第54話 第一号店
単なるNAISEI回です。
夜光蝶の調査依頼をするという当面の目的を果たし終えたケンは、嬉々として資料の調査を始めたダニエルの邪魔にならないよう、すぐに彼の屋敷を辞した。
それから定宿にしている【花の妖精亭】へと帰る道中で、リサから頼まれていた用事が有ったことをふと思い出す。
店の場所は迷宮入口から少し離れた場所であるとリサから聞いている。町の西外れにあるダニエル邸から東側の商業区にある【花の妖精亭】に帰るときの通り道とまでは言えないが、少し進む道を変えるだけで行くことができる。
リサは不在かもしれないが場所の確認くらいはしておこうと考え、ケンは足の向かう先を変えた。
マッケイブは文字通りに迷宮を中心として造られた町である。
町の中央を東西に横断および南北に縦断する太くまっすぐな通りが整備されていて、その交点に迷宮入口がある。いや、町の成り立ちから考えれば、迷宮入口を始点として東西南北に道が伸びていると言った方が正確だろうか。
最も道幅が広く人通りも多い目抜き通りであるその4本の道に面する土地は、商売人が店を構えるにあたっては一等と言える場所である。
ウェッバー商会の西部進出第一号店は、そんなメインストリートを中心から東に約100メートルほど進んだ所にあった。街の中心に近ければ近いほど上等とされていることを考えると、最高とまでは言えないがかなりいい立地だろう。
ウェッバー商会が店舗を確保するにあたっては、盗賊ギルド【黒犬】の協力があったとケンは聞いている。
マッケイブの商業が古くから町に巣食う少数の大商会によって完全に牛耳られ、それらの商会が【黒犬】とは敵対関係にある盗賊ギルド【夜鷹】と協力関係にあることを考えると、第一号店は【黒犬】が確保できる中で最高のものではないだろうか。
【黒犬】が商業界への進出のためにどれだけ本気であるかが窺えるだろう。
ケンがレンガ造り三階建ての店の前に着いた時、建物の内外では間近に迫った開店日に向けて大急ぎで準備が進められていた。
屋根の上や壁に取り付いて補修を行ったり、建物から忙しく出入りしたりする職人たちの姿を少しの間眺めた後、作業の邪魔にならないように注意しながら建物に近付いた。
「ごめんください」
「はい、いらっしゃいませお客様。誠に申し訳ございませんが、当店は生憎と開業準備中でございまして……」
ケンが入口のすぐ外から呼びかけると、建物の中で作業の監督をしていた中年の男がすぐさまケンの元までやって来た。
よほどの高級店でもなければ見られないくらいに機敏で丁寧な応対を受けて、ウェッバー商会がたった10年で零細の旅商人から王国東部で随一の商会にまで上り詰めたのはやはり伊達ではなかったのだ、と感心する。
「いえ、私は買い物にきたのではありません。商会長、ではなく……この店の所有者? のリサ・ウェッバーさんにお会いするために参りました」
「お嬢様に、でございますか? お約束はなさっておいででしょうか」
「きちんとした時間は決めていませんでしたね。先日リサさんとお会いした時に『時間がある時で良いから、探索者向けの商品について相談に乗ってくれないか』と言われていまして。リサさんがご不在であれば、また後日出直して参りますが」
ケンの返答を聞いた中年男が、ケンには気取らせないよう素早く密かにこちらの全身を観察したあと、得心したかのように頷いた。
「貴方がケンイチロウ様でございましたか。失礼いたしました、私はこの店の番頭役を仰せつかっているオーウェンと申します。以後お見知り置きください」
「これはご丁寧に……私はしがない探索者をしているケンイチロウと申します」
「お嬢様からケンイチロウ様のお噂はかねがね伺っておりました。すぐにお嬢様を呼びに行かせますので、少々お待ち頂けませんでしょうか」
「はい、もちろんです」
中年男がすぐ側で何かの作業をしていた若い男を呼びつけ、来客があったことを知らせに行くようにと指示を出した。指示を受けた若い男が奥にある階段に向かうのを黙って見送り、ついでに建物の中を観察する。
壁際には天井近くまでの高さのある木製の棚がずらりと並び、棚の半分は既に商品で埋まっていた。陳列用の平台は邪魔にならないように部屋の隅に寄せられている。
同じように部屋の隅に積み重ねられている木箱の中身は仕入れてきた商品だろうか。
まだ内装工事が行われているためか、そこかしこに工具が転がっているのも見える。
店内にいた人間たちは大きく2種類に分けられる。
