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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第六章 孵化
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第68話 混沌と支配

 魔術大学院地下にある会議室の1つは、出会うなり臨戦態勢へと移行した2人の神官から発散する殺気によって修羅場と化していた。

 当事者は双方共に女だが、修羅場と言っても恋の鞘当ての方ではなく原義の方の「修羅場」なので、残念な事に色気はないし全く嬉しくもない。


「『自由』をお題目にして好き勝手に振舞っているだけで、無秩序で混乱した状況を作って周囲に迷惑ばかりかけるような人に『こいつ』などと呼ばれる筋合いはございません。私がケンイチロウさんと話していたのですから嘴を挟むのはやめて頂けますかしら。子供でももう少し道理というものを弁えていますわよ?」

「『秩序』なんて綺麗事を言って他人を支配したいだけの人はやっぱり言う事が違うな! そんな資格もないくせに他人を束縛して、自分の思い通りにならなければ駄々を捏ねるなんて、自分の方こそ幼い子供そのものだろうに。いい加減に世界は自分を中心にして回ってないって気付かないものかねえ!」

 どちらも相手の行動が幼稚だと言いたいようだが、傍目から見ればどちらも子供の屁理屈である。



 一般的な認識として、奉ずる神の教えが正反対と言えるものであることから両教会の仲はあまり良くない、とされている。

 しかし、信徒同士が顔を合わせた途端に殺し合いが始まりそうになるほどに険悪である、という話は聞いたことがない。

 その証拠に、ケンがパヴリーナに対して「クレアは秩序神神官である」と説明をした時に、苦手そうな雰囲気はあっても憎んでいるようには見えなかった。

 クレアの側にしても、他者の信仰についてここまで狭量な態度をとる人間ではなかったはずだ。

 ケンは表向き幸運神の信者ということにしているが、それについてクレアから何か言われたことはないし、改宗しろと勧誘されたこともない。

 クレアとパヴリーナがこう(・・)なっているのは、互いの信仰がどうこうではなく単に本人たちの相性が悪すぎるだけなのだろう。


「幼い子供でも守れるような社会の規則(ルール)を守れないような人から、子供扱いされてしまうなんて思いもしませんでした……(おや)がなくとも子は育つと言いますけれど、それでは体しか育たないので大人がどういうものか分からないのでしょうね」

「どこの誰ともわからない奴が作った、正しいかどうかも分からない常識やルールに盲目的に従っている方がよっぽど子供だろうに。何でもかんでも(おや)が決めてしまうせいで、自分で考えて決めるということができなくなってしまうんだろうな!」

 いい大人がお互いを馬鹿だ子供だと罵り合う姿は、とても見られたものではない。

 運良くケンから矛先が外れており、実力行使に発展しそうな様子もないので今のところは黙って見守るだけにする。万が一、殺し合いが始まってしまった場合でもアルバートが止めてくれるだろう。

 おそらく、多分、きっと。



 このように「自らが奉ずる神の教えこそが正道であり、正反対の教義を持つ相手側は邪道である」として論争になることも多い秩序神教会と自由神教会だったが、神学者たちは少々異なる見解を持っているようだ。

 個人的な感情をなるべく交えず、中立的な立場から神話や教典を論理的に紐解いていこうとする神学者の間では「秩序神と自由神それぞれの教えは相反するものではなく、互いに補い合うものである」という解釈が主流である。

 多数派の意見ではないが「秩序神と自由神は兄妹、もしくは夫婦である」という説も存在するくらい、両者は近しい存在であるとされている。

 その解釈を更に推し進め「秩序神と自由神は同一の存在であり、各々の教義の違いは単に別の側面を見ているだけである」とする説もあるが、提唱者以外からは今のところ全く同意を得られていない。

