第49話 迷宮中層:砂漠地帯
これまでで最も近くに"遺跡"があるというアリサの報告に逸る気持ちを抑え、いつも通りに周囲の警戒を怠らず慎重に迷宮の中を進んでいく。
2時間弱の時間をかけて迷宮中層の地形と地形を繋ぐ洞窟状の通路を通り抜けた後、目の前に広がったのは視界全てが岩と砂に覆われた世界だった。
「砂漠か……」
「砂ばっかりですね。それに……すごく暑いです」
洞窟と砂漠の境界を一歩超えると、途端に強烈な日差しと熱い空気が押し寄せてくる。
まだまだ気温が上がりきっていない時刻のはずなのに、ただ立っているだけで全身から吹き出す汗が止まらないほどに暑い。
迷宮に入る前の屋外では雪が積もる氷点下、迷宮に入ってから通った洞窟の中は正確には分からないがおそらく15℃前後で、今立っている砂漠の中は既に30℃を超えているだろう。
直前まで比較的涼しかったせいで余計に暑く感じてしまうのかもしれない。
「アリサ。"遺跡"はこの中にあると考えて間違いないのか?」
「はいっ! ここで間違いないです。中に入ったら大体どの辺りにあるかまで感じ取れるようになりましたので、確実だと思います」
「そうか……じゃあまずは、いったん外に出てから休憩と準備をしようか」
「はい。暑いですからね……」
今出てきたばかりの洞窟の中に再び入ると、すぐに涼しさが戻ってくる。全身に掻いていた汗が一気に冷やされたせいで寒気を感じ、ブルリと身震いをしてしまう。
たった数メートルしか離れていない場所で特に仕切りも無いはずなのに、砂漠の中で感じていた熱気が微塵も感じられないし、砂粒も飛んでこないのだから不思議なものだ。
砂漠から10メートルほどの距離を取った場所で背中から荷物を下ろした。
<転移>門からここに来るまで2時間弱の間ずっと歩き通しだったが、興奮しているせいかあまり疲れを感じてはいなかった。だが、これまでの経験からしてこれだけ動けば間違いなく疲労しているはずだから、休憩時間は長めにとっておくべきだろう。
アリサが背嚢の中から鍋と<加熱>の魔道具を取り出して湯を沸かすのを眺め、淹れてくれたお茶を飲む。
迷宮に入る前に飲んできたばかりだが、これから乾燥した砂漠の中を進むのだから水分補給はたっぷりとしておくべきだろう。
「"遺跡"は砂漠の中にあるのか……厄介だな」
「そうなのですか?」
「ああ、例えば―――」
ケンが知る限りでは、迷宮中層で出会う可能性がある地形の中で最も突破が難しいのが砂漠地帯である。
迷宮中層に入って最初に当たったのが砂漠地帯だった場合、大半の探索者は引き返して別の道を進むことを選択する。
2つ目以降に当たった場合に先に進むかどうかは残りの物資量、特に水の量と要相談といったところだろう。
昼の最高気温は40℃を超えるのに夜は防寒着がなければ耐えられないくらいまで気温が下がるという厳しい寒暖差や、極度の乾燥という砂漠特有の気候ももちろんだが、砂ばかりという地形そのものも大きな障壁となっている。
砂で覆われた柔らかい地面に足を取られてしまうのでなかなか進行速度が上がらず、しかも普段よりも疲労が溜まる。
その上、周囲を全て壁で囲まれているのにどこからか吹き付けてくる砂まじりの風が、更に体力を奪い取りに来るのだ。
それ以外にも探索者から砂漠地帯が嫌われる理由がいくつもあるが、最も大きいのは現在位置を見失いやすいという事である。
迷宮内においては、入口と出口がある方向を把握しておくのは生還するための重要な要素である。
だが、砂漠の中では砂嵐のせいでただでさえ方向感覚を失いやすいのに、地形が方向を知るための指標として全く使えないのだ。
これが迷宮外であれば太陽の方向や星の配置、遠くに見える山の稜線の形で自分の進むべき方角を見出すことができるだろう。しかし、迷宮内には太陽も星もなく、どの方向をみても同じような形をした岩の壁ばかりが並んでいる。
壁伝いに歩けばいつかは元の場所に戻ってこれるだろうが、横断するだけで数日かかる場所の外周を回っていては何日かかるか判ったものではない。
