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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第五章 胡蝶の夢
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第58話 初経験

「よーしオメエら! 準備はいいな!」

(おう)よ!」「へいっ!」「当然ですぜ!」

「今日は新人もいるからな! いつもより気を引き締めていけよ!」

 朝の鐘(午前6時)から数十分が経過した迷宮入口前広場では、探索者ギルド【ガルパレリアの海風】の面々が迷宮に入る前の最終確認を行っていた。

 他の探索者たちは迷宮の入口が開けらたのと同時に潜っていったので、彼らの周囲にいるのは入場税の徴収のために日がな一日同じ場所で待機し続けなければならない責務を負った徴税官と警備員だけである。


 ただし【ガルパレリアの海風】の面々と言っても、メンバー全員が揃って迷宮に入ろうとしているわけではない。

 【ガルパレリアの海風】のメンバー総数は20人を超えているが、今この場にいるのはケン、カシムたち3人に加えてカスト他5人の総勢10人のみである。

 これはギルドの方針として新人を育てるための「育成パーティ」と、迷宮の攻略を進めるための「攻略パーティ」に分けているからで、攻略パーティ側は副ギルドマスターのポールをリーダーとしてパーティを組み、今日から数日かけて迷宮中層の探索を行う予定となっている。


 今回、ギルドマスターであるカストが育成パーティ側のリーダーを務めているのは、カシムたち迷宮初探索組がいるという理由もあるのだが、ギルドの軸を徐々にポールに移していこうというカストの思惑も多分に絡んでいた。

 カストはまだ40歳を過ぎて数年だが、肉体的な最盛期(ピーク)はとうの昔に通り過ぎていて、これから徐々に探索者としても衰えていくだろう。

 その一方、30歳を迎えたばかりで気力体力共に充実しているポールは、これから数年をかけて探索者としての全盛期を迎えるはずである。

 カストとポールではリーダーとしての振る舞い方が全く異なっているが、この政権交代に対してギルドメンバーは誰一人として不安や不満を抱いていなかった。

 これはポールがリーダーとして優れていることはもちろんだが、彼に育成パーティのリーダーを努めさせたり攻略パーティの副リーダーに据えて指揮を任せたりと、数年かけて準備を進めてきたカストの手腕によるものだろう。


 探索者集団のトップにはお山の大将的な性格の奴しかいない、というケンの認識は今後改める必要がある。



「カシム、ファティマ、ナルセフ。オメエら3人の調子はどうだ?」

「は、はい! が、頑張ります」「……」「問題ありません」

 カシムたち3人、これから生まれて初めて迷宮に潜る。

 迷宮を目前にしてもファティマとナルセフは普段と全く変わらず落ち着いた様子だが、カシムだけは緊張と不安を隠せない様子だった。

 迷宮の内部は人間の支配が及ばぬ場所であり、暗闇の中を多数のモンスターが徘徊するという危険な場所である。これまでに迷宮が啜ってきた命は千や万では足りないだろう。

「そんなに緊張するんじゃねぇよカシム。今日は大して奥にも行かねえし、オメエ1人で潜るわけじゃないんだから滅多な事は起きねえさ」

「分かってはいるのですが、どうしても……」

「俺も初めての時はオメエと同じだったし仕方ねえか。実力もねえクセに迷宮を舐めきってる奴よりはよっぽどマシだしな」

 迷宮では気を抜いた奴と運が悪い奴から死んでいく。だが、その次に死ぬのは鈍間(ノロマ)な奴だ。

 緊張のせいで体がガチガチに固まっているカシムを安心させようと、カストがあえて楽観的に振る舞う。


「でもよ、一緒に迷宮に行く奴らの顔を見てみろよ……俺はこの二十数年で何百回と迷宮に潜って、その度に生きて帰って来た。他の奴らだってもう何十回と潜ってる。オメエと付き合いが長い2人は潜るのこそ初めてだが、ウチの中で一二を争う強さだってのは知ってるんだろ?」

