第47話 健康診断
アリサが無事に迷宮初探索を終えてから、1日おきに2回ほどケンとアリサの2人で日帰り探索を行った。
ゴブリンや洞窟狼ごときではアリサに太刀打ち出来ないと初回の探索で分かりきっているので、迷宮に入る主な目的は戦闘ではない。
では何が目的かと言うと、迷宮の中で迷った場合に通路の壁の状態から迷宮入口がある方向を判別するための方法や、迷宮の中で別の探索者パーティと遭遇した場合の対処方法など、実地でなければなかなか理解しづらい知識を教えるためだった。
アリサだけで迷宮上層に入る必要がないのでこの知識が役立つ場面は訪れないはずだが、いざという時に知っているのと知らないのでは生存率が大きく違ってくる。
探索中に一度だけ豚頭鬼人と戦闘になったこともあった。
オークは豚の頭部を持つ肥満体のモンスターで、身長は2メートルを軽く超える。その巨体のせいで動きは鈍いし武器の扱いもそれほど上手くないのだが、見た目の通りに腕力は高いし何と言っても頑丈だ。
迷宮上層に出現するモンスターのうち、単体では最も強い部類に入るだろう。ゴブリン・リーダーがファイターやアーチャーを率いた場合など、集団戦ではまた評価が変わってくる部分もあるのだが。
本来であれば、オークは迷宮入口を入ってから半日以内というごく浅い場所で湧くようなモンスターではないが、数ヶ月に一度くらいはこういった事も起こる。
その気になれば避けて通るのも難しくはなかったし、ケンが1人の時に遭遇していたなら間違いなく逃げていただろう。
だが、目の前にいるオークは1匹だけで、周囲には他のモンスターの気配が感じられないという絶好の状況だったので、アリサの実力測定の相手になってもらうことにした。
アリサ対オーク、正面からの一対一での試合結果は「アリサの判定勝ち」と言ったところだろうか。
オークの持つ木槍はアリサにかすりもしなかったし、仮に当たったとしても木の先端を削って尖らせただけの穂先ではメイド服は貫けなかっただろうと思われる。
防具に覆われていない首から上の部分に槍が命中したり、その怪力を活かして掴まれてしまえばひとたまりも無かっただろうが、ただのオークに顔を狙って当てるだけの技量は無いし、素早く動き回るアリサを捕まえるだけの速度もない。
一方、アリサが操る鎚矛は何度もオークの身体に命中してはいるものの、なかなか決定打を与えられなかった。
アリサは並の男を軽く上回る腕力を持っているが、肝心の武器が店で売っている普通のメイスでしかないので、オークの分厚い脂肪によって衝撃の大半を吸収されてしまうようだ。
オークに対してはメイスのような打撃武器ではなく、剣のような斬撃武器や槍のような刺突武器の方が効果的だと思われるが、生憎とメイスの他に持っているのは副武器の小型剣だけだし、これでは力不足だ。
脂肪に鎧われていない頭部や関節部への攻撃ならば打撃もかなり有効だろうが、オークの身長は高いので頭部への攻撃は少し難易度が高い。
アリサがオークと互角以上に戦える事は判ったので、途中からはケンも参戦してさっさと片付けた。
アリサが注意を引き付けている間にケンがオークの側面に回り込み、まずは右膝の関節を砕く。右足に体重をかけた瞬間に、メイスに付与されている<重量増加>の機能も使って殴りつければ簡単だ。
その程度では諦めないオークが振り回す槍を冷静に避け、次は右肘を砕く。
ここまでくれば、いくら頑丈なオークとだと言っても死に体だ。
滅茶苦茶に振り回されるオークの左手が届く範囲には入らないように注意しながら、メイスで頭を殴りつけるなりショート・ソードを眼窩に突き刺すなり好きに料理すれば良い。
もう上層探索は十分だと判断して、早々と迷宮上層の突破に乗り出した。
迷宮の所々に存在している多数の魔物が湧く大部屋―――探索者の間での通称は「モンスター部屋」―――を一度も通らずに第一<転移>門まで行けるルートを選び、道中での戦闘はどうしても斃さなければ先に進めないという場面だけに限定する。
そうやって進むことで、迷宮に潜り始めてから3日目の夕方前には<転移>門を守る門番部屋の前まで辿り着くことができた。