 仮にこれらの説が正しいとした場合、クレアとパヴリーナは姉妹喧嘩で自分の親を自分で貶しているだけということになる。

 夫婦喧嘩は犬も食わないらしいので、姉妹喧嘩では(オーク)も食わないだろう。



 他の4人が生暖かく見守る中、クレアとパヴリーナの宗教論争(くちげんか)は続く。

 婉曲的に、あるいは直接的にと様々に表現を変えて敵に言葉の刃を突き立てんとする両者だったが、言っていることは結局「バカ」「バカって言った方がバカ」「バカって言った方がバカって言った方がバカ」を延々と繰り返しているだけである。

 永遠に続くかと思われた2人の言い争いは、本日の会合の主催者である魔術師ギルド長(ジョーセフ)が会議室に姿を見せたことで終止符が打たれた。

「なんじゃ、朝から騒々しい奴らだのう……騒ぐのは別に構わんが後始末が面倒じゃから物は壊すなよ」


 いつもと同じように杖を持って漆黒のローブを着けて大儀そうに歩くジョーセフに続き、ケンには全く見覚えのない1人の男が会議室に現れた。

 扉の上枠に頭をぶつけないように首を傾げつつ部屋に入ってきたのはがっしりとした体格の男で、ケンよりもたっぷり頭一つ分は背が高い。顔の形を含めて全体的に角張った印象で、その巨体を覆うローブがなければ誰も彼のことを魔術師だとは思わなかっただろう。

 魔術師の嗜みとして当然杖も持っているが―――持ち手を含めた全体が金属製で、しかも先端が円筒形に膨らんでいるせいで杖ではなく両手持ちの鎚矛(メイス)のようにも見える。

 彼が着用するローブの色はジョーセフと同じく漆黒だったが、ジョーセフが着ているものとは違って胴体や腕を一周する幅2,3センチメートル程度の白い線が入れられていた。


 実は、魔術師ギルド員が公式の場やギルドの建物内でローブを着用する場合、地位に応じて使用すべき色や意匠が決められている。

 漆黒のローブが許されるのは最上位者であるギルド長のみであり、導師級の魔術師は暗灰色のローブに金糸を使った刺繍を入れることが許されるようだ。

 漆黒に白い線という組み合わせがどんな地位を表しているのかについて、半端な魔術師であるケンは答えを知らない。正式な魔術師であるエミリアならば知っているはずなので後で確認しておこう。



 自分が連れて来た人間を入口に放置したままでジョーセフは部屋の奥に向かい、主催者(ホスト)あるいは最も上位者が座るべきとされている椅子を選んで腰を下ろした。

 このまま待っていても老魔術師が積極的に話を進めてくれそうな気配はないので、この部屋の中で最も知り合いの数が多く、事情に通じていると思われるケンが進行役を買って出る。

「えー、本日はお忙しい中お集まりくださり有難うございます。出席者は全員そろったようですから、そうですね、まずは……初対面の方もいますのでお互いの紹介から始めた方が良いでしょうか」

 部屋の中にいる全員の顔を見回し、特に反対意見が無いことを確認してから議事を進行させる。


「それでは最初に……ご存じの方も多いかと思いますが、奥の席にいらっしゃるのが魔術師ギルド長のジョーセフ師です。ジョーセフ師、申し訳ありませんがこちらの方をご紹介頂けますか?」

「ん? ああ、そう言えばお主らとは初対面か。そこにいる小僧……そこにおるでかいのは弟子のタウベルト。確か、4番弟子じゃったか?」

「5番弟子です、師匠」

 タウベルトは「そうじゃったかのう?」と首を傾げるジョーセフの斜め後ろまで移動し、立ったままケンたちの方に向き直った。見た目はかなり厳ついが、穏やかそうな雰囲気をもった人物だった。

