第39話 迷宮中層:山岳地帯
年内最後になるであろう探索では、迷宮中層の山岳地帯に来ていた。
どこに行っても気温がほぼ一定である迷宮上層とは違い、中層の場合は入った地形の種類によって気温にかなり違いがある。
例えば、密林地帯ならいつ行っても気温と湿度が高いし、砂漠地帯なら昼間は摂氏40度にまで達するが夜間は氷点下まで下がる。
迷宮の中の山岳地帯は決まって気温が低い。昼間だとこのくらいの気温の方が動いてもあまり汗を掻かなくて済むので有難いが、夜になると防寒装備無しでは野外に居られないくらいに寒くなってしまう。
初夏の頃に迷宮中層に入れるようになり、それから半年が経過して今は冬になっているが、どうも迷宮外の季節と迷宮内の気温にはある程度の相関性があるように感じられる。
迷宮に潜るたびに違う場所に辿り着くので正確な比較ができないが、真夏頃に迷宮の山岳地帯に来た時は夜になっても「耐え切れないほどに寒い」と感じた記憶が無かった。
迷宮の中には雨が降らないので、どれだけ寒くなっても雪が積もったりしないことは救いである。
仮に迷宮の中に雨や雪が降るとしたら、寒暖対策だけではなく雨具などの濡れ対策の装備品も持ち込まなければならなくなるからだ。
一口に迷宮中層の山岳地帯と言っても、ケンが今までに行ったことがある場所だけでも数種類あり、それぞれに個性がある。
今回訪れた場所は、大きな木はもとより草さえもほとんど生えておらず、岩肌が露出した地形だった。
人間の背丈よりさらに大きい岩がいくつも転がっているので身を隠す場所には困らないが、身を隠さなければならないような相手をそもそも見かけない。
弩を撃っても届かないくらいの上空には、全長1メートルに達しようかという巨大な鷹型の魔物が悠々と旋回しているが、この種のモンスターがケンに襲いかかってきた事は今まで一度もない。
この鷹のモンスターは山岳地形に限らず草原などでもよく姿を見かけるが、向こうから見られていると感じたことはあっても狙われていると感じた事はないので、今回も何も起きずに終わるだろう。
常に警戒だけは怠っていないが、空中に対する遮蔽が取れない場所で襲われた時は警戒したからといってどうにかなる相手とも思えない。
急斜面などでは山羊や鹿などの比較的大型の偶蹄類も見かけることができるが、わざわざこちらから近付いて行ったり攻撃を仕掛けたりしない限り、逃げもせずこちらをじっと観察しているだけだ。
攻撃の手段が連射の効かないクロスボウしか無い上に足場も悪いので、ケン側から積極的に攻撃を仕掛けるつもりはない。
その他の動物といえば、小型犬ほどの大きさの巨大鼠ぐらいしか見かけない。
餌になる植物が少なく、一時的に立ち入る分にはともかく長期に渡って暮らすには厳しい環境であるせいか、草食動物型モンスターの数もごく少数で、それを捕食する大型の肉食動物型モンスターに至っては、これまでに一度も見かけていない。
モンスターの生態についてはまだ不明な部分が多いが、動物型のモンスターの場合は元になった動物と基本的に似通った習性を持っているようだ。
明らかに普通の動物とは違っている部分もあるので、外見は普通の動物に似ていてもやはりモンスターはモンスターだが。
モンスターを狩るわけではなく、採取するような植物や虫も殆どなく、迷宮の奥に向かって進むためには登る必要がない山の上でケンが何をしているかと言えば、それは鉱脈探しである。
以前、鉱物収集家のハウトンに会った時に、迷宮の中でも貴金属や宝石などが見つかる事があると聞いていたので、今回のように岩肌が露出したような地形を見つけたら探してみようかとは前々から考えていた。
それをハウトンに伝えてみたところ、鉱脈を探すための要領や、彼が今どのような鉱石を欲しているのか、どういった物が高額で売れるのかという有益な情報を大喜びで教えてくれた。
なんでも、迷宮内では迷宮外では自然には存在し得ないような合金の鉱石が見つかることがあるらしい。
仮定の話だが、未知の合金を含んだ鉱石が発見され、それが金属として有用な特性を持っている事が判明した場合、その成分を解析して再現することができれば人生を数回繰り返しても使い切れないくらいの大金が手に入るらしい。
この場合、大金を得るのはその合金が含まれた鉱石を見つけた人間ではなく、再現した人間の方であるが。
既知の合金だったとしても、それが鉱石の状態で存在しているというのはコレクター心をくすぐる物であるらしく、ハウトンの所まで持って行けば相応の価格で買い取ってくれると言っていた。
希少でもなんでもない金属の混合物を迷宮から持ち帰れば、それが同じ重量以上の金に変わることもあると言うのだから中々に美味しい商売だ。
しかし、迷宮の中で発見される鉱物の中で、最も価値が高いとされている物は全く別に存在する。
