第69話 身元引受人
どんどんと増えていく一方だった懸案事項のうち、最も始めから処理待ち行列に並んでいた1件に解決の目処が立ったことで、ここ数日のケンは少しだけ上機嫌だった。
ケンが積極的に何かをしなければいけないような案件ではなかったので、解決してもしなくても普段の生活にあまり影響はない。
しかし何と言うか、喉の奥に刺さったままだった魚の小骨が取れた時のような爽快な気分になる。
今、思い返してみれば、ここ半年ほどの目の回るような忙しさの元凶が「アルバートたちと知り合いになったこと」にあるように思えて仕方がなかった。
もちろん悪いことばかりではなかったし、ウェッバー家関係や盗賊ギルド関係などアルバートたちとは全く関係がないものがいくつもあるので、完全な言いがかりでしかないことは自分でも解っている。
そもそも、大本の大本を言えば「迷宮内の宝箱から入手した<水作成>のコップを利用してアルバートたちに近付く」という選択をしたのは他ならぬケン自身なので、自分で蒔いた種だと言われれば返す言葉もない。
ケンが上機嫌なのは、ここ最近では珍しく何の用事もない日が続くからという理由もあった。
魔術師ギルド関係の用事は数日前までに終わらせてしまったし、秩序神教会のエセルバートから新たな指令は来ていない。
夜光蝶関係はダニエルが完成させた追加報告書を届けたばかりなので、動きがあるとしてももう少し先になるはずだ。
"遺跡"調査計画については現在進行中だが、直近でケンが処理しなければいけない案件はない。
調査計画に付随するギルド連盟については、【ガルパレリアの海風】のカストとポールが中心になっているので、ケンが出て行っても何もできることはないだろう。
治癒術師や盗賊・密偵を派遣してもらう件については、もう少し計画が具体化してからでなければ動きにくい。
エセルバートと盗賊ギルド【黒犬】に必要な情報提供はしているので、向こうが勝手に動いているかもしれないが。
次に【ガルパレリアの海風】の攻略パーティが迷宮に入るのは5日後を予定しているため、準備時間を考慮してもあと2日はゆっくりと過ごせるはずだ。
明日はダニエル邸を訪れて世間話でもしようか、それともモーズレイの屋敷にいるアリサの顔でも見に行こうかなどと考えつつ、ケンは【花の妖精亭】1階の食堂で寛いでいた。
夕食時を過ぎた店内の客は疎らで、料理をツマミにしながら酒を飲む男が数人いるだけだった。エイダの営業方針で酒を出していないので、彼らが飲んでいる酒はわざわざ自分で持ち込んできたもののはずである。
一般人向けの宿も兼ねている【花の妖精亭】では、宿泊客が自前で用意した食事を摂ることも考慮して飲食物の持ち込みは禁止されていない。酔って暴れたり周囲を汚したりしない限り飲酒も黙認されている。
もっとも、エイダが作った料理に味と値段の両面で勝る食べ物を見つけるのは極めて困難だ。
種族的な特質のせいで普通の料理が食べられなかったり、信仰による特殊な制約があったりするのでもない限り、わざわざ外から持ち込んでくる奴もいない。
どうしても何か変わったものが食べたいのであれば、事前に頼んでおくか食材の持ち込みを検討すると良い。エイダが良いように料理してくれるだろう。
「おーい、エイダちゃーん」
ゆったりとした時間が流れる店内に1人男がやって来た。帽子を被った初老の男は近所に住む常連客で、ケンもよく顔を知った相手だ。
「おや、また来たのかいアンタ。ついさっき今日の夕飯を食べ終わったばかりだってのに、そんな事も忘れちまうなんて耄碌したもんだねえ!」
「いやいや違うよ。家で飲んでたんだけど肴が切れちまってね。簡単なので良いから3つ4つばかり適当に見繕ってくんねえかな」
