第44話 年末年始
迷宮から戻った翌日に魔術大学院を訪れてはみたものの、生憎とジョーセフは不在だった。
いつものように絡んでくるアイリスを適当にやり過ごし、そこに現れたケイト女史にジョーセフの行方について尋ねてみる。
すると、年末年始にかけては国が主催する様々な行事に魔術師ギルド代表として出席する義務があり、すでに首都に向けて出発したという返答だった。やはり半国家機関である魔術師ギルドともなれば、権力に付随して様々な義務が付いて回るものらしい。
マッケイブに帰ってくるのは早くとも年が明けてから3,4日後だろうと言われたので、ジョーセフが戻ってきた時にケンが面会を希望していたという事だけ知らせて貰うように手配する。
ケイト女史が秘密を守れないと思っている訳ではないが、アリサの事を知らせずにいても問題ない相手ならば秘密のままにしておいた方が無難だろう。
アリサの正体についての調査を進めたいのは山々だが、肝心要の人物が不在では調べ物が進みそうにはない。
中途半端な状態で止まっているブローチの解析をバロウズに進めてもらうという選択もあるが、それをするためにはこの魔道具に備えられている紛失防止の機能が邪魔になってくる。
アリサから聞いていた「一定以上の距離が離れた場合は自動的に手元に戻ってくる」の言葉通り、ケンとブローチの距離が50メートルないし100メートル程度離れると、いつの間にかポケットの中に入っていたり、服の左胸の辺りに付いていたり、足元に転がり落ちてきたりするようだ。
手元に戻ってくる距離や方法に若干の振れ幅があるが、違いがある理由は今のところ分からない。条件を揃えた厳密な検証をしたわけではないし、単にケンが戻ってきているのに見逃していただけという可能性もある。
何にせよ、魔道具店【バロウズ】から最長でも100メートル以上離れられないのでは、バロウズに解析を頼んでいる間は経過を黙って見守る以外にほとんど何もできなくなってしまう。
年末年始は細々とした用事も多いし、何が何でも今すぐにブローチの持つ効果を解析しないといけない訳でもないので、アリサの正体についての調査は一時中断としておくことにする。
魔術大学院を訪ねた帰りの足で商業地区を冷やかしに行くと、年末の押し迫った街中は普段よりも何割増しかの喧騒に包まれていた。
この町では、前の世界の時のように新年になった最初の日から営業を開始するような一般商店は皆無と言って良いので、年を越すための食料品や道具類を買いに来た絶好のお客様を少しでも多く引き寄せようと、商人たちの呼び込みにも余念がない。
迷宮上層の、さらに序盤にしか入れない駆け出し探索者が泊まるような安宿では食事が付かないか、付いてきたとしても生ごみよりは多少ましといった程度のお粗末極まりない代物なので、大抵の探索者は日々の食事を食堂や酒場といった飲食店に頼っている。
飲食店が揃って休んでしまう数日間を何も食べずに過ごすわけにもいかないので、毎年この時期になると探索者たちが一斉に保存の効く食料や酒などを買いまわる光景を目にすることになる。
需要が多くなるからというのも無関係ではないだろうが、毎年この時期になると人の足元を見た食料品の値上げが一斉に行われる。それでも飛ぶように売れるのだから、商人どもも笑いが止まらないだろう。
この町に住居を持っている一般人なら、年末の値上がり前に必要な分だけの買い溜めもできるだろうが、宿屋暮らしの探索者の場合はそれもままならない。
去年までのケンであれば、他に合わせて値上げするのではなくせめて普段と同じ価格で売れば客が他よりも多く呼べるだろうし、そういった良心的な店と知れ渡ることで商売に良い影響があるのに何故そうしないのだろうか、と不思議に思っていたところだ。
しかし、マッケイブに存在する大商会が談合して価格を調整しているのだと明確に知っている今では、さもありなんという感想を抱いただけだ。