 横幅に相応しいだけの体の厚みを持った巨漢のタウベルトと比較的小柄で痩せぎすのジョーセフが並ぶと、大きな岩の隣に枯れ木でも生えているかのように見える。

 ただし、枯れ木と言ってもそこにあるのは世界一危険な枯れ木だ。折ろうとするのは勝手だが身の安全は保証しない。


「初めまして。私はここにおられるジョーセフ師の弟子で、タウベルトだ。現在はレムリナスではなくアーリオス(隣国)の魔術師ギルドに所属する身だが、今回は師匠直々のお声掛かりでこの場に参加させてもらうことになった。この先長い付き合いになるかどうかはまだ分からないが、よろしく頼む」

「お主は少し前に副ギルド長になったんじゃったか? 末席の」

「それは7年前の話ではありませんか。今ではちゃんと主席になっています」

「ああそうか。まあ、儂の弟子ならその程度は当然だのう。儂がお主と同じ歳の時にはもうここでギルド長をやっとったんじゃから、遅すぎるくらいだわい」

 その時にタウベルトが浮かべた、呆れたような、疲れたような、何かを諦めたような表情を見て、ケンはなんとなくこの巨漢の魔術師とは仲良くなれそうな予感がしていた。



 タウベルトの紹介が終わった後はパヴリーナ、アルバート一行、ケンという順番で簡単に紹介を済ませ、各々が席に着く。

 会議室の入り口から見て奥側にジョーセフとタウベルト、右側にアルバートたち4人、左側にパヴリーナという配置である。

 司会進行役のケンは少し悩んだ後で手前側の席を選んだ。

 ジョーセフの弟子であることを考えれば奥側に行くべきだろうが、何となく気後れしてしまう。

 アルバートと共にオーク・リーダーを斃して戦利品(ドロップアイテム)を持ち帰った事を考えれば右側、パヴリーナとの仲介役であることを考えれば左側でも良かったかもしれないが、どちらを選んでも後々面倒な事になりそうだった。


「会議を始める前に1つ確認させていただきたいのですが、タウベルト師は今回の件についてどこまでご存知でしょうか」

 本日の議題はもちろん「"魔神の卵"の処遇について」であるが、本題に入る前に全員の認識を合わせておく必要がある。

「一切、何も聞いていない。師匠からは『やってもらうことがあるからこっちに来い』と言われただけだ」

「なるほど……」

 いつも通りのジョーセフということだ。自分の弟子とは言え、他国の副魔術師ギルド長という重鎮を用件も告げずに呼びつけるとは破天荒にも程がある。

 この国(レムリナス)隣国(アーリオス)の力関係がどうなっているかは分からないが、ジョーセフが存命している限り、少なくともタウベルトだけは振り回され続ける運命なのだろう。



 ジョーセフの弟子たちに訪れる苦難に満ちた未来像はさておいて、今は"卵"をどうするのかについて決める時だ。

 タウベルトには何の情報もなく、アルバートたちは"卵"の存在を知らず、パヴリーナは"卵"の入手経路を知らないという状況であれば、全員に対して事の起こりから時系列順に説明した方が説明漏れが少ないだろう。

「今回皆さんにお集まりいただいたのは、魔術師ギルドで保管されている"魔神の卵"と思われる物の扱いについて議論するためです。まずはそんな物がどうしてここにあり、どのような経緯でこの会議が開かれるに至ったかをご説明させていただきましょう」


 ケンとアルバートがパーティを組んで迷宮に潜ることになった経緯、特に事件が起きないままに進んだ道中の説明は大幅に省略して、"魔神の卵"を取り込んだ豚頭鬼人(オーク)を発見した場面から説明を始める。

 通常ではありえないほどに強大な力を持っていたオーク・リーダーと、その周囲にいた上位階級のオークどもの存在。戦士はともかくとして、オークの魔術師や神官といった存在はこれまで知られていなかった。

「取り巻きのオークとは直接戦わず、遠距離からエミリアさんの魔術で一掃してしまいましたので、実際に魔術を使った場面は見ていません。ですが、迷宮の中に湧いたモンスターなので、見た目通りの能力が会ったと考えて間違いないでしょう」