それは「魔力を帯びた」金属や宝石である。
金属や宝石が永い年月に渡って高い濃度の魔力に曝され続けると、それ自体が魔力を発するようになったり、元になった素材とは全く違う特性を示すようになったりするらしい。
原理的には、おそらく強力な磁場に曝された金属が磁石に変わるのと同じようなものだろう。
魔化された宝石は魔術の威力を何倍にも高め、魔化された鋼で打ち上げた剣はただ触れるだけで厚い板金鎧の胸甲を切り裂く。
そういった尋常ではない力を持つとされている品は、ほぼ例外なく国や特権階級者の宝物庫の奥深くに死蔵されているのでどこまで本当か判ったものではないが、権力者が魔化された素材をこぞって探し求めるくらいに素晴らしいものであるのは確からしい。
魔力を帯びた素材というのはそれが例え小指の爪ほどの大きさしかない水晶、拳ほどの大きさの銅塊であっても、売れば一生遊んで暮らせるくらいに高い価値を持っているとされている。
それほどまでに高い金銭的価値を持っているのだから、入手が簡単であろうはずもない。
迷宮の外では、ごく一部の特異な場所を除いて空気中の魔力濃度がゼロに等しい。
魔力濃度が高い場所の多くは、国や宗教などの支配者によって聖域として扱われているので一般人はおいそれとは立ち入れず、何かの機会に足を踏み入れることがあったとしても石ころ一つとして持ち出しは認められない。
人間に支配されていない場所であっても、魔力濃度が高い場所というのはモンスターにとって居心地が良いものらしく、間違いなく強大なモンスターの棲家になっている。
一攫千金を狙った奴らが支配者の目を盗んでお宝を持ち帰ろうと数限りなく挑みかかって行ったが、その大半は宝を手にするどころかその地に足を踏み入れることさえできずに排除される。
モンスターの支配域から持ち帰った物はともかくとして、人間に聖域扱いされている場所から持ちだした場合は余程の伝手が無ければ買い叩かれて終わるか、情報を聞きつけて取り戻しにやってきた存在に処分されて何もかもが終わる。
一方、迷宮の内部は外部と比べて空気中の魔力濃度が格段に高い。
探索者が迷宮に入る目的と言えばモンスターを斃した時に得られる魔石や戦利品か、ごくごく稀に出現する宝箱であって、あるかどうかも分からない鉱物を探すような物好きは殆どいない。
これはつまり「魔力濃度が高い」と「長期間晒され続ける」という2つの条件を満たす環境であると言える。
とは言え、これまでに魔化された素材が持ち帰られたのはより魔力濃度が高く、より立ち入る者の少ない迷宮下層や最下層といった場所からであって、中層で発見できるかどうかと言えばかなり期待薄である。
パーティを組んで迷宮に潜る普通の探索者であれば見向きもしないだろうが、積極的な戦闘をして魔石を稼ぐことが難しい単独探索者のケンにとってはそこまで悪い稼ぎ方でもないだろう。
何と言っても、一般的な価値ではゴミのような価値しか無い鉱物でも、もしかしたら大金に変えてくれるかもしれないハウトンというコネがあるのだ。
露出した岩肌を眺めながら歩き、露出した鉱脈らしきものや違和感を感じた部分に近寄って観察する。時には虫眼鏡でより細かい部分を見てみたり、金槌で表面の岩を叩き割ってみたりする。
大抵は何も出てこないが、鉱石らしいものが見つかればその岩の欠片をとりあえず袋に突っ込んでおく。
詳細な分析は後で落ち着いた時にでもやることにすれば良い。
今回は新たな魔道具の実地試験も兼ねていた。
以前から開発を続けていた登攀を補助するための魔道具で、任意に効果の有効無効が切り替えられるようにした<粘着>の魔術を付与した手袋と靴カバーである。
基本的には両手両足分の4つを一組にして使う事を想定しているが、個別でも使えるようになっている。
迷宮の外で木や【花の妖精亭】の壁を登ったりして使用方法と効果の程は確かめているが、その時はたかだか数メートルの高さまでしか登っていないので、本格的に使うのは今回が初めてだ。
手がかりが殆ど無い、垂直に切り立った崖を慎重に登る。
なんとか落ちずに、地面から高さ約10メートルぐらいの場所に見えていた鉱脈らしき場所まで辿り着いた。
この程度の高さならば、万が一落ちてしまったとしても手足の骨の一本二本を折るくらいで済む。
動作確認をしていた時には既に気付いていたが、今の機構ではやはり効果の有効無効切り替えがし辛い。
手袋の場合は<粘着>の効果範囲を第一関節から先と手の甲だけに限定し、掌部分にスイッチを付けている。壁などに掌を押し付けるなど、一定以上の圧力をかける事で<粘着>の効果が発動するようになっている。
この方法の場合、ゆっくりと登っていく場合は問題が無いのだが、素早く動こうとした場合はなかなか思い通りにならない。
