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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第四章 メイド少女アリサ
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第38話 魔術入門

 前の世界での基準に照らし合わせてみた時、亜寒帯に分類されると思われる地域に存在するマッケイブの町では、冬にはおおよそ月の半分くらいの日は雪が降る。

 内陸部に位置しているせいか、あまり湿度が高くならないので1回あたりの降雪量はさほどでもないのだが、冬は晴天の日中でもあまり気温があまり上がらず、一旦降った雪がなかなか溶けないせいで春が来るまで町から雪が消えることはない。

 前の世界(日本)では降ったとしても一冬に1回か2回ぐらい、雪が数センチも積もれば交通機関は大渋滞という地域に住んでいた。

 だから、今の世界に来てから最初に味わったこの世界の冬はただ歩くだけでも難渋していたが、5回目の冬ともなればさすがに慣れる。

 特段注意して歩かなくても今は足を滑らせるようなこともなく、ゆったりと【花の妖精亭】から魔術大学院まで続く道を進んでいく。



 町を行き交う人々の大半は防寒着をしっかりと着込んで着膨れた姿を見せているが、中には見ているだけでこっちの方が寒くなってしまうくらいに薄着の人も散見される。

 薄着の人たちを少し観察してみれば、概ね3種類に別けられることに気付くだろう。

 つまりは子供、自前の厚い毛皮や羽毛を持っている種族の人間、これから迷宮に入ろうとしている迷宮探索者である。

 前の2つに関しては特に説明する必要はないだろう。想像した通りで正解である。

 迷宮探索者が碌に防寒着を着けていない理由を考える場合、迷宮上層の気温は外の気温に関係なく一年を通してほぼ一定である、という事実を思い出す必要がある。

 迷宮の中では防寒着が必要なく、必要のない物は迷宮に持ち込まないというのは、探索者にとっては守るべき基本である。

 不要な物を運ぶために背嚢の容積と体力を使うくらいなら、水や食料を少しでも多く持ち込むべきだ。


 ケンも上層探索者として活動していた時は、日の出前の凍えるほど寒い雪道を防寒着も着けずに【花の妖精亭】から迷宮入口まで通っていたものだ。

 中層探索者になるとまた事情が変わってくるので、最近はそこまで寒い思いをすることも無くなったが。



 周囲を観察しながらのんびりと歩き、程なく魔術大学院の建物まで到着した。

 いつ見ても立派な建物の中に一歩入れば、そこは魔術の力によって一年中適温が保たれているという素晴らしい空間だった。空調のためにどれだけの魔石が消費されているのか、なんてことは想像もしたくない。

 玄関ホールに入ってすぐに役目を果たし終えたコートを脱ぎ、畳んで小脇に抱える。

 もうここには何度も訪れているし、今はケン自身が魔術師ギルド員という身内の立場になっているため、わざわざ受付に行って案内を求める必要もない。

 だが、ギルド長の執務室がある最上階に行くためには昇降機(エレベーター)を使う必要があり、そこに行くためには必ず受付窓口の前を通る必要がある。


 窓口にはいつもの様にアイリス(ボブカット)ジェナ(ロングヘア)の2人が座っていた。

 魔術師ギルドには彼女たち以外にも受付嬢が数人存在していて、そのうち2人が交代で窓口を担当するようになっているらしいのだが、ケンが魔術大学院の建物を訪れるときは何故か決まってアイリスとジェナが窓口に並んでいる。

 アイリスが言うには「2人が結ばれる運命にあるから」らしいが、それが本当だとすれば運命というのは随分と大安売りされているものらしい。

 ケンとしては、アイリスが野生の勘か何かでケンが来る日時を察知して、その時にちょうど自分が担当になるように細工でもしているのではないかと疑っている。



 今日も近付いて来るケンを目敏く発見したアイリスが、いつものように元気よく挨拶をしてきた。

「あっ、ケンイチロウさんっ! おはようございますっ。今日もいつもの所ですか?」

「おはようございます、ケンイチロウさん」

「お早うアイリス、ジェナ。いつも通りだよ」

「今日もキマッてますね、ケンイチロウさん! いつ見ても惚れ惚れしちゃいます」

「……アア、アリガトウ」

 礼儀として挨拶を返してから雑談に応じていると、用もないのに玄関ホールで屯しているローブ姿の男連中から一斉に嫉妬の視線が向けられてくる。

 物静かで常識的で可愛らしいジェナに人気があるのは解るのだが、突飛と言うより奇矯な言動が目立つアイリスの方にも人気が有るというのが、ケンには全く理解できない。

 顔が良くて女らしい体つきをしていれば、中に何が詰まっていても良いのだろうか。


 親しげに会話していると男どもから嫉妬されるのだから、話しかけられても無視すれば良いのではないかと言われるかも知れない。

 しかし、彼女たちに返事を返さなかったり冷たい態度をとったりした場合、それはそれで面倒なことになってしまうのだ。

 無視するとアイリスがしつこく追いかけて来るし、ケンの冷たい態度に対して大げさにショックを受けた表情を見せるので、そうなると今度は男どもから怒りの視線が向けられてしまう。