「ああそういうことかね、まだ竈の火を落とす前で良かったよ。それじゃちゃちゃっと作っちまうから悪いけど少しだけ待っておくれ」
「はいよー」
注文を済ませた初老の男は手近な椅子を引き寄せてそこに座る。ちらりとケンの方に視線を送った後に、帽子を脱いで裏返しにしてから目の前のテーブルの上に置いた。
「…………」
料理は十数分ほどで完成し、厨房から出てきたエイダが数枚の皿を載せた木のトレイを男の前に置いた。
「はいはいできたよ。食べ終わったら皿は―――」
「皿は水に浸しておいて、軽く汚れを落としてから返せって言うんだろう? 大丈夫、何十年ここに通ってると思ってるんだい」
「分かってるなら良いんだけどね。それとアンタが最初にここに来てからまだ十年は経ってないだろ」
「ハハハ、そういやそうか。じゃあ、ありがとねエイダちゃん。お代はツケといて」
「払いはいつも通り月末にね。あんまり飲み過ぎないようにしなよ」
「大丈夫、ホドホドにするよ」
男はテーブルの上から帽子を拾い上げて被り、料理の載ったトレイを持ち上げる。
他の飲兵衛どもと挨拶を交わしつつ店の外へと出て行った男の後を追う影があってことは、その場にいた誰一人として気付いてはいない。
明りのない路地裏をぶらぶらと歩く初老の男の背中に、ケンが声をかける。
「こんな時間にあんたが連絡を取りに来るなんて珍しいな、"帽子"のおっさん」
「俺もついさっき上から聞かされたんだよ。なるべく急ぎって言われてるから勘弁してくれや」
種明かしをしてしまうと、実は目の前の男は【黒犬】の一員である。
普段は堅気の仕事で生計を立てているから、構成員というよりも外部の協力者という表現の方が相応しいだろうか。
ケンがこのことを知ったのは【黒犬】の情報部門の長である"鼠"の頭領と顔見知りになって以降のことで、"帽子"の男の方もそれまではケンが【黒犬】と関わりがあることを知らなかったようだ。
正体を知ってからは、こうして連絡役として便利に使われている。
「急ぎ? 最近は特に何も頼んでなかったはず……でかい事件でもあったのか?」
「いいや、特にそういう感じはしなかったな。なんでもウチの頭が黒鎚を呼んでこいって言ってるらしい」
「"鼠"が? 何の用件だ」
「俺も詳しい事は聞かされてねえが、神官のニイちゃん関係だってよ……ネエちゃんだったか?」
言われるまで気付いていなかったが、自由神神官のパヴリーナは昼過ぎに用事を済ませてくると言って出かけたきり、まだ帰って来ていなかった。
「……分かった。今すぐ行こう」
「場所は『いつもの所』だってよ。じゃあ、せっかくの料理が冷めちまうから俺はこれで帰るわ」
「ああ、転んで落とさないように気をつけてな」
「年寄り扱いするんじゃねえ!」
ケンは一度【花の妖精亭】の自分の部屋に戻って外出の準備を整え、出発する前にエイダに断りを入れる。
「エイダさん、少し用事を思い出したから行ってくるよ」
「おや、今からかい? どのくらいかかるんだね」
「ちょっと予想が付かないかな。もしかしたらかなり遅くなるかもしれない」
「はいはい分かったよ、くれぐれも気をつけて行ってきなよ。戸締まりしてあったらいつものように開けて、元通りに閉めてくれりゃいいよ」
エイダはケンがどこで何しようと詮索はしない。聞かずとも委細承知しているだけかもしれないが、嘘を吐かなくて済むのは助かる。
真っ暗な裏通りをいくつも抜け、時には場末の酒場の中を通路にして辿り着いたのは、ケンがいつも【黒犬】の情報屋と対面する時に使う小屋だった。
スラムの片隅に建つその小さな小屋の壁は穴だらけで柱は歪んで倒壊寸前のように見えるが、それは単なる偽装である。
