第71話 パヴリーナ、迷宮に入る
静かに夜が明け、パヴリーナが初の迷宮探索に乗り出す刻が訪れた。
現在時刻は朝の鐘から数十分後。
迷宮入口前の広場には【ガルパレリアの海風】の現役ギルドメンバー23人が勢揃いしていた。
「よーし、全員いるな。昨日のうちにオメエら全員に言ったことだけど念の為にもう一回説明すんぞー……ポールが」
「はい、おやっさん。おいお前ら! 今日はいつもと違う組み合わせになってるんだからな。ちゃんと自分の場所を把握しとけよ!」
「「「「「おうよ!」」」」」「ああ、分かった!」「…………」
元々の予定では、ポール率いる攻略パーティの13人が第一<転移>門から入って中層探索を、カスト率いる育成パーティの9人が迷宮入口から入って上層探索を行うことになっていた。
しかし、パヴリーナが【ガルパレリアの海風】に新たに加入した影響で、急遽予定が変更されたのだった。
パヴリーナの加入決定直後、彼女をどう扱うかについての話し合いの場が持たれた。
副ギルドマスターのポールは、他の新人と同様に育成パーティでしばらく経験を積ませ、然る後に上層を突破させて攻略パーティまで引き上げようと考えていた。
それに対してギルドマスターのカストは、パヴリーナを初めから攻略パーティに入れてしまえば良いと主張したのである。
カストは「貴重な回復役を上層で遊ばせておくのはもったいない」と主張し、それに対してポールは「貴重だからこそ多少遠回りでも慎重に育てるべきだ」と主張した。
2人は侃々諤々と意見を戦わせたもののなかなか結論が出ず、パヴリーナの保護者扱いとなっているケンが意見を求められた。
「オメエはどう思うよ? 俺は何とでもなるんじゃねえかって思ってるんだけどよ」
「個人的にはカスト寄りの意見かな。ファティマやナルセフと違ってモンスター相手の戦闘経験もそこそこあるみたいだし、野外活動にも慣れてるから上層よりもむしろ中層の方が向いてるんじゃないかと」
「だよな!」
「ケンさんが言うことにも一理ありますが、ずぶの素人をいきなり中層に連れて行くのはやっぱり厳しいものがあるんじゃねえか、と俺は思うんですけどね」
「ポールさんがパーティの指揮をしているんだから中層でも大丈夫でしょう。ちゃんとポールさんの命令に従うようにパヴリーナには言い聞かせますし、これから先は"遺跡"関係で素人を連れて迷宮に潜る必要も出てくるんですから、これも訓練です」
議論の着地点は「最初から上層突破を目指して進み、その過程で適正を判断する」という場所にあった。
まずは迷宮に潜らせてみて、中層でもやっていけそうだと思えれば次からは攻略パーティに入り、そうでなければ育成パーティに入って経験を積む。
かなりカスト寄りではあるが、一応はポールの意見にも配慮した形になったはずだ。
上層突破を目指そうとした場合、現在の育成パーティの陣容では力不足である。
かと言って攻略パーティの13人にパヴリーナを加えた14人だと、今度は人数が多すぎる。
そういった訳で今回はパーティの構成を大きく変更し、23人のギルドメンバーを3つのパーティに分けることに決また。ポールが言った「いつもと違う」という言葉はこのことを指している。
それぞれのパーティリーダーはカスト、ポール、攻略パーティのサブリーダーであるウーゴの3人が務める。
カストが率いるパーティは上層突破を目指し、ポールとウーゴが率いるパーティは上層の別々の狩場で稼ぐことを目的とする。
カストのパーティは治癒術師のパヴリーナ、彼女の保護者かつ偵察者のケン、その他に攻略パーティから戦闘力を重視して選ばれた5人を加えた総勢8人で構成される。
ポールとウーゴのパーティは、残りのメンバーをなるべく戦力が同程度になるように振り分けた。
【ガルパレリアの海風】にはケンを含めてスカウトが3人もいるので、全てのパーティに1人ずつ配置できるというのは大きい。中堅ギルドでここまで充実しているところは他にないだろう。
「―――とする、以上。何か分からない事があれば質問しろ」