これから先、リサ・ウェッバー率いるウェッバー商会がこの町に進出してくれば、少しは状況が改善されるだろうか。
良い方に変わるか悪い方に変わるかはともかくとして変化が起きることは間違いないだろうが、できれば消費者にとっていい方向に変わって欲しいものだと思う。
普段の食事を【花の妖精亭】に依存しているケンの場合、慌てて食料を買い込んで商人を儲けさせてやる必要もないので、買い物客でごった返す食品店通りは迂回して進んだ。
彼の目的地は、この時期にだけ行われる在庫処分の安売り露店が立ち並ぶ広場である。
普段は別の場所で店を構えている商人が一年の総決算ということで不良在庫の処分をしに来ていたり、借金の返済期限が年末までなので家財を売り払ってでも金を作らなくてはいけない、などという止むに止まれぬ事情を抱えた者も含まれていたりする。
ごくごく稀にではあるがとんでもない掘り出し物が見つかったりもするので、時間があれば見に来るようにしている。ケンと似たような事を考える人間は多いようで、広場の中は食品店通りよりも更に人が多い。
大抵は何の収穫も得られずに帰ることになるが、普段は見られないような珍品奇品が並んでいることも多いので暇つぶしの手段としてはなかなか有意義なのではないか思う。
広場を一通り見て回ったが、残念ながらケンの食指が動くような物は全く見つからなかった。
諦めてもう帰ろうかと思った時、この時期ならではの商品が売られている店を見つけたので、何とはなしにそちらに足を向けてみる。
その店で扱っている商品は、新年に向けた各種縁起物だった。つまりは、新たな一年が幸運に満ちた物になるように願うための置物や、厄を退けるためのお守りなどである。
これは秩序神や幸運神のような宗教色に満ちたものではなく、民間信仰と言うか単なるおまじないのようなものだ。
ここいらの地方ではこういった縁起物を親しい相手に贈る習慣もあるのだが、これまでのケンは一度もそういう事をしたことがなかった。
親しいと言えるような付き合いをしている相手がそもそも【花の妖精亭】のエイダとベティ、それに【バロウズ】の店主ぐらいしかおらず、エイダもバロウズもそういった行事に無頓着だったし、まだ子供であるベティは置物なんかよりも飴玉の方がよっぽど喜んだからだ。
単なる顔見知り程度に範囲を広げて考えても、ほぼ全員が探索者という自分の力だけを頼みにするような属性の人物ばかりなので、ケンが贈られる側になったこともない。
しかし、今年の後半になってからは探索者以外の知り合いが色々と増えた。
アルバートとそのパーティメンバーを始めとして、秩序神教会の戦士長であるエセルバートを筆頭としたフランクリンやその他の秩序神教会関係者。
迷宮中層で昆虫を採ってきた事を切っ掛けとして知り合った昆虫研究家のダニエルと家政婦のジェマや、ダニエルからの紹介で知り合う事ができた鉱物収集家のハウトンや、迷宮研究家のアーヴィング。
そして魔術師ギルド長のジョーセフを筆頭とする魔術師ギルドの面々。一応は"鼠"の頭領を含む盗賊ギルド【黒犬】の構成員たちも知り合いの枠に含めておく。
ケン本人の変化と言えば、弩を扱えるようになったというのを含めて多少装備が充実したことと、ごく最近になって魔術の修行を始めたくらいなのに、よくもまあ頼りになる知り合いばかりが増えたものである。
これらの人々のうち、最低でもアリサを預かってもらっているダニエル邸には、これから先もお世話になることに対するお礼とアリサの様子見も兼ねて新年の挨拶に出向くべきだろう。
名実ともにケンの師匠となったジョーセフや、これからも関係を保っておきたいケイト女史に対しても挨拶をしておいた方が良いだろうが、これは次に魔術大学院を訪れた時で十分だろう。
エイダ、ベティ、バロウズの3人にも来年は縁起物を贈ってみようと思い、予備も含めて適当に10個程度を選んで購入する。それほど高価な物でも邪魔になる物でもないのだし、贈って悪いことはあるまい。
