第37話 普段通りの日々
第四章開幕です。
あまり書き溜められていないので、前のように一日おきの投稿ができるかが流動的であることをご承知おきください。
誘拐事件関係の後始末については、ケンが当初に思っていたよりもずっと簡単に片が付いた。
誘拐事件の直後、エイダとベティに対してはリサの誘拐事件やケンと盗賊ギルドとの関係について秘密にすることを望み、今はグレイスと名乗っているリサもそれに同意した。
表向きは迷宮の中に入っている事になっていたケンはいったんリサ達と別れ、その日は"鼠"の頭領の隠れ家の一つで相変わらず世話になった。
そして、翌日の夕方頃にさも「ついさっき迷宮の中から戻ってきました」という顔をして【花の妖精亭】に帰っていく。
縄を巻かれて汚い麻袋に突っ込まれ、さらに地面に転がされていたハンナなどはかなり服に土汚れが付いていたので、間違いなく何らかの詮索があったのではないかと思うが、エイダとベティから特に何も無かったので上手く誤魔化したのだろう。
そして誘拐事件から数日後、ウェッバー家代表としてのリサと【黒犬】の代表としての"鼠"の頭領の間で、誘拐事件に関する説明および今後についての話し合いの席が設けられた。
もちろんこれから先の関係を考えれば、事前に誘拐計画を知っておきつつ自分たちの利益のために故意に見過ごした、などという真相を当人に語るわけにはいかない。
だからと言って全てを嘘で塗り固めれば、後日その嘘が明らかになってしまった時に決定的な不和の種となってしまいかねない。
だから注意深く真実は隠され、事実に無理のない肉付けを少しだけ加えた物語が語られた。
事の発端は、誘拐が行われる数日前からケンの周囲に監視が付いていたことだ。
それを察知したケンが普段から付き合いのある【黒犬】に監視者の素性調査を依頼したところ、相手が三大盗賊ギルドの一つである【夜鷹】系統の盗賊ギルドに属する盗賊である事が判明した。
ケンは【夜鷹】とは今まで特に接触したことがなく、特に町中で揉め事も起こした記憶もなかったので、狙われている理由が見当もつかない。
相手がどう動いてくるか全く予測できないので、問題が解決するまでの間は安全のために迷宮に入ったと見せかけて町の中に身を隠す事にした。
すると、どうした事か【黒犬】の縄張りの中にある【花の妖精亭】の周囲が騒がしくなったため、原因の調査と平行して万が一の抗争に備えた戦力を準備しておくことになった。
調査が進むにつれて、どうも「リサ・ウェッバーを標的とした何かが行われようとしているのではないか」という疑惑が浮上し、黒鎚の女であるリサの安全を図るために監視を付けた矢先に誘拐されてしまった。
慌てて抗争のために準備していた戦力で強襲をかけ、無事救出に至った。
以上の内容が、リサ・ウェッバー誘拐事件に対して【黒犬】が迅速に対処できた理由として語られた。
介入の口実になった【黒犬】の紋章が刻まれたペンダントが、都合よくリサの手にあった謎については一切触れられなかった。
説明の中に含まれた誤魔化しや沈黙による嘘をリサならば見抜いているはずだったが、駆け引きの一つなのかそれを指摘することもなかった。
"鼠"の頭領としても、理屈に穴があると解った上で大きな嘘は吐かないで済む辺りを狙ったのだろうし、その辺はお互いに何か考えがあるのだろう。
リサの場合はもしかしたら、ケンを締め上げれば真相など簡単に解ると思っているだけかも知れない。
その証拠に、ケンを見るリサの目は哀れな子羊を見る肉食獣のような色を帯びていた。
誘拐事件についての説明がひと通り終わった後には、盗賊ギルド内で商業関係を担当する"兎"部門の担当者から、リサに対してマッケイブの町における商業事情についての説明が行われた。
マッケイブ進出にあたってはリサもある程度の情報は独自に集めていたらしいが、各商会の縄張りや価格カルテルのような深い部分については、推測ぐらいはできても正確な事はなかなか掴めていなかったようだ。
マッケイブは迷宮目当てに大量の余所者が来るという町の性質上、見知らぬ相手でも寛容に受け入れる。
しかし、それはごく表面的な部分を見たときにはそうであるというだけの話であって、深い場所に潜れば潜るほど他の町と同じように余所者を容易には寄せ付けない高い壁がそびえ立っている。
歴史だけであれば、王国首都よりもマッケイブの町の方がよほど長いのである。
その分だけ闇も深い。
「本日は、有意義なお話を伺わせて頂き、誠に感謝致しますわ」