これはケンが1人で迷宮に潜った場合と遜色がないくらいの早さである。
門番のロック・ゴーレムがこちらに襲い掛かってこないのは前に入った時に分かっているので、さっさと<転移>門がある部屋まで入ってからアリサと帰還前の打ち合わせを行う。
「無事に門まで来れたな。まずはお疲れ様、アリサ」
「お疲れ様でした、旦那様」
「これからそこにある<転移>門を使って地上に戻る。しつこいかもしれないが、地上に行く前に最後のおさらいをしておこうか」
「はい!」
アリサはこれから、根掘り葉掘り個人情報を聞き出そうとする迷宮管理局の奴らに立ち向かい、秘密を守りぬくための戦いに勝利しなければならない。
ある意味で、アリサにとってはここから先の数十分が最大の山場なのかもしれなかった。
「まず、地上に戻るとすぐに管理局の人間が『登録証はお持ちですか』と聞いてくる。その時、アリサはどうするんだ?」
「はい、黙ったまま首を横に振ります!」
「うん、そうだな。すると『話を聞きたいので別室に来てください』と言われるだろう。俺は残念ながら付いて行ってやれないが、アリサなら大丈夫だよな」
「はい……多分、大丈夫です」
フードの陰から覗くアリサの表情はこの上なく不安そうだったが、何とか肯定の返事を返してくる。迷宮管理局の尋問対策を教える時に少し彼女を脅しすぎてしまったかもしれない。
だが、これも必要な処置だ。
アリサの正体が迷宮管理局に露見したところですぐに何かが起きるというわけではないだろうし、万が一の場合でもジョーセフあたりに手を回してもらえばそう酷い事にはならないだろうが、周囲が騒がしくなってしまうのは間違いない。
「それじゃあ、ちょっと聴取の場面を模擬的にやってみようか。最初は……そうだな、おそらく『失礼ですが、お顔を拝見させて頂けないでしょうか』かな。そう言われたら……そう、そのくらいで良い」
アリサが顔を隠しているフードを数秒間だけ持ち上げ、また元に戻してうつむき気味になる。これは出来る限り顔色を見せないようにするための策だ。
「次は……『まず貴女のお名前と年齢、この町でのお住まいの場所を教えて頂けますか。お名前がこれから発行する登録証に記載されますので、必ず回答して頂く必要があります』」
「……アリサと申します。現在はダニエル・ファブリチウス様のお屋敷でご厄介になっております」
言い回しのせいで勘違いしやすいが、名前・年齢・住所のうち回答が必須なのは名前だけである。
答える必要がない住所まで答えているのは貴族であるダニエルとの繋がりを匂わせるためと、ケンがダニエルと付き合いがある事が縁でパーティを組んでいるのだと思わせるためだ。
「『では、貴女が主に使用している武器や、得意な技能などについてお聞かせ願えないでしょうか』」
「……申し訳ありません。事情があり、お答えできません」
「『貴女はローブを着用しておられますが、魔術師ということで宜しいのでしょうか』」
「……お答えできません」
アリサは嘘が吐けないし演技も下手で、迷宮管理局で聴取を担当するのは虚偽を見抜くための訓練を積んだ専門家である。
この条件でどう情報を隠すかを考えて、思いついたのが「嘘を吐かず、何も答えない」という方法だった。
アリサに事情があるのは本当で、そのせいで答えられないのも本当。不十分な情報から間違った事情を推測するのは向こうの勝手だ。
それでも焦った時に何を口走るか分からないので、相手の質問の後に必ず一呼吸置いてから、最低限の言葉で答えさせるようにしている。
その行動がなるべく不自然に見えなくなるように、今まで周囲に人がいる場合には一言もアリサを喋らせず、無口な印象を抱くようにしていたという訳だ。
「『ご一緒に<転移>門から出てきた方とはどういったご関係ですか?』
聞かれると想定した質問のうち、アリサがどうしても黙秘できそうになかった質問がこれだった。しかし、正直に答えてしまっても何の問題もない。
「……一言で表すなら、主人と従者でしょうか」
嘘は言っていない。ケンとアリサのどちらが主人なのかについて、聞いた相手が勝手に勘違いするだけだ。
「よし、完璧だな。本番もこの調子でいけば、何一つ問題ないぞ」
