第43話 調査開始
週末は風邪で寝込んでしまったせいで少し間が空いてしまいました。
皆様も体調にはお気を付けください。
文字通りに「迷宮を中心として」発展を遂げたマッケイブの町には、迷宮を出発点として概ね東西南北の四方向に伸びる大通りが整備されている。
そのうちの東側に伸びる大通りから道を一本奥に入った場所に、ケンが懇意にしている魔道具店【バロウズ】は店を構えていた。
今は冬で、陽が落ちるのが早い関係から既に周囲は薄暗くなっているが、まだ夕の鐘が鳴る前という夜と呼ぶにはいささか早い時刻であるので、まだ【バロウズ】は営業時間中のはずである。
「爺さん、今は大丈夫か?」
「なんじゃい藪から棒に」
扉を開けて店内に入ると、それほど広くない店内では店主のジョン・バロウズが紅茶を飲みながらゆったりと寛いでいた。
相変わらず店内に客の姿はない。
ケンが【バロウズ】を初めて訪れてから約4年が経過し、これまでに軽く百回以上はこの店を訪れているはずなのに、店内に客がいる光景を見たのは数回だけしかない。
ただし、こういった魔道具を扱う専門店を訪れる客が少ないのは仕方がない面もある。
魔道具という物は一般的な生活には必須ではないし、基本的に高価な品ばかりである。庶民によく使われている<持続光>や<加熱>の魔道具のような比較的安価な物については、少し大きめな雑貨屋でも売られていたりするのでわざわざ専門店まで足を運ぶ必要がない。
魔道具の修理は雑貨屋では無理なので専門店まで足を運ぶ必要があるが、単純な構造をしている魔道具は普通の使い方をしていればそう簡単に壊れたりはしない。
必然的に富裕層相手の商売という事になるが、権力者や金持ちといった人間は自分が出向くのではなく他人を呼びつけたがるものだ。
自分から動かないのは何も偉ぶりたいからという理由ではなく、外出時の警備という手間や訪問される側の受け入れ準備を省くためという真っ当な理由がある。権力者は権力者で不自由なものらしい。
そして、そういった時に呼びつけられるのは普段から付き合いがある大商会の人間であって、零細の個人商店である【バロウズ】には全く縁がない。
世界四大迷宮の一つを擁するマッケイブでは、迷宮探索者という様々な魔道具を必要とする権力者ではない富裕層が存在するが、それも頭数はそう多くない。
バロウズが店を構えているのも、実は魔道具創作者を引退した後の半ば趣味的なものだったらしい。
今はケンが切っ掛けで現役復帰しているが、そういう訳で研究時間には不自由していないようだ。
「お前さんがその格好でここに来るのも、なかなか久しぶりのような気がするのう。また何ぞおかしな物でも拾ったか?」
「さすが爺さんだな。話が早くて助かる」
ケンが【バロウズ】をよく訪れているのは、店主に対して迷宮探索に役立ちそうな新たな魔道具の開発を依頼しているからであるが、そういった時は今のように迷宮探索用の防具を付けていないし、訪れるのはもっと早い時間である。
以前に防具を付けたまま店を訪れたのは、約半年前に迷宮の中で見つけた宝箱の中から<水作成>の魔道具を入手した直後のことだったから、店主は恐らくその時のことでも思い出したのだろう。
ケンは背嚢を床に下ろしてから、店主のすぐ前にいつも置かれている来客用の椅子に腰掛けた。
背嚢の表面にあるポケットから迷宮の中で拾ったブローチを取り出し、店主の老人の目の前にあるテーブルに置く。
ケンがこのブローチに直接触れても危険が無いことはもう解っているし、アリサの発言によれば失くしても自動的に手元に戻ってくるらしいので、いつの間にかあまり厳重な取り扱いをしなくなっていた。
「これなんだが……」
「装飾品型というのはあんまり見かけん様式じゃの」
ブローチは直径3,4センチメートルほどの金色の環の中心に、正八面体にカットされた透明な石があるだけのごく簡素な構造である。環の部分をよく見れば、内側にも外側にも何やら複雑な模様が余すところなくびっしりと彫り込まれている。
最初にこのブローチを見た時には、金製のリングの中心に金剛石が填め込まれているのかと思って浮かれていたが、明るい場所で落ち着いて見てみるとどうも違っているようにも見える。
素材が金とダイヤモンドでも真鍮と水晶だったとしてもどうせ換金することができないので、今となってはどちらでも良いことだが。
「これについてはある程度『こういう物じゃないか』って思っている事はあるんだが、間違ったことを言って爺さんの判断を乱すのも嫌だから、まずは見てくれないか」