よく見れば周囲の見すぼらしさに比べて木製の扉だけは嫌に頑丈そうだ。ケンが扉を一定のリズムでノックすると、すぐに中から応答があった。
「おう、開いてるぞ」
扉を開けて小屋の中に入ると、外観からは想像できないくらいにしっかりとした造りの部屋の中で"垂れ目"が待っていた。
"垂れ目"は【黒犬】が抱える情報屋のうちの1人で、ケンが情報を買う時はいつもこの男が仲介をしている。
その渾名が示す通りに極度の垂れ目で、何をしていても眠たそうに見える。
「あんたか……頭領から話は聞いている。こいつに案内させるからすぐにボスの所に向かってくれ」
"垂れ目"が顎で示した場所には、老人のように大きく腰の曲がった小男が蹲るような姿勢で待っていた。小男はケンを見上げ、何本も歯が欠けた口を歪めて卑屈そうな笑顔を作る。
「へへっ……初めやして黒鎚の旦那ぁ。あっしがご案内させていただきやすんでぇ、どうぞついてきてくだせぇ」
「ああ、頼む」
ひょこひょこと歩く小男の後を追って小屋を出た。
不格好な歩き方の割に、案内役の小男が進む速度は結構な早さがある。全く足音を立てずに歩いていることから考えても、見た目通りに体が不自由なだけの人間ではあるまい。
周囲を警戒しつつ、複雑な経路を黙々と歩いて目的地に向かう。
いちいち寄り道や回り道をさせられるのは面倒極まりないが、裏組織の幹部という"鼠"の頭領の立場を考えれば慎重になるのも致し方ない。経由地がたった一箇所なのだから、これでもかなり信用されている方だ。
ケンと小男はやがてとある屋敷に到着し、小男がごそごそと合図を送った。すると扉にあった覗き窓が開いて誰何の声が投げかけられる。
「誰だ」
「へへっ……頭領からのお言いつけの通り、黒鎚の旦那を案内してきやした」
「分かった」
覗き窓が閉じられ、それから幾つもの錠前が外される音が小さく響く。金具が軋む音を立ててゆっくりと開かれた扉は、ケンが予想していたものより3倍は分厚かった。
扉の先にいる男はケンにも見覚えがある。この屈強そうな男は、いつも"鼠"の頭領に影のように付き従っている用心棒コンビの片割れで間違いない。
「入れ」
「それじゃ、あっしはこれで……」
「ああ、ありがとな」
任務を完遂した小男が立ち去るのを数秒だけ見送り、ケンは屋敷の中に入る。初めて見た屋敷の中身はかなり豪華だった。
「一番奥だ」
相変わらず必要最低限の単語しか口にしない用心棒の指示に従い、ケン1人だけが屋敷の奥に向かった。
屋敷の広さに反して廊下の幅が狭く、無駄な曲がり角がいくつもあるのは襲撃者に対する備えだろう。侵入者の足止めがしやすくなる代わりに、中からも逃げづらくなるような気がするのだが。
廊下の突き当りにあった豪勢な扉を強めにノックし、返事を待ってから開ける。
扉の先の広く豪華な部屋の中心付近には、談笑しているらしき3人の人間がいた。
部屋の中央を占領した革張りのソファーの1つに出っ歯にぎょろ目という風貌をした"鼠"の頭領が座り、その背後には護衛コンビのもう一方が無言のままに控えている。
"鼠"の頭領の向かい側のソファーで寛いでいたのは、行方知れずになったと思われていたパヴリーナである。彼女は何事も無く元気そうな様子だった。
「おおっ、ケンイチロウ! ネズミの人がケンイチロウと知り合いだと言っていたのは、本当だったのだな」
「あっ、ひでえ! 信じてなかったのかよ!」
「ははははは」
「それに俺っちと黒鎚はただの知り合いじゃなくて、盃を交わした兄弟分だからな。そこんところは重要なんだから間違っちゃいけねえぜ?」
「コクツイ?」
全く状況が理解できない。