「ケンイチロウたちが遭遇した魔物たちの変貌は、間違いなく"卵"による影響だろうな。前にも言ったが、宿主やその眷属が特殊な変化を起こしたという例は過去にもあったらしい」

 エミリアの魔術によって少なからぬ傷を負ったオーク・リーダーとの近接戦闘では、アルバートが終始圧倒し続けたまま勝利を収めた。

 迷宮が生み出したモンスターが死ぬとすぐに死体の分解が始まる。後には必ず魔力の結晶体である魔石が残され、稀に探索者たちがドロップアイテムと呼ぶ物体も残される。

「ドロップアイテムとして残されるのは爪や牙といった肉体の一部、もしくは武器などの所持品と相場が決まっていますが、巨大オークが残したのは正体不明の黒い球体でした」



「あれが"魔神の卵"だったってことか? ……あの程度で魔神なのか……」

 戦闘狂(バトル・ジャンキー)のアルバートはあからさまに不満そうな声音だった。

 これまでに彼が探索者になった理由を聞いたことはないが、わざわざ聞かなくとも簡単に想像がつく。まず間違いなく「俺より強い奴に会いに行く」といった系統だろう。

「いや、少人数であっさり倒せたのは"卵"がまだ寄生したてだったおかげだろう。しかし、そうだとしても弱すぎるな……迷宮の中にいる魔物はどうも外の魔物とは違っているようだから、魔神が持つ本来の力を発揮できていなかったのかもしれない」

「そうなのか? それなら次に復活した魔神を狩りに行く時は必ず呼んでくれ。どこで何をしていてもすぐに飛んで行く」

 普通の人間なら暗澹とした気持ちになるであろう情報を聞かされたというのに、アルバートはむしろ嬉しそうである。

 そんなアルバートを見た他の人間は全員が呆れ顔だった。傍若無人と奇想天外を絵に描いたようなジョーセフまで呆れさせるというのは、ちょっとした快挙ではないだろうか。



 アルバートの思考を理解しようとするのは無駄なので、放っておいて話を進める。

「ええと、どこまで話しましたっけ……黒い球体を手に入れた後、正体について色々と調べて回りましたが全く手がかりが掴めませんでした。数カ月後、ジョーセフ師とお近づきになる機会があってお見せしたところ、興味深い研究対象であるということで調査していただけることになりました」

 ここまではクレアを通じてアルバートたちには伝えてあり、パヴリーナは知らない情報だった。パヴリーナに教えていなかったのは単に話すきっかけと時間が無かったからで、わざと隠したわけではない。

「それから長らく進展はありませんでしたが、つい先日―――2週間ほど前にパヴリーナさんがこの町に来たことによって、状況に変化がありました。では、そのあたりの事情についてはパヴリーナさんから説明をお願いします」

「ああ、分かった」


 パヴリーナの口から自由神教会と"魔神の卵"の関係についての説明が行われた。

 神話や自由神教会が"卵"の管理を任されるに至るまでの経緯は省き、"卵"に休眠期と活動期があること、活動期には厳重な監視をすり抜けて転移してしまうということ、その度に自由神教会が"卵"を捜索・回収してまた監視下に置くという制度が確立されていることが伝えられた。

「しかし、数年前に始まった活動期の際に"卵"の位置が分からなくなってしまったのだ。その後もずっと探し続け、今から約1年前になってようやく位置を捉えた。それから私に"卵"回収の使命が下され、この町までやって来たというわけなのだ」

「"卵"の位置が探知できなかったのは、迷宮の中にあったからではないかと思われます。迷宮の内部は別の空間になっているらしく、外から中にある物を探すことができないのです」

