第62話 開店記念イベント
いつものようにろくな書き溜めがありませんが、第六章の開始です。
翅に描かれた美しい紋様を煌めかせて暗闇の中を舞う夜光蝶。
この小さな生物は美しさを理由として人間に乱獲され、結果として数十年以上も前に絶滅したと考えられていた。
しかし、ある日のこと。迷宮探索者のケンとパーティメンバー達は迷宮の中、透明な水を湛えた湖の畔で夜光蝶と遭遇する。
その場にいた全員が黒く美しい蝶に眩惑されて夢の世界に入り込んでしまい、現実の世界での粘菌生物の襲撃に対応できずに危うく全滅するところだったが、それも何とか乗り越えて1人も欠けることなく迷宮から脱出することができた
結果だけを見れば、迷宮に潜っていつものように魔石や戦利品を稼いで帰ってきただけだが、夜光蝶とそれにまつわる夢と危険は今も全員の記憶に消えることなく残っている。
パーティメンバーの大半はまだ、夜光蝶がどれほどの価値を秘めているかについてあまり理解していないが、迷宮から出た後で落ち着いて考えてみたり他人から指摘したりして気付くだろう。
彼らの行動如何によっては、【ガルパレリアの海風】の内外で大きなうねりが起きるかもしれない。
迷宮から帰還した翌日の朝一番で、ケンはダニエル邸を訪問していた。
これはもちろん、昆虫研究家であるダニエルに対して夜光蝶についての情報を提供するためである。
仮に、夜光蝶に遭遇したのがケン1人だけだったのなら、寄ってくる面倒事を避けるために隠したままでいただろう。
信頼の置けるダニエルにだけはもしかしたら情報を提供したかもしれないが、その場合でも「情報源を他人には決して明かさない」という条件付きにしていたはずだ。
だが、あの場にはケン以外に12人のパーティメンバーがいたのだ。
夜光蝶に遭遇した場所から迷宮の外に帰還するまでにかかった時間は3日。その間、休憩時にはたびたび夜光蝶そのものの美しさや、夜光蝶に見せられた幸福極まりない夢のことが話題に挙がっていた。
こんな状態では夜光蝶について秘密にしておけと言ったところで無理だろうし、そもそもケンが秘密にしておきたい理由が説明しにくい上に、説明したところで納得してくれるとも思えなかった。
迷宮から脱出した男たちはそれほど間を置かずに酒場へと繰り出して、数日ぶりの酒を浴びるように飲みながら自慢話ともとれる苦労話をするに違いない。
モンスターでもない普通の虫が魔法のような力を持っているという話はなかなか信じ難いので、1人や2人が言っているだけならば単なる妄想か幻覚でも見たのだと思われて終わりになる可能性もあった。
だが、同じパーティにいた全員が似たような事を言っているのであれば、がぜん信憑性が増してくる。
発信源が知り合いの多い【ガルパレリアの海風】の男たちであり、話の内容も面白おかしい上に夢があるとなれば噂が広がらないはずがない。
ケンが心配しているのは広まる噂話の内容だ。
お調子者の彼らのことだから、吹聴する「体験談」には完全な嘘にはならない程度の誇張と脚色が行われるだろう。
例えば見た夢の内容を実際のものより上等なものにするとか、それをしたのが「誰か」を明示せずに夢から脱出した時の活躍を語るとか、襲撃をかけてきたモンスターを撃退する場面を血沸き肉踊る戦闘だったことにするとかだ。
そのあたりの話はケンにとってはどうでも良い。どうせ酒の席で聞かされた方は話半分で受け取るし、大半の人間は他人の活躍話なんてすぐに忘れてしまうものだ。
問題は夜光蝶についての部分である。
【ガルパレリアの海風】の男たちが夜光蝶について話をする時、客観的な事実だけではなく事実を元にした憶測や個人的な願望も同時に伝えられるだろう。
話を聞いた人間が事実と憶測と願望を正確に区別してくれる保証は何もなく、むしろ噂が広まっていく過程で憶測と願望が事実であると誤認されるものと考えておいた方がいい。
エセルバートもしくはエセルバートに夜光蝶の入手を依頼してきた筋が、不正確極まりない噂話を先に聞いてしまうと情報の訂正が難しくなってしまうので、先手を打って正確な情報を提供しておくべきだというのがケンの考えだった。
「―――以上が、夜光蝶だと思われる昆虫と遭遇した時の状況です」
ケンが語る内容を熱心に書き留めていた手をぴたりと止めて、ダニエルが喜色満面の顔を上げる。