 一度、本気でアイリスの目を掻い潜って玄関ホールを抜けて奥に行けないかと試してみた事があるが、あっさりと見破られてしまった。

 結局は普通に対応するのが一番面倒が少ないので、周囲からの反応は気にせずに多少の雑談には応じるようにしている。

 本気で困った場合には、アイリスの天敵であるケイト女史にお出まし願えば良い。



 しばらく雑談に付き合っていると、アイリスが突然ぶるりと背筋を震わせた。媚びたような表情が一転して焦ったものに変わり、急に話を打ち切ろうとする。

「あっ、えっと、その、ケンイチロウさん! 随分と長い時間引き止めてしまってごめんなさい! ギルド長もお待ちでしょうから、そろそろ行かれた方が良いかもしれないですよね!」

「うん? ああ、そうだな。じゃあそろそろ行くよ」

 ようやく足止めから解放されたケンが周囲を見回すと、アイリスからは死角となる位置にいつの間にかケイト女史が立っていた。彼女の冷たい視線がアイリスの背筋を凍らせていたようだ。

 これだけ鋭い勘を持っているのなら、受付嬢などではなく迷宮探索者になって偵察者(スカウト)でもやった方がよほど大成したのではないかと思う。


 ケイト女史に会釈をしてから建物の奥に向かって進み、両脇で武器を持った警備員が守っている関係者以外立ち入り禁止の扉を抜け、最上階まで繋がるエレベーターの前に到着した。