つまり、建物の工事を請け負う職人たちと、店の運営に関わる店員たちだ。
店員は若い女が半分を占めていて、比較的年嵩の女を中心として部屋の中央付近に集まっていた。彼女たちは突然の訪問者であるケンの方をチラチラと見ながら、互いの顔を寄せてひそひそと囁き合っている。
ニコニコとした表情や仕草を見る限り、ケンのことを不審に思ったり悪口を言っているのではないようだが、若い女の集団から注目を受けるという状況は少し落ち着かない。
たっぷり数十秒もそんな状況が続いた後に呆れ顔をした年嵩の女が若い女たちを窘め、彼女たちは渋々とそれまでやっていた仕事を再開していた。
「いらしゃいませ、ケンイチロウさん。お忙しい中ご足労いただき、誠に感謝いたします」
「今後色々とお世話になるんですから、これくらいはお安い御用です」
それほど長くは待たされることもなくリサは現れた。リサのすぐ後ろには彼女の付き人であるハンナの姿も見える。
「ただいまお茶の準備をさせておりますので、準備が整うまでの間に店内のご案内とご説明をさせていただこうと思っていますの。それでよろしいでしょうか」
「ええ、問題ありません」
「それでは、こちらへどうぞ……オーウェン、貴方も一緒に来て説明をしてちょうだい」
「はい、お嬢様」
リサが先頭に立って店の奥へとケンを案内し、その後ろをオーウェン、ハンナの順に続いた。
「当店は地上三階、地下一階という造りになっています。今のところ一階が食料品や小物雑貨売り場、二階が工具・調理器具などの日常で使用する道具を並べる予定ですわ。三階の半分は事務所や従業員用の休憩所にして、残りの半分を催事場にしようかと考えております」
「店内にイベント専用の空間を設けるのですか。珍しいですね」
「私たちは後発ですから、まずはここに私たちが居るのだということをお客様に認識していただかなければなりません。ですから、まずは当店に来ていただく切っ掛けとするために色々と催しをしていこうかと考えていますの」
まずは一階と二階の売り場をぐるりと見て回り、その後に階段を上って三階に行くのではなくまた一階へと戻った。
「地下は倉庫になっています。陳列前の在庫が置いてありますので、当店の品揃えを俯瞰的に見ていただくのにはちょうど良いのではないかと」
「なるほど」
地下へと続く階段を下り、扉を開けて倉庫の中へと入った。地下ということもあってそれまで誰もいなかった室内はひんやりとしている。
倉庫の中には多種多様な商品が整然と並べられていた。
探索者向けとして用意されている物を中心に品揃えを確認し、今は無いがこれから仕入れる予定になっている商品のリストを見せてもらった。そこに現物があるのであれば検分することも忘れない。
番頭のオーウェンとケンとで質疑を交わしながらひと通りの商品を見終わった後、話はお茶を飲みながらゆっくりとしようと促されて、一行は三階にある従業員用の休憩所に向かった。
全員が席に着き、飲み物が行き渡ったのを確認した後でリサがケンに話を促した。
「ケンイチロウさん、当店の品揃えはいかがでしたでしょうか。他の探索者さん向けのお店を偵察させたり、迷宮に出入りしている探索者さんたちを観察した上でどんな需要があるかを皆で考えましたの。今後の改善のために忌憚のないご意見をお聞かせください」
「私は申し分のない品揃えだったと思います。全体的に価格が高めではありますが、品質を考慮すれば妥当なところでしょう。武器や防具は別に考えるとして、迷宮探索に必要な物資はこの店に来るだけで十分だと言っても良いのではないでしょうか」
ケンの返答を聞いて、少し前から緊張気味だったオーウェンがほっと息をつく。
リサは店の方向性を指示するだけで、店の運営についての細かな部分は彼の担当だったというから、合格点を得られたことでさぞかし安堵していることだろう。
「皆さんだけでここまでの事ができるのですから、私が出る幕なんてありませんでしたね」
お世辞ではなくケンの本心から出た言葉だったが、リサは現状に全く満足していないようだった。
「いえ、本当の事を申し上げれば、ケンイチロウさんの出番はこれからですの。他店でも手に入れられるものが全て揃っているというだけではまだ及第点です。合格点を取るためには、他店にはない『何か』を付け加えなくてはなりません」
「なかなか厳しいことを仰いますね」
「他と同じことをしていては、追い付くことはできても追い抜くことは出来ませんもの。追い抜くためには他と違ったことをしなければ」