「とても興味深いね……最初に夜光蝶を調べた時も面白かったけれど、今はそれ以上に意欲を掻き立てられているよ。残念なのは標本が無いことかな」
「申し訳ありません。そのことについて思い至ったのは湖から離れた後で、あの状況では湖にもう一度行こうなんてことはとても言い出せませんでしたので……」
「いやいや、ケンイチロウ君を責めているわけじゃないよ。僕は迷宮に入ったことはないけれど、迷宮の中がどのくらい危険な場所かについては理解しているつもりだからね。ただ、現物を自分の目で確認しない限りは信じてくれそうにない研究者も多くて」
迷宮の中で遭遇した夜光蝶について、ダニエルに対しては事実をありのままに報告した。
ケンが見た夢の内容については説明のしようがないので伏せたが、全員が例外なく「二度と夢から覚めなくても構わなかった」と思えるくらいに幸福な夢を見ていたのだとは伝えてある。
エセルバート側には「迷宮の中で夜光蝶と遭遇した」という事だけをまずは報告し、ダニエルの再調査完了を待ってから正式な報告を行う予定である。
「前にダニエル様が調査をなさった時、こういった能力を持っているという情報はありませんでしたか?」
「そんな面白い事が書いてあったら最初からケンイチロウくんに教えている、と言いたいところだけどね。夜光蝶がそういった能力を持っているという前提で当時の記録を見てみると、違った意味にとれる文章がいくつか思い出せる。あの本は確かここに……あった」
ダニエルが机の上にあった本の塔から一冊を抜き出し、その記述を探しだしてケンに示した。
「ここだね……『この小さな生物は見る者に多幸感を齎し、俗世の些事を全て忘れさせる』と書かれているだろう? 以前の僕ならば、この文章を『夜光蝶の芸術的な美しさを言い表したもの』としか捉えられなかったけれど……」
「今となっては、夜光蝶の催眠能力について書いているとしか思えませんね」
「そういうことだよ。不思議なことに、こういった匂わせる記述があるのは夜光蝶を芸術的ないし娯楽的な側面から見た文章の中だけで、学術的な資料には一切書かれていない。これは単に視点の違いによるものだと思っていたけれど、実は全く別の理由があったのかもしれないね」
「……夜光蝶が催眠能力を発揮するためには何か条件があるのでしょうか。例えば周囲の環境とか、見る人の体質とかの」
夜光蝶を見た誰もが例外なく催眠状態に陥るのであれば、研究者がそのことについて調査しないとは思えなかった。
夜光蝶を研究したのが1人だけであれば事実を知りながら隠していたという説も説得力を持つが、別々の時代にいる複数の研究者が全て不誠実な研究者だったとは考えにくい。
「十人以上もいるケンイチロウ君のパーティメンバー全員が催眠状態になったのであれば、個人の体質に依るものとは考えづらいのではないかな。おそらくは周囲の環境に要因があるんだろう」
「確かに、仰るとおりです」
「だけど、これも単なる推測でしかないからね。実験して確かめてみないと確実な事は何も言えない」
「そうですよね……」
夜光蝶を1匹も捕まえてこられなかった事が悔やまれてならない。
数匹だけ捕まえても催眠能力の検証は行えないだろうが、過去の記録と突き合わせることで本当に夜光蝶なのか、よく似た別の蝶だったのかを調べるくらいはできたはずだ。
「自分の手で検証できないのは残念だけど、過去の記録を洗ってみることくらいはできる。今回は、前に資料的な価値が無い物として排除してしまった文学作品も含めて再調査してみることにしよう」
「是非、お願いします。可能であれば、以前ダニエル様に書いていただいた調査資料の追加版という形にでもまとめていただけないでしょうか」
「うん、お安いご用だよ」
「有難うございます。追加調査に対する報酬については、適切な額が支払われるように交渉しておきます」
「報酬が出るなら助かることは確かだけれど……報酬がなかったとしても調べるつもりだったし、僕の不手際のせいで報酬を二重取りしているようで気が引けるな」
「伝えるべき情報をわざと伝えなかったのでは無いので問題はないと思います。先方が必要としているだけの情報は十分に提供しましたし、相手側も報告書の内容に問題なしとして受け入れていますから。全く新しい情報を提供するのですから、対価を支払うのは当然でしょう」
情報を制する者は世界を制す。