 つい昨日のことだが、カシムたちを迷宮に入れる前に彼らの正確な実力を把握しておこうと、【ガルパレリアの海風】のメンバー全員を集めて模擬戦を行っていた。

 大方の予想通りファティマとナルセフの実力はギルド内で頭抜けたもので、戦闘面だけを見れば今すぐ迷宮中層に行っても通用するだろう。

 特に圧巻だったのはファティマである。彼女は数十戦こなした一対一での模擬戦の最中にたったの一度も相手の攻撃を剣で受けることすらせず、全て必要最小限の動きで回避していた。

 さすがの彼女もアルバートには負けるだろうが、逆に言えばそこまでの実力者を連れてこなければ彼女には勝てないということだ。

「……ファティマは、昔からずっとボクの事を守ってくれました」

「これからは他の奴らだってオメエの事を守ってくれるさ。だから今日ぐらいは大船に乗ったつもりでいろ」

「はい、ありがとうございます!」

「よし、いい感じに落ち着いたな。それじゃあ出発するぞ!」

 カストの号令を合図に、今日の探索が始まった。



 一同は隊列を組んで迷宮の中を進んでいく。

 出発時の隊列は最前列にリーダーであるカストと盾を持った男の2人、二列目に槍を得物にした2人、三列目がファティマとナルセフで、四列目にカシムともう一人が並び、最後列がパーティの副リーダーである偵察者(スカウト)の男という順番になっていた。

 存在しない(みそっかす)扱いされているケンは、パーティの一番後ろにいるスカウトの男からさらに数メートル遅れて静かに追う。

 今回の探索ではカシムたちを迷宮に慣れさせることと、迷宮の中でどう行動するかを学ばせることが目的である。新人研修の場で最低限の知識は叩きこんであるが、百聞は一見に如かず。やはり実践に勝る学習は無いだろう。

 集団戦闘をこなすことも目的としているので、迷宮の奥に向かう"順路"から早々に外れて横道へと入り、そこにある通路を虱潰しにしていく。


 カストたちの戦闘を数回見たケンの印象は「とにかく手堅い」だった。

 ゴブリンや洞窟狼の数匹程度であればカスト1人で全て屠るのも難しくはないのに、カストは前線で敵を抑えておくことだけに専念し、なるべく他のメンバーに斃させるようにしている。

 敵と相対しつつ仲間たちの様子にも気を配り、それに加えて的確な指示を出す様子はさすがベテランのリーダーと言えるだろう。

 将来の強敵に備えた集団戦闘の練習台にされた哀れなモンスターどもは、見せ場の一つも作れないまま次々と虚空に散っていった。



 合間合間に短い休憩を挟み、その度に少しずつ隊列を変更して様子を見つつパーティは進んでいく。

 少々の異変があったのは、迷宮に入ってから約3時間が経過して、モンスターを狩り尽くした最初の狩場から少し離れた別の狩場へと移動する最中のことだった。


「カシム、大丈夫か? 行けるか?」

「は、ハァハァハァ……は、い。大丈夫、です」

 スカウトの男からの問いかけに、疲労困憊のカシムがどうにかこうにか返事をする。

 俯かせた顔にはびっしょりと汗を掻き、重い足取りで歩くカシムの様子は誰が見ても限界が近い。少し前からファティマがしきりにカシムを気にしていたのは、恐らくこのせいだったのだろう。

「無理すんな……おやっさーん! 次でちょっと休憩入れてください」

「おう! じゃあ次の小部屋で休憩な」

 マッケイブの迷宮上層は、そのほとんどが土と岩がむき出しになった洞窟状の通路で構成される。

 迷宮内の通路は最も狭い場所で幅3メートル高さ2メートル程度しかないが、最も広い場所は幅10メートル高さ5メートルを超えるちょっとした広場のようになっている。

 それ以外にも数百メートルに1つ程度の割合で小部屋が存在しているので、多くの探索者たちがそういった広場や小部屋を休憩所として利用している。



 2,3分ばかり歩いたところで先頭を行くカストが小部屋を発見し、念には念を入れて部屋の入口に罠がないことを確認した後で、ようやくカシム待望の休憩時間となった。

 壁際でバッタリと倒れこんだカシムに対して心配そうにファティマが寄り添い、まずは背中から背嚢を下ろしてやる。ファティマが自分の革の水筒を口に当てて水を飲ませてやったことで、ようやくカシムは人心地ついたようだ。