「ほほう、ワシを試すつもりか? まあええじゃろ。やってやるわい」
店主はブローチを<持続光>で照らしながらためつすがめつして見た後、抽斗の中から拡大鏡を取り出して環の表面を細かく観察し始めた。
しばらくして、店主がブローチから目を離さないままに呟く。
「ああ、こりゃ確かに魔道具じゃのう。ワシはてっきり、お前さんがただの飾りだったのを勘違いしたのかと思ったが」
「そうだったら面倒が無くて良かったんだけどなあ……」
「まーた面倒な事に巻き込まれとるのか。しっかし、こいつは年寄りの目に優しくない造りをしとるな。ここまで小さく作られとると何が書かれているかを見るだけでも一苦労じゃわい」
普段は持ち込んだ魔道具の効果をいとも簡単に看破してしまう店主なのに、何故だか今回はかなりの時間をかけていると思ったら、どうも視力的な問題だったらしい。
ケンが見てもただの不規則な模様にしか見えないので、見えづらいのは歳のせいだけでもなさそうだが。
「こりゃいかん。久方ぶりなもんでさっぱり思い出せなくなっとるわ」
そのまましばらくは眉間に皺を寄せながらもブローチの鑑定を続けていたが、誰に言うとも無くそうぼやいて立ち上がると、店の奥に引っ込んでいく。
少し経って戻ってきた店主は、その手に分厚い一冊の本を持っていた。随分と年季が入った本のようで、かつて表紙に書かれていたであろう書名は完全に擦り切れてしまっている。
「その本は?」
「昔使っておった魔法陣の辞書と言うか解説書じゃよ。魔法陣なんぞ何十年も前に理屈をちょろっと学んだだけじゃから、どの図形がどんな意味を持っとるかなんて細かい事はもう碌に覚えておらん」
「へえ。そのブローチに彫り込まれてた模様は魔法陣だったのか。名前だけは知ってたが、初めて見た気がするな」
「今となっては魔道具の作成には使われなくなったからのう。魔術師でも無いなら知っとる方が珍しいかもしれんわ」
ケンが魔法陣の存在を知っていたと言っても、それは本当に名前を聞いたことがあるというだけだ。
以前、魔術をどうにかして自力で習得できないかと情報を集めていた時に、魔術を強化するために魔法陣が使われたり、複数人で1つの魔術を行使する場合に魔法陣が必須となるいう記述を見かけただけで、魔法陣がどういったものかについては一切情報がなかった。
前の世界で見た魔法が登場する創作物では必ずと言って良いほど魔法陣が登場していたので、ある程度こういったものだという想像くらいはできるが、この世界における魔法陣と一致している保証はない。
店主に魔法陣について尋ねてみたい気持ちはあったが、調べ物に集中している最中だったので今は控えておく。
店主のバロウズは、魔法陣の解説書と首っ引きでブローチに彫り込まれている効果の解析を続けていた。
途中で夕の鐘が結構な音量で店の中に響いてきたが、店主は全く気付いた様子もないままにああでもないこうでもないとぶつぶつ呟きながら没頭し続けている。
ケンが勝手に店の奥に置かれている道具を使って湯を沸かし、自分の分のついでに店主に紅茶を淹れても、一度も手を就けられないまま冷めてしまった。
寒冷地にあるマッケイブでは昼間もそう暖かいとは言えないが、陽が落ちてからはさらに気温が下がる。
ケンが暖房用の魔道具を動かそうとしたところ、動力源の魔石が消費し尽くされて空っぽになっている事に気付いた。背嚢の中から取り出した自前の魔石を魔道具に付けて起動すると、たちまちのうちに暖かい空気が吐き出され始める。
この世界では暖房器具と言えば一般的に薪や石炭ストーブだが、ごく一部ではこうした暖房用の魔道具も使用されている。
燃料が魔石なので燃料費そのものは高くなってしまうが、普通のストーブと違って薪割りの手間や運搬の労力は必要ないし、換気を気にする必要がないので置く場所を選ばないという便利さがある。火を使わないから煤が出ないので家の中は汚れないし、火事の心配もない。
そのあたりを含めて考えてみると運用コストとしてはそこまで差がないのではないかと思うが、魔道具自体の価格が高価すぎて広く普及するのは難しいだろう。何しろ、この魔道具2つ分の金額で一般的な大きさの家が建てられてしまうくらいだ。
優に一時間以上も経過した頃にやっと自分の世界から帰ってきた店主は、とっくの昔に氷のように冷め切っていた紅茶を一息で飲み干し、冷たさと苦味に顔を顰めた。
ケンが空になったカップに注いだ暖かい紅茶で冷えてしまった手と体を温め、やっと人心地ついたようだ。