「それに加えてモンスターも居るって云うんだからたまったもんじゃない。"遺跡"が砂漠の中にあるんじゃなければ、回れ右して帰ってるところだよ」
「そうなんですか……大変そうですね。でも、私達の場合は方向が判らなくなることだけはないので、少しだけ安心できますね」
「確かにな」
行きはアリサの感覚に従ってまっすぐ"遺跡"に向かって最短距離を進んで行けば良いだけだし、帰りについても手持ちの魔道具にちょうど使えるものがあるから最短距離を通れるはずだ。
人数が少ないのでモンスターと戦闘になった時の危険は大きいが、人数が少ない分だけ発見され難いだろうし、ケンがあまり戦闘に向いていないのは今に始まったことではない。
アリサの体調についての懸念はあるが、総合的に見ればかなり有利な状況だろう。
休憩を取りつつ、ケンとアリサは手分けをして荷物の確認と整理を行った。
"遺跡"を目指して進む過程でどんな地形に出くわしても対応できるように、という考えで色々と道具を準備していたので、荷物の中に砂漠では一度も出番が来ないとだろうと思われる装備が幾つも含まれている。
渡河用の道具はその最たる物で、中層の奥の方にだけ出現するという噂だけは聞いている雪原用の装備も不要だ。登攀用の装備も恐らく出番はないが、それほど嵩張るものではないので持って行ってもいい。
荷物を少なくするために不要と思われる装備はこの場に残していく。余裕があれば帰りに回収すれば良いし、回収できなくても諦めが付く程度のものだ。
特定環境に適応した装備の他に、最近はモーズレイから提供を受けた様々な魔道具を所持している。
魔力濃度計を始めとする各種計測器、<透視>の眼鏡、<望遠>の双眼鏡、魔法帝国時代の物に有効かどうかは分からないが魔術式の罠を発見するための魔道具や、"遺跡"が埋もれていた時に爆薬代わりに使う攻撃魔法の<巻物>なんて物もある。
特に目玉となっているのは<重量軽減>がかけられた縦横50センチ・幅20センチの鞄である。
巷では、同種のものが魔法の鞄という商品名を付けて販売されていて、中層探索者でも下半分は手が出せないくらいの値段が付けられている。
市販されているマジック・バッグは中に入れた物の重量を半減させられるくらいだが、モーズレイから借り受けた鞄の場合はなんと5分の1にまで軽減される。さらには<異空間倉庫>という今は喪われた魔術によって鞄の内部だけが拡張されていて、外観に反して1メートル四方くらいの容積がある。
本来は"遺跡"からの戦利品を持ち帰るためにと貸し出されているものだが、今は飲料水を主とした予備分の物資がいっぱいに詰め込んである。
もう一つ重要な物として、発信機と受信機のセットがある。
この魔道具は、一方から定期的に出力される信号を対となるもう一方が受け取れるようになっているもので、発信機を"遺跡"に設置しておけばアリサがいない状態でも再訪が可能になるはずである。
予備を含めて2セット分持ち込んでいるので、1セットは砂漠地帯の入口に設置してから"遺跡"に向かうことで帰り道で迷う心配が無くなる。
その他にも、魔法薬を幾つか受け取っている。報酬の一部として支給された<治療>薬に加えて、未使用の場合は返却するという約束ではあるが<高位治療>薬や<部位再生>薬なんていう超高級品まである。
全ての魔道具の価値を合計すれば、どれほどの金額になるかは想像もつかない。
ただただ、モーズレイが"遺跡"探索に賭ける熱意と、彼が持つ資産量の途方もなさだけは伝わってくる。
「よし、行こうか」
「はい、旦那様!」
荷物の整理を終え、再び砂漠へと踏み込んだ。
休憩前に感じたものを確実に上回る猛烈な熱気がケンたちに押し寄せてくる。
迷宮に入ったのは午前7時頃だった。そこから今いる場所に来るまで約2時間かかっているが、休憩時間を考慮しても今はまだ午前10時になっていないはずだ。