「ほら、他の奴らで手分けして持つから荷物を半分渡せよ」

「い、いえ、自分で持ち、持てますから大丈夫です」

「だから無理すんなって。お前に倒れられたら他の奴らも困るんだし、仲間なんだから助け合うのが当たり前なんだからよ」

 今日は日帰りの予定だったが、今後の事を考えて数日分の水や食料に加えて毛布などの寝具も持ち込んでいる。だから、荷物の総重量はかなりのものだった。

 緊張のせいでただでさえ体力の消耗が激しいのに、これだけの荷物を持ったまま数時間歩き続けたのだから、小柄なカシムにしてはかなり頑張ったほうだろう。


 やせ我慢をするカシムの言い分は聞かず、スカウトの男がカシムの背嚢を勝手に開いて中身を抜き始める。

 最も重量が嵩む中身の詰まった水筒は1つだけ残して全部取り出してしまい、周囲のメンバーたちに手分けして持たせる。その他にも重量のある荷物も取り出して、代わりに空の水筒や大きさの割に重くない物を詰め込んでいった。

「迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」

「この程度は謝ってもらうほどじゃねえよ。俺なんかこないだ、偵察中にしくじってオークを3匹も連れて帰っちまった事があるんだからよ……あれは死ぬかと思ったわ」

 意気消沈するカシムを元気づけようとしたのか、自分の失敗談を語るスカウトの男に周囲のパーティメンバーから次々と非難の声を浴びせる。

「あの時は3匹じゃなくて4匹だっただろ!」

「それにお前はまだ謝ってねえじゃねえか!」

「そうだ! カシムじゃなくてお前が謝れ!」

「あー、そうだったかスマンスマン……なっ? こんなでかい失敗しても許して貰えるんだから、みんな優しいだろ?」

「お前はもう少し真剣に謝れ」



 その後も探索を続け、2つ目の狩場にいたモンスターを粗方狩り尽くしたと思える頃合いで昼休憩を取ることになった。

 適当な小部屋に陣取り、ケンも協力して簡単な料理を作る。探索初日の昼なので、生野菜も使われた迷宮飯としては中々に上等な食事だった。

 カシムはあまり食欲が湧かなかったようだが、食べるのも仕事の内だと言われて何とか口の中に押し込んでいた。単なる良いとこの坊っちゃんかと思っていたが、かなり根性がある男である。


 カシムの体調を考えて普段より長い休憩を取ることになっていたので、昼食の片付けも終わった後はゆったりとした雑談の時間になった。

「ああそうだ、前からケンさんに聞こうと思ってたんですけど、その<暗視>ゴーグルってヤツはどのくらい見えるもんなんですかね?」

「月明かりがあれば昼間と同じくらい、星明かりもなく真っ暗なら人の輪郭が判るくらいだな。言葉で説明するより実際に付けてみた方が分かりやすいだろ」

「あっ、いいんですか?」

 ケンが<暗視>ゴーグルを貸してやると、受け取ったスカウトの男が嬉しそうに顔に当てて小部屋から通路に出て行った。

 真っ暗な通路の先を見た状態でゴーグルを付け外ししたり、ゴーグルを付けた状態で暗い通路と明るい通路を交互に見たりして使い心地を確認する。

「うおーすげー……これは便利だわ。欲しいわー」


 他のメンバーから白い目で見られながらもはしゃいでいたスカウトの男だったが、やがて満足したのかゴーグルを外して部屋に戻って来た。

「あっ、ありがとうございました、お返しします。このゴーグルって魔石を使うやつですよね。ゴブリン魔石1つでどのくらい持つんですか?」

 ゴブリンから取れる魔石は供給数が最も多く、魔石としては値段と魔力量(サイズ)が手頃なので、<持続光>の魔道具の魔力供給源(バッテリー)として一般人にもよく使われている。

 消費魔力量を表す正式な単位も存在しているが、その単位は公文書の中や魔術研究者の間で専ら使われているだけで、日常的では全く使われていない。魔力量の単位が存在することすら知らない人間の方が多いのではないだろうか。

 魔力消費量を表現する際に「1時間あたりの魔力消費量は○○単位」と言われるより、どう考えても「ゴブリン魔石1個で○○時間動作する」と言われた方が分かりやすいので、それも致し方ない。


