表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第五章 胡蝶の夢
55/89

第53話 新たな依頼

 貴族街にある大きな屋敷の中でモーズレイと"遺跡"の調査計画についての打ち合わせをした翌日、ケンは町外れにひっそりと建つ一軒の民家に来ていた。

 待ち合わせの場所として指定されたその家はどこも掃除が行き届いているが、住人の生活感というものは全く感じられない。その代わりと言っては何だが、一般家庭にあってもどうにか不自然ではない程度に質が高い内装が整えられていた。

 この家を訪れたケンのことを迎え入れ、案内してくれた女のキビキビとした動作は家事を生業とする者のそれではなく、密偵や暗殺者と呼ばれる者に近い雰囲気がある。

 これらの事実を総合して考えればここは個人の住居ではなく、密談の会場として使用するために普段から維持されている隠れ家なのであろう。


 一般的な造りの住宅に専用の応接室などという贅沢なものは備えられていないので、ケンは案内された食堂(ダイニング・ルーム)の中に今は一人で待っている。

 案内役の女はケンのために紅茶を淹れた後に何処かへと姿を消し、今は全く気配を捉えさせない。

 温かかった紅茶が一口も飲まれないままにどんどんと冷たくなっていき、完全に冷め切った頃になってようやくケンを呼び出した本人が現れた。


 一応は目上の人間である彼に対する礼儀として、ケンが椅子から立ち上がって出迎える。

「よう、久しぶりだな……直接顔を合わせるのはどのくらいぶりだ?」

 ケンをこの場所に呼び出したのは、この町の秩序神教会で戦士長の地位にあるエセルバートだった。彼に続いて護衛らしき若い男が1人と、先ほどまで姿を消していた案内役の女も部屋の中に入ってくる。

 久しぶりに目にしたエセルバートは相変わらずきっちりと身嗜みを整えていて、嫌味なくらいに整った顔にはいつものように自信に満ちた表情が乗せられていた。

 ケンはエセルバートの事をあまり好ましく思っていないが、それでも彼が人を惹きつける高い魅力を持っていることは認めざるを得ない。

「お久しぶりです。前回お会いしたのが収穫祭の直前でしたから、だいたい半年ほどになるかと」

「早いもんだな、もう半年になるのか。この半年は忙しかったが、お前の方も結構な忙しさだったらしいじゃないか」

「お陰様で」

虫好きの道楽息子(ダニエル)と知り合ったところから始まって、魔法使いのジジイ(ジョーセフ)の直弟子になり、野犬(盗賊ギルド)を手下にして、人形マニア(モーズレイ)から人やら仕事をやらを引き受けて。それで今はどういう繋がりで知り合ったかは分からんが、東の商人の娘(リサ)とは男と女の関係なんだって?」

 相変わらずエセルバートはよく聞こえる耳を持っているようである。

 彼の口から語られた内容は、どれもその気になれば簡単に知ることができるものばかりだ。しかし、目の前の男の情報網であればそれ以上踏み込んだ内容も把握しているに違いなかった。

 憎たらしいニヤニヤ笑いがそれを裏付けている。

「いくつか、大きな誤解があるようですが……」

「そうか? それほど間違っちゃあいないと思うがな。いずれにせよ、俺が期待していた以上に便利そうになっていて嬉しい限りだよ」



 軽い挨拶を終えた後はケンとエセルバートだけが席に着き、護衛の男は部屋の外を警戒するように扉の横に立った。

 ケンの前に置きっぱなしだった冷たい紅茶は案内役の女の手でいったん回収され、新たな物がケンとエセルバートに配られる。役目を終えた彼女が一礼して退室すると、また気配が朧げにしか捉えられなくなった。

「早速ですが、本日ここに呼び出された用件は何でしょうか。また大規模討伐に参加しろというご命令でしょうか」

 大規模討伐とは、王国騎士団によって行われる軍事演習を兼ねた害獣駆除のことである。

 春と秋に1度ずつ実施するものと定められており、春は獣が冬眠から目覚めて行動域を拡大させる雪解け直後に、秋は収穫祭の直前に行われることがマッケイブ周辺地域では通例となっていた。

