第48話 試行錯誤
アリサが迷宮管理局が発行する登録証を獲得して中層探索者となり、<転移>門を通って迷宮の中に入れるようになってから「アリサが感知した場所」についての探索を本格的に始めた。
現在のところ目的とする場所に何があるのかは全く不明だが、そうあって欲しいという期待も込めて"遺跡"という呼び名を付けた。
調査の主体となるアリサや、この件の後援者となってくれたモーズレイとは頻繁に"遺跡"について話題にするので、共通の呼び名を決めておかなければ何かと面倒だったからだ。
この単語は隠語としても働くので、モーズレイの弟子などが周囲にいてもそれほど気にせずに話題にできるようになった、という意味でも便利だった。
アリサの正体についてはモーズレイの弟子全員が知っているのではなく、検査を担当した女弟子2人と直接研究に携わる高弟2人以外には秘密にされているから、会話中にいちいちアリサの名前が出るというのはあまり好ましくない。
ケンとモーズレイの2人で打ち合わせをしているだけなら弟子に席を外させれば良いのだが、モーズレイが弟子たちに対して指示するときにまでいちいちそんな手間はかけていられない。
"遺跡"という単語そのものが注意を引いてしまう可能性もあるが、人があまり立ち入らないどこそこには「魔法帝国時代の遺跡がある」だなんて噂は何時の時代にも蔓延っているので、またそんな馬鹿な話を真に受けた夢追い人がいるというくらいにしか思われないだろう。
要は、アリサという少女に対してあまり興味を持たれなければ良いのだ。
"遺跡"を探索すると言っても、最初から目的地を目指して突進するなんて無謀な事はしない。
アリサの感覚だけでは、目的地の曖昧な方向と漠然とした距離ぐらいしか分からないので、ケンとアリサの2人が辿り着ける場所にあるかどうかが判断できない。
だからまずはアリサの感知能力の特性について把握することと、目的地までの距離感をつかむところから始めた。
最初に確認したことは、アリサの感知能力がX線のように迷宮の壁を透過してくる何かに拠るものなのか、それとも匂いのように繋がっている空間を漂ってくる何かに拠るものなのか、という事だった。
これについて確認するのは簡単である。単にアリサが"遺跡"があると感じる方向に進んでみれば良い。
場所にもよるが迷宮の通路というものは曲がりくねっているので、角を曲がった後に同じ方角から"遺跡"の気配を感じるのであれば前者ということになるし、進行方向正面から気配を感じるなら後者ということになる。
幸いな事に繋がった空間を漂う何かを感知する方式のようで、これならばアリサが感知した方向に進んで行けばやがて"遺跡"に辿り着けるだろう。
"遺跡"までの距離をある程度推測できるようになるには、もう少し手間と時間がかかった。
当初のアリサの感覚では前回よりも近いか遠いかぐらいは判別できても、その差が具体的にどのくらいの距離であるかは全く解らないので、数値化ができなかった。
いまいち良い方法が思いつかなかったので、アリサの感覚を磨くことで出来る限り正確な距離を推測できるようにしようと考えた。
ある場所を基準として、そこから一定距離進む毎にどれだけ感じ方が変化するかを見極められれば、いずれ目標までの具体的な距離が推測できるようになるだろう。
例えば、迷宮に入った直後に感じた"遺跡"までの距離を100として、そこから5キロメートル進んだ場所における感じ方が90だったとすれば、出発地点から50キロの場所に"遺跡"があるのではないかと計算によって求めることができる。
アリサがそこまで細かく違いを識別できる訳ではないし、このやり方では距離以外による変化を考慮していないので誤差が大きいだろうが、繰り返すことである程度は精度を上げることができるだろうと踏んでいる。
結局のところ、ただの力技である。
その訓練と平行して、モーズレイの発案で魔力濃度計などの測定・探索用の魔道具を迷宮の中に持ち込み、何か役に立つものがないかの調査も行っていた。
ケンとアリサが探している"遺跡"という場所には、魔術人形や人工生命体の研究を大きく前進させる資料が眠っている可能性がある。
モーズレイとしては、一刻も早くそこにある物を手に入れたいと強く思っているだろう。
それなのに何故、そんな重要な場所の探索をしているのがケンとアリサの2人だけかと言えば、その場所を見つけられるのが今のところアリサだけしかおらず、アリサの正体を一般には秘密にすることをケンが望んでいるからだ。