これからもっと気温が上がっていくと考えれば、今から進み始めるのは自殺行為だろう。
「予定変更。昼間は休んで夕暮れから移動を始めようか」
「あっ、はい……」
考えてみればケンの防具は相変わらず黒尽くめのままであり、アリサが着ているメイド服のドレス部分も黒に近い濃紺で、どちらも熱を吸収しやすい色だった。
白い布でも被ればある程度は日光を防げるが、それでも気温が高いのは変わらない。
夜になると昼とは反対に寒さへの対策が必要になるが、今は防暑装備よりも防寒装備の方が充実しているので問題はない。
普通の探索者であれば夜の視界の悪さも問題になるだろうが、ケンとアリサの場合は<暗視>ゴーグルを付けているのでこちらも問題はないだろう。
また涼しい洞窟の中に逆戻りして、今度は仮眠の準備を始める。準備と言っても、背嚢の中から床に敷く毛布を取り出せばそれで終わりなのだが。
これまでの経験から洞窟と各種地形の境界付近にはほとんどモンスターが現れないと知っているので、少し床が硬い事を除けば仮眠場所としてそう悪い環境ではない。
ケンは洞窟の壁に背を預けて座りながら、向かい側の壁に寄りかかって眠るアリサの姿をぼんやりと眺める。今の彼女はまるで彫像のようで、普段のような生気は全く感じられない。
今から約2ヶ月前、迷宮に入るようになってすぐの頃のアリサは、夜に眠る時でも周囲で何かが起こればすぐに対応できるくらいの浅い眠りを保っていた。
しかしここ最近の彼女は、周囲の安全が確保できていてケンがすぐ近くにいるという状況限定ではあるが、少し大きめの声で呼びかけてもなかなか覚醒しないくらいの深い休止状態になってしまう。
意識してやっているのか無意識のうちにそうなってしまうのかは判らないが、恐らく出来る限り魔力の消費を抑えることで活動期間を伸ばそうとしているのではないだろうか。
アリサと面と向かって活動期間がどうこうという話はこれまでしたことが無いし、これから先もするつもりはない。彼女自身がそれを何とかして隠そうとしているのは明らかだったし、指摘したからといってどうなるものでもないからだ。
今はできる事を精一杯やる。ただそれだけだ。
仮眠を始めてから約8時間が経過した午後6時頃になり、砂漠地帯は少しずつ薄暗くなり始めていた。
「アリサ、準備は良いか? 今度こそ本当に出発するぞ」
「はい、旦那様。ばっちりです!」
迷宮に入ってから約半日が経過して、ようやく砂漠地帯の中を"遺跡"に向かって進み始める。
夕暮れと言ってもまだまだ昼の気配が残っているので気温は高いが、日差しが弱まるだけでも体感温度はかなりましになった。
今はまだ着る必要はないが、これから時間が経つにつれてどんどんと気温が下がっていくはずなので、防寒着は背嚢の取り出しやすい場所に入れてある。
アリサの案内に従って夜の砂漠を歩いていると、迷宮の中の他の地形に比べればずっと少ないが、それでも思っていたよりも多くの生物を見かけることができた。
大半はモンスターではない小型の蜘蛛や甲虫だが、気温が下がりきる前の時間帯にのそのそと巣穴に入っていくそこそこ大きなトカゲも見かけた。変温動物なので気温が下がる夜間はあまり活動できないのだろうか。
そして、それらの虫たちをそっくりそのまま巨大化させたようなモンスターも、一晩の間に何度か見かけていた。
ケンは昆虫が苦手でも何でもないのだが、それが巨大化するととたんに不気味に感じられるのは何故だろうか。特に、20センチメートル以上にもなる昆虫が飛んでいる姿には、生理的な恐怖を掻き立てられた。
普通に考えればそんな巨大な虫が飛べるはずがないのだが、いまさらモンスター相手に物理法則がどうこうと言っても何も始まらない。アリサも不気味がっていたので、ケンだけが持っている違和感だけが嫌悪感を持つ原因ではないはずだ。
ケンの正面からこちらに向かってまっすぐ、重低音の羽音を響かせながら高速で―――ただし、大きさから考えればごくゆっくりと―――飛んできたその巨大昆虫を思わず鎚矛で叩き落としてしまったのは仕方が無い事だ。