ポールからの説明は前日に既に聞かされた話だったので、特に疑問や異論は出なかった。
「よーし、今から潜るけどな……いつも中層の奴らは上層だからって気を抜いてんじゃねえぞ! 若い奴らの手本になるようにきっちりとやれ。若い奴らの方はいい機会だから色々と勉強してこい。特にカシム、オメエはそのうちリーダーやるようになるんだから、ポールのやり方もしっかり見とけよ!」
「はい! 1日でも早く、リーダーとして恥ずかしくない人間になるように努力します」
「よし、その意気だ! 俺のやり方とポールのやり方でどっちが正解だ、なんてのは決まってねえ。どっちも合ってるかもしれねえしどっちも間違いかもしれねえ。だけどな、人の上に立つんだったら自分なりの答えを見つけろ」
「はい、分かりました!」
最近、カシムは積極的になった。
3日前に行われた歓迎会の場で、ほろ酔い加減のナルセフがそう語っていた。
故郷にいた頃のカシムはどこか醒めた印象を受ける子供だったらしい。これは他人に冷淡という意味ではなくむしろ人当たりはとても良かったようだが、何事に対しても一歩引いて行動する癖があった。
必要なことはきちんとこなすが、全く熱心ではない。見る人が見れば「やりたいからやる」のではなく「やらないといけないから仕方なくやる」という態度が透けて見えていた。
しかし、この町に来てから―――正確には最初の迷宮探索が終わった直後から、はっきりと分かるくらいに前向きな姿勢に変わったらしい。
カシムとは浅い付き合いしかないケンは気付かなかったが、カシムのことを物心付く前から知っているナルセフが言っているのだから、本当に変わったのだろう。
カシムにリーダーとしての適性があることは、カストやポールも認めている。
人を扱う才能があり、人を率いるだけの情熱があるなら、あと何年かすれば良いリーダーに育つのだろう。まだ少し貫禄が足りないかもしれないが、その辺はナルセフが上手く補ってやればいい。
「そんじゃ出発するぞー」
カストの号令を受けた【ガルパレリアの海風】の男たちが順番に迷宮に入っていく。最も実力があるパーティが一番前を往くという暗黙の掟に従い、カストが率いるパーティが先頭だ。
最初のうちは3つのパーティが一団となって"順路"を進んで行く。
途中で何度か小鬼人や洞窟狼の群れが行く手を阻もうとしたが、相手をするのはいつも中層で戦っている男たちだ。10匹も20匹もいるのならともかく、たった数匹では勝ち目がない。
ただ単にモンスターを圧倒する強さという意味であれば、育成パーティの面子もファティマとナルセフで見慣れているだろう。
しかし、そういった「個人としての強さ」と複数人が連携してモンスターを追い詰めていく「集団としての強さ」はやはり質が違う。
傷を負わせるどころか攻撃を試みることすら許されずに散っていくモンスターの姿を見て、育成パーティのメンバーたちは感心しきりだった。
「おおー……本当に、迷宮の中に出る魔物は死体を残さずに消えてしまうのだな!」
最初に遭遇したゴブリンの群れが蹴散らされた後、すぐ隣を歩くケンに向かってパヴリーナが感心したように言った。
「見た目は迷宮の中のも外のも違わないのに、不思議なもんだよな。多分、迷宮の中で湧くモンスターは本当の意味での生き物じゃないんだろう。最初から大人の状態で生み出されてるみたいだし」
「そうなのか」
ゴブリンが遺した小さな魔石を手渡すと、パヴリーナはそれを撫で回したり、光に透かしてみたり、指で押し潰そうとしたりして感触を確かめた。
「これがゴブリンの魔石なのか……確かに、この町に来てからこんな感じの魔石が店先に並んでいるのを見た記憶があるな。その時は同じような魔石が大量にあったことを不思議に思ったけれど、考えてみれば当たり前だな」
「パヴリーナの故郷ではあんまり魔石を見なかったのか?」
「うん。私の生まれ故郷の近くには迷宮がなかったし、国全体で見ても小さな迷宮が数個あるだけだったからな。こっちに来て、店の明かりが普通の灯じゃなくて魔道具の灯だったのを見て仰天したよ!」