「……何がどうなってるんだ、これは」
「おう、すぐに説明すっからまずは座ってくれよ、兄弟」
"鼠"の頭領に促されるまま、ケンはパヴリーナの隣に座った。
すぐにケンが入ってきたものとは別の入口から肉感的な半裸の美女が現れ、液体の入った杯をケンの目の前に置く。ケンが酒を飲まないことは"鼠"の頭領も知っているので、恐らく果汁入りの水か何かだろう。
美女はケンと目を合わせてニッコリと微笑み、豊満な後ろ姿を見せつけながら帰っていった。
「それで、どうしてパヴリーナがここに?」
「それはだなケンイチロウ。私がスラムで襲われていたところを、ネズミの人の仲間に助けてもらったからなのだ」
「襲われた!?」
「うん。襲ってきたのは多分、秩序神教会の奴らだ」
「……悪いが、さっぱり話が見えてこない」
「んじゃ、俺っちの方から説明するよ」
パヴリーナの説明では埒が明かないと判断して、"鼠"の頭領が話を引き取った。パヴリーナもここまで話下手ではなかったはずだが、酒でも飲んでいるのだろうか。
「頼む」
「手下どもが気付いたのは、【黒犬】の縄張りのど真ん中で断りなく襲撃をやらかしてる奴がいるってことだった。狙いが恨みか物盗りかは知らんが、ウチとしては放っておく訳にはいかねえわな?」
【黒犬】本体からその地域の管理を任されていた者は、監視をしつつ制裁を加えるためにすぐさま人を集め始めた。
周囲の建物に被害を及ぼしながら逃走劇を繰り広げた3人は、ある袋小路でとうとう動きを止めた。まずは囲んで逃げ道を塞ぎ、ようやく落ち着いて犯人どもの姿を確認できるようになった。
「囲みを作ってた奴の中に、運良くパヴリーナの姉ちゃんの素性を知ってる奴がいてな。被害者っぽかったしじゃあ助けてやるかって思ったら、その姉ちゃんは自力でやっちまったみたいだけどよ」
「いやいや、敵の注意を逸らしてくれたおかげで勝てたのだ。感謝しているよ」
「それで、秩序神教会がどうのってのは? それと、なんで俺が呼ばれたんだ」
「おう、それはだな、ノビてる男をふん縛って持ち物を改めたは良いが、素人なりに考えたのか正体が分かるものは何も持ってなかった」
使っていた長剣はどこにでも売っている安物、服や所持品にも身元の特定につながるような物は皆無だったようだ。
「だから姉ちゃんに『襲ってくるような相手に心当たりはねえのか?』って聞いてみたら『秩序神教会の奴らだと思う』って答えが帰って来たわけよ。びっくり仰天した現場の奴らがすぐに俺っちのところまで話を上げてきて、襲った奴らと姉ちゃんを丁重にここまで連れて来たって訳さ」
慌てて秩序神教会について詳しい人間を呼んだところ、襲撃者の2人は確かに戦士団に所属している者であるという確証が得られた。
それを聞いた"鼠"の頭領は頭を抱えた。
【黒犬】と秩序神教会の戦士長エセルバートは、秘密裏の協力関係にある。
エセルバートとの関係を第一に考えると襲撃者の処分はできない。しかし、掟破りを無罪放免しては内部に対して示しがつかない。
パヴリーナの立場が悩みを更に深くした。
まず、彼女は被害者だ。振りかかる火の粉を払っただけで処罰するのは忍びないし、加害者側を無罪放免するということは暗殺を黙認したと受け取られる可能性がある。
彼女が単なるが通りすがりの自由神神官であればどうとでもできただろうが、面倒なことに彼女はケンの身内である。事実はどうあれ、ギルド内部にそういった認識を持っている者がいるのは間違いない。
迷宮探索者「黒鎚のケンイチロウ」と言えば"鼠"の頭領の弟分、つまりギルドの準幹部も同然だとこの界隈では広く知られていた。
エセルバートの配下であり、魔術師ギルド長の弟子でもある人物の逆鱗に触れては命取りになる。