 警備員の人間にも最近は顔を憶えられているので、いちいち通行証代わりになっている金色の指輪を見せろとは言われない。

 ケンは慣れた様子で指輪を使ってエレベーターを作動させ、最上階まで上った。

 2週間ぶりに訪れた魔術師ギルド長の執務室の周囲には相変わらず人気が無く、短い通路の先には重厚な扉だけが鎮座していた。



「お早うございます。ケンイチロウ、参りました」

 いつもの手順を踏んで扉を開け、ギルド長室に入る。すると、部屋の中に置かれた大きな机の向こう側でジョーセフが椅子の背もたれに身体を預けて、両目を瞑っていた。

 彼の脱力しきった身体の様子からして、瞑想をしたり思索に耽っているのではなくただ単に居眠りしているだけのようだ。


「お早うございます! 師匠」

「む? ……ああ、お主か」

 机の前まで行って今度は心持ち大きめの声で挨拶をしたところ、ジョーセフはすぐに浅い微睡みから目を覚ました。

 いつも矍鑠(かくしゃく)としているジョーセフには珍しく、随分と気怠げな様子である。

「お疲れですか?」

「ここ最近はずっと下らん会議続きでのう。儂の顔色を伺うことしか出来ぬなら、わざわざ会議なんぞせずに儂の指示に黙って従っとれば良いものを……」

 ぶつくさと文句を言うジョーセフの言葉に適当な相槌を打ちながら、全て聞き流す。

 魔術師ギルドという半国家機関の長であるジョーセフは国政にも深く関与しているので、余人に漏らしてはいけない情報が彼の口からいつ飛び出してくるか判ったものではない。

 別にケンに解決策を提示して欲しい訳でも無いのだし、最初から聞かなかったことにしておくのが一番だ。



 ジョーセフがひとしきり愚痴を言い終わったところで、やっとケンが待ち兼ねていた時間がやってくる。

「さあて、今日はお主に魔術を教えてやるんじゃったかのう」

「はい、よろしくお願いします」

 ジョーセフが座っていた豪華な造りの椅子から立ち上がり、大口を開けて欠伸をしながら伸びをする。

「よし、この部屋ではちとやり辛いので隣に行くとするかの」

「はい」


 以前から存在だけは知っていたが、今まで一度も入ったことが無かった隣の部屋は書庫になっていた。

 四方の壁全てに床から天井までの高さがある書架が備え付けられていて、余すところ無くぎっしりと本が詰め込まれている。

 かなり古い本が大量に混じっているようで、独特の匂いが部屋中に充満していた。書庫なので当然だが、窓も無いので換気も出来ない。

 並べられた本の背表紙の書名(タイトル)を眺めてみると、これまでに一度も見たことのない専門用語や知らない文字が書かれた本ばかりが大量に並んでいた。

 中には魔術文字でタイトルが書かれた本まであるようだ。中身まで魔術文字で記述されているのだろうか。



「さて、これから魔術を教えていくが……普通ならば魔術を扱うための知識を教育するところから始めるもんじゃが、お主は別にええじゃろ。これまで見てきた限りでは基礎中の基礎ぐらいは身に付いておるようだし、あまり時間も取れんじゃろ?」

 普通の魔術師の場合は10歳から15歳ぐらいの時に魔術を学び始め、平均して5年程度で一応は一人前の魔術師として認められるようになり、そこで初めて魔術師ギルドの正式なメンバーとなる。

 頭の柔らかい子供が毎日魔術漬けになってもそれだけ時間がかかってしまうのだ。

 成人しきっている上に迷宮探索者として金を稼がなければならないケンの場合、同じ教育課程(カリキュラム)をこなしていては終わるまでに何年かかるか分からない。


 だが、学んでおいても無駄にはならない。魔術についてより深く知っていれば、新たな魔道具のアイディアを考える時にきっと役に立つだろう。

「はい、そうして頂けると助かりますが、理論は理論で学んでおきたくはあります」

「ふむ? まあ、今後新たな魔術理論の研究をするためには、古い理論を知っておくのも悪くはないじゃろうな。では、次に来る時までに役に立ちそうな本を準備しておいてやろう」

「有難うございます」



「では、早速実践といくかのう」

「はい。ええと、魔力量や得意属性の調査といったものはやらないのですか?」

 その昔、迷宮探索者をやっていた魔術師に酒を奢って聞き出した話では、実際に魔術の訓練を始める前に本人の適性診断のような事をするのだと言っていた。

 専用の魔道具を使って本人の魔力量を測定したり、火・風・水・土などの属性のうちどれと親和性が高いか、魔術を発動させるために使う触媒のうちどういった物と相性が良いかなどを調べるらしい。

「やりたきゃやってもええが、あんなもんに大した意味はないぞい。単に意味が無いだけならまだしも、出た結果に引き摺られて自分の可能性を狭めてしまいかねん」

「そんなものですか?」

「別にお主は大魔術を連発したいわけでも無かろうし、覚えたい魔術も決まっとるんだから得意属性なんてどうでもええじゃろ。そんなもんは訓練次第でどうとでもなるしのう」


 ジョーセフ曰く、魔力量の測定も属性の判定も単に「現状がどうであるか」を見ているに過ぎず、どちらも訓練次第で変化しうるものであるらしい。

 魔道具を使用して魔術を発動させる場合、同じ魔道具であれば誰が使用しても魔力消費量は一定である。

 しかし自力で魔術を使用する場合、同じ<持続光>を発動させたとしても同じ魔力消費量であるとは限らず、使用者の魔術に対する熟練度やその時の身体状況に左右されるものであるようだ。

 前の世界(日本)で遊んだことがあるゲーム風に表現すれば、訓練によって最大マジックパワー《MP》量が上昇することがあるし、魔術スキルの熟練度を上げることによって同じ魔術でも消費MP量が減っていく、という感じになるだろうか。

「儂だって魔術師としては低めの魔力量しか持っておらんがな、ここのギルドの餓鬼ども魔術戦をしたとしても、大半は正面から力でねじ伏せてやれるぞい」

「なるほど……では、なぜ測定を続けているんですか?」

「ふんっ、悪しき慣習ってやつじゃよ。続けたがっとる奴らは何百年も続く伝統とか()かしよるがのう!」


 ケンとしては自分の魔力量や得意属性が何かについてかなり興味が有るのだが、師匠があまり調べるのに乗り気ではないようなので今回は諦めておくことにした。

 ここまで来て臍を曲げられてはたまったものではないし、ジョーセフの言う通り<閃光>と<消臭>の2つの魔術を習得するという目標が決まっているケンにとっては、得意属性が何であろうと今はあまり関係がない。