それから数日が経ち、特筆するような事件もなく無事に新年を迎えた。
その間ケンがしていた事と言えば魔術の修行くらいのものだ。
<光>の短杖を使用して魔術を発動させた時の感覚を頼りに、何とか自力で魔力を操ろうとしているのだが、残念ながら未だに一度も成功してはいない。
ムキになって何度も魔道具を使用したせいで、一度だけ魔力が完全に枯渇する寸前まで減らしてしまったこともあった。
魔力切れ特有の、この世の全ての不幸が自分だけに襲いかかって来ているのだと無根拠に思い込めるくらいまで悲観的になった上、激しい頭痛と吐き気に悩まされるような体験はできれば二度と味わいたくはない。
以前、迷宮探索者として活動している魔術師が「余程の事がなければ半分は魔力を残しておくのが当然」だと話しているのを聞いたことがあったが、一度あれを味わったならそれも当然の用心だろうと思えてくる。
何もそうやってずっと部屋の中に篭もりきりだった訳ではない。
今年の【花の妖精亭】では年末年始の宿泊予定客がケン以外にいなかったので、珍しく完全な休日となっていたベティを連れて街中を散策したりもしていた。
この世界でも新年の最初の日は「新たな年が誕生する日」として祭日とされているので、それに合わせて様々な催し事が行われ、人が集まる場所に商機ありとばかりに様々な出店があったりもするので、暇を潰す場所には困らない。
ベティに連れられて普段は行かない場所に行ってみると色々と発見できる事もあった。
この町で暮らし始めてから約5年半が経過しているが、そのうちの半分以上を穴蔵の中で過ごしているせいでまだまだ世間知らずであると思い知る。
そして、2日に1回はアリサの様子を見るためにダニエル邸を訪れてもいた。
「あ! いらっしゃいませ、旦那様!」
ある日に訪れた時は、ちょうどアリサとジェマが庭の掃除をしている最中だった。ケンが近付いて来るのを目敏く発見したアリサが、箒を持ったまま溌剌とした声で挨拶をしてくる。
「いらっしゃい、ケンイチロウちゃん。生憎と今は坊っちゃんがいないのですけれど、ゆっくりしていってちょうだいね」
「いえ、今日はアリサの様子を見に来ただけですから。どうでしょう、アリサはきちんとやっていますか?」
「ええ、それはもう。アリサちゃんのお陰で、普段は手が行き届かないところまでお掃除できるから大助かりしてるのよ。やっぱり若い娘っていいわねぇ……動きもキビキビしているし、物覚えもいいし、将来は良いメイド頭になれるわよ」
「はい、昨日はお洗濯のコツをジェマさんに教えていただきました。まだまだ未熟ではありますが、きっと旦那様のお屋敷を取り仕切ることができる立派なメイドになってみせます!」
最初に預ける時にメイドとしての修行だとか何だとか言いくるめたせいなのか、アリサの中では今の状況について「近い将来に旦那様がお屋敷を構えた時に、メイド頭として恥ずかしくないだけの能力を身につけるための修行に出された」という認識になっていた。
当然、ケンが屋敷を建てる予定なんてものは無い。
誤解を解くのも難しいし、別に誰かに迷惑をかけるような事でもないので誤解したままにさせておいた。何にせよ、前向きなのは悪いことではない。
そうやって年始の数日間を過ごし、当初の予定よりも少々遅れてマッケイブへと戻ってきたジョーセフと面会できる日がやって来た。
「新年、明けましておめでとうございます」
「ふんっ、全く目出度くない年明けじゃったわ!」
大事件が一つ起こっていたがそれ以外はのんびりと過ごしていたケンとは違い、ジョーセフが過ごした王都での数日間は随分と不満の溜まるものだったようだ。
ジョーセフからぶちまけられるあまり外に漏らしてはいけない相手に対する愚痴を、ケンがいつもの通り聞き流す。
顔も知らない貴族の性格や歩き方がどうだなんて事を言われても返答のしようがないし、バカだのアホだのマヌケだの子供のような罵倒をされても反応に困ってしまう。