仮にアリサに頼らなくても"遺跡"を探す方法があるとすれば、他の探索者にも調査を依頼することで早期に発見できる可能性が高まるのではないか、とモーズレイが考えるのはごく自然な成り行きだろう。
アリサの身に万が一の事があれば、貴重な研究対象が消えてしまった上に"遺跡"についての手がかりの一切が喪われてしまうのだから、アリサ以外にできるのならそちらにやらせたい。
そうすることでアリサの構造が解明される日が早く来るのであれば、ケンとしても不服はない。
ケン自身が"遺跡"を発見し、そこで重要な遺物を獲得した場合に得られるであろう金銭的な報酬が得られなくなってしまうのは惜しいといえば惜しいが、ただそれだけだ。金など生きていれば別の方法でも稼げる。
だが、残念なことに今のところアリサの感覚と相関関係を持つデータは得られていない。
魔力濃度計の場合は迷宮の奥、つまり魔力を無尽蔵に放出している「迷宮の核」がある方向がなんとなく分かる程度にしか役に立たなかった。
迷宮の中は空気中の魔力濃度が全体的に高く、モンスターが体内に持つ魔石などの外乱が多すぎるせいで、この結果もどこまで信頼できるかは判らない。
その他の計測器についても同様で、迷宮内部という特殊な空間では正常に動作しないものがあったり、一見しただけでは正常に動作しているようなのに、同じ場所で測る度に違う値が出てくるなんて物も少なくない。
そんな結果でも「何かの役に立つかもしれない」と考えるモーズレイの依頼により、測定したデータはいちいち紙に書き残している。
少々面倒だが、これだけで迷宮への入場税と<転移>門の使用料1回分を賄えるくらいの報酬を貰っているので、小遣い稼ぎと思えば苦にもならない。
最初の1ヶ月間は一度も"遺跡"に挑む機会がないまま過ぎていった。
アリサが今までで一番近い場所にあると感じた時でも、<転移>門から入って1つ目のに当たった地形の中ではなく、もっと先の地形にあったようだ。
その時に当たった地形は密林地帯で、通過するのにかなり手間取ってしまったせいでそこで探索を断念するしかなかった。
そして、本日はアリサが最初に健康診断を受けた日から1ヶ月が経過し、2度目の検査が行われる日である。
「旦那様……私は特に悪い所はないんですけれど、やっぱり受けなくてはいけないのですか?」
やはり、アリサは身体を見せることについて拒否感があるらしかった。彼女が検査を嫌がる理由については、まだ確証はないがある程度の想像はついている。
アリサがいくら嫌がっていても、ケンは必要なことだと考えているので止めるつもりはない。今日も嫌がる彼女をなだめすかして何とかモーズレイの屋敷まで連れて来ていた。
「健康診断は体調を崩してから受けても遅い。病気になりそうなところを早めに見つけて、病気にならないようにするためのものなんだから」
「私なんかよりも旦那様の体調の方が心配です。旦那様は健康診断を受けないのですか?」
「……別の所で受けてるから、心配しなくても大丈夫だよ」
この世界に勤め人や自由業の健康診断なんて概念はない。病気でも怪我でもないのに医者にかかるなんて贅沢が許されるのは、この世界では王侯貴族と富豪くらいのものだ。
念のためどこかでケン自身も健康診断を受けておくべきだろうか。しかし、そんな事を街中の医者に頼んでも何をすれば良いのかわからないだろうし、忙しいと言って門前払いされるのが落ちだろう。
いや、それらしい事をしているとアリサに見せさえすれば良いのだから、モーズレイに頼んで適当に検査しているふりでもしてもらえば良いだけかもしれない。
「お疲れ様、アリサ」
「はい、お疲れ様でした。では、私はお先に失礼させていただきますね」
「ああ、気を付けてな」
丸一日かけて可能な検査を全て行った前回とは違い、必要な項目だけに絞った今回は1時間もかからずに検査が終わった。
検査が終わった後でモーズレイから話があると言われているので、アリサには"遺跡"の探索について打ち合わせがあると伝えて先に帰らせる。
モーズレイの屋敷に報告に来る時はいつもケン1人だけなので、彼女が特に不思議がる様子はなかった。
健康診断開放された喜びで鼻歌でも歌い出しそうな様子のアリサを見送ってから、モーズレイの執務室へ向かった。
人払いされた静かな部屋の中でケンとモーズレイの2人だけで向かい合う。