「ここまで来たらもう、黒鎚センセイご本人にお出まし願うしかあるめえよ」
「事情は分かった。正直に言って、あまり関りたくなかった」
「悲しいことを言うなよ、兄弟」
事件発生機のアルバートと縁が切れたことで少しは落ち着くと思っていたのに、足元に落とし穴が掘ってあったような感じである。
「ところで、そいつらは本当にエセルバートの部下なんだろうか」
「ん? 戦士団の一員ってんだから、ヤツの部下で間違いねえだろ。違うのか?」
「いや、そういう表向きの話じゃなくて、エセルバートの裏の顔を知ってるのかって話だよ。戦士団全員があの男の派閥って訳でもないからな」
「そっちの意味か。いくら俺っちでもそこまでの情報は集められてねえな……時間をかけりゃあ不可能じゃねえけど」
エセルバートは、必要があれば盗賊ギルド相手でも躊躇なく手を結ぶ男だ。
自由神教会が丸ごと出てきたのであればともかく、特に目立つ活動をしたわけでもない神官1人をわざわざ暗殺するとは思えない。ただ排除するのではなく、どう利用できるかをまず考えるのではないだろうか。
「話を聞く限り、襲撃のやり方がお粗末すぎる。エセルバートが成功させる気でやるならもっと上手くやっただろうよ」
「確かにな」
エセルバートの配下には、ケンが至近距離でも気配を捉えることができないくらいに隠密行動に長けた工作員がいる。必殺を期すのであれば、そういった道具を使わないはずがない。
「エセルバートの関与があったと考えた場合……暗殺が成功しなくても良かったか、失敗した方が都合が良かったのか。一番可能性が高そうなのが『下っ端の独断専行』で、次点は『エセルバート以外の命令』ってところじゃないか?」
「ほー……その予想が合ってたとしてもやっぱり交渉は必須だな。少しでも恩を売るなり貸しを作るなりしとかなきゃ俺っちの立場がまずい。だから黒鎚さんよう、何とか上手いこと話しつけてくんねえか? せめて渡りをつけるとこまでやってくれればその後はこっちでやるわ」
「貸しイチ、追加だな」
「そりゃねえだろう兄弟。元はといえばこの姉ちゃんが原因で起こった騒動なんだからよう」
「だったら俺はパヴリーナを連れて帰るだけにするから、最初から最後まで自力で頑張ってくれ。ちなみに、パヴリーナは魔術師ギルド長の研究に協力してるから、もし何かあれば……分かるだろ?」
完全に虎の威を借る狐の状態だが、恥などという糞の役にも立たない感情はとうの昔に犬に食わせた。
これは脅しではなく善意からの忠告なのだから、むしろ感謝されても良いくらいだ。
"鼠"の頭領が肩を落としてガックリとうなだれる。
「はー……分かったよしょうがねえ。その条件で頼むわ」
「毎度あり、兄弟。さすがに今から神殿に行っても会えないだろうから、夜が明けてから動こう。それで手遅れってこともないだろ?」
屋敷から帰る前に、一応はケンも襲撃者の顔を確認する。
隣の部屋で目隠しと猿轡をされて椅子に座った状態で縛り上げられた2人の男は、わざわざ拘束を解くまでもなく見覚えがない相手だと判別できた。
ケンもエセルバート派の人間をそれほど多く知っている訳ではないため、これだけでエセルバートの関与がなかったと断定する材料にはならないが、派閥の中心人物ではないことだけ分かれば十分だ。
【花の妖精亭】までの帰り道をケンとパヴリーナが並んで歩く。
ケンは当然として、パヴリーナの方も夜道は歩き慣れているので足取りに危なっかしいところはない。
「ケンイチロウは魔術師ギルドに、盗賊ギルドに……おまけで秩序神教会にとずいぶん顔が広かったのだな。ネズミの人から聞いたのだけれど探索者ギルドでも色々やっているのだろう? ベティから聞いてケンイチロウが探索者をやっていることは知っていたが……若いのにすごいなあ!」