「使い方によるな。明りがない真っ暗な迷宮の中にいて、起きてる間ずっと起動しっぱなしだった場合は……2日持つか持たないかってとこだな」

「そんなにですかー……いや、でもこんなに便利なんだからしょうがないか。俺でもそのくらいだったら出せなくはないけど、本体も高価(たか)いんだったな。でも欲しいな、うーん……」

 スカウトの男はしばらく唸りながら悩んでいたが、突如名案を思いついたといった表情を浮かべてカストの方に擦り寄っていく。

「ねえ、おやっさん。ギルドで<暗視>ゴーグルを2つ3つ買ってもらえませんかね? 偵察の時とか夜の見張りの時とか、あれば絶対役に立つと思うんですよ」

「俺もありゃあ便利だとは思うし買えなくもねえと思うが、金勘定はポールの奴に任せてるからそっちに相談しろや」

「ポールさんかー……ポールさんだとチェック厳しいからどうするかなー」

 計画の成功を心のなかで祈りつつ、悩むスカウトの男は放置して身体を休めた。



「上層に来たのが久しぶりだから忘れかけてんだが、そう言えばアレってこの辺りだったよな?」

「アレってのは、一体どのアレですかねおやっさん」

 昼食休憩を終えた一同が次の狩場へと向かっている最中、突然何かを思い出したカストが自分の隣にいた男と問答を始めた。

「この辺でアレって言ったらお前、魚のアレに決まってんだろ」

「ああ! ソレなら近いですけどね、これからソコに向かうんですかい?」

「駄目か? ソコでちょっとやらせたい事が有るんだけどよ」

「駄目ってことはねえですけど、アソコまで行ったらもう帰りの時間くらいになっちまいますぜ?」

「じゃあちょうど良いじゃねえか」

 ボケかけた老人と長年の連れ添いがするような指示語まみれの会話だったが、どちらもそこまでの年齢ではないはずだ。


 黙って聞いているだけでは何一つ理解できないので、ケンが新人組を代表してカストに尋ねる。

「知ってる奴だけで納得していないで、こっちにも分かるように話してくれ」

「ん? ああ、この近くに半魚人(サハギン)が出てくる水場があってな。最後にそこに行ってから帰ろうかって考えてたんだよ」

 ソロ探索者のケンは一度も行ったことがないが、"順路"から大きく外れた場所には巨大な地底海が存在し、そこには水棲のモンスターが何種類も湧くのだと聞いたことがある。

 サハギンは地底海周辺に湧くモンスターの1種で、強さとしてはゴブリン以上オーク未満といったところらしい。

「そこの2人にゴブリンや狼なんかじゃどうしょうもねえからよ。オークでも出てくりゃちょうど良いんだが、あれはもっと奥にじゃねえと出てこないからな」

「サハギンが出てくる場所だって、もっと先だろ?」

「いやそれがだな、そこはいつもサハギンが湧いてるんだよ。この場所は知ってる奴は少ねえから、今も何匹か湧いてるはずだ」

 特に反対意見が出なかったので、パーティはサハギンが湧くという部屋に向かうことになった。



 しばらく進んだところで、生臭い匂いが漂い始めた。匂いの発生源は目的の方向にあるようで、進むにつれてどんどんと匂いが強くなっていく。

 少々不快さは感じるが耐えられないような匂いではない。ケンにとってはどこかで嗅いだことのある匂いのはずだが、どうも思い出せなかった。

「あー……久々の潮の香りだ。もう何十年、海を見てねぇのかなぁ……」

「ああ、この生臭さは海の匂いだったのか」

 カストの呟きを聞いてから改めて確認してみると、確かに潮の香りのように感じられる。正体が判ったおかげで、今まで不快に思っていた匂いがそうは思わなくなるのだから不思議なものだ。


 そして程なく1つの部屋がケンたちの前に現れた。

 部屋の中から明りが漏れているところからして、迷宮のそこかしこにある単なる小部屋ではなく、モンスターが出現しやすくなっているモンスター部屋なのだろう。

 中を覗くと部屋の奥半分が水没し、水辺の陸地にはケンが初めて見る3匹のモンスターが寝そべっていた。

 そこにいたモンスター(サハギン)の姿を一言で表せば「手足の付いた巨大な魚」である。口から尾ビレの先までの長さは約2メートルあり、胸ヒレの代わりに腕が生え、尻ヒレの代わりに足が生えている。