マッケイブにおいて<持続光>の魔道具は生活必需品である。とまでは言わないが、一般家庭でも最低1つは持っているくらいにはありふれた道具だ。
ただし一般人が所有しているのは多分に見栄のためであり、来客があった時ぐらいしか使わないという家も多い。
一方、飲食店を初めとする接客業では<持続光>の魔道具を使うのがもはや当たり前だ。
油を使ったランプよりも維持費は高くなってしまうが、何と言っても明るさが違う。油を使うランプよりも<持続光>のランプの方が設置個数を少なくできる。
点灯や消灯、燃料の追加の手間が少なく、火を使わないので燃焼に伴う煤や臭いもない。それに何よりも火事の危険が無いというのは大きい。
だが、それも四大迷宮の1つという大規模な魔石供給源を抱えるレムリナス王国、しかも大都市だからできることであって、田舎や他の多くの国では魔石は高価であるだけでなく希少でもある。
そういった地域に住む人間からすれば、明かりごときのために魔石を消費するのは「信じられないくらいの無駄遣い」に思えてしまうのではないだろうか。
それをこの国の住人に抗議したところで「だって便利だから」という反応しか返って来ないだろうが。
迷宮に入ってから約2時間が経過した。
他のパーティは目的の狩場に向かうために"順路"から外れていき、ケンの周囲にいるのは同じパーティのメンバーだけとなっていた。
途中で見つけた適当な小部屋を利用して最初の休憩を取る。
小部屋の中で荷物を下ろしてからすぐ、パヴリーナが自分の背嚢を漁って金属製の丸い板と一方の先端がやや細くなった金属製の棒を取り出した。
「それは?」
「ん、これか? これは儀式に使う道具だ。ちょっとした儀式をやろうと思っているのだけれど、大丈夫だろうか」
「危なかったり、長い時間がかかったり、大きな音が出たりしなければ大丈夫だと思うが……」
「危ない事は起きないし、そんなに長い時間はかけないし、そんなに大声も出したりしないぞ」
「儀式をしたせいで、しばらく<治療>ができなくなるなんてことはないよな?」
「多少は精神力を使うけれど、その後でも癒しの奇蹟を10回願うくらいならば問題はない」
ケンとパヴリーナがカストの方を窺うと、肯定の頷きが返された。
「良いみたいだな。どんな儀式なんだ?」
「これからやるのは、自由神様の徴を探すための儀式だ。ケンイチロウに言った通り、迷宮に入る最大の目的は生活費を稼ぐためで間違いないのだけれど、実は迷宮の中で何か別の物が見つからないかと期待してのことでもあったのだ」
「……別の物を見つける?」
「うん。少し前に、迷宮の中で自由神様に縁のある物が見つかったという噂を聞いてな。もしかしたら、他にも何かあるのかもしれないだろう?」
それは多分、見つけない方が良い物だ。ケンの直感がそう囁いていた。
「おい、パヴリーナよ。俺に細かい事は分からねえが……その儀式ってのは迷宮の外ではできねえのか?」
パヴリーナの説明を聞いて興味を惹かれたのか、カストが話に加わった。
「それができないらしいのだ。これも聞いた話だけれど、どうも迷宮の中と外は別々の世界らしい。だから、迷宮の外からでは中にある物を見つけられないのだとか何だとか」
「ほーう……じゃあ、その儀式でずっと昔から眠ったままの神様のなんちゃらが見つかるかもしれえねのか」
自分が信仰する神のものではなくとも「神の遺物」という言葉には心踊るロマンがある。ロマンという単語が大好物であるカストという男が、これで乗り気にならないわけがなかった。
「よし、俺が許す。やれ!」
「ああ、元よりそのつもりだ!」
1人だけが不安を、他の6人が期待を胸に抱いて見守る中で探査の儀式が始まった。
パヴリーナが地面の上に胡座をかいて座り、丸い金属板の上に金属棒を乗せた状態で胸の前で捧げ持った。
目を閉じて精神を集中し、静かな声でゆっくりと儀式のための呪文が詠唱される。彼女の呪文はこの地方で使われているものとは異なる言語らしく、意味は解らない。