その代わりと言っては何だが静止時の安定性はかなりのもので、両手両足のうち2箇所以上が壁面に接触していれば落ちることはない。
3箇所が接触していればかなり体勢を安定させられるので、両足の爪先と左手の掌を壁面に付けた状態で右手に持ったハンマーで力いっぱい壁を叩いても落ちそうになることはない。
武器を振り回すくらいはできるだろうが、回避行動が一切取れないので戦闘をするのは無理がある。装填済みのクロスボウを1回だけ撃つのが関の山だ。
この<粘着>の魔道具は何かに使えないこともないだろうが、当初目指した<壁面歩行>の代わりにはなりそうにもない。
どうにか改良するか、もっと別のやり方を考えてみる必要があるだろう。
そうして価値があるかも定かではない石ころを集めていると、やがて日没の時間が迫ってきた。
迷宮中層での日没には夕焼けはなく、発光する天井の光量が徐々に下がっていくことで表現される。
迷宮上層の通路部分と違って夜でも完全に真っ暗になるわけではなく、最低でも満月よりは暗いが新月の夜よりは明るいといったくらいの光量が保たれる。
徐々に暗さを増していく山の上で今夜の宿泊場所を探していると、目の前にちょうど良さそうな洞穴が現れた。
入口を塞がれると逃げ場がなくなってしまう洞穴の中で寝泊まりするのは危険もあるが、この辺りでは一度も危険なモンスターを見かけていない。
入口部分に適当な隠蔽を施せば1日くらい問題はないだろうと考えた。外でも眠れないことはないが、やはり壁と天井が有るのと無いのでは翌朝の疲れの残り具合が違うものだ。
洞穴とその周囲には何者の気配も感じないが、念のため注意を払いつつ近づいていく。
高さ2メートル、幅1メートルくらいの大きすぎず小さすぎない入口から中を覗いてみると、10メートルくらいであっさりと行き止まりになっていた。
動物が生活しているような痕跡も全く見つけられないので、少なくともここしばらくは無主の地になっているのだろう。
ケンが洞穴の中に入って行くと、奥の方で意外な物を発見することになった。
それは、半ば土に埋もれた人間の骸骨である。
洞窟の突き当りから2メートルくらい離れた場所に高さ1メートル足らずの岩があり、その陰に白骨化した死体が隠れていた。
洞窟の壁にもたれかかったまま絶命すればおそらくこうなるのではないか、という形で積み重なっている骨には、目立った傷が付いていないので死因は想像がつかない。
出来立ての死体はこの世界に来てからいくつも見たことがあるのだが、白骨化した死体を見たのは前の世界から通算しても初めての体験なので、これがどういった人物でいつ頃のものかなんて事も判らない。
腰骨の形からして恐らくは男の死体で、腐敗した肉の形跡も残っていないことからして数ヶ月以内の死体ではないだろう、という推測くらいはできる。
洞穴の中をひと通り見て回ったが、骸骨以外に気になる物は見つからなかった。
この場所は安全であると判断し、泊まりの準備をするために背負っていた背嚢を地面に降ろす。
念のために、光を通さないくらいに厚手の布を入口近くに張ってから<持続光>の魔道具で明かりを点けた。<暗視>ゴーグルでは細かな色の判別ができないし、魔石の消費も激しいから使わなくてすむ状況ならば節約しておきたい。
<持続光>の魔道具を持って洞穴の奥の方に行くと、真っ白な骨の塊の中で一箇所だけ光の反射具合が違っている部分があった。
顔を近づけて観察してみたところ、それは金属製のブローチのように見える。
背嚢の中から<魔力遮断>布を取り出して、白骨死体の肋骨の間に埋もれているブローチを直接触れないように拾い上げる。
骨はずいぶんと脆くなっていたらしく、軽く触れただけでぼろぼろと崩れてしまう。
このブローチがどれだけ長い間ここに転がっていたかは分からないが、表面にはかなり土埃が積もっていた。ブローチを上下に振って大部分を落とした後、表面にうっすらと残った埃は口から息を吐いて吹き飛ばす。
ブローチは金属で作られた環の中心に、正八面体にカットされた透明な石があるだけの簡素な物だった。
だが、デザインは簡素だが環の部分は金合金のように見えるし、石は金剛石のように見える。あまり自信はないが、ケンの見立てが正解であればこれだけで一財産になるだろう。
思わぬ大収穫に自然と笑みが零れる。
ブローチを片手にニヤニヤとするケンのすぐ後ろで何かが動く気配があった。
幸い腰に下げたままだった鎚矛を抜いて構えながら慌てて振り向くと、そこにあった岩が高さを増していた―――いや、岩だと思い込んでいた生物が立ち上がっていた。
その生物は自分に武器を向けるケンをしばらく観察した後、ゆっくりと腰を曲げる。
そして、口から人間の言葉を発した。
「お初にお目にかかります、旦那様」
多分、次は2日後には投稿できないと思います。