リサの隣では、彼女の言葉を聞いたオーウェンが深く頷いている。
こういった現状維持に満足しない姿勢が、十年足らずでウェッバー商会を王国東部で最大の商会になるまで押し上げ、王国西部にまで進出する原動力となっているのだろう。
「私たちは地元の人間ではありませんから、それが弱みであると同時に強みでもあると考えていますの。東にあって西にはない物を持ち込むだけで、それが新しい需要になってしまうのですから」
既に需要が存在するところに商品を供給し、需要を満たすのは商売の基本である。基本中の基本であり誰もがやることであるから競争が激しく、かけた労力の割に見返りは少ない。
眠っていた需要を掘り起こしたり、今まで存在しなかった需要を創りだしたのであれば、そこに競争相手はいない。そういった未知の場所にこそ儲けの種は転がっているのだ、とリサは熱く語った。
「ですが、売れると判ってしまえば他店がそこに手を出してくるのも時間の問題ですわ。ですから、真似をされる前に次々と新しいものを創るか、他では真似の出来ないものを手にしなければならない。私はそう考えていますの」
「儲けの種がなにかないのか、ということですか。なかなか難しいことを仰りますね」
「難しく考えないでくださいな。日常で不満に思っていることや不便だと思っていることを教えていただければ、それで十分参考になりますもの。それをどう解決するかについて考えるのは私たちの仕事ですわ」
「ウェッバー商会では、商品の開発をするのですか?」
「ええ、もちろんですわ。他と同じ事をしているだけでは勝てませんもの」
「他と違うことをするという点では、探索者向けの新商品を開発するというのは、とてもいい目の付け所でしょうね。これまで全く手を付けられてこなかった分野ですから」
ケンの言葉を聞いたリサやオーウェンが首を傾げる。
「そうなんですの? いろいろと町を見て回った時、他の町ではあまり見られない探索者さん向けの商品が色々とあって、ハンナと一緒に感心していたのですけれど」
「あるにはあるのですが、それはリサさんの言葉を借りれば『需要があるからそれを満たしているだけ』でしかありません。その探索者向けの商品というのも探索者のためにわざわざ開発されたものではなく、他でも使われているものを流用しているだけですから」
マッケイブの起こりは、魔石を狙って迷宮の中に潜る人間たちの単なる野営所だった。
当時はまだ迷宮探索者という呼び名が無かった彼らを目当てにした旅商人たちがそこを訪れるようになり、それがやがて行商するだけではなく拠点を構えて商売をするようになったのは当然の成り行きである。
時を経て定住する者が現れたことで野営所は村となって名前が付けられ、徐々に人口を増やして町と呼ばれるようになり、それから更に規模を拡大していった結果が今のマッケイブである。
そういった成立の過程にも関わらず、現在のマッケイブの中心に探索者はいない。
多数の探索者を町の中に抱え、迷宮の中から魔石を持ち帰ってくる探索者とは切っても切れない関係であり、その必要性を十分に認められながらもどこか見下され、蔑ろにされている。
探索者になろうと町にやってくる人間が絶えたことはない。確かに探索者に憧れる少年はいつの時代も存在しているが、それは探索者という地位に対する憧れではなく一部の探索者が成し遂げた偉業や獲得した財物に対する憧れである。
「私が探索者になったのは5年前……もうすぐ6年ですが、当時と今で探索者が使う道具は何一つ変わっていません。恐らく数十年前と比べても大して変わっていないでしょうね」
「やはり私たちが目指す場所としては最高ということですわね! オーウェン、これからケンイチロウさんが仰ることは一言一句聞き逃さず、今後の商品開発に役立てるように。ではケンイチロウさん、よろしくお願いします」
「期待にお応えできると良いんですが……」
迷宮探索中の環境に不満が無い訳ではない。むしろ不満だらけである。
しかし、普通の人間が発明品でどうにかできそうな不満を今すぐに教えろと言われると、なかなか辛いものがある。
「すぐに思いつくものとしては、食事関係でしょうか。迷宮の中は危険で行動の制約が多く、楽しみといえば食事くらいしかありません。ですが、保存食はとても不味いです」
「そうですよね! 私も仕入れた保存食を試食してみたんですけど、干し肉は硬くて臭くて塩辛くて美味しくないし、堅パンも硬くてパサパサしてて味がなくて美味しくない上にどっちも喉が渇くし……あっ、当たり前ですけど乾燥させた果物は普通に美味しかったです」
