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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第六章 孵化
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第65話 ”卵”

引き続き魔術のお勉強から。

 魔術集中訓練2日目が始まった。

 一晩ゆっくりと眠ったおかげで体力も魔力も完全回復しているが、目覚めた瞬間からどうにも気分が重い。

 学生時代にあったマラソン大会当日の朝もこんな気分になっていたな、と過去を懐かしく思い出しながら準備を整え、師匠(ジョーセフ)が待つ魔術大学院へと向かう。


 魔術大学院の玄関ホールにある受付窓口では、今日もまたいつものようにアイリスとジェナが業務を遂行していた。

 普段と少しだけ違っていたのは、ケンの姿を見つけたアイリスが絡みついてこずに「怒っています」という態度をあからさまに示しながらそっぽを向いたことだった。

 絡まれても鬱陶しく思うだけだが、何もされなければそれはそれで少し寂しい。


 アイリスを見ると何となく、小学生だった頃に近所の家で飼われていた犬を思い出す。

 柴犬の血が濃いその雑種犬は、近くの道を誰かが通りかかるたびに尻尾を千切れんばかりに振りながら吠え掛かり、相手が立ち止まると下手糞な芸を次々と披露してどうにか興味を引こうとしていたものだ。

 健一郎が気紛れに構ってやってからはそのアピールが更に激しいものになり、無視して通りすぎようとすると哀れっぽく鼻を鳴らすので無視しきれなかったこともある。

 健一郎が中学に上る前には老衰で逝ってしまったが、その後しばらくの間は空っぽの犬小屋を見る度にどこかしみじみとした気分になった記憶がある。


 アイリスの性格ならば数日と経たずに機嫌を直すだろうが、一応は仕草で謝罪の意思を表現しつつ受付窓口の前を通り過ぎ、エレベーターに乗って塔の最上階へと向かった。




「お早うございます」

「む? ……ああ、朝か」

「はい、朝です」

 ケンがギルド長室の中に入っていくと、大きな背もたれがついた椅子の上で眠りこけていた部屋の主が目を覚ました。

 椅子に座ったまま両手を上げて伸びをした後、関節をバキバキと鳴らしながら立ち上がる。

「あいててて……今日は早かったのう。師匠が目を覚ますより前にやってくるとはなかなかいい心がけじゃが、儂にも準備せねばならんことがあるから少しだけ待っておれ」

「ごゆっくり」

 余計な事で時間を取られていた昨日より早い時間なのは確かだが、今はもう早朝と呼べるような時間ではない。単にジョーセフの目覚めが遅かっただけである。

 昨日の帰り際、いろいろと準備すると言っていたからその関係かもしれない。



 いったん別の部屋へと姿を消したジョーセフは、十分ほどで戻ってきた。

 こちらに向かい来る老魔術師の右手にはドロリとした緑色の液体で満たされた瓶が、左手には半透明の小さな宝石がある。

 ソファーに座るケンの目の前のテーブルに瓶と宝石を置いた後、ジョーセフは向かい側のソファーにどっかりと腰を掛けた。

「殊勝な弟子には、儂から褒美をやらんといかんな」

「……アリガトウゴザイマス」


 嫌な予感をひしひしと感じさせる泡立ったヘドロのような液体をなるべく視界の中に入れないように注意しつつ、宝石を観察する。

 その石は縦2センチ・横1センチ・厚さ3ミリの直方体から角を切り落としたような形で、煙を閉じ込めたかのような灰白色の濁りがあった。

「この石はどういった物なのでしょうか?」

「そっちは<魔法の杖>の魔道具じゃよ。魔術を使う時にそれを身に付けておけば魔力制御の精度が上り、魔力増幅の効果もある。昨晩、弟子が最初の魔術を覚えた後に師匠が杖を贈る慣例があったのを思い出したもんでな」「見たところ杖の形はしていないようですが……」

「お主の場合は杖だと邪魔じゃろう? 色々と理由があって杖が一番<魔法の杖>の効果を高くできるんじゃが、これでも無いよりはかなりマシになる。何と言っても儂が手ずから小僧に合わせて調整してやったんじゃからな」