 どうしても知りたくなったら、後日どうにかして測ってもらえば良いだろう。



「最初に教えるのは<光>の魔術じゃ。恐らく、魔術師の大半が最初に使えるようになった魔術じゃろうて」

「<持続光>ですか?」

「いんや<持続光>じゃのうて光系魔術の最下位の<光>じゃよ。お主が覚えたいと言っとった<閃光>も光系魔術に分類されとるが、<持続光>の上位にあたるものじゃな」

「<光>と<持続光>の魔術というのは、どう違うのでしょうか」

 ジョーセフの解説によれば、この2つの魔術は発動する際の魔力の込め方に違いが有るということだった。


 <持続光>の場合は魔術を発動させる前に持続時間を確定しておかねばならず、発動の瞬間に必要な分の魔力を全て注ぎ込まなければならない。

 注ぎ込んだ魔力が全て消費し尽くされるまで自動的に<持続光>の効果は持続し、消費し尽くされた瞬間に消えてしまう。魔術を維持するために何かをする必要はない。


 <光>の場合は術者が望む間はずっと魔術を持続させることもできる。

 ただし、魔術が持続している間は常に魔力を注ぎ込み続けなければならず、術者の集中が途切れれば魔術も消えてしまう。

 熟練した魔術師であれば、一度発動した魔術を維持する事は呼吸するのと差がないくらいに無意識のうちに行えるが、普通の魔術師ではただ歩くだけでも集中が途切れてしまうだろう。

 <光>の魔術の欠点を改善したものが<持続光>の魔術である。だから、魔術師なら誰でも使えるが誰も使わない魔術に成り下がってしまった。

「<光>はずっと魔力を込め続けねばならんので、魔力制御の訓練にはうってつけなんじゃよ。ただの光じゃから制御に失敗しても少しばかり目が眩む程度で、物が壊れたりする危険性が無いという利点もある」

「なるほど……では、どのようにすれば良いでしょうか」



「魔術の基本は体内にある魔力の制御じゃ。人間の体内には必ず魔力が存在し、血の流れに乗って常に全身を巡っておる。まずはそれを意識せよ」

 鼓動に合わせて全身に送り出される血流を想像(イメージ)する。

 心臓から送り出された血液が動脈を通って全身に広がり、静脈を通ってまた心臓に還って来る。

 最初は太い血管に大量の血が集まっているが、身体の末端に行くに従って細い血管へと枝分かれし、薄く広がっていく。

「全身に薄く広がったままでは、現し世に変化を与える魔術は行使できぬ。全身から少しずつ魔力を掻き集め、右手の指先に集中させるんじゃ」

 血液を体中に均等に送り出すのではなく、右手の指先に重点的に送り出すようにイメージする。

 大量の血液を送り込まれた指先が、だんだんと熱を帯びてきたように感じられる。

「そして、指先に集めた魔力が光に変わっていくのを想像せい。暑く燃え盛る炎ではなく、静かに周囲を照らす光じゃぞ」

 電気を流された蛍光灯が光を発するのと同じように、魔力を流し込まれた「何か」が魔力を喰って光を発する光景を思い浮かべる

「心の中に思い浮かべた光景が目の前に顕現すると信じよ。……今じゃ!」


「<光>よ!」

 眼前の光景には何の変化も訪れなかった。

 完膚無き迄の失敗である。



「お主、意外とノリが良かったんじゃなあ」

 眼の前ではジョーセフがニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべていた。

 心の奥底から沸き上がる殴りかかりたい衝動は何とか抑え込んだ。抑えきれない怒りが表情に出てしまっているだろうが、そちらの方は元から抑えるつもりが無い。

「そう怒るな。魔術師にとっての通過儀礼じゃよ。儂も最初はやられたもんじゃ……」

 目上の者に自分がやられて嫌だった事を目下の者に対してやってしまうから、いつまで経ってもこういった悪習が無くならないのではないかと強く主張したい。

「今、儂が言った内容は魔力制御のイメージとしては間違ってはおらん。だが、言葉で聞いただけで簡単に出来るものなら、この世の人間は誰もが魔術師になっておるじゃろうよ」