「さて、ケンイチロウくん。予想は付いているかもしれないが、話というのはアリサくんについてなんだ」
「はい」
この1ヶ月は打ち合わせのためにモーズレイとは頻繁に顔を合わせているので、彼の不気味極まる容貌にも慣れたお陰で、だんだんと表情が読めるようになってきた。
ケンの感覚が正しいのだとすれば、モーズレイが今浮かべているのは悲しみの表情だった。
呼び出された時点である程度は覚悟していたが、あまり喜ばしい話題ではなさそうだ。
「今回の検査結果についてだが、前回に比べてアリサくんの体内の魔力濃度が下がっている。このままでは遠からず問題が発生するだろう」
「すいません、モーズレイ導師。私は不勉強なもので、体内の魔力濃度が下がった場合にどういった問題が発生するかについて、ある程度の想像はできるのですが詳しくは知りません。よろしければご教示頂けないでしょうか」
「本来は魔術の習得を始める前に師匠が教える事なんだけれど……そうか、君の師匠はギルド長だったね。宜しい、では『魔力とは何であるか』について簡単に説明しようか」
「お手数をお掛けします」
「まず、魔力というものはこの世界のおよそどこにでも存在していて、内包する量に違いはあっても全ての物体が魔力を持っている。例外はあるけれど、基本的には無生物よりも生物の方が多くの魔力を持ち、より高等な生物であるほどより多くの魔力を持っていると考えて間違いはない」
この世のありとあらゆる物体に魔力があるというのは初耳だったが、この程度の事であればケンも以前から知っていた。
迷宮の中で湧くモンスターは必ず魔石を持っていて、より強いモンスターから取れる魔石の方が大きくて質が良い。それはつまり、より強いモンスターの方がより強い魔力を持っているという証明だ。
「こういう言い方をすると誤解を招くかもしれないけれど、全ての生物は体内に一定以上の魔力が存在する限り生き続けられるんだ。だから、人間としてはかなり強い魔力を持っている森人族はかなり長い寿命を持っているし、魔人や幻獣といった更に強い魔力を持つ生物は無限に近い寿命がある」
「もしかすると、伝説に登場する英雄や大魔術師と呼ばれる存在がかなり長寿だったりするのも、魔力が濃いからなのでしょうか?」
「そうかもしれないね」
歴史書の中には強大なモンスターを少数で討ち取ったとされている戦士や、一撃で城壁を消し飛ばせる程の魔術を行使したとされる魔術師といった規格外の人物がしばしば登場する。
それらの人物の大半は戦いの中で命を落としたり、暗殺や権力闘争に敗れた後に処刑されるなどで若くして没する事も多いが、天寿を全うした人間もゼロではない。
長く生きたとされる人物の中には、百年以上も現役を続けてその腕で国を護り続けたとされる戦士や、二百年以上も宰相として国政に関わり続けたとされる魔術師についての記述もある。
猿人族の場合は60歳まで生きればそれなりに長生きしたと認識されるくらいなので、これは異常なくらいの長寿となる。
そういったものは誇張された伝説であったり、個人名ではなく地位や役職名だったものを1人の功績だと勘違いした結果なのではないかとケンは考えていたのだが、絶対にありえないわけではないというのは驚くべきことだろう。
「生物にとっても無生物にとっても、魔力はその存在を維持するための必須要素と言えるね。体内の魔力が不足した生物は死んでしまうし、魔力が完全に尽きた物体は塵も残らないほどに完全に分解される。探索者であるケンイチロウくんならば、いつも似たような光景を目にしているだろう?」
「モンスターが死んだ後に跡形もなく分解される事、でしょうか?」
「その通り。魔石や迷宮で出るモンスターの肉体は変質した魔力そのもので構成されている、とされているから厳密には違うものだけれどね」
「生物の体内にある魔力の量は常に一定ではなく、状況によって変動することがある。解りやすいところでは、魔術を使えば魔力を放出した分だけ体内の魔力は減るし、極度の疲労や空腹、外傷や疾病などによっても魔力は減ってしまう」
生命の危機に陥れば魔力が失われていき、魔力が失われれば生命の危機に陥る。
モーズレイによれば、魔術を使いすぎて魔力切れになった時に気分が落ち込んだり頭痛や吐き気を感じたりするのは肉体から脳に対する警告であり、それ以上魔力を消費させないための防衛反応だということだった。
確かに、魔力切れの症状に陥った状態で魔術を使うのは無理だろう。