エセルバートであれば情報の重要性をよく理解しているし、彼にとっては大した金額でもない。ダニエルとの関係を良好に保つためにも問題なく報酬が支払われるだろう。
あの男は人間としてはあまり好ましく思えないが、自分に服従する人間や自分の役に立つ人間に対してはかなり寛容で手厚く扱うことをケンは知っている。
話がまとまると、研究対象を見つけたダニエルが今すぐにでも研究を始めたいという様子を見せ始めた。
それに配慮したケンはすぐにダニエル邸を辞去し、すぐに秩序神殿へと向かう。エセルバート本人か代理のノーマンに出来る限り早く情報を伝え、形ばかりの忠誠心を示しておこう。
それから3日後の朝、ケンはウェッバー商会のマッケイブ支店第一号店【ブルー・ダリア】の店内にいた。
どうしてそんな所にいるのかと聞かれれば、それは彼が店の所有者であるリサ・ウェッバーに招待されたからである。
なぜ招待されたのかと問われれば、それは今日が【ブルー・ダリア】の正式開業初日だからというのが答えになるだろうか。
営業開始を間近に控えた店内は熱気に満ちている。
準備万端整えて1階の入口近くで泰然と立っている者、倉庫と売り場を慌ただしく行ったり来たりしている者、自分の持ち場で念入りに確認を行っている者と様々いるが、全員の表情は緊張感をもちつつも明るいものである。
店員たちは誰もが身嗜みをきちんと整えて姿勢を正し、キビキビと動いている。店員の質だけならば、ここは一般人向けの雑貨も扱うような大衆店ではなく、富裕層向けの高級店だと言っても通用するかもしれない。
ケンから見える範囲では、店員の男女比は7対3で女が多かった。
もしかすると、住人の男女比が男優位に傾きすぎたマッケイブの中では【ブルー・ダリア】が最も女比率が高い場所かもしれない。
男店員の大半は屈強そうな体格を持つ若者で、残りが番頭のオーウェンを初めとする店の幹部級の年寄りたちである。店内での力仕事を担当する若い男たちは、おそらく不届きな客から店と店員を守る用心棒も兼ねているのだろう。
そして女店員の方はと言えば、接客を担当する十代後半から二十代前半の比較的若い女と、それを統括して教育と監督を行う二十代後半以降の女に分けられる。
つまり、建物の中にいる半分は派手にならない程度に着飾った妙齢の女ということになるわけで、必然的に華やいだ印象になる。ばっちりと決めた化粧の効果もあるのだろうが、誰もが並以上の容姿を誇っているとなれば尚更である。
迷宮探索者という男しかいない社会で暮らす【ガルパレリアの海風】の奴らが「開店したら常連になる」と暑苦しく語っていた気持ちも、少しだけなら理解できなくもない。
「お待たせしております、ケンイチロウさん。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただき有難うございます」
店内の光景を眺めながら時間を潰していると、やがて店の奥からリサがやってきた。リサの後ろにはハンナの姿も見える。
普段から洗練された服装のリサだったが、今日はいつにも増して上品で男の目を惹く格好である。彼女は落ち着いた青色のドレスを着け、慎ましやかな胸の上ではケンが贈ったロケットペンダントが揺れている。
「普段のリサさんも綺麗ですが、今日はいっそう輝いていますね」
「まあ! ありがとうございます。ケンイチロウさんに褒めていただけるなんて……それだけで気合を入れておめかしした甲斐があったというものですわ」
初めは緊張のせいかわずかに強張ったような表情をしていたリサだったが、ケンの賞賛の言葉を聞いてたちまち顔をほころばせた。
昔、誰かに「女が新しい服を着てきたら、とりあえず褒めれば大概上手くいく」と教えられたが、それはこの世界でも有効のようだ。
「いえいえそんな……その青いドレスは、やはり店名の【ブルー・ダリア】とかけているのですか?」
「はい、お気づきいただけましたか。実は私だけではなく、ここで働く全員に店のシンボルカラーを身に付けさせておりますの。そうすることで団結力を高めるとともに、お客様に対するアピールにもなるかと考えまして」
改めて店員たちの姿を確認してみると、リサの言う通り体のどこかしらに青い物を身に付けているようである。
男の方は青いシャツだったり青いベルトだったりと単純極まりないが、女の方は髪をまとめるためのリボンを初めとする髪飾りに青系統のものを選んでいたり、他にも装身具の一部に青が含まれているなど工夫を凝らしている者が多い。