 確かに、先ほどジョーセフが言った程度の理屈であれば、ケンが5年前に魔術についての情報を集めた時にも見たことがある。

 以前に失敗した時と同じ事をしていては、同じように魔術が発動しないのも当然である。


「さて、ここからは真面目にやるとするかのう。右手を出せ」

 言われた通り右手を差し出すと、ジョーセフに手首を掴まれた。

「これからお主の肉体を通じて魔術を行使する。お主は自らの体内で起こる変化に意識を向けよ」

 他人の身体を通して魔術を使うというのはどういうことかという疑問が浮かんだが、質問するよりもまずは自分の内面に注意を向ける。

 すると、ジョーセフの手が触れているケンの右手首から、何か見えない物が入り込んでくる感覚があった。

 その違和感は右手から体中に広がってケンを身震いさせた後、再び右手の指先へと集まっていく。


 そして、ケンの指先に<光>が灯った。

「おお……」

 体内にあった何か(・・)が指先に集まり、そこから体外へ抜け出ていくのを微かに感じる。


「これが、魔力……」

「分かったようじゃな……一度目で感じ取れたというのはそこそこ勘が良いぞ。今、儂がお主の体内にある魔力を操って魔術を発動させたんじゃがな、これを自力でできるようになるのが魔術を使うための第一歩じゃよ」

「他人の魔力を操作する……そんなこともできるのですね」

「導師級ならこの程度は誰でもできるわい。正確に言えば、これが出来んと導師にはなれんのじゃがな」

 体内にある魔力が動く(・・)感覚は、とても言葉では言い表せないような感覚だった。

 魔術を使うための具体的な方法が書かれた書籍が存在しないのは、魔術師ギルドが情報を隠匿しようとしたからという理由だけではなく、文章として上手く表現できなかったという理由も有るのではないだろうか。



 それから2,3時間の間、ケンはジョーセフの指導を受けながら魔力制御の訓練を続けた。

 ジョーセフがケンの体内にある魔力を使って魔術を発動させ、その時の感覚をなぞって魔力を操作しようと試みる。

 だが、全く成果は上がらなかった。上手く出来ないことで次第に焦りが出始め、焦りが集中力を損なわせてさらに上手く行かなくなってしまうという悪循環。

 やがてケンの精神的な疲労が限界を迎えたところで、ジョーセフが訓練の終了を宣言した。

「今日はこのへんにしておくかのう」

「まだ、やれます!」

「いや、そろそろお主は魔力切れじゃし、きちんと集中出来ない状態で訓練を続けても効果が薄い。魔力切れの症状も、酷くなれば命を落とすこともあるのじゃから無理は禁物じゃぞ」

 言われてみれば、精神的な疲労や肉体的な疲労ともまた違った感覚が身体の中に有るような気がする。これが魔力切れの感覚なのだろうか。


 結局、初日の修行は全く成果の無いままに終わってしまった。

 普通の人間が何年もかけて学ぶような事を、自分ならば一朝一夕で出来るようになるなどと自惚れていたわけではなかったが、やはり悔しいものは悔しい。

「そう気を落とすでない……最初は誰でもこんなもんじゃ。仮にお主が今日中に魔術を使えるようなっておったら、儂は強制的に魔術師としての道を歩ませなきゃならんところだったわい。そんな何十年に一人の天才をみすみす逃しちゃおけんからな」

 ケンの内心を察してか、珍しいことにジョーセフから慰めの言葉がかけられた。


 気持ちを切り替えよう。今できなくても、何時かできるようになれば良いのだ。

「今日はもう訓練できないとなると、次は何時になるでしょうか」

「儂も近頃は忙しくてのう……次に時間が取れるのは1ヶ月は先になってしまうのじゃよ。その間何も出来ないとなると<閃光>が使えるようになるまで何年かかるか分からんからな。自主訓練用にこれを貸してやろう」

 そう言って、手近な引き出しから直径5センチメートルほどの小さな水晶球が取り付けられた、長さ20センチほどの棒を取り出した。

「これは<光>の魔道具じゃ。魔石からではなく、杖を持った人間から魔力を吸い出して発動するように作られておる。普通の魔道具の場合は一瞬で魔力の吸い出しが終わってしまうのじゃが、これはわざと少しずつ吸い出すようになっておる」

 つまり、ジョーセフがケンに対してやったのと同じ事をしてくれる魔道具というわけである。こんな便利な物が有るのなら、最初から出してくれれば良かったのではないだろうか。