「いやいや、こういう場を持てたのも何かの縁です。王国東部で随一の商会にとって少しでもお役に立ったって言ってもらえるなら、俺っちも鼻が高いってもんですよ」
"兎"の頭領からリサに語られた内容は、個別の商会についての簡単な情報が加わっていた事を除けば概ね"鼠"の頭領からケンが聞いたものと同じ内容だった。
ただし、この町の市場は少数の商会によって完全に独占されていること、その商会全ての後ろ盾となっているのが誘拐を主導した【夜鷹】である事はそれとなく強調して説明されている。
「やはり、その町の事は地元に長年根付いている方にまず伺ってみるべきでしたわね。表から裏から全部ご存知なのですもの」
「いやいや、そんなに褒められると困っちまうぜ。オレっちの耳がもう少し早ければ、リサさんを誘拐なんて危険なメに遭わせる事も無かった訳ですしねえ」
「そんな! その件については感謝しこそすれ、恨み言を言うような立場ではございませんわ!」
「そう言ってもらえると、俺っちも救われますぜ」
リサと"鼠"の頭領は、双方共に腹に一物も二物も抱えていることが一目瞭然な様子で不気味な笑みを交わし合う。
「さて、世間話はこのくらいにしておいて、本題に入らせて頂きましょうかね」
「ご随意にどうぞ」
ひとしきり含みが有る笑顔を向け合った後、"鼠"の頭領の言葉を切っ掛けとして2人の発する雰囲気ががらり変わった。
ここまでの事は全て単なる予定調和の儀式でしかなく、ここからがウェッバー商会と【黒犬】が会談の場を持った本当の目的である。
「単刀直入に言わせてもらうぜ? 話はごく簡単で、ウェッバー商会がマッケイブに進出する時に【黒犬】と手を組まねえかって話だ」
「手を組む?」
「そうだ。今回の件で分かって貰えている思うが、この町に拠点を構えて商売をしようと思ったら盗賊の目は必須と言って良い。例えこっちが積極的にそういう手段を使わないにしても、向こうは間違いなく使ってくるからな」
「左様ですわね……」
「既存商会の意向を受けた【夜鷹】の方針は、間違いなくウェッバー商会の進出を抑える方に傾いてるだろう……と、なればそれとは手を結びようがないわな。だったら【黒犬】と手を結んで【夜鷹】に対抗するのが賢い選択だと思わねえかい?」
リサは右手で口を覆い、目の前のテーブルの上に視線を落として暫し黙考する。
「お話は理解しました。ですが、この場では決めかねますわね……私たちの進出に関して実際はどう対応するつもりなのかを【夜鷹】さんでしたっけ? そちらと一度だけ接触して真意を探ってから対応を考えてみても良いでしょうし、三大と仰るからにはもう一つ大きな盗賊ギルドがお有りなのでしょう? そちらともお話ししてから決めても遅くないのではないかと思いますし」
「【夜鷹】の方はどういう方針を取るにせよ、あいつらと手を組むのは厳しいと思いますぜ? リサさんの男が【黒犬】の身内、しかも幹部の兄弟分だって事はもう向こうに知れ渡ってますからねえ」
テーブルの向こう側に座る"鼠"の頭領が「男」と言った瞬間にあからさまにケンを見ている。それに釣られて隣に座っているリサもケンを見つめてくる。
この場に来てからケンは一言も喋っていない。
周囲に深い藪が多すぎて、一歩踏み込んだら中から蛇どころかもっと恐ろしい物が出てきてしまいそうなので、全く身動きが取れなくなっていた。
「【三眼蛇】の方も難しいと思いますねえ。あいつらは政治系が専門分野ですし、ギルドの下の方はともかく上と接触するためのコネもお持ちではないでしょう? それに結局、他のギルドに男が居るかもしれん相手と組んでも良いとはなかなかならんでしょうからなあ。その点【黒犬】とはもうその家族を通じて親戚も同然ですし、こちらが持ちかけた話なんですから協力は惜しみませんぜ?」
"鼠"の頭領はケンと【黒犬】の関係を梃子にしてなんとかリサを引き込みたいようだった。盛んにこちらに目線を送ってくるのでとても鬱陶しい。
誘拐事件の区切りが付くまでは付き合うのが筋かと思って深く考えずに同席することを承諾してしまったが、こんな事になるなら来るのではなかったと今は後悔している。
「家族……ま、まあ、ケンイチロウさんにはお世話になっていますから、その関係で声をかけて下さった方をあまり無下に扱うのも問題がありますものね!」
「そう来なくっちゃ! やっぱり男にとって一番いい女ってのは、旦那を立ててくれる女房みたいな女だよなあ……」
「だ、旦那様……」
協力体制を構築することで双方が合意した後は、自然と条件交渉が始まった。
「いやいや、ウチも若いの食わせなきゃならないんだからそんなんじゃとてもとても」