「はい、有難うございます旦那様! ご期待に添えるように頑張ります」
それからすぐに<転移>門を通って地上に戻り、アリサが係官に促されて別室に行くのを見送った。
ケンが窓口で魔石の売却を済ませてから待機所で待っていると、20分もしないうちにアリサが戻ってきた。ケンの時は1時間以上も拘束された記憶があるので、かなり短い時間で終わったと思って良いだろう。
戻ってきたアリサから、問題が発生した場合にこっそり出すと決めていた合図は送られてこなかった。合流し、無言のままに2人並んで迷宮管理局の建物を出る。
まだそれほど遅い時間ではないが、陽が沈むのが早い季節なので外はすっかり暗くなっていた。
ダニエル邸までアリサを送って行く途中、人通りが少なくなった辺りで気になっていた事を確認する。
「管理局での聞き取りの時は問題なかったか?」
「はい、旦那様。最初に思っていたよりもずっと上手くいきました」
「それなら良かった。登録証はちゃんと受け取れたよな」
「はい、ばっちりです」
そう言ってアリサはローブに付いているポケットの中から金属製の小さなカードを取り出し、ケンに対して示してみせた。
迷宮管理局が発行する<転移>門の利用許可登録証は当然ながらケンが持っている物と同じデザインで、表面に登録番号と所持者の名前が彫られただけの物である。
ケンがこの許可証を手に入れてから既に約7ヶ月が経過しているが、アリサの許可証に記載されている登録番号の数値はケンの物から100も増えていないようだ。
「これで中層に行けるようになったな。次回からはアリサが気になるって言っていた場所の探索を始めるが……その前に、明後日のことだな」
「はい。健康診断……でしたか?」
「そうだ。明日は1日ゆっくり休んで、明後日の午前中に俺の方から迎えに行くから、アリサはダニエル様のお屋敷で待っていてくれ」
「やはり、行かなくてはダメなのでしょうか? 私は特に悪い所はないと思うのですけれど……」
何故かアリサは自分自身の身体を調査される事を拒絶したいようだったが、必要な事なので命令してでもケンはやらせるつもりだった。
「駄目だな。本人では気付かないけど悪い部分があるかもしれないだろ。アリサはずっと寝てたんだから、一度は専門家に見てもらわないとな」
「はい……」
そして2日後。アリサの健康診断を行う日がやって来た。
健康診断と言っても、もちろん言葉通りの意味だけではない。アリサの構造がどうなっているかについての調査も兼ねているのだ。
なぜ急にこんな事をすることになったのかと言うと、その発端は今から約2週間前にあった。
◆
その日、自らの目でアリサの状態を確認するために、詰まりに詰まった予定の合間を縫って魔術師ギルド長のジョーセフがダニエル邸を訪れていた。
ジョーセフやダニエルのためにお茶とお茶請けを運んできたアリサを適当な口実を付けてしばらく引き止めて、その間にジョーセフがこっそりと調べる。
別にアリサに対して調査していることを明かしても良かったのだが、ジョーセフから自然な状態の彼女を見たいという要望があったので少々周りくどい方法を取った。
魔術を行使する際に呪文の詠唱は付き物だが、呪文はイメージの構築を補助するものであって魔術を行使するための必須要素ではない。ジョーセフほどの熟練した魔術師ともなれば、会話をしながら魔術を行使することも容易い。
調査のために魔術を行使した直後、ジョーセフは片眉だけをわずかに上げて驚きを表していた。彼がわずかとは言え、驚きを表情に出すのはかなり珍しい事だ。
しばらくジョーセフと会話をした後で、役目を果たしたアリサが部屋を辞した。
「いかがだったでしょうか、ジョーセフ師」
「うむ。動き方は自然じゃし、受け答えの内容も全く……いや、少々ずれとる部分もあったが、ありゃあそういう性格なんじゃろうな」
「……そうですね」
ジョーセフの言う通り、現代的な知識の欠如や言葉の裏を読まない性格のせいでたまに頓珍漢な返事をする事があるアリサだが、それは世間知らずや天然ぼけといった言葉で済ませられる程度のものだ。
基本的には会話相手の意図を汲んで対応しているのは、少し話せば明らかだった。