「ここからが重要な事なのだけれど―――生物の場合、何らかの理由で体内の魔力が減ったとしても、当然減ったままにならないことは知っているね? 生物の身体には、その生物にとって適切な魔力濃度というものがあって、徐々にそこに向けて回復するようにできているんだ」
「生物の場合は、ですか?」
「そう。生物の場合は、なんだ」
つまり、人間のように見えても人間ではないアリサはどうなってしまうかが問題になる。
「モーズレイ導師が開発なさったゴーレムの場合、魔力濃度が低下し続けるとどうなりますか?」
「必要な魔力が確保できなくなった時点で動作を止めて休眠状態になるね。アリサくんがどうなるかについては推測の域を出ないけれど……同じような状態になっても全く不思議ではないよ」
「魔力を補充する方法について、何か分かりませんか」
「残念ながら……鋭意研究中だとしか言えない」
正直に言ってしまえば、いつかそういう日が来るのではないかとは内心思っていた。
アリサは必死に誤魔化そうとしていたが、彼女が呆けたように動きを止める頻度は少しずつ高くなってきていたし、維持作業をせずに動かし続けられる機械なんてものはないと考えていたからだ。
ただ、それが訪れるのはもっと先だと思っていた。いや、思っていたかった。
「推定では、アリサの動作が停止するまでの猶予はどのくらいでしょうか」
「前回と今回の魔力濃度の差から考えると、4ヶ月ほどで魔力濃度がほぼゼロになる計算だね。ただし、完全にゼロになる前に動けなくなってしまうだろうから、どんなに長く見積もっても3ヶ月は超えないと思っておいた方が良い」
「分かりました。心しておきます」
余裕を見るなら2ヶ月以内に"遺跡"を発見しておきたい。最悪の場合はアリサを担いで移動するという手もあるが、かなりの困難が伴うだろう。
それからモーズレイに出来る限り魔力を消費させないためにはどうすれば良いのかの助言を受け、追加で貸与された魔道具を受け取ってからモーズレイの屋敷を辞去した。
今まで"遺跡"の探索に手を抜いていたという意味ではないが、これからは本気で動き始めなければならない。
2回目の健康診断をした日から2週間が経過した。
事ここに至ってはアリサを人目に触れさせない事よりも、出来る限り早く"遺跡"に辿り着くことを優先すべきだと考え、協力してくれる探索者を探し始めている。
だが、中層探索者であれば誰でもいいという訳にはいかない。
完全に秘密を守るのは不可能だとしてもアリサの事について簡単に情報をばら撒かれては困るし、法の及ばない迷宮の中で行動を共にするのだから、最低限の信頼は置ける相手でなければ"遺跡"を探す以前の問題だ。
協力してくれる探索者が見つかっても、その時に運良く"遺跡"が近くに来ているかは分からない。拘束期間が長くなるのは嫌われるし、その場合は報酬が折り合うかという懸念もある。
まずはアルバートのパーティに依頼しようとしたが、残念ながら長期の任務を果たすために町の外に行っているようで接触が叶わなかった。
ジョーセフも相変わらず忙しいようですぐには面会できず、モーズレイにも尋ねてみたが迷宮探索者の伝手はないという回答だった。
気持ちは焦るが、焦りに囚われていい加減に選んでも後悔する結果しか出ないだろう。
協力者探しと平行して、ケンとアリサの2人で迷宮の中に入り続けている。
あまり頻繁に出入りをするのも色々と無駄になり、迷宮管理局から怪しまれると思ったので、一度迷宮に入った後は構造改変を待つために2日ほどは迷宮の中で過ごしている。
空気中の魔力濃度が濃い迷宮内の方がアリサの調子が良さそうに思えるから、という理由もあった。
その間、勘を鈍らせないためにケンは<転移>門から近い這い寄る影の生息地域で魔石を稼ぎ、アリサは安全な場所で待機させて出来る限り魔力を温存させている。
今回の探索で進展がなければ、全く気は進まないが秩序神教会の戦士長であるエセルバートか、盗賊ギルド【黒犬】に話を持ちかけるしか無いと覚悟を決めたその日、待ちに待った状況がやってきた。
「あっ! 今回はすっごく近いですよ旦那様。多分すぐ隣りの所にあると思います!」
「……よし、それじゃ行くぞ」
「はい!」
少しだけ運が向いてきたようだ。
次にこれだけの条件が揃うのが何時になるかは分からないのだから、できれば今回で"遺跡"に辿り着けるように、まずは幸運神に祈った。