「このブローチには、恐らくじゃが<使役>か<指令>あたりの効果があるように思えるのう。これ以上の詳しい事はもっと時間をかけて調べてみないと何とも言えんが、他にも色々と効果があるのには間違いない」
「<使役>も<指令>も初めて聞いた気がする魔術だな。名称からどういった魔術なのかある程度想像はできるんだが」
「<使役>ってのは主に家畜相手に使われるもんでな、相手に漠然としたものではあるが意思を伝えられるものじゃよ。馬用の<使役>の手綱あたりは場所によってはそれなりに出回っとるはずじゃ」
アリサの場合は人間並みかそれ以上の知性を持っているので、<使役>の魔術ではなさそうである。
<使役>は家畜の調教などに便利そうではあるが、あまり迷宮探索の役に立ちそうにはない。迷宮中層に居る動物型のモンスターにも効果があるなら話は変わってくるが、あまり期待はできないだろう。
「じゃあ<指令>の方はどうなんだ? 何となく物騒な感じを受けるけど」
「いやいや、別に危ない事なんかなーんもないぞい。<指令>の魔術ってのは魔術人形のような意識を持たない存在に対して、どう動くかを指示するための魔術じゃからのう」
アリサの正体は人造生物であるというケンの推測が正しいとした場合、魔術の種類としては<指令>の方が近いように思えるが、アリサの場合ははっきりとした意識を持っている存在だ。
「つまり、どちらも人間には効果が無い?」
「効果が無いわけではなかろうが、あんまり意味はないのう。<使役>も<指令>も意思を伝えるだけで行動の強制はできんからな。ゴーレムの場合は創造者や使用者に対して服従するように作られるもんじゃから、実質的には強制と変わらんが」
「そう聞くと<使役>も<指令>もほとんど同じもののように思えるんだが、どう違うんだ?」
「動物相手に細かいことをごちゃごちゃ言っても仕方ないんでな、<使役>の方は単純化した思考を伝えるようになっとる。ゴーレムの場合は意識は持っていなくとも、知能は人間並みにあるからな。<指令>の場合はそれなりに複雑な内容でも伝えられるなっとる訳じゃ」
その他にも疑問に思った点について幾つか質問してみたが、どうもしっくり来なかった。
店主が言う<使役>も<指令>のどちらも、アリサの言う「契約」によって引き起こされた現象とは近いようで遠く思える。
ケンを主人として登録した部分については<指令>の魔術そのものであるように思えるが、契約の破棄方法について尋ねた時に知らないと嘘を吐いた事からも解るように、アリサは普通のゴーレムのように絶対服従というわけではない。
絶対服従どころか、主人とメイドという立ち位置を崩すような指示には公然と反対してくる。理屈を付けて説明した上で命令すれば従うが、その程度なら特に魔術を使わなくても実現できる事だ。
暗闇で手を繋いだ時、ケンとアリサの間で無言のままに意思の疎通ができていた事については<使役>の魔術と同じように思えるが、<使役>の場合は人間側から動物側に対しての一方通行のようだ。
アリサが特別製で、だからこのブローチにかけられた魔術も特別製なのだ、とでも考えるしか無いが、それでは何も考えてないのと同じことである。
「ところで、ワシがそのブローチを見る前にお前さんの方でも『予想が付いている』とか何だとか言っとったが……その表情を見ると予想とは違っておったようじゃのう。まだ解析できてない部分の方が多いんじゃから、間違っていても不思議はないが」
「爺さんの鑑定結果が間違いだって思ってるわけじゃないんだが、どうも腑に落ちない部分が多くてな」
「ふむ? その口ぶりじゃともうそのブローチの効果についてある程度知っとるようじゃが、どういうもんだったんじゃ? そもそも、そんな珍妙な物をどこから手に入れて来た」
「使ってみたと言うか、使ってしまったと言うか……」
それから、店主に対してアリサとの出会いからこれまでに起きたことを説明した。ダニエル相手に説明をしたのに続いて本日2回目である。
前回と違うのは、アリサの正体についての予想やブローチの効果についての予想、アリサと手を繋いだ時に意思の疎通ができた点などについても話したことだ。
ダニエルの時はアリサを預かって貰うために最低限の事情を知ってもらえれば十分だったので、半ば意図的にアリサの正体に繋がるような情報は話さずに済ませていた。
「お前さんの話を聞いて、むしろワシは幾つか納得できた事がある」
「と、言うと?」
「そのブローチはまず間違いなく、魔法帝国時代に作られたのもんじゃろう」
「魔法帝国時代……」