「おお! そうだったのか。それならば納得がいくな!」

 パヴリーナと同じくタウベルトも迷宮が別空間であるという説は初めて聞いたらしく、少しだけ感心した様子だった。

 彼が無知と言うわけではなく、迷宮と縁がなければそういったことは考える機会も無いだけだろう。



「パヴリーナさんは、私たちが迷宮から持ち帰ってきた黒い球体を直接見て"卵"であるかどうかを確認し、"卵"であるなら譲ってもらうことを望んでいます。そういう訳で、所有者であるアルバートさんたちにも相談しなければと考え、このような場所を設けさせていただいた次第です」

「譲って頂けた後は、我が教会が責任を持って管理すると約束する。だから譲ってはもらえないだろうか」

 パヴリーナからの要望に対し、アルバートは特に異論が無さそうで、エミリアはいつも通り無関心。ダーナはさっさと自分の近くから消えてほしいと言いたげな様子である。

 問題はやはりクレアだ。

「パヴリーナさん、でしたかしら。私から1つ、質問させて頂いても?」

「……どうぞ」

「自由を何よりも尊ぶ貴方たちの教会が、災厄の元とは言っても他者の自由を制約しているのはどういった風の吹き回しなのでしょうか。むしろ魔神の方に加担して好き勝手しそうなものですけれど?」


 パヴリーナは反射的に嫌味を返しそうになる自分を何とか抑え、深呼吸を数回。睨みつけてしまうのまでは止められないが、努めて静かな口調で答えを返す。

「我が神は『自由は貴い』と仰られている。それを盾にして好き勝手に振舞い、他者に迷惑をかけている信徒がいることは、残念ながら事実だ……しかし、自身の自由が貴いのと同じように他者の自由もまた貴い。魔神は多くの者の自由を蔑ろにする許されざる敵であり、封じるのもやむを得ないというのが我が教会の見解だ」

「何だかずいぶんと都合の良い理屈に思えてしまいますけれど……私も罵り合いがしたいのではありませんので、それで納得したということにしておきましょう」

 全く納得はしていないのだと言葉と態度であからさまにしたクレアが睨み、パヴリーナが受けて立つ。この場にジョーセフやタウベルトがいなければ、すぐにでも喧嘩が再開されていただろう。



「まあ、今すぐ結論を出さんでも良かろうよ。"卵"の研究が一段落するまでは、これまで通り儂の方で預かっておく。この国の中で最も警戒が厳重な場所で保管しとるんじゃから何も心配はいらんぞ」

 これまでずっと無言を貫き通していた(居眠りしていた)ジョーセフがそう言って取りなした。この老魔術師のことなので、丸く収めようという親切心からの行動ではなく、自分の都合のいい結論に誘導するためだろう。

「そうですわね。個人的な感情を全く抜きにしても内容が内容だけに即答はできません。しばらく考えさせてください。もちろん、今日伺った話を無差別に広めるような馬鹿な真似はしませんのでご安心下さい」


「うむ。ではタウベルト、調査は任せたぞ。儂の方は色々とやらねばならんことがあって時間が取れんから、儂の知り合いの中で一番ああいったのが得意そうなお主にやらせてやる。光栄に思え」

「そう来ると思っていました。私の方も暇というわけではないんですが……断っても無駄でしょうね。せめて禁書庫から5冊ぐらいは頂かなければ向こうに言い訳ができません」

「多すぎる。他にも土産を付けてやるから3冊で我慢せい」

「では、3冊で手を打ちましょう。その代わり持っていく本は選ばせてもらいます。助手は何人ですか?」

「前から"卵"の研究をしとった3人をそのまま付けてやる。まだまだの奴らじゃが鍛えりゃ使いもんになるじゃろ」

「それでは少ないですね……向こうから弟子を2,3人呼んでも良いでしょうか」

「ああ、好きにしろ」

「それと、できれば―――」



 ジョーセフとタウベルトの間で交わされる政治的な交渉やら何やらが終わった後、ひとまず"卵"の扱いは現状維持することと今後の大まかな予定を決め、会議は恙無く終了した。