「お気遣い有難うございます」

「うむ。付けてやるから前にお主にやった指輪を出せ」


 左手に填めていた金色の指輪を外して手渡すと、ジョーセフが魔力を通すことで変形させて台座を作り、そこに宝石を取り付けた。

 テーブルの上に宝石だけ置かれた状態では小さく感じたのに、指輪に取り付けられた状態だとかなり大きく見える。

「ちっとばかり邪魔になりそうじゃが、これ以上は小さくできんから我慢せい」

「はい、どうにか工夫します」

 宝石の部分が少し出っ張っているから、今までと同じ大きさの革手袋では指が窮屈になるかもしれない。そんな事を思いつつ元通り左手の中指に指輪を填めようとしたが、ジョーセフがそこに待ったをかけた。

「<魔法の杖>は魔力を放出する側の手に持つもんじゃぞ」

「迷宮の中で武器や道具を扱う時の事を考えると、あまり利き手(右手)に余分な物は付けたくないのですが……」

「ならば左手で魔術を扱うように変えるしかないな。小僧はまだ意識しながら魔力制御をしてる段階じゃから、そこまで手間取るような変更でもなかろうよ」

 これまでのケンは深く考えないままに右手で魔術を発動していた。しかし、右手で武器を扱っている最中に魔術を行使することを考えれば、左手から魔術を発動するようにした方が便利かもしれない。

「それでは、今後は左手から魔術を出すようにしようと思います」

「ああ、そうするがええ」



 ケンは左手に指輪を填め、試しに左右の手で1回ずつ<持続光>を使ってみる。

 どちらもほとんど同じ魔力を注ぎ込んだはずなのに、左手で発動した<持続光>の方が1割ほど持続時間が長かった。<魔法の杖>のお陰もあってか左手で魔術を発動するのにも特に不都合はない。

「大丈夫なようです。では師匠、さっそく今日の訓練を始めましょう。素晴らしい物を頂いたからには気合を入れないといけませんね!」

「まあ待て小僧。お主の目の前にもう一つ、儂が用意してやった素晴らしい物があるじゃろうが」

 ケンの脳内に「ケンイチロウは逃げ出した。しかし回りこまれてしまった!」という結果報告(システムメッセージ)が描画され、どこからか戦闘曲が流れ始める。

 戦闘相手(ジョーセフ)は口のあたりには意地の悪い笑みを浮かべ、表情で「逃すつもりはない」と言っていた。


「ところで……この、独創的? な見た目の……液体? はどういった物でしょうか」

「よくぞ聞いてくれた! これは儂が開発した魔法薬の1つでな、飲めば一定時間だけ魔力量の最大値が上がると同時に、魔力の回復速度も上がるという優れ物じゃよ。まだ完璧ではないので誰にも教えておらんが、世に知られれば垂涎の的になるのは間違いなかろうよ」

 現在、魔力を回復させるという触れ込みの薬品は何種類か存在しているが、魔力量の最大値が上がるなどという規格外の効果を持つものは全く知られていない。

 既存の魔力回復薬でさえ、普通の魔術師ではおいそれと手が出せないほど高価なのだ。

 目の前の薬品がジョーセフの言う通りの効果を持っていたとすれば、どれほどの値が付けられるかは想像すらできない。

「それは素晴らしいですね。 ……そのような貴重で稀少で高価な物がなぜここに?」

「お主に飲ませるために決まっておろうが」



 聞く前から答えは分かりきっていたが、一縷の望みを賭けて聞かずにはいられなかった。そしてあっさりと希望は打ち砕かれた。

「知ってました……」

「今日からの訓練は昨日よりも難易度が少しだけ高くなるから、魔力の消費量も上がるじゃろうよ。魔力切れのたびに長い時間休憩していては効率が悪い。そこでこの"魔力増強薬"の出番という訳じゃな」

「しかし、私如きのためにこんな高価な物を―――」

「確かに小さな家が建つくらいの材料費はかかっておるが、今回は新薬の効果確認(人体実験)も兼ねとるから遠慮せずに飲むがええぞ。効果があるのは儂自身の体を使って確認済みじゃし、副作用が出ても何とかしてやる」