詠唱の開始から数十秒後。それまで無地だった板と棒の表面に文字とも図形とも区別がつかない模様が浮かび上がり、ぼんやりと光を発し始めた。
最初はごく弱かった光は次第に強さを増し、直視するのが困難なほどに輝きを増した次の瞬間。金属の棒がふわりと浮いて、空中でぐるぐると回り始めた。
ケンが知っている物とは全く大きさが違うが、一見して羅針盤のようだ。
初めはでたらめに動いていた羅針盤の針は、最終的にある方向を向いて空中に静止した。
棒の細くなった側は、どうもこれから目指そうとしている迷宮の奥の方を指し示しているようだ。
「おい、どうだったんだ?!」
焦れたように問いかけるカストに対し、ゆっくりと目を開いたパヴリーナが笑顔で頷いた。
「うん、まだ距離があるので大雑把な方向しか分からなかったけれど、向こうに何かあるようだ」
「「「「「おおーっ!」」」」」
「よーし。じゃあ今回は、パヴリーナの嬢ちゃんが見つけた宝物も頂いて帰る、ってことにするか!」
「「「「「「異議なし!」」」」」」
「異議あり」
唯一の反対票を入れたケンのことを賛成票を入れた7人が非難がましい目で睨んだ。だが、そんな圧力に屈する彼ではない。
「今回は新人を連れて上層を突破するのが目的なんだから、それに専念すべきだろう」
「そう言うなよ。なにも目的をほっぽり出して探しに行こうってんじゃなくて、ついでに取りに行ける場所にあったら持って帰ろうって話なんだからよ」
「取りに行くのは今回じゃなくても良いだろう? これまで誰にも取られなかったんだから、次に来た時もまだ残ってるさ」
「いやいや、こういうのは一度機会を逃したら二度と手に入らなくなっちまうんだって! オメエは知らねえだろうが―――」
結局、カストに押し切られてしまった。
"順路"から大きく外れた場所に目指す物があると判明した場合、その時点で獲得を諦めて<転移>門だけを目指す、という言質を取ったのがせめてもの収穫だ。
そこから先は2,3時間に1回の頻度でパヴリーナが探査の儀式を行い、宝物の方向と距離を確認しながら進んでいった。
幸いな事に―――特定の人物にとっては不幸なことに―――コンパスの針は毎回、これからケンたちが進む先を指した。
これでは上層突破という目的の妨げにならず、何も文句のつけようがない。
探索そのものは極めて順調に進行している。
ゴブリンや洞窟狼、豚頭鬼人のような隠密行動のイロハも知らないモンスターの接近をケンが見逃すはずがない。
上層で最も強いと言われているオークの群れでさえ、カスト以下6名の戦士たちにとってはそこまでの強敵ではない。普段は中層でもっと強かったり、もっと厄介だったりするモンスターと散々戦っているのだから、それも当然だろう。
しかし、個々のモンスターはさほど強くないと言っても、群れの数が多い場合にはどうしても乱戦になってしまうため、常に無傷とはいかなかった。
いつもなら多少の切り傷や打撲は薬草を磨り潰した軟膏を塗って治療し、<治療>の魔法薬のような高級品は使わずに我慢するのが常だったが、今回は治癒術師のパヴリーナがいるおかげで小さな怪我1つ残らない。
今回が初迷宮のパヴリーナもすこぶる快調だった。
食事の粗末さや、数日続けて体を清められないことによる環境の不潔さなど気にした素振りもなく、パーティの進行速度にも苦もなくついてくる。
一応は初探索ということでパヴリーナが持つ荷物は少なめにしてあるし、中層での長期行動を想定して移動速度を抑え気味にしていたが、彼女の様子を観察する限りそんな配慮がなくとも問題なかったかもしれない。
特筆すべき出来事は何も起こらないまま迎えた、迷宮探索3日目の夕刻。
夜営場所を決める前の最後の休憩時にパヴリーナが発した一言で、男たちは色めき立った。
「うん、宝物の場所はもうすぐそこみたいだ」
「マジか?! ついに来たな!」
「このまま進めば、今日の夜営前には目的の場所に着くと思う」