ジョーセフがある程度落ち着くまで待ってから、迷宮の中で拾った謎のメイド少女についての相談を始めた。
アリサの事について話をするのはダニエルとバロウズに対してしたのに続いてもう3回目になるし、たっぷりとあった暇な時間で話すべき事を整理しておいたので、説明は要領よく短時間で済ませることができたのではないだろうか。
ケンが説明を始めた時にはまだ愚痴を言い足りないという表情を浮かべていたジョーセフだったが、話が進むにつれてだんだんと研究家としての好奇心が刺激されていったようで、今は新たな研究対象を得られる予感に目を爛々と輝かせている。
「なかなかに興味深い話じゃのう……とりあえず、その"契約"だか<指令>だかの魔道具を見せてみよ」
「こちらです」
ケンが差し出したブローチを自分の目でじっくりと観察した後、ジョーセフが目を閉じて精神を集中させ始めた。
魔術に精通していないケンには具体的に何をしているのかは分からないが、おそらく分析系の魔術でも行使しているのだろう。
口の中で何かをぶつぶつと呟きながらたっぷり30分ほども観察した後でやっと目を開き、納得したように頷いた。
「うむ、こんな短い時間ではいまいち分からんが……これが旧帝国時代の物だとかいうジョンの見立ては、そこそこいい線いっとるじゃろな」
「やはりそうなのですか」
「これまでにも幾つか旧帝国時代の遺産だという触れ込みの魔道具を見た事があるが、それらと共通する何かが感じられなくもない。あの時代ならば、所有権登録やら転移機能付きの魔道具がごろごろしとっても不思議はないじゃろ」
かなり貴重な魔道具を拾ったようだが、手放しで喜べるかというとそうでもないという所が悩ましい。
「こうなると、迷宮の中で拾ってきたという娘についても直接見ておきたいところじゃな」
「はい、それについても願いしたいところですが、ここに連れてくるといらぬ注目を集めてしまいそうでしたので……」
アイリスという例外を除けば、魔術師ギルド員に直接何かをされた経験も無いので普段はあまり意識していないのだが、ケンは魔術師ギルド長であるジョーセフの直弟子という、魔術師ギルドに関係する全ての人間にとっては無視することができない立場にある人間である。
そんな奴がメイド服を着けた少女を伴ってギルド長に面会に来たとなれば、その少女の正体について噂にならないはずがない。
「それもそうじゃのう……ダニエルの小僧の所に預けとるのじゃったか? そのうち時間を作って見に行ってみることにするか」
「はい。いつ訪問するかを教えていただければ、ダニエル様の方には私からお伝えしておきましょう」
「うむ」
「それとな、その娘っ子が迷宮の中で感知したという場所も気になるので調べておきたい。迷宮の中に旧帝国時代の施設があるなんて伝説は散々聞いたが、今まで具体的な話は1つも出てきたことが無かったからのう。今は何の確証もないが、見逃しておくのはあまりに惜しすぎる」
「かなり遠くだと言っていましたので辿り着けるかどうか。仮に魔法帝国時代の施設があるとすると、私だけでは満足に調査できないのではないかと」
「うーむ……その辺りについては後で何か考えるわい。調査に役立つ魔道具にはいくつか心当たりがない訳でもないからの」
「では、やるだけはやってみましょう」
迷宮中層以降では定期的に構造が変わるので、運が良ければそのうち<転移>門からすぐ近くの場所にアリサが感知した"何か"が移動してくる可能性もある。
調査のためにアリサを迷宮の中に連れて行く必要があるだろうが、それについては何か考えるしか無い。
その後、昼までの短い時間ではあったが魔術の指導を受け、それからまたどこかの会合へ向かうジョーセフを見送った。
とりあえず、これからダニエル邸に向かって今後の予定について話をしなければならないだろう。




