第42話 寝床の確保
<転移>門を通過する時に感じる独特の感覚は、何回味わっても全く慣れることができない。
転移の開始から終了までに体感時間で数秒程度かかるのだが、その間はずっと内臓を直接握られるような感覚と三半規管を直接揺さぶられるような感覚がずっと続く。
船酔いとも二日酔いとも違う不快感だが、転移が完了した時点で後を引かずに綺麗さっぱり消えてなくなるというのも、味わっている最中の不快感を尚更強いものにしている。
岩と同じ模様に変化させている<色彩変化>布に包まれたアリサが、転移の際にどんな感覚を味わっているかは分からないが、今はケンの言いつけを守って微動だにしていない。
「お帰りなさいませ。失礼ですが、登録証はお持ちでしょうか?」
地上側の<転移>門がある部屋では、部屋の中で待機していた初老の管理担当官がこちらに近寄りつつ、定型文の挨拶をしてきた。少し離れた場所にはそれぞれに武器を持った警備員の姿も見える。
名前は知らないが何度か顔を合わせたことがあるその担当官は、ケンが担ぐ岩の塊に対しては最初に一瞥をくれただけで、後は特に興味なさげだった。
「ここに」
「では、拝見致します」
抜かりなく手元に準備しておいた金属製の<転移>門利用許可登録証を担当官に渡す。
彼は登録証が本物であることをまず確認した後、登録証の記載内容とケンの顔を見比べた。すぐに登録証は返却され、部屋からの退出許可が下りる。
今回の担当官はかなりのベテランらしいので、いちいち探索者の情報が記載された書類と突き合わせたりすることもなくすぐに確認が終わったが、経験の浅い担当官に当たった場合はしばらく待たされる時もある。
<転移>門がある部屋を出た後、警備員が両脇を固めている扉を抜けた先には受付窓口がある。まだ迷宮から帰ってくるには早い時間なので、窓口の中で暇そうにしている受付嬢の他に人影は見当たらなかった。
現在の窓口担当はケンとよく顔を合わせるフローラだった。彼女は相変わらず、長い栗色の髪を一本の三つ編みにして纏めている。
「あ、お帰りなさいケンイチロウさん」
「ただいま帰りました」
「今回は随分と早く戻っていらしたんですね。随分と大きな……石? ですけど、それのせいですか?」
「ええ、そんなところです」
彼女の口調は特に不審そうではなかったが、人間ひとり分の大きさの岩らしき物を担いでいれば嫌でも目が行ってしまうだろう。
正直に言って失敗ではなかったかと思ったが、他に良い考えも無かったし今更どうにもならない。
フローラからは死角になる位置に岩の塊と背嚢をそっと下ろし、背嚢の中から魔石をまとめて入れてある布袋を取り出した。
今回の探索では1匹もモンスターを倒していないので新たな魔石は獲得していないが、<暗視>ゴーグルを始めとした魔道具の燃料にするために持ち込んでいた魔石があるので、それを袋ごとフローラに渡す。
「全部持ち込みした分だけど、念のため」
「はい、お預かりします」
何故こんな面倒な事をしているのかと言うと、それは「探索中に獲得した魔石のうち半数以上は迷宮管理局に売却しなくてはならない」という法律が存在するからである。
これは、戦略物資の一種である魔石を国の管理下に置くための施策の1つだ。
迷宮の外に由来を持つ生物の場合、強い魔力を持った魔獣と呼ばれるごく一部の例外を除いて体内に魔石を持たない。魔獣は並の人間では百人が束になっても太刀打ち出来ないくらいに強大であることから、地上に存在する魔石のほぼ全てが迷宮から持ち帰られた物であると考えて間違いない。
だから、迷宮から持ち出される魔石さえ監視しておけば、完全でないにせよ魔石の流通を管理できることになる。
迷宮管理局の手に渡った魔石は特殊な塗料によって印が付けられ、外から持ち込んだ魔石を持ち帰って来たのか、迷宮の中で新たに獲得した魔石なのかを判別できるようになっている。
この塗料の詳細については迷宮管理局の秘中の秘であり、製法や原材料どころか製造場所すら余人には明かされていない。
戦時中だとまた話は変わるらしいが、平時において魔石の持ち出しについてそこまで厳しく確認されることもない。本気でそうしようと思うなら、迷宮管理局を通さずに第三者に魔石を譲り渡すのも不可能ではないだろう。