 大規模討伐は騎士団が主体となって行われるが、王国内にある各教会も治癒術師を参加させるなどの方法で協力している。政治との距離が近い秩序神教会に限って言えば、治癒術師のみではなく戦士団からも百人近い人数を参加させる取り決めになっているようだ。

 前回の秋季大規模討伐の時は、出発の直前になってからエセルバートの依頼を受けてケンも斥候役(スカウト)として部隊に参加していた。

 だから今回も、出発が数日後に迫った今年の春季大規模討伐も参加しろという指示が下されるのではないか、そうケンは予想していた。


「いいや、そっちは間に合ってる。誰かさんがそこそこ使い物になる()を捕まえてくれたおかげでな」

「……ああ、そう言えばそんな事もあったような」

 数多くの人口を抱えるマッケイブの町には大小や性質も様々な裏組織が数多く存在しているが、その中の1つに【黒犬】という通称を持つ盗賊ギルドがある。

 ケンはある事件を切っ掛けとして三大盗賊ギルドの一角である【黒犬】の幹部と知り合いになり、その知り合いである"鼠"の頭領からエセルバートへの紹介を頼まれていた。

 結果がどうなろうと一切の責任を負わないという条件で【黒犬】に紹介状を書き、紹介状を書いたことを間接的にエセルバートに連絡したのが今から約5ヶ月前、リサ・ウェッバー誘拐事件が解決した直後のことである。

 ケンはその事実さえすっかり忘れていたが、エセルバートと"鼠"の頭領は首尾よく協力関係を結べていたらしい。


「私が紹介しておいてこのような事を言うのもなんですが……秩序神の敬虔な信徒としては、ああいった手合を利用することに問題がないのですか?」

 秩序神は法を司る神だとも解釈されており、盗賊ギルドはどう取り繕っても法の外に立っている組織だ。

 裏組織には社会秩序を保つための必要悪としての側面があるとは言っても、この2つは相容れない存在のはずではないか、とケンは思っていた。

「問題はねえさ。国法は我が神が与え給もうた絶対不可侵なものではなく、未熟で不完全な人間という存在が勝手に作ったものだ……だから国が変われば法も変わる。奴ら(盗賊ギルド)は奴ら自身の秩序に従って行動しているんだから、広く考えれば奴らも我が神の(しもべ)ってことになる」

「随分と斬新な解釈をなさっているようで」

「頭の硬い年寄りどもには通じない詭弁と言われても仕方が無いが、世の中は綺麗事だけじゃ回らんからな」

 ケンが護衛の男に目を向けると、彼は苦笑を浮かべていた。それでも口に出して反論しないあたり、少なくともエセルバートの派閥内ではこの理屈が通用しているのだろう。



「私がスカウトとして参加した時は身元保証だ何だと言っていたような記憶がありますが、素性も知れない人物をよく参加させることができましたね」

「前回の事があるからな。内心ではどうかは知らんが責任を取らされるのを怖がって表立っては文句を言ってこねえし、手を出さない奴に口を出させるつもりはねえさ」

 前回の事と聞いてケンが真っ先に思い出すのは、高度に組織立った小鬼人(ゴブリン)の集団が引き起こした、とある村における誘拐事件および襲撃事件である。

 一連の事件で秩序神教会の戦士1人と合計10人近い村人が犠牲となり、主に火災によって村の財産にも大きな被害が出た。

 こちら側も襲撃部隊のリーダー格だったホブゴブリンを2匹とも斃すなど相応の痛手を与えたが、それでも襲撃に加わったゴブリンの約半数は取り逃がしてしまったし、体勢を立て直した味方部隊がゴブリンどもの本拠地と思しき場所に辿り着いた時には、そこは既にもぬけの殻となっていた。

 大規模討伐に参加した部隊の行動予定は大きく狂い、作戦終了後も参加部隊に人的被害が出たことや村に対する補償を含む後始末のため、エセルバートを初めとした多数の人間が政治的な駆け引きを繰り広げることになった。


「これは単なる好奇心からの質問ですが、ゴブリン国の調査に進展はあったのですか?」

「ゴブリン国? ……確かに国と言えるくらいのモノが在ったとしても不思議ではねえか」

 エセルバートの指先が内心の苛立ちを表すかのようにコツコツとテーブルの表面を叩く。

「しばらく前にあった報告では、今のところゴブリンどもの根拠地は不明、全体の規模も不明、方針も不明、母体となる集団の内容や資金源も不明……」

「一言で言えば何も判っていない、ということですか」

「正体に繋がるような物が何一つ残ってなかったからな。死体が持っていた武器や防具の出所も探ったようだが、武器は国中どこででも手に入るような量産品で、防具はどうも原料だけ買って自前で作ったんじゃないかって話だ。ゴブリンの体格に合うような防具は普通は売ってねえからな」