 事ここに至っては是非もない。

 ケンはテーブルの上から不気味な薬品が詰まった瓶を取り上げ、覚悟を決めてコルクの栓を抜く。瓶の中から漂ってきた匂いは初めに思っていたほど悪くなかった。

「全部飲みきらないと夜まで効果が保たんからな。ぐいっと行けぐいっと」

 ジョーセフに囃し立てられたからではないが、躊躇っていても終わらないので瓶の中身を一気に呷る。

 ドロリとした感触が喉を通り過ぎた後、数瞬遅れて甘味と酸味と塩見と辛味と苦味と渋みが不協和音を奏でながら脳天を突き抜けていった。

 一言で表せば不味い。二言で表せば死ぬほど・不味い。

「ゴホッゴホッ! とでも、個性的、な、味でずね……ゴッホッ!」

「正直に不味いと言っても良いんじゃぞ……? 儂も味が課題の1つだと認めておるしな」

 これまでの無駄な気遣いを返してほしかった。

「全部飲みましたけれど、喉がいがらっぽいところ以外は特に変化がありませんね」

「効果が現れるまでにはしばらくかかるんでな。焦らずに待っておけ」



「さて、今日から望み通りに<消臭>を教えていくが、物事には順序というものがある。小僧にはまず基本元素系統―――つまり土・水・火・風という四属性の基礎を学んでもらわなくてはならん。<消臭>は風属性に分類されておるが、今後のことも考えて他の属性も学んでおいた方が良かろう」

 <消臭>が風属性系統というところに少しだけ違和感が無くもなかったが、それなら何の属性が適当かと言われても返答に困る。

 風属性系統は「空気そのものに作用する」魔術を含んでいると考えれば良いのかもしれない。

「はい、全く異論はありません。属性魔術というのはつまり火属性なら<発火>、水属性であれば<水作成>ということでしょうか」

「いや、それはもう少しだけ先じゃ。無から有を生み出そうとする前に、既に存在する元素を操る術を身に付けておかねばならん。水属性であれば最初に<水操作>があり、そこから<水破壊><水作成>と続く。無から有を生み出すよりも有を無に還す方が簡単じゃからな」

 ケンが健一郎として生きていた世界の科学者たちが聞けば卒倒してしまいそうな話だが、この世界では全くおかしな理屈ではない。

 魔法が関わらなければこの世界でもある程度「科学」は通用するのに、魔法が現れた瞬間に何もかもが滅茶苦茶になってしまうのだ。

「小僧にはまず<水操作>を使えるようになってもらうが、この場所ではちとやり辛い。今日は他の部屋で訓練をするぞ」


 師弟2人はジョーセフの執務室から出た後にエレベーターで1階まで降り、階段を使って塔の3階まで上る。

 ケンが金属製の重い扉を苦労しながら開けると、その先には大きな部屋があった。壁も床も何一つ装飾が施されず石がむき出しのままで、調度品と言えば木製の簡素な机と椅子が20組ほど置かれているだけだ。

「ちょうど、昨日までの小僧と同じような魔術師の卵が並んどるな」

 老魔術師が言うように、部屋の中には数人の先客がいた。

 見習い魔術師であることを表す白いローブ(卵の殻)に身を包んだ少年が4人と、導師であることを示す金色の刺繍が施された暗灰色のローブを着け、持ち主の身長よりも長い杖を持った太っちょの中年男が1人。

 まだ十代前半に見える少年たちは突然の闖入者であるケンとジョーセフを興味深げに見つめている。



「これはこれはギルド長! このような場所においでになるとは、いったいどのようなご用件でしょうか!」

 ジョーセフを見つけた中年導師が慌ててこちらに駆け寄りつつ、部屋中に響く大声で問いかけた。ジョーセフの前で見せた杖を捧げ持つような仕草は、魔術師独特の上位者に対する礼の形だ。

 取り残された少年たちは闖入者が思わぬ大物だったことを知り、口をぽかんと開けて目をまん丸にすることで最大限の驚きを表していた。

「ああ、放っといてくれてええぞ。儂もお主と同じく弟子の訓練をしに来ただけじゃからな」

「それでは、この青年が……」

 ケンに対しても礼の形を取ろうとした中年導師を、ジョーセフが制止する。

「いや、お主が畏まる必要はない。此奴(こやつ)は確かに儂の直弟子ではあるが、今は地位も実力もあっちにおるひよっ子どもと大差無いんじゃからな。むしろこの小僧の方が畏まらにゃいかん場面じゃわ」