しかし、マーキングが行われていない魔石を流通させることは法で禁じられているため、真っ当な商店では決して買い取ってもらえない。
真っ当ではないところで売却するにしても、市中での小売価格以上になることは望めないだろう。不用意に故買屋などで売却しようとすれば、足元を見られて逆に損をすることまでありえる。
第三者に売却するのではなく自分で消費するのであれば、魔石にマーキングがされていようがされていまいが全く関係ないのだが、それならばわざわざ法を犯してまで持ち出す必要もない。
故意に魔石を隠して持ちだそうする行為が露見した場合、その時に所持していた魔石を全て没収の上で罰金が科されるので、大した利益は望めないのに危険ばかりが高くなっている。
探索者の大半は自分で使用する分と懇意にしている商店などに卸す分だけを確保し、残りは全て迷宮管理局に売却してしまうのが普通である。
ただし、法を破ろうとする人間がほとんどいないからと言って、迷宮管理局側が何の対策もしていない訳ではない。
魔石の買取窓口の担当者は必ず嘘を見抜くための訓練を受けているし、一般的に予測されるよりも不自然に魔石の個数が少ないと判断されれば強制的に調査が行われることもある。
ケンの場合、迷宮中層に入り始めた頃はモンスターを1匹も狩らずに帰ってくる時ばかりだったのだが、新たに獲得した魔石が1つもないというのは不自然だとして嫌疑をかけられ、身体検査や荷物検査を念入りにされたものだ。
最近では「迷宮の中でモンスターを斃さずに、昆虫やら植物やらを採集してくる奴」だという認識が管理局内にできているので、疑われることは無くなっている。
もしかしたら、フローラに対して口頭で「新たな魔石は無い」とだけ伝えてすぐに立ち去っても引き止められないのかもしれない。
だが、これまではずっと新たな魔石があろうとなかろうと手持ちの魔石を確認させていた男が、今回だけは確認させずにそそくさと立ち去ろうとするのは不自然極まりないので、いつも通りの行動をしておいた方が間違いない。
ケンが迷宮の中に持ち込んでいた魔石はたかだか数個しかないので、フローラの確認作業もすぐに終わった。
「はい、大丈夫ですね。今回の買取分はゼロ個ということで、了解しました」
「ええ、ありがとうございます」
「では、次回の予約についてはどうなさいますか?」
迷宮管理局の建物内にある地上側の<転移>門は、10分毎に1パーティのみしか使用できないという規則が設けれている。
だから、探索者同士が使う順番で揉めないように予約制度が整備されており、次回の利用日時を先着順で予約できるようになっていた。つまり、フローラは次にいつ迷宮に入るのかと尋ねていることになる。
「年が明けてから、ということだけは決めているんですがね……細かい予定が分からないので今のところ保留にしておきます。決まったら予約を取りに来ますよ」
元々、年末と年始の合わせて数日間は迷宮の中に入らずに【花の妖精亭】でゆっくりと過ごすつもりだったが、今回の探索でアリサを拾うという予定外の自体が起こってしまった。
これから起こるであろうアリサ関係の出来事が一段落つくまでは、数日間に渡る予定は立て難い。
「そうなんですか。じゃあ、次にお会いするとしたら年が明けてからですね。貴方の迎える新たな一年が幸運神様の恵みに満ちたものでありますように」
「貴女の向かう先に女神様のご加護がありますように」
幸運神【リュシェンナ】の信徒であるフローラと、年末の定番内容の挨拶を交わし合ってから迷宮管理局を辞した。
岩の塊をまた元のように肩に担いで建物の外に出る。朝になってからすぐに迷宮からの脱出を始め、道中も極めて順調に進んできたのでまだ太陽は比較的高い位置にあった。
迷宮管理局の建物の周囲は様々な目的を持った人の活動で賑わっているが、数十メートルも離れれば途端に人影が疎らになる。
誰もこちらに注目していないことを確認してから、人気の無い路地に身を滑り込ませた。
「アリサ、下ろすぞ」
<色彩変化>布を解いて、中から出てきたアリサと十数分ぶりの対面を果たす。普通の人間であれば、これだけの長時間体を硬直させたままでいるのは難しかっただろう。