「おーし、盛り上がってきたな。この先はどうなってたっけか……おい、地図出せ!」
カストの指示を受けて仲間の1人が地図を探し始めたが、そんな物を見るまでもなくケンはこの先がどうなっているかを知っている。
「……ここからしばらく進むと大きめのモンスター部屋がある。そこからもう少し進んだ所に安眠草が生えてる部屋があるから、そこを今夜の夜営場所にすれば良いだろう……無事に突破できればな」
「よく憶えてるなオメエ……おお、本当に大部屋があるわ。もしかしたらそこに宝箱でもあるのかもなあ?」
忘れもしないあの部屋は、約1年前にオーク・リーダーと遭遇した場所だった。
休憩を終え、前進を再開してから約20分でケンたちはモンスター部屋の近くまで到着した。
1年前にアルバートたち3人を待たせた場所で今度はカストたち7人を待たせ、ケンのみが先行して偵察を行う。仲間たちはそこまでしなくても大丈夫だろという態度を示していたが、ここは譲れない。
今のところオーク・リーダーと遭遇した時のような悪い予感は一切感じないが、細心の注意を払ってモンスター部屋の中が覗き込める場所まで移動する。
息を殺し、部屋の中を覗き込んだ。
部屋の中には槍を持った普通のオークが7、いや8匹。どいつもこちらに気付いた様子はなく、車座になって座っていたり、意味もなくうろうろと歩きまわったりしていた。
足音を忍ばせてカストたちが待っている場所まで戻り、状況を報告する。
「見えただけでオークが8匹。他に気配は感じなかったから大丈夫なはずだが、中は障害物になるような岩がいくつもある。万が一の場合も想定してくれ」
「8匹か……勝てる数ではあるが、ちと多いな。少し策を練るか」
「カスト、それならいい物がある」
ケンが地面に置いてある背嚢ではなく、腰に括り付けた革の小物入れから白い玉を取り出し、カストたちに見せた。
「使い捨ての<閃光>玉か。よく持ってたなそんなもん」
「こういう事もあるかと思ってな。まず、俺が先行して<閃光>でオークどもの目を潰して、合図をしたら残りが突入して撫で斬りにすれば良い。全部倒せなかったとしても数が減れば残りは簡単だろ」
「……オメエ1人でか? 俺らも一緒に行ったほうが良くねえか。オメエじゃなくて腕の立つ他の奴にやらせてもいいしよ」
「いや、やるなら身軽な俺が最適だし、<閃光>は敵味方区別してくれないから全員で行くとこっちの目も潰れるぞ? それに、1人で入って注目を集めた方が効果が大きい。大丈夫、駄目だと思ったらすぐに逃げるさ」
「そこまで言うなら任せるか……」
今度は全員でモンスター部屋へと向かう。
部屋の入口から約30メートルの地点にほぼ直角の曲がり角があるので、ケン以外はそこで一旦待機だ。ここならば万が一にも<閃光>で目が潰れることがないし、ケンの姿も見えないからとても都合が良い。
<閃光>玉を投げ込む役目を他の人間に任せないのは、ケンが身軽だからという以外にも理由があった。
どんな理由かを明かすと、それは「魔術の実戦投入」である。
魔術を行使する前に必要なだけ準備時間がとれ、部屋が広いおかげで敵までの距離が適度にあり、遠距離からの攻撃はない。しかも仲間たちに魔術を行使する場面を見せずにすむなんて好条件は、今後二度とないかもしれない。
慎重に距離を測れば、鈍重なオークどもに近寄られる前に<閃光>を発動できるだろう。
上手く魔術が発動できなかった時は、カストたちに話した計画の通り<閃光>玉を使うだけだ。
モンスターから見つからないギリギリの場所まで忍び寄り、魔力を集中する。
ジョーセフから魔術を学んだおかげで、詠唱をせずに魔術を行使できるのは大きい。もし、普通の魔術師のように呪文の詠唱が必須であれば、今回の計画は最初から成り立たなかった。
集中訓練の時に1日数百回以上、5日で合計数千回は魔術を使ったおかげで、ケンの魔力制御の腕はもう並の魔術師に勝るとも劣らない。
部屋の中をうろうろと歩きまわるオークが入口から遠ざかるタイミングを見計らい、部屋の中にゆっくりと足を踏み入れた。