 師匠の言葉を肯定するためにケンが中年導師に向かって頭を下げる。ただし、魔術師独特の礼法は学んでいないので、一般社会で行われている作法のものだ。

「これはこれは……」

 額にじんわりと汗を浮かべつつ、中年導師もぺこりぺこりと頭を下げ返す。


「そういう訳じゃから、お主の方も気にせずに自分の職務を遂行するがええ」

 ジョーセフにすげなく追い払われた中年導師は、少しだけ考える様子を見せた。その後、恐る恐るといった様子で要望を口にする。

「すみません、ギルド長……図々しい事をお願いするようですが、可能であれば私の生徒たちもギルド長の講義を聞かせてやることはできないでしょうか。もちろん、決してお邪魔はさせないように致しますので」

「儂の教育方法は魔術師ギルド(ここ)の主流からかけ離れとるから、あまり参考になるとは思えんが」

「それでも良いのです。問題の解き方が1つだけではないと知るだけでも、あの子達にとっては勉強になるでしょう」

「ほう、良い心がけじゃな。よし分かった、お主の願いどおりにしてやろう」

「ありがとうございます、ギルド長!」



 ジョーセフが部屋の中央にある机を4つ並べて占領し、机を挟んだ正面中央の椅子にケンが座った。

 ケンの左右に分かれて4人の見習い魔術師たちが並び、太っちょの中年導師は後ろに立って生徒たちを見守っている。


「これから小僧どもには元素系統魔術の基礎の基礎を教えていく。今すぐに全部を理解することはできないじゃろうが、ちゃんと聞いておくんじゃぞ」

「「「「はい、よろしくお願いします大先生!」」」」

「……宜しくお願いします」

 中年導師(せんせい)よりも先生だから大先生。分かりやすい呼び名である。ケンは普段あまり子供と接しないので、少年たちの純朴さを新鮮に感じていた。

 【花の妖精亭】のベティは目の前の少年たちと同年代だが、あの少女は昔から客商売に関わっているせいかそれとも単に()だからか、ませているのであまり「子供」という感じがしなかった。


「一般人が『魔術師』と聞いてまず思い浮かべるのは、<火球>や<風刃>あるいは<飛礫>といった攻撃魔術じゃろうな。ごく一部に例外はおるが、魔術師になった者がまず覚えたがるのもこういった派手な魔術であることが多い……じゃろう?」

 少年たちは大きく頷きながら、あるいははにかみながらジョーセフの言葉を肯定する。

 ジョーセフの言った一部の例外というのはケンを指しているのだろうが、少しばかり心外である。

 今はこんな(・・・)感じのケンだって、昔は群がるモンスターを剣や魔法でバッタバッタとなぎ倒したいという夢を持っていたこともあったのだ。

 迷宮探索者になってから最初の1ヶ月で自分には無理だと悟り、早々とそんな夢は捨ててしまったが。



「元素系統の魔術を行使するためには、土・水・火・風などの元素を魔力によって生み出せるようにならなければいかん。周囲に存在する元素を用いる方法もあるが、それでは使用条件が狭まりすぎてしまうからな」

 ジョーセフが机の上に一抱えもある石製のタライを出現させ、何も無い空中から出現させた水をタライの中に注ぎ込んだ。

 一切の詠唱を行わず、次々と魔術を行使するという卓抜した老魔術師の技倆を目の当たりにした少年たちは、驚きすぎて声も出せない。

「しかし、元素を生み出すためにはその性質をきちんと理解しておらねばならん。性質を完全に理解していれば、こうして操ることも容易い」


 ジョーセフの言葉に応えるかのように、タライの中の水が渦を巻き始めた。

 どんどんと速度と高さを増していく渦は途中から完全にタライの縁よりも高くなってしまったが、完全にジョーセフの支配下に置かれている水の塊からは一滴たりとも溢れ出さない。

 渦は更に高さを増していき、(つい)には何の支えもなく空中へと浮かび上がった。ここまで来るともう渦ではなく竜巻のようである。

 元は地面に対して垂直だった水竜巻は徐々に傾いて横倒しになり、更に倒れて逆さまになった。

 逆さまの水竜巻は徐々に速度を落として水塊に戻った後、丸と棒だけでできた単純な形の人形になり、気障な仕草でこちらに向かって一礼する。

 水製の人形は空中に溶けこむかのように徐々に姿を薄れさせていき―――跡形もなく消えた。

「まあ、ざっとこんなもんじゃな」

「スゲー! こんなの初めて見た!」「カッコイー! 今のどうやったんですか?!」「僕もできるようになるのかなぁ」「…………!!」



 少年たちの興奮が収まるには、しばらくの時間が必要だった。

 必死で少年たちを落ち着かせようとしていた中年導師は、少年たちが騒いだことがジョーセフの逆鱗に触れてしまわないかと冷や汗を浮かべていたが、少年たちから大喝采されたジョーセフの機嫌は悪くない。