「それはそれとして、事前に小僧から『普通の人間ではない』と聞かされておらねば、疑うことすらなかったじゃろうよ。魔力の流れが人間と明らかに違うと自分の目で確かめても未だに信じられんわい」
「では、やはり?」
「うむ、小僧の見立て通りじゃろう。魔術人形の系譜か人工生命体の系譜かまでは判断がつかんがのう」
状況証拠からしてアリサが人間以外の生物だとほとんど確信を持っていたが、ジョーセフがこう言うのであれば確定だろう。
「それで、今後の研究についてじゃが……お主も知っての通り、儂も忙しい身でのう」
「はい、存じております」
「仮に時間があったとしてもゴーレムについては専門外じゃからして、なかなか研究を捗らせるというわけにもいかんじゃろう。そこで提案なんじゃが……この件についてはゴーレムの研究を専門としている奴に任せてはみぬか? 適任者には1人だけ心当たりがある」
「別の方に、ですか」
「お主から預かっとる黒い珠の研究についても出どころを伏せて弟子にやらせとるが、こっちは研究対象が生きとるもんじゃからな。日頃はどう行動しているかなんて話も聞きたがるじゃろうし、儂が情報のやりとりを仲介するのではなく直接やり取りした方が便利じゃろ」
オーク・リーダーから戦利品として手に入れた黒い球体の研究だが、いつの間にかそういった扱いになっていたようだ。
毎回「何も分かっていない」という報告だけを受けても仕方がないと思い、何か新事実が明らかになった時だけ教えてもらうようにしていたので、最近は調査を頼んでいた事が記憶から抜け落ちていた。
「それは、どのような方ですか?」
「そこそこ使える男じゃよ。口は堅いし、無茶なことはせんしな。ちと不気味な雰囲気を漂わせとる奴じゃが……なあにそんなものはすぐに慣れる。」
常に評価が辛いジョーセフが「そこそこ使える」と評す相手なら、一般的な評価ではこの上なく優秀な研究者だと思って良い。
ケンが自分で依頼する相手を探してもその人以上の人材は望めないだろうし、ジョーセフから紹介される相手なら彼の面子を潰すような真似はしないだろう。
「ではその方にお願いしたいと思います。是非、ご紹介ください」
◆
ジョーセフから紹介を受けて双方の予定を調整し、今日が初の顔合わせである。
面会場所は人が多い魔術大学院の中ではなく、貴族街にある一軒の屋敷だった。
大きな屋敷ばかりが並ぶ貴族街の中でも大きめの敷地を持っていて、背が高くて頑丈そうな塀でぐるりと囲まれていた。
他の屋敷では敷地の回りを同じように囲ってあっても柵そのものが芸術的品のようだったり、手入れされた庭や高級そうな家屋が道から見えるようにしてあることが多いのだが、目の前の塀は無骨で全く中が見通せないようになっている。
何故か他にも違和感を感じながら塀に沿って歩いていると、門の近くまで来た頃になってようやく違和感の元に思い至った。
この屋敷では、塀の上に付けられている忍返しが普通の方向と逆になっているのだ。つまり、この塀は外部からの賊の侵入を阻むためではなく、中にいるモノを外に出さないために作られているのだろう。
「なんだか不気味な感じがするのですが……大丈夫なのでしょうか」
「ジョーセフ師の紹介なんだから、酷いことにはならないよ」
多分、という一言は既の所で飲み込んだ。不安そうにしているアリサの不安を掻き立てても意味は無い。
約束していた時間よりも数分だけ早く屋敷の門を叩くと、すぐに案内の人間が顔を出した。
案内役はメイド服を着た使用人や武器を持って防具を付けた警備員ではなく、魔術師のローブを着た若い男だった。ケンが自分の名前と用件を彼に告げると、すぐに屋敷の中に通される。
案内を受けている最中に通りかかった中庭では、ローブ姿の男数人が集まって何かの実験をしている光景が目についた。
案内役の彼に聞いてみると、どうもここは普通の屋敷ではなく魔術師ギルドの研究所のようなものらしい。
こういった大きな屋敷では付き物の芸術品が一切飾られていない殺風景な廊下を抜け、ケンとアリサは屋敷の最も奥にある部屋に通された。
部屋の中で待っていたのは、不気味という言葉を体現したかのような男だった。