それまではずっと黙ってそこにいるだけだったハンナが、食べ物の話になった途端に活き活きと語りだす。
美味いものをこよなく愛する彼女にとっては、保存性をだけを考えて味が二の次にされた食品というのは認め難いのだろう。
「ええ、同感です。ですが携帯性なども考えると探索中の食事は保存食に頼るしかありません。上手く調理すればかなりマシにはなるのですが、不味くても命にかかわることはないのでどうしても優先度が低くなってしまいます」
調理器具を持ち込むためのコストや調理にかかる手間を考えた場合、どうしても味は諦めてしまいがちだ。普段は料理をしていない男が料理しても大して美味くはならないという事情もある。
だが、全員が諦めたままでいる訳でもない。
上層探索者でも中層近くまで行くくらいになると、1回あたりの探索期間が伸びるので迷宮に入るときは多くの物資を運搬しなければならない。
金銭的にはある程度余裕もできているので荷運び人を雇うパーティが多いのだが、ポーターに求める条件のうち「料理が上手い」というのはかなり上位に入っていることが多い。
「ケンイチロウさんは、どういう物があると嬉しいなーっていうのはありますか?」
「そうですね……保存期間が短い代わりに味が良い保存食、というのはどうでしょうか」
保存食は腐敗を防ぐために塩漬けにしたり、日干しや燻製などの方法で水分を少なくするのが基本であるが、そのせいで味が単調になってしまったり耐え難いくらいに独特な風味が付いてしまったりする。
「普通の保存食は数ヶ月は保つように加工しますが、それを2週間から1ヶ月程度で妥協する代わりにそのまま食べても美味いものにします。上層探索者が続けて迷宮に潜るのはせいぜい数日なんですから、それでも十分でしょう」
この程度のことなら誰でも思いつくはずだから、今までそういったものが無かったのが不思議なくらいである。別の地域ではとっくの昔に存在しているが、単にマッケイブでは流通していないだけかもしれない。
「それは良いですねえ。お料理したり食べに行くのが面倒な時に、そういうので手軽に済ませられるかもですし。保存食を美味しく食べられるお手軽レシピみたいなものもあると、もっと嬉しいですよね!」
「スープの具材を固めて保存が利くようにして、沸かしたお湯に入れるだけでできるスープなんてものもあったら良いのではないでしょうか」
「それはすごく欲しいです」
先程からハンナの食い付きが素晴らしい。手軽に美味しくという部分が彼女の琴線を掻き鳴らしたようだ。
本当は缶詰やレトルト食品があれば最高なのだが、まずは概念から説明しなければならないのですぐに実現するのは難しいだろう。恐らくこの世界でも腐敗は菌によって引き起こされる現象のはずだが、まずは実験して確かめてみる必要がある。
この世界には魔法が存在するので、手法さえ確立できれば簡単に缶詰が作れたり、もしかするともっと良いものを作れてしまうかもしれない。
ケンとハンナの2人から思うがままに出されるアイディアをリサが要約し、オーウェンが必死に書き留めていく。
すぐに実現できそうなもの、すぐには実現できそうにないもの、実現できるかどうか判らないものもあったが、今後しばらくは研究の種は尽きないだろう。
「食品そのものの改善案についてはもう十分出していただきましたので……その他のものについて何かありませんか?」
「あると嬉しい物といえば軽量な道具ですね。例えば水を入れる革の水筒ですが、丈夫な物はやはり重くなってしまうので空になった袋を持ち帰ってくるだけで一苦労です。耐久性を落とさず軽くできるのであれば素晴らしいでしょうね」
「それは探索者さんだけではなく、旅商人たちにも需要がありそうですわね。軽くなった分だけ多くの商品が積めますもの」
「先ほどの食事事情の改善とも絡みますが、軽くて嵩張らない鍋なんて物も需要がありそうです。大きな鍋の中にぴったり入る少し小さな鍋や、取り外し可能な把手があれば場所の節約になりますし」
この世界の鍋といえば鉄製なので、置いて使う分にはともかく持ち運ぶには少々重い。この重量も、探索者があまり調理器具を持ち込みたがらない理由の1つだった。
「鍋を軽くしようと思った場合、やはり胴の厚さを薄くすることになるかと思うのですが……そうすると耐久性が心配になってしまいます」
「そこはある程度割りきってしまうのも手ではないかと。さすがに数回使ったり、少し落としただけで壊れてしまうほど脆いのでは問題が有りますが。いや、いっそ使い捨ての鍋でも良いのでは?」