「今しがたどうやったのかと聞いた小僧がおったな。儂のやり方は『魔力で擬似人格を創り、それを対象物に宿らせる』という方法じゃ。こうすることで操作対象が半ば自律して動くようになり、あまり意識を集中させずとも細かな動作が行えるようになる」

 元プログラマーで産業用のロボット制御AIの開発経験もあるケンには何とか理解できたが、この世界の一般的な人間にとっては理解し難い概念だろう。

 その証拠に、少年たちだけではなく中年導師の方も「よく理解できなかった」という表情を浮かべている。

「はい、大先生。それって精霊を作るってことですか? 精霊術は森人族(エルフ)しか使えないって聞いたことがありますけど、大先生はエルフじゃないですよね?」

「いいや、違う。儂が創り出しているのは飽くまでも意思を持たぬ限定的な存在であって、自己意思を持つ精霊を作ったのではない……と言っても理解できんか」

 少年たちが頭の上に浮かべた大きな疑問符に、ようやくジョーセフが気付いた。


 これ以上はいくら説明しても理解させることは難しいと考え、老魔術師が方向転換を図る。

「でかい方の小僧はともかく、小さい方の小僧にはまだ早かったようじゃな……サザランド、お主は<水操作>をする時にどうしておる?」

「あっはい、私でしょうか!」

「儂はお主以外のサザランドを知らんぞ」

 突然、その場にいる全員から注目を浴びた中年導師(サザランド)が、あたふたとした動きでジョーセフの横まで移動する。

「はい、ええと私が<水操作>をする時はですね、適量の魔力を水に混ぜることで自分の肉体の一部として動くようにして、伸びた自分の腕だと考えて操っています。人によっては3本目の腕だとか、命令そのままに動く子分だとかを想像するようです」

 この説明は少年たちにもすんなりと理解できたようだった。

 ケンが<水操作>を使う場合も超高難易度のジョーセフ式ではなく、難易度の低いサザランド式の方が良いのではないだろうか。


「ふむ、分かった。今回はサザランドが言った通りのやり方で教えるとしよう。まずはでかい方の小僧からじゃ」

「はい、お願いします」

 空っぽになっていた石製のタライにジョーセフが再び水を注ぎ込んだ。

 ケンが左手の指先を水に浸し、ジョーセフがケンの魔力を操作する。ケンの体内の魔力がタライの中に入った水に浸透していき、仮初めの肉体となった。

 今のところ操れる水の量はごく少量でしかなく、動かそうという意思に対する反応もかなり鈍いが、魔術に熟練することで改善されていくようだ。

「どれ。小さい方の小僧どもにも1回ずつ同じ事をやってやろう」

 少年たちは我先にジョーセフの元に向かい、<水操作>によって自分の思い通りに動くようになった水に歓声を上げていた。



「さあて、でっかい方の小僧はこれからが本番じゃな」

 そこから先は、ひたすらタライの中の水をかき回し続ける作業だった。

 まずはジョーセフの手引きで<水操作>を発動し、水を操ってタライの中に渦を作る。

 その時の感触をなぞるようにケンが自力で<水操作>を試み、発動に成功すれば同じように渦を作る。失敗した時は再びジョーセフが手本を見せる。


 朝に飲まされた魔力増強薬のおかげか、それとも単純に使う魔力が少なかっただけかもしれないが、何十回も続けて魔術を行使しても魔力が枯渇する気配は全く感じられなかった。

 少年たちは1,2回魔術を行使しようとする度に短い休憩を取らなければならないのに、ケンは全く休むことなく延々と魔術を使い続ける。

 最初の頃は尊敬の眼差しで「兄ちゃんすげー」と言ってくれていた少年が、そのうち不気味そうにこちらを見るようになってしまったことが少しだけ哀しい。


 少年たちが訓練時間を終えて部屋から出て行ってしまった後も、ケンだけはひたすら魔術を使い続ける。

 接触した状態で確実に<水作成>が成功するようになると、次は少しずつ距離を離した状態で魔術を発動できるように訓練を行う。

 うっかり(・・・・)タライから水を溢してしまっても、優しい師匠が即座に補充してくれるおかげで訓練が中断されることはない。てっきり居眠りしていると思ったのにとんだ勘違いである。