「ふうっ……大丈夫です、旦那様。ちゃんと立てます」
ケンがアリサを支えていた手を離すと、彼女は布でぐるぐる巻にされている間に乱れてしまった身嗜みを整え始めた。
その間、ケンの方はお役御免となった<色彩変化>布の効果を解除して岩の模様を消した後、畳んで背嚢の中に仕舞う。これでアリサが迷宮の中から密かに連れ出されたという痕跡は無くなったはずだ。
ケンがアリサから目を離しているたった数十秒の間に、彼女はまた元通りのかっちりとした格好に戻っていた。メイドというものは誰でもこんな芸当ができるのだろうか。
上手い具合に1つの山場を乗り越えることができたが、すぐにこれからのことを考え始めなければならない。
まず決めなければならないのは、アリサをどこで生活させれば良いかについてである。
普通に考えれば、ケンが泊まっている【花の妖精亭】に連れて帰るという案が最初に出てくる。だが、色々な意味で危険な予感しかしないのでこの選択肢は絶対に選びたくない。
商業区の中で適当な宿を探し、そこにアリサだけを泊まらせるという手も考えた。しかし、不特定多数の人間が出入りする場所では何がきっかけで秘密が漏れるかわからないし、そうでなくてもケンの目の届かない場所に置いておくのは不安がある。
それに、アリサに関係する状況が落ち着くまでにどれくらいの期間がかかるかが判らないので、宿泊費という金銭的な負担も考慮しなければならない。
誰か頼れる知人がいないかと考えてみる。
まず思い浮かんだのは、アリサの正体について調査するために頼ろうと考えていた、魔術師ギルド長のジョーセフと魔道具店【バロウズ】を経営しているジョン・バロウズだった。
魔術師ギルドも魔道具店も人の出入りがあるが、宿に比べれば人数が少ないだろうし出会う相手の素性がある程度分かっている分だけ安心できる。
しかし、ジョーセフは数日前に会った時に「これからしばらくは忙しい」と言っていたので、すぐに会って頼めるかが分からない。
魔術師ギルドを訪ねる度にケンに絡んでくるアイリスをどうやって避けて通るかという問題もあるので、頼むにしてもアリサを直接連れて行くのではなく、事前に話を通しておいた方が良いだろう。
バロウズについてはああ見えて気難しいところがあるから、1日や2日だけならともかくとして、下手をすると何ヶ月間も居候させるというのは難しいかもしれない。
仮にバロウズがアリサのことを気に入ったのであれば、一人暮らしの彼の身の回りの世話をさせるために雇ったという体で自然に周囲に溶けこませられるかもしれないのだが。
秩序神教会の戦士長であるエセルバートや、盗賊ギルド【黒犬】の"鼠"の頭領に頼るという考えは初めから無かった。
彼らに「仕事」として依頼すれば女一人くらいはいくらでも匿ってくれるだろうが、対価として何を要求されるか分かったものではない。
ケンが頼み事をできなくもない相手で、人の出入りが少なくメイドがいても不自然ではない場所を持っていて、口が堅い上に無茶な要求はしてこない相手。
あまりに都合が良い条件だったが、驚くことに当てはまりそうな人物に1人だけ心当たりがあった。何故最初から思い出さなかったのか不思議なくらいである。
人気のない路地でずっと佇んでいてもしかたがないので、ひとまず彼の家に向かってみることにする。
「よし、これから友人の家を訪問するので、アリサも付いてきてくれ」
「はい、旦那様。お供させていただきます」
「これから会いに行く相手はとても気さくな人だが、俺がこれまでに色々とお世話になっている方だ。くれぐれも失礼のないようにな」
「はい。もちろんでございます、旦那様」
ケンとアリサの2人は、マッケイブの町の中で庶民の住宅が多く集まっている西側区画の最も外周の辺りに来ていた。
目の前にはファブリチウス伯爵家の三男で、昆虫研究家であるダニエル・ファブリチウス邸がある。貴族が住む邸宅としてはかなり小さいが、一般人が住む家にしてはかなり大きいと言えるくらいの屋敷だった。
貴族の家ならばメイドの1人や2人がいても全く不自然ではないし、以前聞いた話ではあまりダニエル邸を訪問する客もいないらしいので、アリサを預ける場所としてはうってつけだと思われる