 自分たちの棲家への侵入者の姿を認めたサハギンどもは、両手で三叉槍(トライデント)を構えてのっそりと立ち上がった。

 元が魚なので陸上で直立するのは無理があるのか、動きは鈍い上にかなり背中が湾曲しているせいで意外と小さく見える。


「なんだ、3匹しかいねえのか……じゃあ1匹は俺がやるから、ファティマとナルセフも1匹ずつ相手してみろ」

「……」「承知しました」

「他の奴らも一応戦う準備だけはしとけや。出番は来ねえと思うがな」

 カストには何か考えがあるのか、全員で戦うのではなくそれぞれ一対一での戦闘を行うことになった。

 対戦相手として指定されたファティマとナルセフは特に命令に抗う様子もなく、むしろ当然といった様子で敵に向かって行った。



 両手に一本ずつ小振りな半月刀(シャムシール)を持ったファティマは、両手をだらりと下げたまま無造作にな動きでサハギンに近づいていく。

 サハギンが緩慢な動きで突き出したトライデントをあっさりと躱し、同時に右手のシャムシールで人間であれば喉に相当する場所をいとも簡単に切り裂いた。

 サハギンの傷口から人間と同じ赤い血が迸る。


 両手持ち戦鎚(ウォー・ハンマー)を構えた巨漢のナルセフは、サハギンに向かって勢い良く駈け出した。

 その凄まじい勢いに気圧されて逃げるか迎え撃つかを迷ってしまったサハギンは、結局何もできないままにナルセフが振り下ろしたウォー・ハンマーによって目と目の間、鼻の部分を砕かれてしまう。

 砕かれた場所から得体の知れない体液が吹き出し、ナルセフの鎧を汚す。


 だが、ファティマとナルセフの敵はまだ絶命してはいない。

 雑な動きで振り回されたトライデントを間一髪のところでファティマが躱し、倒れこむような体当たりを受けたナルセフもどうにかこうにか受け止めることに成功した。


「ほうら、相手は人間じゃねえんだ。人間だったら死ぬか動けなくなるくらいの怪我でも、モンスターにとっちゃあそうじゃないかもしれねえ。油断してると死ぬぞ?」

 サハギンを両手持ちの戦斧(バトル・アックス)で切り刻みながら、カストが戦闘中に初の醜態を晒したファティマとナルセフを揶揄する。

 まさかそれで怒ったわけではないだろうが、その後の数秒でファティマの相手はその身体を10センチ角に切り刻まれ、ナルセフの相手は頭を完全に消し飛ばされて絶命した。

 モンスターの死体から立ち上った淡い光が空気中に溶けるように消えていき、後には小さな魔石だけが残された。

「……まあ、オメエらが本気出しゃそうなるわな」



 カストの相手だった最後のサハギンも一矢報いることすら無くすぐに行動不可能に陥り、戦闘は開始から30秒とかからず終了した。

「これで分かっただろ? お前らは人間相手ならウチで一番目と二番目だが、人間相手の常識がモンスターにまで通じるなんて思ってちゃいけねえよ」

 人間型のモンスターであっても、人間と同じ場所に急所が有るとは限らない。

 世の中には敵の思い込みを逆手に取り、人間にとっての急所になる場所をわざと攻撃させて、油断した所を狙うような狡猾なモンスターも存在しているくらいである。

「敵が死んだって確信できるまで絶対に気を抜くんじゃねえ。幸い、迷宮の中に出るモンスターなら見分けるのは簡単だ。まだ生きてるならこう(・・)やって形が残ってるが、死んでりゃ死体も残らねえ」