「ホブゴブリンが使っていた両手剣(グレート・ソード)巨大な斧(クレセント・アックス)も、ですか? どちらもそれなりに良い品だったと思いましたが」

「どっちだったかは忘れたが、片方は盗品らしい」

 体系的(システマティック)な顧客・流通管理といったものはまだ実現されていないので、大きな特徴のない製品をどこの誰が買ったかという事まで調べるのは難しい。

 ホブゴブリンの得物のうちの1つが盗品であると調べがついただけでもかなり上出来の部類だろう。

「だから、お前が見つけたゴブリンの拠点跡を中心にした再調査が決定してる。周りにある村で若い女が行方不明になっていないか、普通とは違うゴブリンが目撃されていないか、なんてのも含めてな。そういった理由もあって今回はそれ向きの奴らを増員したから、全員の身元を一々調べてなんかいられねえさ」

「そういう事でしたか」



「大規模討伐への参加ではないとなると、どのようなご命令でしょうか」

「それについては……最初に聞いておくが、お前は今までに『夜光蝶』という単語を聞いたことがあるか?」

「いいえ、初めて聞きました。言葉からどういったものかという想像くらいはできますが」

「そうか、俺と同じだな。どうもお伽話だったか民間伝承だったかに登場する蝶らしいんだが、そんな物を手に入れたいというとち狂った事を言い出した阿呆がいるらしくてな。どこをどう巡ったかその話が俺の所にまで回ってきて、何とかせにゃならんことになった」

 仕事の内容を語るエセルバートの表情は馬鹿馬鹿しいことこの上ないと言いたげなものだった。

 それでも何とかするために動き始めたのは、傍若無人に見えるエセルバートでも断りきれない筋からの依頼であるか、この依頼を達成することで大きな得があるからなのだろう。

 夜光蝶を手に入れたいと言い出した人物の素性について興味が湧くが、これまでの経験からこういった話に深入りするとろくな事にならないのはよく分かっている。

 自分が動くために必要な情報だけを引き出せば良い。


「そもそもの話として、その夜光蝶は実在しているのでしょうか」

「知らん。クソジジイからは『実在しないのなら実在しない証拠を出せ』とまで言われていてな……まずはそこから調べなきゃならんのだ。虫の事についてならうってつけの人材に心当たりがあるだろ?」

「なるほど。昆虫研究家であるダニエル様に夜光蝶についての調査を依頼したいと」

「その通り」

 ダニエル自身がその道ではかなり名の通った存在であり、他国の昆虫研究家との繋がりも持っている。

 彼が調査しても実在が確認できないのなら、依頼元に対して夜光蝶が存在しないと主張するための大きな根拠となるだろう。

「それではダニエル様をご紹介しましょう。昆虫関係の事ですから快く協力して頂けると思いますよ」

「いや、この件については俺―――教会から直接的に依頼を出すのではなく、俺からの依頼を受けたお前が『自らの判断で知り合いの研究者に調査協力を頼んだ』という形にしてもらいたい」

 エセルバートからの妙な要請にケンは首を捻る。直接に会うこともできるのに、余分な仲介者を挟んで接触する理由が分からない。

「それは構いませんが……理由をお聞かせ願っても?」


「彼がファブリチウス伯爵家の人間だからだ」

「ダニエル様のご実家ですか? ダニエル様は貴族の権威を笠に着ることはこれまでありませんでしたし、今はご実家とほとんど連絡も取っていないと仰っていました。遠からずご兄弟の代となって、その時はただの平民になるなんて話も伺っていますし」