アリサの身柄を誰かに預かってもらおうと考えた時、その相手にどこまで事情を明かすかについては悩みどころの1つだった。
ダニエルであればケンの同意も無しに第三者に情報を漏らすなんてことはしないだろうから、アリサと出会ってからの出来事を全て明かしてしまっても構わない。
普段接している時はあまり意識することはないが、ダニエルは貴族の嫡出子であり、この世界においては数少ない高等教育を受けている人なので、ケンが知らないような情報を知っている可能性も高い。
魔術師ギルド長のジョーセフと知り合ったのも元はといえばダニエルから紹介を受けたおかげなので、彼ならばもしかしたらアリサの正体を調査するために役立つ研究畑の人脈を持っているのではないか、という色気もある。
「御免下さい!」
ケンが家の中に向かって声を張り上げると、少ししてから屋敷の扉が開き、そこから1人の老女が顔を出した。彼女はダニエル邸で永年に渡って家政婦をしていて、名前をジェマと言う。
ダニエルは貴族らしく家事などは一切できない男なので、屋敷の中は全てジェマが切り盛りしている。
「はーい、どちら様でしょうか? ……あら、ケンイチロウちゃんなのね。いつもとはぜんぜん違う格好だからすぐに判らなかったわ」
ダニエル邸を訪れる時のケンはいつも他所行きの格好をしているが、今は迷宮の帰りなので黒尽くめの格好をしている。
ジェマにもダニエルにも一度も迷宮探索時の格好を見せたことがなかったので、ジェマがすぐにケンだと判らなくても無理はない。
「ご無沙汰しております。お約束もなく押しかけてしまい申し訳ありません」
「あら、そんな事は気にしなくても良いのよ。どうせうちの坊っちゃんは日がな一日本に齧りついてるか、虫捕りしてるかのどっちかなんだから」
「恐縮です」
ジェマは平民の出身らしいが、ダニエルが生まれた時から彼の世話をしているだけはあって、身分の差など気にせず気安く接している。三十路を過ぎた男が「坊っちゃん」扱いなのはその辺りも関係しているようだ。
「ところで、そちらの可愛らしいお嬢さんはどなたなのかしら? 大きなお屋敷にいる女中のような格好をしてらっしゃるけれど」
ケンの背後に黙って控えていたアリサを見て、ジェマが問いかけた。
「彼女はアリサと言います。私のメイド……ということらしいです」
ケンからの紹介を受けたアリサが、無言のままでジェマに対して深々とお辞儀をする。それを見たジェマが感心したように頷いた。
「随分と若いのに、きちんとした礼儀作法を身につけているなんて感心ねえ……何か訳ありみたいだけど、別に悪いことをしているわけではなさそうだから、私は聞かないでおきましょうか」
「そうして頂けると助かります」
「今日も坊っちゃんに会いに来たのでしょう? すぐに呼んで来ますから、中に入って待っていて頂戴ね」
ケンの困ったような表情を見て色々と察したらしいジェマは、何も告げずともここを訪れた目的について理解してくれているらしい。
すぐに書斎の中からジェマに呼ばれたダニエルがやって来た。何か書き物でもしていたのか、シャツの袖部分に点々とインクの染みが付いている。
「やあ、よく来たねケンイチロウ君。今日はどうしたんだい」
「突然押しかけてしまって申し訳ありません。本日はダニエル様に1つお願いしたい事がございまして……」
「うん? まあ、立ち話もなんだから、こっちで話を聞かせてもらおうかな」
ダニエルもケンの視線と表情から何か事情があることを察してくれたようだ。話が早いのはとても助かる。
ここを訪れた時はいつもそうするように、ダニエルの後に続いてケンが書斎へと向かう。当然のようにケンの後を追おうとするアリサはジェマが呼び止めた。
「アリサちゃんって言ったかしら? 貴女はこちらにいらっしゃいな。男の子同士の話みたいだから、立ち入るのは遠慮しておくのが気の利く女ってものよ」
「ですが、私は旦那様のお側に……」
「アリサ。こっちはダニエル様と話さなくちゃいけない事があるから、ジェマさんと話でもしながら待っていてくれないか。申し訳ありませんがジェマさん、しばらく彼女をお願いします」