魔法帝国とは、今から500年以上も前に存在したとされている国である。
現代よりも格段に高い魔法技術が存在していたとされており、その力を以って大陸全土の覇権を握り、そこに住む全ての人種を支配下に置いたとされている。
その高度な魔法技術の大半は帝国の崩壊と共に喪われてしまったが、今も魔術師ギルドが一部の知識を受け継ぎ、次代への継承を行っている。
「さっきも少しだけ言ったかもしれんが、現在は魔道具の作成には魔法陣を使っておらん。いや、使っていないのではなく使えないと言った方が正確じゃな」
「使えない……それはどうして?」
魔法陣の解説書なんてものが目の前に実在し、それを個人が所有しているくらいなのだから、知識が途絶えてしまったせいだとは考えにくい。
仮に解説書なんて物がこの世に存在しなかったとしても、その気になれば魔法陣を使って造られた魔道具などから技術を復元するのも不可能ではないだろう。
「なあに、単純な話じゃよ。扱いが難しすぎてまともに扱える奴がおらんようになっただけじゃ」
「難しい? どういう魔法陣を描けばどうなるかって事が解っているなら、その通りに作れば良いだけじゃないのか?」
「魔法陣ってもんはのう、線が交差する角度が数度違うだけで丸っきり違う効果になってしまったり、描いた円の半径が少し違うだけで10の効果を出すつもりが100の効果になってしまったりするものなんじゃよ。……これは少々極端な例じゃがな」
「それは……なかなか難儀だな」
店主が語るには、現在の魔道具作成の主流となっている魔術文字と比べ、危険であるというのもあまり使われなくなった理由だということだった。
魔法陣で魔道具を制作した場合、製作者の意図とは違った構造になっていても、違うなら違うなりの効果を発揮する魔道具が出来上がってしまう。
例えば"周囲の気温を20度にする"という魔道具を作ろうとした時に、誤って"周囲の気温を200度にする"という効果にしてしまった場合に何が起こるだろうか。気温の上昇速度によっては致命的な結果にはならないだろうが、一歩間違えれば惨事が起きるだろう。
しかし、魔術文字で魔道具を制作した場合、その魔術を構成する文法に誤りがあれば何の効果も発揮しない魔道具が出来上がる。つまりは、失敗することそのものに危険は伴わない。
使用する前に間違えていないかを念入りに確認しておけというのは正論だが、微妙な図形の違いで効果が変わってしまうようでは絶対に間違えないというのは不可能に近い。
「こんな細くて複雑な魔法陣は人の手では彫れんじゃろうしなあ。魔法帝国時代には『魔道具を作るための魔道具』なんてもんもあったらしいから、それで作られたんじゃろう」
ブローチの環に彫り込まれた魔法陣は、線の一本一本が人間の髪よりも細い。
1本や2本であれば手動でもできないことは無いだろうが、それが何百本もあり、しかも正しい方向と長さに掘られているとなれば人間業ではない。
「それに……帝国時代なら人工生命体や、人間と全く見分けがつかないゴーレムなんてものがあってもおかしくないじゃろ。そんなもんが迷宮の中に居た理由については分からんがな」
仮にアリサが魔法帝国時代に作られたのだとすれば、あの洞窟の中に逃げ込んでから500年以上が経過していたという可能性がある。
それだけの時間が経っているとすれば、アリサの身体にあれだけ土が堆積していた事にも納得がいく。洞窟の中にあった人骨があれだけ脆くなっていてもおかしくはないし、むしろ原型を保てていたのが不思議なくらいである。
魔道具が何百年もの間劣化しなかったことについては、それは魔道具だからとしか言い様がない。
魔法そのものの原理を解析することについては、ケンはとうの昔に諦めている。
ブローチの正体について、調査の切っ掛けぐらいでも得られれば良いかと思っていたが、思わぬ大収穫となった。
「ありがとな、爺さん。色々と参考になったよ。また協力してもらうと思うから、礼は改めて」
「ワシも面白いもんが見られたからそこそこ満足じゃわ。そのうちジョーセフのところにも行くんじゃろ? それで何か分かったことがあったらワシにも知らせてくれりゃそれでええ」
「その程度で良いなら幾らでも教えに来るさ。じゃあ、今日はこれで帰らせてもらうよ」
「ああ。お前さんなら大丈夫だろうが、気を付けて帰るんじゃぞ」
【バロウズ】の店内から出て雪が積もる夜道を歩く。店内が暖かかっだけに余計に寒さが身に沁みる。
今後の予定を考えながら、ケンは【花の妖精亭】に向かって1人で歩いて行った。




