第76話 交流会第一回目 その2
今回の集まりの名称は「交流会」ということになっていたが、ケンが狙っているのは探索者と魔術師がお互いのことについて知り、知識を共有することである。
だから実際の交流を始める前に、まずは一般的な知識についての講義が行われる。
おそらく飽きっぽいであろう探索者たちのことを考慮して、魔術についての講義が先だ。
「只今より、魔術師ギルドのサザランド導師に『魔術の基礎知識』について、お話を伺います。サザランド導師、お願いします」
「はい、お任せください」
サザランドが椅子から腰を上げ、大きく出っ張った腹の肉をゆさゆさと揺らしながら歩き、会場の前面に用意されていた演壇に上がった。
途中で受け取った<拡声>の魔道具を右手に持ち、にこやかな表情と声で話し始めた。
「皆さん初めまして、私はサザランドと申します。本日は皆さんに『魔術では何ができるのか』ということについて、お話をさせていただきたいと思います。あまり堅苦しい話はならないように努力しますので、少しの時間だけお付き合いください」
太っちょの導師は笑顔を保ったままぐるりと会場を見回し、探索者たちの興味津々といった視線を受け止めて満足そうに頷く。
「探索者の皆さんの場合、魔術と聞いてまず思い浮かぶのは、火の玉を飛ばす<火球>などの攻撃的なものが多いのではないでしょうか? 魔術には破壊的な側面があることも確かですが、それだけではないのだということを今日は皆さんに知っていただけたら、と私は思っています」
いつも見習い魔術師たちを相手にして講義をしているだけはあり、サザランドの話し方は堂に入ったものだった。
目の前に並んでいるのはあどけない少年少女たちの顔ではなく、壮年から中年にかけての厳つい野郎どもの顔だだったが、サザランドにとってはどちらも同じように教え導く対象でしかない。
「始めに、魔術というものを一言で言い表せばどうなるか、について―――前から2列目に座っているビクトル君、答えてみてください。他の皆さんに聞こえるように大きな声で」
「えっ! ……はい。えっと『魔術とは、魔力を操ることで思い通りの現象を呼び寄せる術である』……です、か?」
いきなりの指名を受けたねずみ色のローブ姿の少年が慌てて立ち上がり、所々つっかえつつもなんとか答えを言い終えた。
「はい、よくできました。ビクトル君が答えてくれたように、魔術というのは魔力を操る技術のことを指しています。魔力とは生き物の体内や空気中、土の中などこの世のありとあらゆる場所に存在するチカラの素です。探索者の皆さんにとって魔石はとても身近なものだと思いますが―――」
サザランドはなかなかに優秀な教師のようだった。
探索者たちの知識量を考慮してか、なるべく専門用語は用いずに平易な言葉を使って説明し、専門用語を使う場合でも判り易い解説を付け加える。
事前に決めていた内容をただ漫然と話しているのではなく、受講者の反応を見て話題を選択し、話しかけたり質問をしたりすることで興味を途切れさせないようにしていた。
「魔術を活用できる例はこれだけではありません。そちらの……前から4列目の赤いシャツの方。最近、生活している中で何かお困りのことなどはありませんか?」
「おっ、俺か?! あーっと、そうさなぁ……この頃、どうも寝付きが悪くて困ってるんだけどよ。もしかして、こういうのも魔法でどうにかできたりするんかい?」
「ええ、もちろんです。そのものズバリ<誘眠>という術もありますが、周りがうるさくて眠れないのであれば一定範囲の音を消す<静寂>というのも良いかもしれません。ですが、それよりも適度な運動と栄養がある食事、そしてお酒は控えめにすることが、睡眠には一番いいと思いますけれどね」
「無理を言っちゃあいけねえなセンセイ! 女を抱けないなら酒瓶くらい抱えてなきゃ、寂しくて眠れなくなっちまうよ!」
"飲む打つ買うは男の甲斐性"と言うわけでもないだろうが、探索者の多くにとって酒と賭博と女というのは、やはり身近な娯楽だ。
中層で継続的に活動できるような探索者ならば限度は弁えているが、探索者になってから最初の1年を生き抜いて余裕が出た頃にこういったものにのめり込み、身を持ち崩す者もよく見られる。
ケンやアルバートのように、どれもほとんどやらない方がむしろ珍しい。
「なるほど。それであれば、<土操作>か何かで抱いて寝るための人形でも作りましょうかね?」
「いや、土のカタマリなんかじゃなくてよう……せめて温かくて柔らかい物にしてくんねえかな、センセイ」