相手からすればのんびりと空中散歩を楽しんでいただけかもしれなかったが、双方にとって不幸な事故だったと諦めていただこう。
砂漠にいたモンスターは虫だけではない。
微かな視線を感じたような気がしてそちらを振り向くと、かなり離れた位置にある砂丘の上から狐のようなモンスターがじっとこちらを窺っていた。大きな耳がとても印象的だった。
大きさの対比ができるものが周囲になかったせいでその狐の大きさがいまいち分からなかったが、捕食対象であると思われる虫型のモンスターの巨大さを考えれば、それ相応の巨大さだっただろう。
「さっむいですね、旦那様。寒すぎて顔が痛いです」
「確かに寒いな。気温が下がるのは知ってたけど、ここまで寒く感じるとは思わなかったよ」
適時休憩を挟みながら"遺跡"に向けて進むこと約5時間。真夜中頃になると、昼間の暑さが嘘のような寒さになっていた。
歩いている時はまだましだが、休憩のために立ち止まっているとすぐに身体もお茶も冷えてしまう。
ケンの記憶違いでなければ、砂漠を旅する場合は日の出・日の入り前後の比較的過ごしやすい時間に移動するのが常道のはずなので、長い休憩をするにはいい頃合いなのではないかと考えた。
「このへんで一度仮眠をとって、また夜明け頃から暑くなる時間ぐらいまで移動することにするか」
「はい。それじゃあテントを張りましょう」
「そうだな。そうしよう」
テントを張る場所と張り方については少し悩ましかった。
ここが迷宮外の砂漠ならば、風を避けるためと虫の侵入を避けるためにもしっかりと壁を作るべきだろうが、迷宮内だとモンスターの襲撃も警戒しなければならないのであまり視界を塞ぎたくない。
ケンもアリサもこういう時に一番いい方法を知らなかったので、結局は視界の確保を最優先して一部の壁は張らず、なるべく風が避けられそうな場所をテントの設営場所にすることとした。
仮眠する前には軽い食事とたっぷりの水分を摂る。気温が高くなくても空気が乾燥しているので意外と喉が渇くのだ。
「すいません旦那様。どうしても少し砂が入ってしまいます」
「この状況じゃしょうがない。多少の事は『旅の醍醐味』だとでも思っておけばいいさ」
「私としては、いつでもどこでも美味しいものを旦那様に食べていただきたいのですけれど……」
砂漠の表面には粒子の細かい砂が堆積しているので、少し動いたり風が吹いたりするだけで砂埃が舞ってしまう。密閉した空間でも作らなければ砂を喰わずにいるのは難しいだろう。
食事の後はケンとアリサで背中合わせに座り、分担して周囲の警戒を行いながら休む。
背中同士を付けて座っていると、アリサの能力によって限定的な思考共有ができるおかげで警戒の効率が良いことに今更ながら気付いた。
「……周りにはなんにも無いですね、旦那様。こういう場所に来たのは初めてかもしれないです」
「確かに何もないな……そう言えばアリサは町の外に出たことが無かったよな。迷宮も町の外ではあるけど、何か違うし」
「『外』じゃなくて『中』って感じがしますよね……何となく」
「もう少し暖かい時期になったら、町の外に泊まりがけでハイキングにでも行ってみるか? ここじゃ岩の天井しか見えないけど、外なら星が見えるから雰囲気が結構違うだろうし」
「あっ、行きたいです!」
アリサから背中を通じて楽しげな感情が伝わってくる。そして同時に、喜びでどうにかして塗りつぶそうとしている漠然とした不安も。
「周りは砂の海、か。久しぶりに本物の海も見たくなってきた。前に見たのはもう……10年以上前か」
「海って名前しか知らないですけれど、どんな場所ですか?」
「何て表現したら分かりやすいのかな―――」
白々しさには気づかない振りをして、はしゃぐアリサに対してまだ彼女が見たことのない場所の話を次々と聞かせる。
