジルの迷宮初探索は、概ね無事に終了した。

 迷宮管理局で戦利品の処理をしてから【風の歌姫亭】に戻り、利益を分配する時になってアードルフが「全く役に立っていないから金は受け取れない」と拒否し、カストが説得して受け取らせるという一悶着はあったが、大した話でもない。

 ちなみに【ガルパレリアの海風】では、収入の2割をギルドに上納し、1割をパーティの共有物などを購入するための費用に充て、残りの7割から必要経費を差し引いた残りをパーティリーダーの裁量で分配する規則(ルール)となっている。

 分配の方法で一番多いのが「単純な人数割り」で、次に多いのが「探索中に目覚ましい活躍をしたメンバーが、他のメンバーの2倍になるように分ける」となっている。

 上納率の低さと分配方法の公平さは、探索者ギルドの中ではかなり良心的な方に入るだろう。




 それから1週間、パーティ構成を変えながら日帰り探索を繰り返した。

 アードルフとベイジルの2人がある程度迷宮での行動に慣れたと判断され、次は迷宮の中で一泊する段階に進む。

 夜は迷宮の外にある宿で眠っていると言っても、不慣れな新人では疲労が溜まってしまうだろうという配慮から、一泊二日の探索に出発する前日は完全休養日にすることとなった。

 翌日の探索の準備はしなくてはいけないが、それを除けば後は何をするのも自由だ。


 迷宮から戻った後、【風の歌姫亭】で夕食を摂るアードルフとベイジルのテーブルに、斥候(スカウト)のロドリーゴがやってきた。

「よう、アードルフ。これから時間があるなら、ちょっと付き合わねえか?」

「あ、はい。時間は作れますけれど、どこに行くんですか?」

「イ・イ・ト・コだよ」

 それだけを言ったロドリーゴは、ニヤニヤと好色そうな笑みを浮かべる。

 彼はギルド内で"女好き"や"エロ男"という渾名を付けられるほどの男なので、おそらく女性がいる店に連れて行かれるのだろう。

 アードルフが正面の椅子に座るベイジルにちらりと目線をやると、ロドリーゴがそれを敏感に察知した。

「すまねえけど、ベイジルは遠慮してくれ。また別の所に行くときは……な?」

 正直に言ってあまり気は進まないが、せっかくの先輩からのお誘いだ。今後の事を考えると行けるなら行った方がいいだろう。

「……それでは、お伴しましょう」

「そう来なくっちゃ! 絶対に楽しませてやるぜ!」





 探索者たちにとってはよくある、他愛のない夜の街への誘いだった。

 この事があれほど重大な事件の引き金になるなんてことは、誘った方も誘われた方も、全く想像すらできないことだった。

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