「お主の言いたい事は分かるが、これはもう遥か昔に製作方法が失伝しておってのう。貴重な一品なんじゃから壊さんでくれよ?」

「有難く、お借りします」

 その後、使用方法と注意点を聞いてから実際に使ってみたところ、ジョーセフがやったよりは魔力の動きが判りづらかったものの、似たような効果であることが確認できた。




 時刻はもうすぐ昼になる。

 ジョーセフが午後から会議に出なければならなという関係もあり、本日の講義は終了となった。

 帰宅するための身支度を整える。ジョーセフから借りた<光>の魔道具は、誰にも見られないように注意深く隠している。


「ああ、言い忘れとったが、今日お主に教えた事―――その魔道具についてもそうじゃが、外部の人間には一切教えることは罷りならんぞ」

「……技術の秘匿のためですか?」

「解っておるなら話は早い。お主が情報を漏らした場合、魔術師ギルド長でありお主の師匠でもある儂は、お主を処罰せざるをえん。儂にそんな気分の悪い事をさせてくれるなよ?」

「留意します」

 ケンの返事を聞いたジョーセフが安堵したような、やり切れないような溜息を吐く。

「儂もこんな規則は馬鹿馬鹿しいとは思っとるんじゃがな……魔術の発展はもう長きに亘って停滞しておる。これは魔術を学ぶ人間がごく限られておる上に、先人の教えが絶対であるという権威主義的な気風も間違いなく関係していると思うのじゃよ。だから、現状を打破するためには新しい風を吹き込むのが一番じゃと思っておるんじゃが―――」

 ジョーセフが執務室の大きな椅子に座り、背もたれに身体を預けた。

「―――しかし、これは旧帝国領にある魔術師ギルド間の協定でな。儂一人だけがいくら望んだところで規則は変わらんのじゃよ。ああ、忌々しい!」



 旧帝国―――魔法帝国とも呼ばれたその国は、今から500年以上も前に滅亡した国である。

 魔法帝国の全盛期には主要な都市の間が<転移>門で繋げられ、大きな船が空を飛び、日常生活のあらゆる部分で魔術が利用されていたと伝えられている。

 今となっては眉唾な伝説でしかないが、天候や地形さえも魔術によって自在に操ることができたとも言われている。


 それほどの力を持った魔法帝国がどうして滅びたのかについては、今となっては正確な事情を知る術がない。 魔法帝国が崩壊した直後の混乱期に意図的な記録の破壊や隠蔽が行われ、滅亡原因や歴史の研究が禁忌となってしまったからだ。

 200年ほどして禁が解かれた頃には、信用に値する史料がほとんど残っていなかった。

 現在の研究では「帝国領外からの蛮族の侵入と、魔法が上手く使えないが故に二等市民として抑圧された者たちの反乱が重なった結果」というのが最も有力な説となっている。

 そして"悪しき魔法帝国"における最後の皇帝を弑したのが一振りの剣だったために、現代では剣が力の象徴となっているのだという落ちが付く。



 しかし、魔法帝国に由来するもの全てが消えて無くなったわけではない。

 最後の戦争とその後の混乱期を生き抜くことができたごく少数の魔術師たちは、人里離れた場所に身を隠しながらも弟子をとって自らの技術を後世に伝えていた。

 やがて時間の流れとともに人々の中で魔法帝国というものが記憶から歴史に変わり、ただ魔術師というだけは迫害されない時代が訪れた。

 表舞台に戻ってきた魔術師たちの手によって作られた研究や教育のための互助組織が、今の魔術師ギルドの母体となっている。


 その出自から旧帝国領内の国にある魔術師ギルド同士は交流があり、人材や技術の交流を行っているらしい。 魔法帝国の二の舞にならないようにするため、人体実験の禁止や大規模な環境汚染を伴う研究方法の制限などの取り決めが、各国の魔術師ギルド間で取り交わされている。

 魔術の習得方法を隠匿している事についても、倫理観に乏しい人物が魔法を習得して犯罪を犯すのを防止するためだとか何だとか理由を付けているが、単に自分たちの特権を侵されたくないだけとしか思えない。



「だから、お主が言っていたあの理論には期待しとるんじゃぞ? あれがモノになれば、ギルドにとって良いか悪いかはともかくとして変化が起きることだけは間違いないからのう」

「ご期待に添えるよう努力します。どれだけやれば成果が出る、とは申せませんが」

「儂はあと30年ぐらいは生きるつもりじゃから、その間に何とかなりゃええわい」

 ジョーセフは20年前の時点ですでにギルド長の地位に就いていたと聞いているが、いったい何歳まで生きるつもりなのだろうか。


 それについては何とも答えることが出来ず、ギルド長室を辞する。

 【花の妖精亭】に帰って一眠りして魔力を回復させた後、出来る限り魔術の訓練をしておきたい。

 今日の朝、訓練を始める前に夢想していたような展開にはならなかったが、思い通りにならないならならないでこれからの楽しみが増えたと思えば良い。

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