「なるほどなるほど。では、土ではなく粘土で人形を作ってから<加熱>しましょうか。でも、加熱しすぎると焼けて硬くなってしまいますね……」
「そこまでするんだったら、最初に言ってた何たらって魔法で良いんじゃねえか?!」
2人の掛け合いを聞いた探索者たちから軽く笑いが漏れた。自分たちの土俵まで下りて話をしてくれるとあって、サザランドに対する反応は好意的なものばかりのようだ。
「まあ、それは冗談として―――」
講義は小一時間も続いたが、太っちょ魔術師の手腕のおかげで脱落者はほとんど出ず、研究者たちや魔術師たちの多くも興味深げに耳を傾けていた。
「まだまだお話したいことはあるのですが、この後の行事もありますので今回はここまでと致しましょう。また次回、皆さんにお会いする機会があれば、もっと別の事についてお話したいと思います。それでは、ご清聴ありがとうございました」
演壇の上で一礼したサザランドに対し、会場全体から大きな拍手が送られた。
大道芸か何かと勘違いをしたらしい数人が口笛を鳴らしているが、堅苦しい式典ではないのだし、サザランドが気を悪くした様子もないのだから目くじらを立てることもあるまい。
「サザランド導師、ありがとうございました。次の催し物を始める前に、休憩のお時間を取らせていただきます。会場の後方にはお飲み物をご用意しておりますので、宜しければご賞味下さいませ。トイレをご利用の方は階段を下りて1階の―――」
暫しの休憩を挟んだ後は、現役探索者のポールによる講義が行われる。
話す内容はもちろん「迷宮について」だ。
「この町に住んでれば、誰でも迷宮についての噂くらいは聞いたことがあるんじゃねえかと思います。迷宮ってのは確かに危険な場所ですけれども、あれはあれで魅力的なところもあるもんです。今から、迷宮に入るときに注意しなくちゃならねえ事をいくつか話させてもらいます―――サザランド先生みたいに上手くは話せねえですが、大事なことですんで辛抱して聞いてくだせえ」
【ガルパレリアの海風】の門を叩いた新人探索者に対して必ずそうするように、ポールはまず迷宮の危険性について語った。
迷宮の至る所に湧き出るモンスターと、通路の所々に仕掛けられている罠の危険性というのは、直接的な危険であるだけに分かり易く、誰にでも想像できる。
しかし、迷宮を攻略する上で最も厄介なのは「迷宮の地形そのもの」である、というのが多くの探索者に共通する認識だった。
迷宮の中は広い。
上層は暗闇に覆われた迷路になっているが、先の見えない場所をモンスターの襲撃に警戒しながら進むという状況は、意外なくらいに気力を消耗するものだ。
同じような地形ばかりが続くので、油断すれば自分の位置を見失ってしまいかねない。道を間違えたのではないか、迷ってしまったのではないかと疑いながら進むのは、かなりストレスが溜まる行為だ。
どちらも、慣れてしまえばなんということもないのだが―――新人探索者の大半は迷宮の環境に慣れる前に姿を消していく。
中層は上層よりも更に広大であり、山岳、密林、砂漠、湿地など、ただ前に進むだけでも困難を伴う地形が目白押しである。
そして、これらの地形に適応したモンスターどもの存在が、探索者たちの生存をいっそう難しいものにしている。
「迷宮は厳しい場所ですが、外では見られないあの景色には一見の価値があるんじゃねえか、と俺は思ってます。それに、辛ければ辛い分だけ、それを乗り越えて帰って来れたときの爽快感は格別です」
ポールの話を聞いた魔術師や研究者の反応は、大きく2つに分かれた。
1つは、これから先に間違いなく味わわなければならない苦労を考えて、うんざりした表情や不安げな表情を浮かべるという否定的な反応。
もう1つは未知の光景を夢想して目を輝かせ、あるいはやる気を漲らせるという肯定的な反応。
ケンは肯定的な反応を見せている年若い魔術師のうち、何人かの顔を覚えておく。探索者ギルドの一員として取り込むのであれば、迷宮探索に対して前向きな人間の方がやりやすいはずだ。
「観念的な話はここまでにしといて、次は実際に迷宮に入るときにどうすれば良いのかって話をさせてもらいましょう」
そう言って演壇の上のポールが合図を送る。
すると、会場の中に何卓かの長テーブルと、それと同数の真新しい背嚢が運び込まれてきた。
テーブルは魔術師や研究者たちが座る椅子の近くに設置され、それぞれのテーブルの上に中身が詰まった背嚢が1つずつ乗せられていった。
「迷宮に潜るとなれば、食料や水の他にもいろいろと道具が必要になります。何が必要かは人によって変わってくるでしょうが、今回はよく使われてるものを紹介します。皆さん、宜しければテーブルの近くまで寄って中を見てくだせえ」