一口に「青」と言っても水色のような薄い青から紺色のように濃い青まであって画一的ではなく、ケンの目を飽きさせなかった。
「そう言えば……機会があったら聞いてみようかと思っていたんですが、これだけ大勢の女性店員をどこから探してきたんですか? 男ばかりのこの町では簡単には見つからないですよね」
迷宮が発する引力によってマッケイブの町には様々な人間がやってくるが、引き寄せられてくる人間の大半は迷宮探索者志望の若い男である。
わざわざこの町に来る女と言えば観光客か旅商人か娼婦くらいのもので、前の2つはすぐに町から去ってしまうし、最後の1つならば独特の雰囲気を持っているので見ればすぐに判る。
マッケイブに定住している中から集めるにしても、若い女ばかりすぐに集められるほど人が余っているとは思えなかった。
「この町に来てから採用した方も何名かおりますが、大半は私の地元から連れて来た人材ですのよ。新人にウェッバー商会のやり方を一から叩き込んでいては、これだけの短期間で商売を始めるなんてできませんもの」
「そうなんですか。よく、若い娘さんが故郷から離れるのを承諾しましたね」
「簡単だったとは申しませんが、そこまで難しいことでもありませんでしたのよ? 最初はこれぞという方に声をかけてもなかなか色好い返事を頂けませんでしたが、1人の方の提案で『貢献次第ではウェッバー商会が新たに出す店の責任者を任せることもありうる』という特典を設定したところ、そこからは応募者が殺到して不足どころか選抜試験をしなければならないほどでしたもの」
「それは……かなり思い切ったことをしましたね」
【花の妖精亭】を実質的に1人で切り盛りしているエイダや、ウェッバー商会の実質的な経営者であるリサのような大きな例外はあるが、女が自分で商売をするというのはあまり一般的ではない。
もちろん、妻が夫の商売に協力したり娘が親の商売を手伝ったりするのは当たり前のことだし、女が近所の商店で雇われ仕事をするというのも良くあることだが、それらは男の商売を手伝っているというだけであって女が主体ではない。
未婚の若い女が商売のために遠く離れた見知らぬ場所までやってくるというのは、普通では考えられないくらいに思い切った行動であると言える。
「そこまでの事ではありませんわ。王国西部の方ではまだ珍しいことかもしれませんが、王国東部では少しずつ女性が経営する店が増えているのです。やはり、女性向けの商品は女性の方がよく理解していますから」
「確かにそうでしょうね。使っている当人でなければ分からない、というのは何にでも有りますから」
「ええ、そういう事です。やりようによっては女性も男性に負けず劣らずの事ができるのですから、活用しなければ損というものでしょう?」
「そろそろ時間ですわね」
ハンナも交えた3人でしばらく雑談をしていると、不意にリサが呟いた。店の出入口から見て正面の壁に掛けられた大きな時計を見れば、針は8時50分頃を指している。
リサが近くに控えていた番頭のオーウェンに合図を送ると、その意を受けたオーウェンが声を張り上げて店内各所に散らばっていた店員を呼び集め、店の1階に整列させた。
数十名にも及ぶ店員たちの視線が、彼らの正面に立つリサに集中する。
少し離れた場所に立っているケンでさえ彼らからの圧力に気圧されてしまうくらいなのに、嵐の中心に立っているリサは小揺るぎもしていない。
彼女はむしろ全員の注意を集めるようにゆっくりと前に歩み出て、静かに語り始めた。
「間もなく、当店は開業の時間を迎えます。無事にここまで来ることができたのはここにいる皆さんの不断の努力の成果でしょう。まずは皆さんの尽力に対してお礼を申し上げます」
リサが片足を引き、軽くスカートの裾を持ち上げて優雅にお辞儀をする。彼女の言葉と仕草によってその場を包む熱気がますます高められていく。
「ですがここは終着点ではなく、まだ始発点に立ったばかりです。この町にやって来てからの短い間にいくつもの試練がありました……これから先も数多くの障害が待ち受けているでしょう。ですが、皆さんと一緒ならば全て乗り越えられると私は信じています!」
リサの口から切々と語られる内容に何一つ特別なものはない。だが、彼女が発する声の抑揚やほんの少しの仕草によって聞いている側の感情は掻き立てられ、熱狂せずにはいられない。