明るく照らされた場所まで踏み入れば、愚鈍なオークでも当然ケンの存在に気付く。
しかし相手が1人と見て侮ったか、それともいきなり現れた黒尽くめの男に呆気にとられたのか、オークどもはすぐに襲い掛かってこない。
予想が外れてしまったが、この方が都合が良いので構わない。
全てのオークの視線がこちらに向いていることを確認し、<魔法の杖>の指輪を付けた左手を頭上に伸ばす。
「<閃光>」
部屋の中が一瞬だけ白で塗り潰され、次に豚の断末魔のような甲高い絶叫が部屋の中を満たした。
オークとの戦闘はごく短時間で終了した。もちろん完勝である。
豚どもの悲鳴を合図としてカストたちが部屋の中に突入し、目を抑えて地面をごろごろと地面を転がる手近な数匹の首を簡単に落としてしまった。
思ったより距離が離れていたせいで効果が薄かった残りのオークも、まともには動けない。
熟練の戦士たちによって全てのオークがあっさりと斃され、すぐさま魔石の回収と部屋の中の捜索が始まった。
「何も見つからねえな……」
「こっちも見つからねえっす」「なーんもなし」「他の探索者の遺品もねえなー」
しかし、目ぼしいものは何一つ見つからない。
「分かった。もう一度儀式をしてみよう」
カストからの目配せを受け、パヴリーナが部屋の中央で探査の儀式を始めた。
その間、男たちはパヴリーナを中心に円陣を組んで周囲の警戒だ。大部屋の中にいるモンスターが斃された場合、その後数時間は新たにモンスターが湧かないはずだが念のためだ。
「う、うーん……自由神様の気配はあっちの方からしているのだが……」
「壁だな」
パヴリーナが自信なさげに指さしたのは、正面にある出口の方向ではなく右側の壁だった。
「一応見てくる」
ケンがパヴリーナの指し示す場所に警戒しつつ向かう。<持続光>の魔道具を使ってできる限り明るく照らしながら岩でできた壁を観察していると、一部に違和感があった。
「これは、スイッチか……これを押すと隠し通路が出てくるってのが定番だけどな……」
全員を呼び寄せてケンが発見したスイッチについて説明し、どう対応するかの判断をリーダーのカストに委ねる。聞く前から結果は分かりきっていたが。
「そりゃ、ここまで来たら押すしかねえだろ!」
「俺は押さんぞ。もちろんリーダーのカストもだめだし、治癒術師のパヴリーナもだめだ」
5人の男たちが無言のまま視線を交わして役目を押し付け合い、結局5人の中で一番年が若く立場が弱い1人が壁のスイッチを押すことに決定した。
「よーし良いぞ、押しちまえ!」
約20メートルの距離を取ったカストにけしかけられ、意を決して壁のスイッチを叩く。その男は結果も見ずに一目散に壁から離れていった。
そんな人間たちの騒がしさを他所に、スイッチの横にあった岩が音もなくゆっくりと地面に沈んでいく。
ケンとしては横に動くか観音開きになるかそれとも岩が崩れ落ちでもするかと思っていたが、なかなか奇抜な開き方である。
数十秒かけて岩は完全に地面に吸い込まれていき、少し前まで壁があった場所には高さ3メートル幅2メートルの隠し通路がぽっかりと口を開けた。
隠し通路の先には長さ約30メートルの真っ暗な通路があり、その先に小部屋がある。どうしてこの距離からそんなことが判ったのかと言えば、その小部屋の中が明るく照らされていたからだ。
迷宮上層の通路には明かりがない。モンスター部屋の天井や壁は発光しているが、ここから見える部屋の大きさから考えてモンスター部屋ではないだろう。
そうだとすれば、答えは1つだ。
「宝箱部屋?!」
「待て! 止まれ! ……念の為に通路の罠を探してからだ」
迷宮の罠が仕掛けられていることはほとんどないが、宝箱部屋に限っては油断は禁物だ。
隠し通路の入口に見張りとして2人を残し、ケンが先頭に立って罠を警戒しながら進む。しかし、罠の1つも無いままに、無事に一行は宝箱部屋の前まで辿り着いた。
その場にいた全員で部屋の中を見ると、そこには大きな卵があった。