「……はい、承知しました旦那様」
アリサの正体について調査する算段をしようとしている時に、当の本人が目の前に居るというのは話がしづらくなる。
アリサだけを他人と過ごさせるのには不安もあるが、ダニエルの屋敷に居候させてもらおうとしているのだから、多少早いか遅いかという違いでしかない。ダニエルが信頼しているジェマならば悪いようにはしないだろうと信じて良い。
アリサとジェマの2人に見送られ、ケンとダニエルが書斎に入った。いつものように紙束やインク、ケンには用途不明な薬品類があふれている雑然とした部屋である。
「いったい何があったんだい、ケンイチロウ君。さっきは頼み事があるとか言っていたけれど」
「はい。先ほどの彼女……アリサをダニエル様の屋敷でメイドとして使っていただけないかと思いまして」
勧められた椅子に腰を掛け、促されるままに話を始めた。
「君も知っての通り、うちの懐事情では使用人を増やす余裕はないんだけれどね……ところで、君にああいった知り合いがいるとは知らなかったな。やっぱり何か訳ありなのかい?」
「はい、実はですね―――」
迷宮の中でアリサと出会った場面についてダニエルに説明する。
迷宮中層の洞穴の中で発見した古い白骨死体の存在と、その白骨死体の所持品だったと思われるブローチ。そして、長い時間が経過するうちに堆積したと推測される土の下からアリサが出現した事についてだ。
アリサが言う「契約」についてと記憶喪失と言うには奇妙な知識の偏りがあることなど、基本的に起こった出来事だけを説明し、どれだけ正確か判断がつかないケン自身が推測した内容は明かさなかった。
「これがその時に拾ったブローチです。アリサはこれが"契約"を行うための物だと言っていましたが、ダニエル様はこういったものについてご存知ではありませんか?」
ダニエルがブローチを手に取って少しの間観察していたが、あっさりと白旗を上げた。
「うーん、済まないけれど僕には解らないな。僕の知り合いの中で一番こういうことに詳しいのは、やはりジョーセフ師だと思うんだけれど」
「そうでしたか。ジョーセフ師のことは、近いうちに訪ねてみようかと思います」
ひと通り事情を説明した後は、アリサとジェマが持ってきてくれた紅茶と軽食を腹に収めつつ、暫しの雑談に興じた。ここに来る度にお茶を頂いているが、今回もいつものように美味かった。
「まあ、事情は概ね理解したよ。確かに、こういった話はあまり広めない方がいいだろうね」
「はい。ですので、ダニエル様のお屋敷に置いて頂けないかと考えた次第です。ダニエル様からアリサの給金を頂くつもりはありませんし、むしろこちらから宿泊費として謝礼をお支払いしても良いくらいだと思っています。これは少々失礼な申し出かもしれませんが」
「僕の方は良いんだけど、本人は了解しているのかい」
「いえ、まだですが、恐らく大丈夫だと思います。どうでしょう、お願いできませんか?」
今までアリサを見てきた限りでは、別に今生の別れというのでも無いのだし、事情を説明すれば不承不承ながらも拒否することはないだろうと思われる。
「他ならないケンイチロウ君の頼みだからね。幸い部屋は空いてるし、ジェマだけだと手が足りないところもあったからむしろこっちからお願いしたいくらいだよ。アリサ君に屋敷の事を手伝ってもらう報酬と、食費宿泊費を相殺するってことでどうかな」
「ありがとうございます。その条件でお願いしたいと思います」
思っていた通りに受け入れてもらえたのでほっとする。これで一応の目処はついたので、今後は腰を落ち着けて調査できるだろう。
アリサについては、ケンが今は自分の屋敷を持っていないという事と「メイドとしてより高みに登るための修行」という内容で説得した。
ジェマの援護射撃もあり、最終的にはかなり前向きな様子を見せていたので特に問題は無いだろう。
ダニエル邸から出る頃にはもう随分と陽が傾き、薄暗くなっていた。
だが、冬だから薄暗くなっているだけで、まだ夕の鐘を過ぎていない時刻である。
【花の妖精亭】に帰る前にバロウズにも話しておこうと考えつつ、町の東側にある商業地区に足を向けた。