痩せぎすと言うよりも痩せすぎて骨と皮しか残っておらず、ローブの袖から突き出している手首は枯れ木のように細い。髪は真っ白で、眼は落ち窪み、肌の色は青白いのを通り越してもはや土気色になっている。
彼が夜の墓地に佇んでいたとしたら、100人中100人が不死の怪物だと勘違いするに違いなかった。
その男はニヤリと口を歪めて嗤い、ケンの予想に反した穏やかな口調で自己紹介を始めた。
「初めまして、私がモーズレイです。魔術師ギルドで導師をしています。今日はわざわざ足を運んでもらって申し訳ないね」
「初めましてモーズレイ導師。迷宮探索者をしているケンイチロウと申します。本日はこちらからお願いして健康診断をしていただくのですから、こちらから伺うのが当然です」
「初めまして、私はアリサと申します。旦那様のメイドをしています!」
ローブで隠していないメイド服姿のアリサは、久々の旦那様のメイド宣言ができて嬉しそうだった。
そんなアリサを興味深げに観察するモーズレイの姿は、何故か生贄を品定めするアンデッドの王のようにしか見えない。
「それでは早速、健康診断を始めてもらおうか。ルシールくん、メイベルくん、事前の打ち合わせの通り、こちらのお嬢さんの検査を頼むよ」
「はい、了解しました」
モーズレイの存在感が強烈すぎるせいで全く意識していなかったが、実は部屋の中にもう2人ほど人間が存在していた。両方ともに魔術師のローブを着込んだ若い女だ。
「本日は、私たち2人が中心となってアリサさんの検査をさせていただきます。どうぞこちらへ」
「あ、はい」
ケンが部屋の外に向かうアリサの後を追おうとすると、モーズレイに呼び止められた。
「ああ、ケンイチロウくんにはこの部屋で少し話を聞かせてもらいたい。直接の担当者は全て女性で固めているし、万が一にでも失礼がないように厳しく言いつけてあるから大丈夫だよ」
「はい、ではそうしましょう」
「旦那様、行ってまいりますね」
女3人は部屋から出ていき、部屋の中にはケンとモーズレイの男2人だけが残された。
「彼女が今回の研究対象ということで間違いない、んだよね?」
「はい、間違いありません」
「正直に言ってしまうと、彼女が人間じゃないなんて話は半信半疑……いや、疑いの気持ちの方が大きいくらいだよ。ギルド長がそういった冗談を好まない人だと分かっているんだけれど、実は私の事を笑いものにしようとしてるんじゃないかって疑念がどうしても完全には拭えないんだ……いや、君の事が嘘吐きだって言いたいわけじゃないんだ、済まない」
「いえ、お気持ちは十分に理解できます」
当事者のケンでも、たまにアリサがただの風変わりな人間なのではないかと思ってしまうくらいなのだから、初対面のモーズレイが信じられなかったとしても無理はないだろう。
「長くかかるだろうから、その席に座ってくれるかな。もうすぐお茶が運ばれてくるはずだから」
「はい。失礼します」
ケンが席について世間話に興じていると、部屋の外にある廊下から足音が聞こえてきた。石の塊が歩いているとしか思えない、随分と大きな足音だった。
やがて足音は部屋の前で停止すると、モーズレイがわざわざ立ち上がって扉を開けてやっていた。
そこに立っていたのは、お茶の用意が乗せられたトレイを持った妙齢の女性―――ではなく、美女の彫刻で造られたゴーレムだった。
ゴーレムはぎくしゃくとした歩みで開けられた扉をくぐり、トレイを覚束ない手つきでテーブルの上に乗せた後、誰もいない方向に向かって頭を下げ、踵を返して部屋を出て行った。
「今のが私の研究の成果で、これまでの最高傑作だよ。かなりいい出来だ、と一月前までは思っていたんだけどね」
「…………」
ケンにはゴーレムがどの程度の事ができる物なのかについて知識がないので、評価のしようがなかった。ただ、アリサと比べてしまえば何もかもが見劣りしてしまうのは間違いない。
「あのアリサくんが人間ではない、というのはかなり複雑な気分なんだよ。私が人間と見分けが付かないゴーレムを作るための研究に何十年も捧げてきたというのに、その成果の遥か上を飛び越えていく存在が急に目の前に現れたんだからね」