 これを持って"魔神の卵"の一件は、ケンの手から完全に離れた。


 ―――めでたしめでたし。







「うーん、これは完全にだめだな……」

 町の中でいくつかの用事を済ませた帰り道、パヴリーナは道に迷っていた。

 最後の用事を終えた時にはもう夕の鐘(午後6時)を過ぎて薄暗くなり始めていたので、早く帰ろうと近道をしたのが間違いの元だった。

 何をどう間違えたのか【花の妖精亭】がある町の東側の商業地区ではなく、北側のスラムに迷い込んでしまったのだ。

 スラムでは住人たちが好き勝手に小屋を建ててしまうせいで、道が細い上にごちゃごちゃと入り組んでいて見通しが悪い。この町に来たばかりの人間が思い通りに進めるはずがなかった。

「しょうがない。いちど知ってる場所まで戻るしかないな」

 幸いなことに、町のどこからでも魔術大学院の高い塔が見えるので方角だけは分かる。どうにかして太い道まで行って、そこから町の中心にある迷宮入口に向かえばそのうち知っている道に行き当たるだろう。


 まずは通ってきた道を後戻りしようと決めた時、剣呑な気配を漂わせた1人の男がすぐ先にある横道から現れてパヴリーナの行く手に立ち塞がった。前だけではなく、後ろにも同じような男が1人。

 2人の男はどちらも防具に類するものを一切身に付けず、腰に長剣(ロング・ソード)を佩いていた。ロング・ソードの鞘や柄に一見して分かる特徴はない。

 迷宮探索者が人口の数割を占めるこの町では武器を持った男など珍しくもないが、こちらをまっすぐに睨む男どもがこんな場所に偶然に居合わせた、なんて思い込めるほど彼女は脳天気ではなかった。

「この町で誰かに恨まれるような真似をした記憶はないんだがな! まさか、君たちは私の魅力にやられてしまったクチかい? だったらこんな時間にこんな場所で誘うんじゃなくて、明るい時間に花束でも持って1人ずつ誘いに来るものだよ」

 襲う前にわざわざ姿を見せるという失態を犯していることから考えて、この男どもは暗殺者として訓練を受けた人間ではない。

 それならば、正体を探るためと逃走経路を探す時間を稼ぐためにも軽口は有効だろう。



「これは恨みなどではなく、義憤によるものである!」

 正面の男がそう言って剣を抜き、それに呼応して背後の男も構えを取った。

「義憤だって?! 女相手に大の男が複数で襲いかかるのが『義』とは恐れいった。私を笑い死にでもさせるつもりだったのかい? どこの神様なのかは知らないけれど、叱られて反省すると良いさ!」

「秩序を乱す淫売が! 貴様が神を語るな!」

 まんまと挑発に乗った背後の男が怒声と共にパヴリーナに斬りかかり、それを見た正面の男も慌てて動き始める。全く連携がなってはいない。

 しかし、連携が取れていなかろうと何だろうと、真っ直ぐな道で前後を挟まれた状態ではまともに戦うことなどできない。まずはこの不利な状況から脱しなければならないが、男どもの脇をすり抜けられるほどの道幅はなかった。

「だったら横だ!」

 パヴリーナは、すぐ横の木の骨組みと布だけで作られた家に飛び込んだ。中に住人が居ないことは確認済みなので、巻き込んでしまう心配はない。

 建物とも呼べない家の中は狭く、たった2歩駆けただけで壁は目前だった。懐から抜き出した短剣(ナイフ)を使って布を斬り、そこから家の外に転がり出る。


 それで襲撃者どもが諦めてくれるはずもなく、すかさず後を追ってくる。

「チッ!」

「先走るからだ!」

 狭い路地での追いかけっこが始まった。パヴリーナも鍛えてはいるが、さすがに鎧を着けず身軽な男よりも早くは走れない。

 後ろから切りつけられたり掴まれたりするのを避けるために、小刻みに進路を変えながら逃げ回る。土地勘なんてものは無いので、行き先を決めるのは全て山勘(あてずっぽう)だ。