ポールは演壇から一番近いテーブルまで行って背嚢を開き、中身を取り出してテーブルの上に並べ始める。
他のテーブルでは、好奇心旺盛な少年魔術師たちが真っ先に近付いて背嚢の中を覗き込み、ポールの行動を見て同じように背嚢に詰まった様々な道具を取り出して眺めていた。
「今ここにあるのは【ブルー・ダリア】さんが新人向けに売ってる、いわゆる初心者セットってやつです。なかなか勘所を抑えた構成になってますんで、まずはこれを買って、それから自分に合わせて少しずつ入れ替えていくのもいいんじゃねえかと」
ポールの言葉に興味を引かれた様子で、数人の探索者が椅子から立ち上がってテーブルに近寄っていく。
それから、テーブルの上に並べられた品揃えを見て「新人ならこれで十分だ」だの「確かに必要な物はひと通り揃ってるな」だの「値段もそこまで高くねえしな」だのと、口々に褒め称えた。
もちろん、身内の宣伝である。
テーブルに集まった探索者たちは道具を手に取り、聞かれもしないうちから何故これが迷宮探索に必要なのか、どのように使うのかを説明し始める。
初めは戸惑った様子を見せていた少年魔術師たちも、迷宮の中での実体験を交えた使用法の解説にだんだんと引き込まれていった。
堅苦しい講義は適当に切り上げられ、交流会の本番が開始された。
まず、手伝いとして駆り出された【ガルパレリアの海風】のメンバーによって椅子が片付けられ、会場に丸テーブルが並べられる。
次に、さり気なく着飾った【ブルー・ダリア】の女店員が飲み物と料理を運び込み、あっという間に立食形式のパーティ会場が完成した。
料理の主な提供者は、ギルド連盟の加入者たちだ。
店ごとにテーブルを分けて料理が並べられ、探索者たちは自分たちが贔屓にしている店の宣伝に余念がない。 探索者ギルドは活動拠点となる場所を必ず持っているものだが、まるでそうしなければいけないという決まりでもあるかのように、酒場や大衆食堂のように飲食物を提供する店がホームとして選ばれる。
【ガルパレリアの海風】のホームである【風の歌姫亭】のように、ギルドの関係者が引退後に店を開いている場合すらあるくらいだ。
飲食店が選ばれるのは、おそらく長く居座りやすいという理由によるものだろう。
店側が常連客の探索者に対して便宜を図り、探索者たちは入り浸って金を落とすのだから双方にとって悪い話ではない。そうでなければ探索者が追い出されるか、店が潰れるかしている。
テーブルの上に並ぶ料理の中には、【ブルー・ダリア】の店員たちが用意したものも含まれていた。
まずは、店で販売している干し肉や堅パンやチーズなどをそのまま並べたもの。塊の横に小型のナイフが置かれているところから見て、自分で好きなだけ削り取って食べろということだろう。
次に、保存食に一手間加えて味を良く、食べやすくしたもの。すぐ隣のテーブルには材料が並んでいるし、鍋や<加熱>の魔道具なども持ち込まれているので、望めば目の前で調理してくれる。
そして、鋭意開発中の「普通の物に比べるとあまり日持ちしないが、それなりに美味い保存食」や「お湯の中に入れるだけで手軽にスープが完成する塊」も並べられていた。
商売っ気があからさま過ぎるのではないかと苦言を呈したくなる状態だが、女店員の笑顔に騙されている野郎どもは誰も気にしていないようだ。
男なんてちょろい生き物である。
ちなみに新商品の開発は、リサの付き人であるハンナが開発部長となって腕を振るっている。
実際に頭と腕を働かせるのは部下ばかりで、当の彼女は味見をしては好き勝手に注文を付けるだけ、という良いご身分のようだが。
しかし、ハンナが開発部にとって決して欠かせない人材であることは間違いない。
料理を食べさせた後にできる眉間のシワの数で味を測り、料理を作らせた時にどれだけ手間取ったり、間違えたりしたかによってレシピの手軽さを測る。
探索者たちより数段味にうるさく、探索者の平均よりは少しだけ手先が不器用なハンナが合格を出すのなら、必ずや探索者に受け入れられるだろう。
ケンは、がやがやとざわめくパーティ会場を見て回る。
泥酔して問題を起こされるのも困るので酒は一切出さなかったが、アルコールがなくとも十分な盛り上がりを見せているようだ。
ざっと周囲を見回すと大きな集団が3,4つあり、他にいくつも小さな集団ができあがっていた。
料理を取り分ける【ブルー・ダリア】の女店員たちと、それを取り囲む男どもが会場の中で最も大きい集団だったが、そこについてはどうでも良い。