思えばこの世界に来てからずっと、ほとんど町から出たことがないのはケンも同じだった。余裕ができた時は旅でもしてみよう。
この世界の海もケンが知っている海と同じだろうか。
やがて日の出の時刻を迎え、2人は徐々に明るさを増していく砂漠の中を再び進み始める。
明るい陽の下で見る砂漠には、夜に見るそれとはまた違った営みがあるようだ。
厳しい暑さを避けるために夜行性の生物が多いが、昼行性の生物も決してゼロではない。
夜の間に冷えた体を温めようとして日光浴をしていたトカゲのモンスターはその代表格だろう。砂色の鱗に覆われた頭から尻尾の先端までは2メートルを超えているように見えた。
彼、もしくは彼女は見慣れない生物に対して興味を持ったらしいが、まだ体温が上がりきってないお陰で鈍重にしか動けなかったので、逃げるだけならそう難しくなかった。
しかし、全力を出した場合にはどれだけ早く走れるか分かったものではないので、次からは見つけたら迂回して進むことにする。
その後、アリサの先導に従って歩いていると、人間の頭ぐらいの大きさの岩がいくつも転がっている場所に遭遇した。地面も湿ったような濃い色で、疎らにだが草が生えている。
一面乾いた砂ばかりだと思っていた砂漠の中にも、意外と地形の変化があるようだ。
そういった周囲に比べて豊かな場所は生物が集まり易く、必然的に生存競争が激しくなる。どんな物があるか興味が無いわけではなかったが、安全を期して立ち入らずに進んだ。
比較的平穏な数時間が過ぎ、暑さに耐え切れなくなった時点で朝の移動時間は終了となった。
直射日光を避けるためにテントを張り、中で休む。夜と同じように壁を張らずにいようかと最初は考えていたが、地面からの照り返しのせいで壁なしでは落ち着いて休めそうになかった。
「砂漠に入ってからこれで1日分移動した訳だけど、"遺跡"までの残りはどのくらいなんだ?」
「はい、旦那様。えーっと……たぶん4割を超えるか超えないか、ってところだと思います」
「ということは、3日目の夜くらいに着きそうって事か」
「そのくらいだと思います」
水の消費はなかなか激しいが、マジック・バッグのおかげで大量に持ち込んだ水はまだ8割以上が残されている。現在の進捗が往路の4割、全行程の2割と考えれば補給なしでも十分間に合う計算である。
2日目の夜、3日目の朝の移動は特段の問題もなく順調に進んだ。
特筆すべき出来事は、2日目の夜に発見した火炎を纏った巨大なトカゲくらいだろう。
暗闇の中でぼうっと浮かぶ白い光を見つけ、不思議に思って<望遠>の双眼鏡で光源を観察してみたところ、そこには青白い光を放つ1匹のトカゲが寝そべっていた。
これほど目立つ存在であれば襲い掛かってくる敵もさぞ多いのだろうと思ったが、青白いトカゲの周囲に寝そべっていた数匹の赤いトカゲを見て考えを改めた。
赤いトカゲの体表は鱗ではなくゆらゆらと揺れる炎に覆われていたからだ。
火蜥蜴の親玉にしか見えない青白いトカゲが普通のトカゲであろうはずもない。あれは炎の温度が高すぎるせいで青白く見えていただけなのだ。
そんな危険物には近付く気にもなれないので、当然大きく迂回して避けた。
そして3日目の夜。遂に"遺跡"の間近まで辿り着いた。
「もうすぐですよ! 旦那様」
「そうか。やっとだな……」
警戒は怠っていないつもりだったが、それまでの道中が順調すぎたせいで全く油断が無かったと言えば嘘になる。
"遺跡"を目前にして少なからず浮ついた気分があったし、それまでで知らず知らずのうちに蓄積していた疲労から注意力が散漫になっていたかもしれない。
案内のためにケンの数メートル前を歩くアリサが一つの岩の横を通り過ぎた時、そいつは現れた。
巧妙に隠されていた地面の穴の中から、1メートル近くもある巨大な蠍がその大きさからは信じられないほどの素早さで飛び出し、左の鋏でアリサの足首を掴んだ。
「キャッ!」
「アリサ!」
そいつは間髪を入れず尻尾を振りかぶり、アリサの腹部目掛けて巨大な毒針を突き立てた。