 ケンの発言を聞いたエセルバートが驚いたような、呆れたような表情になる。

「仮にも貴族の一員に対してその反応とはな……ただの怖いもの知らずなのか、それとも俺が思っている以上の大物なのか」

 ケンは元々、制度としての貴族階級がとうの昔に廃された社会で生まれ育ち、こちらの世界に来てから最初の5年も全く貴族という存在に接すること無く生きていた。

 一応は貴族社会に属するはずのダニエルやモーズレイとケンの関係は「貴族と平民」という形ではなく「研究者とその協力者」という形であり、王族や貴族と接する事が多いジョーセフもその権威に対して畏まった様子は一切見せなかった。

 だから、ケンには貴族が平民とは隔絶した存在であるという知識はあっても、実感は全くない。



 何に呆れられているかについてケンが全く理解している様子がないので、エセルバートが直接的に理由を説明し始める。

「貴族は、貴族というだけで嫌でも注目を受ける存在だ。意外と狭い世界で礼儀やら義務やら貸し借りやらにうるせえ奴が多いし、本人が別にどうでもいいと言っても周りがそれを許してはおかん」

 貴族はその権力や財力に明かせて好き勝手に生きているものだ、という認識がケンの中にはある。

 実際に貴族だけに許されること、貴族だけが選び取れることがあるという面から考えれば間違いではないが、地位がある分だけ一般人よりもよほど不自由な部分もない訳ではない。

 貴族でない者からすれば贅沢な悩みではあるが。


「生きていくために時間を使う必要はないし、お貴族様に下賎な仕事はさせられませんって周囲に止められるもんで、暇を持て余してる奴が意外と多い。だから社交、芸術、学問なんかの高尚とされる趣味に明け暮れる奴が多いわけだが……貴族の暇つぶしとして一番人気なのはやっぱり権力闘争だわな」

「確かに暇は潰れるでしょうね」

「お前は知らないんだろうが、こっち(・・・)の世界じゃファブリチウス伯爵家の当代とその長男は戦上手なことで有名でな……下手に近づいて隙を見せれば絡め取られるか潰されるか。家を追ん出た息子に依頼をしたくらいで貸しができたなんて難癖を付けられてもたまらんし、意味があるかは分からんが『借りを作ったのは俺じゃない』と言い逃れられる余地は作っておきたくてな」

「今、私はとてつもなく不安が掻き立てられているのですが……」

 ダニエルには今まで様々な便宜を図ってもらっている。

 ダニエル自身はそれを恩に着せたりはしないだろうし、ケンができることであればいくらでも恩返しをするつもりだが、それを誰かに強制されるのは意に染まない。

「お前の方は大丈夫だろう。政治に関わってこない平民までわざわざ潰しに来るほど酔狂でもない。俺としては今後のために友好関係を保っておいてもらいたい」

「元よりそのつもりです」



「指示内容については了解しました。まずはダニエル様に相談してみましょう。ダニエル様にお支払いする報酬や情報入手後の行動方針については、また別途相談させていただくということで」

「ああ、それで構わん」

「それと、まだ詳細については明かすことができませんが、今後しばらくは別件で忙しくなる可能性が高いことをご承知おきください」

「ん? ……まあ良いか。俺の方もまだまだやることがあって直接の指示はできそうにない。今後は報告や相談があればそこにいるノーマンに伝えろ」

 そう言ってエセルバートが扉の横に立つ護衛の男を指した。ただ護衛のために連れてきたのではなかったらしい。

「戦士長補佐の任にあるノーマンと申します。普段は閣下の秘書のような事をしております」

「ケンイチロウと申します。以後お見知りおきください」

 40代前半だというエセルバートも、マッケイブの秩序神教会の序列第3位という高い地位に就いているにしてはかなり若い方だと思うが、その補佐役のノーマンはまだ30代に見えた。よほど有能な人物なのだろう。

 秘書だと言っているが、体の造りを見るに武術の腕も相当なものに違いない。


「それと、こちらから指示したいことがあれば43番―――さっきの女を送る」

「43番?」

暗号名(コード・ネーム)にございます。私のような者に名は必要ございませんので」

 話が始まる前に部屋の外に出ていたはずの案内役の女が、いつの間にかケンの背後に立っていた。部屋の出入口になる扉も窓も常に視界の中にあったはずなのに、それが開けられた記憶はない。