ケンの脳裏には前の世界で見た1つの光景が浮かんでいた。
すぐに手に入る物を使って成功するかは分からないが、大した手間でもないしまずは実際に試してみれば良い。
「リサさん。少し試してみたいことができました。先ほど倉庫で見せて頂いた紙を数枚と、ロウソクと火を点ける道具を貸していただけませんか?」
「ええ、それは構わないのですけれど……何をなさるおつもりですか?」
「それは見てのお楽しみ、ということで」
ケンの要望通り、すぐに彼の前に紙とロウソクが用意された。紙はケンがよく知っているコピー用紙ほどには薄くないが、厚すぎるというほどでもない。
「オーウェンさん、この紙には防水加工がされている、ということでよろしいですか?」
「左様でございます。迷宮の中で地図作成に使うことを想定しておりますので、完全とは言えませんがある程度の耐水性はあるかと思います」
「ありがとうございます」
ケンは目の前に置かれた紙を1枚だけ手にとって、目に見えるような大きな穴が無いことを確認してから紙を折り曲げ始めた。
他の3人が興味津々にケンの手元を見つめる中、一分ほどで折り紙の「箱」が完成した。
「こういう事をするのはかなり久しぶりでしたが、結構覚えているものですね」
「紙を折るだけで容れ物が作れてしまうものなのですね……ところでケンイチロウさん、それは何に使うためのものなのでしょうか」
「本来は単なる手遊びで、せいぜい小物を入れるくらいですが今はこれを入れます」
「あっ」
ケンが唐突に行った、飲みかけのお茶が入ったカップを持ち上げて紙でできた箱の中に注ぐという行動に軽く悲鳴が上がったが、ケンは全く気にせずに全て注ぎ入れてしまう。
白っぽかった紙の色がじんわりと紅茶の色に染まるが、すぐに漏れだしてはこなかった。
お茶が注がれた紙の箱を興味深そうに見つめる3人を余所に、ケンはロウソクに火を灯した。
それからゆっくりと、見せつけるように箱を持ち上げる。
「まさか、それを……」
「火にかけても大丈夫なのですか?!」
「実際に見ていただいた方が早いでしょう」
ケンが両手で持った箱をロウソクの火の上に翳し、徐々に近づけていく。ロウソクの火が箱の底面に触れるまで近付けても、紙でできた箱が燃え上がることはなかった。
「どうですか?」
「燃えてはいませんね……一体どんな魔法を使ったのですか?」
強いて言えば「科学」だが、この世界の人間にそんなことを言っても全く理解されまい。
「これは魔法でもなんでもなく、誰でもできることです」
「焚き火の中に生木―――水分の多い木をくべてもなかなか燃えないのはご存知でしょう? 目の前のものは、理屈的にはそれと同じことです」
火に近づけた紙が燃えるのは紙の温度が発火点を超えるまで上昇した結果であるが、紙と水が接していればそちらに熱が奪われてしまうのために紙の温度は発火点を超えない。
「このままではあまり実用的ではありませんが、もっと大きな紙を使ったり最初から鍋のような形に成形しておくことで、ある程度使い物になるかもしれません」
「なるほど、ケンイチロウさんは常識に囚われていてはいけないと仰りたいのですね。私、感服致しました」
「いや、ちが……そういう事です」
正直に言えば単に知識をひけらかしてすごいと言われたかっただけだったが、リサたちの感心したような表情を見てその言葉を飲み込んだ。
吐いても許される嘘というのも、世の中にはある。
その後も会議は盛り上がり、店を出た時にはすっかり夜になっていた。
「本日は誠にありがとうございました。この御礼は必ずさせて頂きます」
「今日お話した物が実際に手に入るのであれば、私の方もとても助かりますからね。知恵を出すぐらいであればいくらでも協力しますよ」
店の入口まで見送りに来たリサとオーウェンの表情はやる気に満ち溢れていた。ハンナについてはよく分からないが、美味いものが食べられれば満足するのは間違いないであろう。
「とは言っても私だけでは限界がありますので、機会があれば知り合いにも何かアイディアが無いかどうか聞いてみましょう」
「ありがとうございます。その時はぜひ、お知り合いの方に当店をご紹介くださいませ」
「ええ、そうしましょう。では、本日はこれで失礼させていただきます」
「はい、お気をつけてお帰りください」
缶詰の前段階に瓶詰めというものがあったはずだ。エイダに協力してもらって試作してみようなどと考えつつ、ケンは【花の妖精亭】へと帰っていった。