研究に対して真摯であればあるほど、自分が出した成果よりも他者の方が上回っていると見せつけられるのが悔しくなってしまうのだろう。
「だけど、自分が作った物が他人より劣っているという悔しさと、人間はここまでの物が創れるのだという希望と、これで自分の夢の達成に大きく近付くのではないかという喜びがないまぜになっているんだ」
そう言うモーズレイの眼が爛々と輝きだし、口の端が釣り上がる。邪悪な企みが上手く行った裏組織の頭領のような見た目だが、これは純粋な歓喜の表情だろう。
「だから、研究を少しでも早く進ませるために、ケンイチロウくんにはアリサくんについての情報を教えてもらいたい。どんな些細な事でも構わないから、全部だ」
「私に分かる事でしたら何なりとお答えしましょう。ところで、ジョーセフ師からはどこまでお聞きですか?」
「アリサくんを迷宮の中から連れ帰った、という事実だけだね。情報は直接聞きたかったから、あえてギルド長からは聞いていないんだ」
それからの聞き取りは長時間に及んだ。本当にケンが知っている情報全てを引き出そうとしているかのようだった。
ジョーセフと話した時もそうだったが、研究肌の人間は新たな知識が手に入るとなると箍が外れてしまうものらしい。
アリサが迷宮の中で感知した場所について話が及ぶと、やはりモーズレイも強い興味を示した。
「うん、やはりその迷宮の中にあるという場所が気になるね……」
「はい、ジョーセフ師からも調査したいと言われています。つい先日下準備が終わったので、今後は本格的な調査を始める予定です」
「私も援助は惜しまないから、是非とも成功させて欲しい。使えそうな魔道具に幾つか心当たりがあるので、後でそれを貸し出そう」
「有難うございます」
話をしている最中にも、モーズレイの弟子たちからアリサの検査結果が次々と送られてくる。
「ほう……詳しいことはこれからちゃんと調べてみないと分からないけれど、やはり人間とは全く違う結果が出ているね。ケンイチロウ君が騙そうとしているなんて疑って申し訳なかった」
「いえいえ、お気になさらず」
結果が書かれた紙を頷きながら確認していたモーズレイの視線がある一点で止まり、ぎゅっと眉根が寄せられる。
激怒しているようにしか見えない表情だが、これは困惑しているのだろうか。
「うん? ……これは……」
「どうかなさいましたか?」
眉根を寄せたまま言うか言わないかをしばらく考えた後、やがて首を横に振った。
「いや、証拠もないただの憶測だよ。私の考えが正しいかどうかの判断も付かないし、証拠もないからあまり人には言いたくない」
その後も何かを悩んでいたモーズレイだったが、やがて方針が定まったようだった。
「ケンイチロウくん、これはお願いなんだが……アリサくんの検査は今回の一度だけという話をしていたけれど、今後も2週間……いや、1ヶ月置きで良いから検査させてもらえないだろうか。ケンイチロウくんが都合の良い日で構わないし、今日ほどには時間がかからないと思う」
「それは、研究のために必要なことですか?」
「研究のためでもあるし、ちょっと個人的にも気になることがあってね。それを確かめるためにもお願いしたいと思っているんだ」
モーズレイにはこれから探索のための援助をしてもらったり、アリサについての研究結果を提供してもらうのだから、出来る限り要望に答えておくべきだろう。
短時間で済むというのなら、断る理由はない。
「では、ご依頼の通りにいたしましょう」
「ありがとう」
検査は丸一日かけて行われ、ケンとアリサがモーズレイの屋敷を出た時にはすっかり夜になっていた。
「……お疲れ様、アリサ」
「……お疲れ様です、旦那様」
「結構時間がかかったな」
「時間がかかりましたねえ」
長時間に渡って身体を弄くり回されたアリサも、ずっと話をしていたケンもへとへとになっていた。だが、収穫は多い1日だっただろう。
「明後日から迷宮に入る予定だったけど、準備も見なおさなくちゃならないし1日延期しようか」
「賛成です」
モーズレイから借りた魔道具は、かなり便利なものが幾つもあった。使い方の確認や持ち込む荷物の選択をやり直す必要がある。
明日からの予定を考えながら、ケンとアリサは並んで家路に就いた。