2番目に大きかったのは、探索者として活動する壮年魔術師を囲む少年魔術師たちの集団だった。
これから自分たちが進まなければならない道の上を既に歩いているわけだから、これ以上に参考になる存在もないだろう。
「あん? 迷宮に入るときにイチバン大事なのは何かって? そりゃあ、パーティを組む仲間たちとの信頼関係だろうよ」
少年魔術師から尊敬の眼差しを向けられた壮年魔術師は、得意げな様子で少年たちからの質問に答えていた。
「信頼関係……ですか?」
「考えてもみろよ。モンスターどもを殺るために派手な魔術を使うとなれば、長い詠唱をしなくちゃなんねえだろ? 詠唱してたらロクに動けねえんだから、前衛の奴らがモンスターをきちんと食い止めてくれるって信頼してなきゃ、怖くて魔術なんか使えねえよ」
気の強そうな少年は納得しかねるといった表情を浮かべているが、壮年魔術師は自分の答えに絶対の自信を持っていた。
「おめえらの中にずっと探索者をやっていこうって奴がいるんだったら、仲間選びは慎重にしろよ? 魔術師ってだけで引く手数多だけどな、こっちを便利な道具ぐらいにしか思ってねえ奴もいる。俺は今のパーティで4つ目だけどよ―――」
少年魔術師を探索者にしてしまおうという企みは、それなりに順調のようである。
次に人数が多いのは、サザランドを中心として作られた探索者たちの輪だ。
そこで話の種になっていたのはやはり魔術のことで、サザランドが行った講義の延長戦といった様子になっていた。
「センセイよう、魔法では水だけじゃなくて食い物を出したりはできねえのかい?」
「そうですねえ……砂のような物でいいなら出せるかもしれませんね。食べても砂を噛んだような味で、お腹は膨れても行動する活力にはならないと思いますけれど」
「砂の味がして、食べても意味がないって……センセイそりゃ、砂みたいなモンじゃなくて砂そのものじゃねえのか?!」
「ええ、そうとも言いますね」
講義の最中にサザランドと掛け合いをしていた赤シャツの探索者が、ここでも漫才のようなやりとりを繰り広げていた。
「そうじゃなくてこう……分かるだろ? センセイ」
「真面目に答えますと、ちゃんとした食べ物を魔術で造るのはとても難しいですね。理屈上は不可能ではありませんが、実現するのはほぼ不可能だと考えられています。私の知る限り、今はそういった魔術を研究している方もいらっしゃらないはずですし」
「やっぱりムリなのか」
「ですが、迷宮の食糧事情の改善に役立ちそうな魔術には、いくつか心当たりがありますよ! 例えば<貯蔵>という術です。これは、稀少な植物を新鮮な状態に保つことを目的として―――」
この調子なら、少年魔術師たちは探索者から丁寧に扱われることだろう。魔術に対する期待値を上げてしまうと、それはそれで問題の種になりそうではあるが。
探索者や魔術師たちと違い、研究者たちはあまり大きな集団を作っていなかった。
元々の知り合い同士で雑談に興じている者もいたが、多いのは研究者と探索者の組み合わせだろう。
研究者は自分が取り組む研究について機嫌よく語り、探索者は聞き役に徹する。要所要所で持ち上げるのも忘れない。
お察しの通り、これはギルド連盟の関係者に指示してやらせていることだった。
話があまり盛り上がっていない場所があれば、リサが女店員を派遣して研究者をおだてさせる。
魔術を使える魔術師とは違って研究者は迷宮探索のお荷物だが、だからと言って嫌われているのも具合が悪い。ひたすら持ち上げて、気分よく帰ってもらうのだ。
「上手くいっているようだね、ケンイチロウくん」
モーズレイとカストの2人は、会場の中で最も上座となる場所にずっと鎮座していた。
貴族であるモーズレイが集団の中に混じれば嫌でも気を使わざるを得なくなるし、かと言って1人だけで放置するのは失礼にあたるという配慮の結果である。
「はい。これも、モーズレイ導師とカストさんのお陰です。有難うございました」
「オメエにそういう事を言われても、素直に喜べねえな……こっちはお膳立てに乗っかっただけだしよ」
「いえいえ、私の名前ではこれほどの人を集めることはできません。御二人のご声望あってこそ、ですよ」
ケンから見るれば目の前の2人はお人好しすぎるが、だからこそ人の中心に立っている。
どうしても損得勘定で動いてしまうケンのような人間では、自分が損をしてでも助けてくれるような友人は持ち得ないだろう。
それはともかくとして、交流会が成功裏に終わった事は純粋に喜ばしい。
願わくば"遺跡"調査計画も順調に進んでいって欲しいものだ。