「俺が凄いんじゃなくて、知り合いが凄いだけだろう。その知り合い目当てに寄ってくる奴を相手してたら、いつの間にか柵でぐちゃぐちゃになってただけだよ」
「私に謙遜などしなくてもいいではないか」
パヴリーナの前で"鼠"の頭領と話したのは失敗だったことに気付いたが、もう遅い。今からできるのはせいぜい口止めくらいだ。
そもそも魔術師ギルドと盗賊ギルドとの繋がりは既に知られていたのだから、全て知られてしまうのも時間の問題だったかもしれない。
「それで、ケンイチロウに1つ頼みがあるのだ」
「……また面倒事か?」
「いやいや、慣れないうちは面倒をかけてしまうかもしれないが、最終的にはケンイチロウにとっても得のある話だと思うぞ」
残念な事に、トラブル・メイカー本人に安心しろと言われて安心していられるほどケンは人間ができていない。
「とりあえず、話だけは聞こう」
「ありがとう。頼みと言うのはだな、私もケンイチロウのパーティに入れてもらいたいということだ。私は人間や小型の魔物との実戦経験はそれなりにあるし、癒しの術も人並み程度には使えるから役に立つと思うのだ」
「どうして迷宮に入ろうと思ったんだ?」
「理由を正直に言ってしまうと、金だ。今は魔術師ギルドの世話になっているから食事と寝る場所に困っていないが、いつまでも世話になり続けるわけにもいかないだろう? せめて自分の食い扶持くらいは自分で稼がなくてはな。今日も仕事を探し歩いていたのだが……私ができそうな仕事が見つからなくてな」
「治癒術が使えるなら、町の中で稼げるんじゃないのか?」
「いや、神の御業を金儲けのために利用するのは憚られると言うか、それをやろうとすると縄張りの問題が……な」
治癒術師を抱える教会では、多額の金銭と引き替えに怪我の<治療>や<病気治癒>をするという事業を提供している。
パヴリーナがそこに事業参入すれば、縄張りを侵された既存の業者から睨まれるのは確実だろう。そうなれば、後ろ盾となる教会を持たない彼女に勝ち目はない。
それに、実質的にはともかく建前では「信者に対する奉仕活動の一環として無償で治癒術をかけ」て、それに対し「施しに対する感謝の心を表すために自発的に寄進を行う」ということになっている。
馬鹿馬鹿しい理屈だが、建前を無くしてしまうと敵に言い掛かりを付ける隙を作ることになりかねない。
大人の汚さはともかくとして、ケンの個人的な感情を抜きにして考えればパヴリーナの提案は悪いものではない。
探索者に怪我は付き物だ。パーティに治癒術師がいれば、高価な魔法薬の消費を減らすことができる。それはつまり、一度の探索で得られる利益が増えるということだ。
【ガルパレリアの海風】の奴らであれば、パヴリーナが自由神神官だろうと特に気にせず受け入れるだろうし、彼女の性格ならあの雰囲気にもすぐ馴染むだろう。
パヴリーナが女だというのが少しだけ気になるが―――クレアをパーティ入れるよりは問題が少ないはずだ。何がどう問題になるのかについてはパヴリーナの名誉のために割愛させていただく。
「分かった、俺が世話になっている探索者ギルドに話をしてみよう。たぶん問題なく入れてもらえると思う」
「おお! 感謝する。これでケンイチロウと私は名実共に『仲間』だな! これから色々な困難に見舞われるかも知れないが、助けあって乗り越えていこう!」
いつの間にか厄介な人物に取り憑かれるという呪いにでもかかってしまったのだろうか。
この世界にも悪霊祓いができる人がどこかにいることを願いつつ、夜空を見上げながら帰り道を歩いた。