 結局、魔術集中訓練2日目はひたすら水の中に渦を作り続けることだけに終始した。




 3日目も朝一番でヘドロのような魔力増強薬を一気飲みさせられた後、ひたすら<水操作>を行っている。

 ケンが「もしかして自分は人間ではなく、水の塊だったのではないだろうか」と思うようになった頃、ようやく状況に変化が訪れた。

 訓練室の扉を開き、"氷の女"ケイト女史がコツコツと足音を響かせながら歩いてくる。

 彼女の冷気に当てられたせいで凍って死ぬなら本望―――ではないこともないが、そんな事が起きるはずがない。彼女は雪女ではないし、そもそも自分(ケン)は水の塊ではないのだ。


「失礼します、ギルド長。お客様がいらっしゃいました」

 そんなケンの内心を知る由もないケイトは、いつもと変わらない調子で用件を告げた。

「客? 小僧の訓練をする5日間は誰とも会う予定を入れとらんはずじゃが」

「混沌神神官の方です。一昨日の夜、ギルド長ご自身が『来たら知らせろ』と命じたではありませんか」

「ああ! そう言えばそんな指示もしたな。すっかり忘れておったわ」

「憶えておいて下さい。現在は第1会議室でお待ちいただいておりますが、いかが致しましょうか」

「当然、会う。小僧! いい具合に出来上がっとるところじゃが、お主も参加するんじゃろ?」

「はい。是非、話を聞いておきたいです」



 訓練を一時中断して会議室に向かった。


 ジョーセフの後に続いて部屋の中に入ると、そこでは確かに見覚えのある女が待っていた。

 2日前に見たのと全く同じくたびれた神官服姿で、そこ混沌神教会の聖印が描かれている。適当に切られた挙句全く手入れがされていないボサボサの髪、男と見紛うような凛々しい顔立ち。そして強い意志を秘めた暗灰色の瞳も全く変わっていない。

 ジョーセフの姿を認めた彼女は流れるような動作で立ち上がり、老魔術師に対して礼の形をとる。

「私は自由神様にお仕えする神官の1人で、パヴリーナと申します。本日は私のために時間を割いていただけたこと、誠に感謝いたします」

「儂は魔術師ギルドのギルド長であるジョーセフじゃ。後ろにいるのが弟子のケンイチロウ」

「ギルド長?! 前回は門前払いされていたというのに……後ろにいる青年にはどことなく見覚えがあるな。そうか、貴男が話を通してくれたのだな」

 まさか魔術師ギルドの最上位者が出てくるとは思っていなかったのだろう。驚愕を露わにしたが、彼女はすぐに事情を察したようである。


「儂も簡単に話を聞いただけじゃが……なんでも、探し物がここにあるとか?」

「ええ、その通りです。貴男が出てきたということは、私が探している物に心当たりがあるということなのでしょう? お願いです、私にそれを見せていただけませんか」

 パヴリーナが懇願しても、ジョーセフは素っ気ない。

「いいや、悪いが儂はまだお主を信用できておらん。まずはそちらの『事情』とやらを聞かせてもらわねば、良いも悪いも判断できんな」

「……そうですね、私の話を聞けば納得してもらえると思います。ですが、これから話す内容はくれぐれも取り扱いに注意していただきたいのです」

「儂が秘密も守れん奴だと思っとるのか? 信用できないのなら今回のことは別になかったことにしても良いんじゃが」

「いえっ、そういうことではありません!」

 前にケンがジョーセフから愚痴を聞かされた時、国家の存亡に関わりかねない情報を幾つも漏らしていたような気がしたが―――今は何も言うまい。


「まあ良い。話が長くなりそうじゃから、座ってじっくりと話を聞かせてもらうとしよう」

 ジョーセフが手近な椅子を引き寄せてどっかりと腰を下ろした。パヴリーナが机の向こう側の椅子に座り、ケンはどうすべきか少しだけ迷った後でジョーセフの隣の席に座る。

 こちらから話を急かしたりはせず、パヴリーナの準備が整うまで待った。



 やがて彼女は重々しく口を開く。

「私が探しているのは―――私たちが"魔神の卵"と呼んでいる物です」

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