 ケンの正面にいるエセルバートとノーマンは全く驚いている様子がなかった。彼女がそういった事ができる存在だととっくに知っていたからだろう。

「……そうなのですか。今後よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願い致します」

 探索者でありスカウトでもあるケンの索敵能力はかなり高いと自負していたが、それでも全く気配を捉えられない相手が居るとは思ってもいなかった。

 世界は広い。




 エセルバートたちとの会合が短時間で終わったおかげで、まだまだ陽は高いままだった。

 依頼内容を伝えるのはなるべく早い方が良いだろうと考え、ケンはそのままダニエル邸へと向かう。

「やあ、ケンイチロウ君。よく来たね」

「お邪魔しています」

 ケンがダニエルやジェマに会うのは約3週間ぶり―――ダニエル邸に居候していたアリサがもう戻ってこないと伝えてからは初めてだった。

 アリサがどうなったかが気にならないはずがないのにケンを問い詰めたりはせず、2人とも以前と変わらない態度で接してくれるのはとても有り難かった。

 いつか全てを開かせるようになった時にはきちんと詫びたいと考えながら、色々なことを秘密にせざるを得ない今は2人の気遣いには気付かないふりをして、何事もなかったかのように接する。



 いつものようにダニエルの書斎でお茶を頂きながら、夜光蝶に関する依頼があったので何か情報を持っていないかと尋ねた。当然、依頼元については適当にぼかしながら、である。

「夜光蝶かい? もちろん知っているよ」

「本当ですか?!」

 知っているかと問われたダニエルは、ごくあっさりと肯定の返事を返してよこした。

「……まさかとは思いますが、創作物の中に登場するのを聞いたことがある、という意味では……?」

 難航するという予想に反し、あまりにあっさりと物事が解決してしまうとどうしてだか逆に疑いたくなってしまう。

「間違いなく、現実に存在した蝶だよ。綺麗な湖の(ほとり)を棲み家とする種だったらしいね。昼間に見たその蝶は黒一色であまり美しいとは感じられないけれど、その名の通り夜に(はね)を光らせる様はそれはそれは幻想的で美しい光景だったとか」

「それほどまでのものですか」

「一匹ごとに翅の模様は違っていて、過去の研究家によればその模様を利用して繁殖相手を選ぶんだとか。どうして翅を光らせるのか、どんな原理で翅が光るのかについては解明されないままだったようだね」


「では、どこに行けば夜光蝶を見ることができますか?」

「見たいのかい? でも今は無理じゃないかな。記録に残っている限りでは最後の目撃例はもう百年以上も前だから、とっくに絶滅していると思うよ」

 夜光蝶について語るダニエルの言葉が伝聞調なのはともかくとして、過去形ばかりであることにそこはかとない不安を感じていたが、案の定の返答である。

「絶滅、してしまったのですか……」

「嘆かわしいことに人間による乱獲が原因らしいね。夜光蝶の翅は死んでしまうと全く光らなくなるので、観賞用にするためには次から次へと捕まえなければならなかったことが、絶滅を後押しする要因の一つになってしまったのかもしれない」

 前の世界でも今の世界でも、人間の欲望には際限がないらしい。


「うーん、どうしたものか……いや、絶滅したなら絶滅したと報告すれば良いだけか」

 実在するかどうかが不明なままであれば、それをはっきりさせるために継続して調査をしなければならないが、実在はするが既に絶滅してしまったのならその事を報告するだけでケンの仕事は終わる。

 元々の依頼主がどうしても手に入れたいのだと駄々をこねたとしても、それはケンに一切関係ないところで行われることだ。

「すみません、ダニエル様。依頼主に夜光蝶についての報告をしたいので、お手数ですが資料を作成して頂けないでしょうか。お仕事としてやっていただくので、きちんと手間賃はお支払いさせていただきます」

「うん、もちろんやらせてもらうよ。ただし、今は以前に読んだ書籍の記憶だけで話をしてしまったので、もう一度きちんと調べ直すために数日は時間が欲しい」

「数日でしたら全く問題ありません。それでお願いさせていただきます」




 さっそく資料の作成に取り掛かったダニエルの邪魔をしないように、ケンはダニエル邸を辞した。

 最初から長居するつもりもなかったが、予想以上に短時間の滞在となったお陰でまだまだ今日という日は十分に残っている。

 この間、リサから近日中に新規開店する彼女の店の品揃えについて探索者の視点からアドバイスが欲しいと言われていた事を思い出し、彼女の店を尋ねるために商業地区に足を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