 襲撃者どもの方もあまり道を知らないのか、先回りしようとすることもなく愚直に後を追ってくる。



(どうも素人くさいな……)

 襲撃者どもはある程度体は鍛えているようだし、一瞬だけ見た構えからしてそれなりに剣の訓練も受けているようだが、実戦経験は恐らく皆無だろう。

 暗殺対象の前に姿を晒したり会話したりしたのもそうだが、襲撃場所の選定が悪い。普通は襲撃の前に周囲の地理ぐらい把握しておくものだし、予想される逃走経路にも人を配置しておくものだ。

 武器の選定も悪い。こんな狭い場所ではロング・ソードなどまともに振り回せまい。この町なら武器を持っているというだけでは警戒されないのでロング・ソードなのは良いとして、それなら襲撃はもっと広い場所ですべきだった。

 周囲に無関係の人間がほとんどいない部分については合格だが、これは襲撃者が人払いした結果ではなく、危険に敏感なスラムの住人が自発的に逃げた結果だろう。


(襲ってきたのは多分……いや、考えるのは無事に逃げ出してからでも遅くない。無事に逃げられれば、だが) パヴリーナは逃げる方向の選択を誤っていた。彼女たちはどんどんと町の外周方向、つまり人の数が少ない方に向かっている。

 そして、初めのうちは上手くいっていた当てずっぽうな道選びがずっと成功し続けるはずもなく、ついに袋小路に追い込まれてしまった。

 前と右は身長よりも高い石の塀、左には一度体当たりしたぐらいでは破れそうにもない木造の家がある。塀の先がどうなっているかは分からず、この距離では乗り越える前に斬りつけられてしまうだろう。

 こうなると戦って活路を見出すより他に選択肢はないが、パヴリーナの武器はナイフが1本だけだ。

 かなり困難な状況だったが、彼女に諦めるという選択肢はない。右手でナイフを握り締めて襲撃者どもと相対する。



「手こずらせやがって……観念してさっさと死ね!」

「まだしなくちゃいけない事があるんでね。すぐに神の身元へ行ったら怒られてしまうよ!」

 初回の時に学習したのか、すぐに飛びかかってくるような事はしなかった。油断なく剣を構え、2人の男が速度を合わせながらジリジリと距離を詰めてくる。

 男どもが必殺の間合いまであと半歩というところまで距離を詰めた瞬間、右側に立っていた男が何かに気を取られてパヴリーナから視線を外し、1秒の半分だけ動きを止めた。


 彼女はその隙を逃さない。

 左側の男を牽制するためにナイフを投げつけ、右側の男の懐に潜り込む。がら空きの胴体を殴りつけると同時に奥の手を発動した。

「<神の拳>!!」

 拳と神聖術による衝撃をまとめて受けた右側の男が数メートルほども吹き飛ばされ、地面に落ちる。

 左側の男がパヴリーナに斬りかかるが、動揺したまま放たれた攻撃を食らってやれるほど彼女は優しくないし、弱くもない。

 その直後、逃走と戦闘続行という選択の間で逡巡してしまった右側の男は、左側の男と同じようにパヴリーナの手で意識を断たれた。




「ふうっ。とりあえず、第一波はなんとかなったが……これは厳しすぎるな……」

 戦闘が終了して落ち着く間もなく、パヴリーナの感覚は新たな襲撃者の気配を捉えていた。最初の男どもは単なる捨て駒だったらしい。

 彼女が位置を把握できただけで気配は3つだが、捉えきれない分を含めれば最低でもその3倍はいるだろう。先ほどの素人とは違って今度は玄人(プロ)だ。


 萎えそうになる気持ちと足を奮い立たせ、パヴリーナは構えをとった。

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