 そう講釈を垂れるカストの足元には、手足を全て切り飛ばされた上に目まで潰されたサハギンの死体が転がっていた。

 否、迷宮が生み出したモンスターは死ねば跡形もなく分解されるのだから、ぴくりとも動かなくても間違いなくこのサハギンはまだ生きているのだ。

「と、いうワケでカシム! こっちに来い!」

「は、はい!」


 成り行きを見守っていたカシムが突然呼び出され、あたふたとカストの元に向かった。

 地面に転がっているサハギンの身体を3メートル以上も迂回して辿り着いたカシムに対して、カストが有無を言わせず命じる。

「オメエの初仕事だ。今からそこに転がってる(サハギン)に止めを刺せ」

「えっ! ……はい……」

 慌てたファティマが抗議しようとするが、それをナルセフが押し留める。

 戦闘が終了した後、虫の息になっているモンスターに止めを刺して魔石を回収するのは、一般的にパーティの最も下っ端の仕事である。

 探索中はリーダーの命令に絶対服従であり、そのリーダーも理不尽な命令を出している訳でもないのだから、ファティマの抗議には何の正当性もないのだ。


「そんな状態だが絶対に油断するなよ。サハギンはオメエの倍は体重があるんだから、うっかり体当たりでも食らった日には死なないまでも骨の何本かは持っていかれるぞ」

 カシムは最近手に入れた短剣(ナイフ)ではなく、故郷から持ってきた魔剣のシャムシールを使うようだ。

 彼の腰が引けきった最初の一撃はサハギンの背中に当たったものの、堅い背ビレと(ぬめ)らかな鱗で弾かれて全く傷を負わせることができなかった。

「意外と硬えだろ? だったら相手をよく観察して、柔らかそうな場所を狙え。それと、力が無い奴は斬るよりも刺した方が強ええぞ」

 カストの助言を聞いたカシムが目を付けたのは、サハギンの切れ切れの呼吸に合わせてゆっくりと開閉を繰り返しているエラの部分だった。

 エラを狙いやすい場所まで慎重に回り込み、覚悟を決めて剣で突く。やはり腰が引けた攻撃だったが、狙い通りの場所に命中した切っ先はサハギンの身体にずぶりと潜り込んだ。

「ギヤァァァァァァッ!!」

「うわっ!!」

 苦痛を受けたサハギンの身体がバタバタと飛び跳ね、慌てて飛び下がったカシムが無様に尻餅をついた。だが、カシムはすぐに立ち上がって剣を構える。

「いいぞ! その調子だ! 相手が死ぬまで油断するんじゃねえぞ」


 その後、カシムはどこをどう攻撃すれば有効なのかを考えつつサハギンの身体に剣を突き立て、どうすれば上手くダメージを与えられるのか試行錯誤しつつ鱗を切り裂いていく。

 最初はおっかなびっくりだったカシムの動きは回数を重ねる毎にみるみる良くなっていき、最後の方には中々堂に入った構えを取れるようになっていた。

 カシムが攻撃を始めてから数分後、すっかり動かなくなったサハギンの脳天に突き立てられた剣によって、ついに哀れなサハギンは斃された。

「ご苦労さん。ここで少し休んだら今日はもう帰る。疲れてるだろうがもう一息だぞ」

「はい!」



 追加のサハギンがやってこないか警戒しつつ、モンスター部屋の中で休憩を取る。

 部屋の隅では、ファティマに寄り添われたカシムが両手で持った自分の武器を惚けたように見つめていた。

「もしかして、モンスターを殺したのは初めてか?」

「はい。モンスターどころか、これまで動物の1匹も殺したことはありませんでした」

「家畜を絞めたこともねえのか? 珍しいな……じゃあこれはオメエのもんだな」

 カストがカシムに向かって何かを放り投げる。カシムではなく隣に居たファティマがそれを受け止め、危険がないかどうかをじっくりと検分してからカシムに手渡した。

「魔石……? どうしてですか?」

「俺が生まれた地方には『生まれて初めて仕留めた獲物の一部を肌身離さず持っていると狩人として大成する』って迷信があってな。だから【ガルパレリアの海風(ウチ)】でも同じ事をやってるんだが、モンスターは殺しても魔石と戦利品(ドロップアイテム)しか残らねえ。いらないなら売っ払っちまっても良いぞ」

「いえ、ずっと大切にします。これはボクが、生まれて初めて自分の力で得た報酬ですから……」


 それから休憩時間が終わるまでずっと、カシムは嬉しそうな笑顔を浮かべて手の中にあるキラキラと光る石を見つめ続けていた。

次回は一度空いて1/31投稿の予定です。

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