たった十年で自分の商会を零細の旅商人から、王国東部随一と言われるまでにのし上げた手腕は伊達ではないようだ。
「すぐに沢山のお客様が私たちの店にいらっしゃいます。皆さんの完璧な接客によってウェッバー商会ここにあり、【ブルー・ダリア】ここにありと見せつけて差し上げましょう!」
「「「「「はいっ!」」」」」
すぐに【ブルー・ダリア】の店員たちが建物の外に出て整列し始める。
マッケイブではあまり見ることができない大量の若い女の列に興味を引かれた通行人たちが足を止めるが、遠巻きにしているだけで一向に近付いて来ない。
迷宮から東西南北に伸びる目抜き通りは朝の時間帯でも通行量が多く、集まっている人間もそれなりに多かったが、それでも【ブルー・ダリア】を満員にできるほどではない。
「期待していたほどにはお客さんが集まっていませんね……呼び込みはしなくても良いのですか?」
「そこは抜かりありませんのでご心配なく。予定よりも少し遅れているようですが、間もなく着くでしょう」
意味ありげに微笑む商売の玄人に対して素人はそれ以上何も言わず、彼女がどんなモノを用意しているのか楽しみに待つことに決めた。
そして、待つこと数分。
リサの仕掛けが姿を現した。
まずケンの耳に届いたのは楽器の音である。
店の左右―――通りの東西から笛や太鼓や弦楽器によって軽快な音楽が奏でられていた。曲目は今現在マッケイブで最も流行しているものが選ばれているようだ。
店の近くで立ち止まっている通行人と同じようにケンがきょろきょろと左右を見回している間にも、音はどんどんと近付いてくる。
やがて東西の道の両方から派手で目立つ服装の楽隊がケンたちの視界の中に現れた。楽隊の後ろには大勢の探索者や一般人がゾロゾロと続いている。
よく見れば楽隊の中に1人だけ、楽器の代わりに紙束を抱えた派手な化粧の道化師が混じっていて、人波の間を縫ってくるくると踊るように歩き回りながら手にした紙を配っていた。
「チンドン屋か……?」
ケンがその存在だけを知っているチンドン屋とは細部が全く違うが、音と派手な出で立ちで注意を引いて店の宣伝をするというやり方はよく似ているように思えた。
町の東側には商業地区があり、西側には一般人の住居が多くある。町の外側から中心まで音楽とともに練り歩きながら人を集めてきたのだろう。
「あら、ケンイチロウさんはやはりご存知でしたの? こちらの地方ではこういった宣伝方法はなかったと聞いていたのですけれど」
「見たのは初めてですけどね。こういった宣伝方法があるということは知っていました」
「このチンドン屋を初めてやった、と言うよりも作ったのはウェッバー商会ですの。町の中に店舗を構えたは良いものの一向に知名度が上がらず悩んでいたところ、ある少年がこうやって宣伝すればいいのではないかと考えてくださいまして」
「そうだったんですか。この町でも結構な効果があったみたいですね」
やがて東西から行進してきた2つの楽隊は【ブルー・ダリア】の前で合流し、力を合わせて1つの曲を演奏しながら店の入口へと道を作るように整列を始めた。
曲の盛り上がりは最高潮に達し、やがて最後の一音が奏でられる。
間髪を入れず、店の前に並んだ女たちによって歓迎の言葉が唱和された。
「「「「「いらっしゃいませ、ようこそ【ブルー・ダリア】へ! 心ゆくまでごゆっくりとお買い物をお楽しみくださいませ!」」」」」
地響きのような野太い歓声が上がり、手が打ち鳴らされて下品な口笛までが飛ばされた。
騒ぎが収まりきらないうちに先頭を切って店の中に駆け込んでいったのは、ケンにとってはよく見覚えのある【ガルパレリアの海風】の男どもである。朝から姿が見えないと思っていたらこんな所にいたようだ。
もしかしたら抜け目のない店側に依頼されておとり客にでもなっていたのだろうか、とケンは思う。
頼まれなくても知り合いに【ブルー・ダリア】の宣伝をしていたくらいなので、何も言わなくても自然に盛り上げ役になっていたとしても全く不思議ではないが。
【ガルパレリアの海風】の男どもの勢いに釣られたのか、集まっていた人間たちが次々と店の中に吸い込まれていく。
ウェッバー商会マッケイブ支店第一号店の営業初日は、喜ばしいことにとても忙しくなりそうだった。