「いえいえ、大口で継続的な発注になるのですから、その辺りは先行投資と割りきって頂かないと」
「いやいやいや」
「いえいえいえ」
周囲をそっちのけにして激しい駆け引きと言うより狐と狸の化かし合いが発生したが、あまりにも長すぎたので割愛する。
ケンはこの場に来て以来一度も口を開いていないが、その他の人物も全く口を挟むことが出来ない商売人同士の言葉の応酬だったとだけは伝えておこう。
最終的には【黒犬】側が無条件で全面的にウェッバー商会の進出に協力するという事で決着した。もちろん集めた情報への対価は支払われるが、相場からみればかなり安い金額だった。
今回の交渉はウェッバー商会側の言うがままの条件という完全勝利に終わったが、では【黒犬】側の敗北だったのかと言えばそういうわけでもない。
そもそもの【黒犬】側の目的がウェッバー商会と協力体制を作り、マッケイブへの進出を支援することで支配的な地位に押し上げ、その過程で商業分野での影響力を増していくことにある。
だから、ウェッバー商会の裏の手足として独占的な地位を築くことができた時点で【黒犬】側も十分勝利していると言える。
リサとハンナはそれまでと変わらず慌ただしく動き回りながら、その後も10日ほど【花の妖精亭】に滞在を続けた。
【花の妖精亭】に滞在を始めてから丁度1ヶ月が経過したところで、当初の予定通り宿を引き払って一度リサの本拠地である王国東部へ戻る日となった。
「何ヶ月先になるか判りませんが、また必ず戻って参りますわ。その時はずっとこちらで暮らす事になると思いますので、仲良くしてくださいね?」
リサがそう言い残して出発していったことで嵐のような1ヶ月が終わり、気兼ねなく迷宮探索を行える日々が戻ってきた。
迷宮中層へと入ったのは秋季大規模討伐の前に入ってから実に2ヶ月ぶりだったので、<転移>門を見た時には何故か懐かしささえ感じてしまった。
リサがマッケイブの町を離れてから1ヶ月が過ぎ、年の瀬が押し迫ってきていた。
表面上、ケンの周囲にはまた平穏なただの迷宮探索者としての日々が戻ってきている。裏側では色々と変化があったが、今は落ち着いているので意識することもない。
昔のように本業の迷宮探索を行う傍らで、迷宮に入らない日は弩での射撃訓練や、懇意の魔道具創作者であるバロウズと共に新たな魔道具の開発も続けている。
ここ最近は元々やっていたそれらに加えて、昆虫研究家のダニエルに師事して昆虫を含む動物や植物について学び、鉱物収集家のハウトンに参考になる書籍を聞いてそれを読み、迷宮研究家のアーヴィングに迷宮に関するいくつかの仮説を聞いて検証方法を考えたりしてもいた。
中層探索者の仲間入りをしてからというもの、前の世界で学生をやっていた時よりもよほど真剣に勉強をしている気がする。学生時代に真剣味が欠け過ぎていただけだと言われれば反論はできないのだが。
学ぶことが多すぎるので全てを覚えられたわけでもないが、特に時間制限も無いのだからゆっくりと身に付けて行けば良いだろう。
そして、今日。
魔術師ギルド長にして、現在はケンの師匠となっているジョーセフから魔術を学ぶ初めての日が訪れた。
本音を言えばもっと早くに始めたかったのだが、リサがいる間はケンの方がゴタゴタしていたし、普段はお気楽そうにしているジョーセフも魔術師ギルド長という立場のせいで会議に講演に研究にと忙しく、これまで全く予定が合わなかったので仕方がない。
もう5年近く前になるだろうか。
この世界に来てからすぐに魔法の存在を知り、エイダから支援を受けつつ迷宮探索者となって半年が過ぎた頃、やっと衣食住を確保することだけに汲々としなくても良くなったので、なんとか自分も魔術を使えるようにならないものかと調べてみた事がある。
すると「魔法とはどういった物なのか」「魔術ではどんな事ができるか」という薀蓄本の類や、既に魔術が使える人間を対象とした「魔術が上達する方法」が書かれた本は探せばいくらでも見つけることができた。
しかし、肝心の「魔術を使えない人間が使えるようになるには」という事を書いた本はほとんど発見することができなかった。
魔法の習得方法について書かれている数少ない本にしても、漠然とした情報しか記載されておらず全く役に立たない。
更に調べていくと、魔術の習得方法については魔術師ギルドが情報を秘匿しており、ギルド員以外に情報を開示したり訓練を施す事は禁止していることが判った。
魔術師ギルドに加入するためには、正ギルド員から推薦を受けた上で爵位を持つ貴族本人や公的機関の幹部級の地位を持つ保証人を複数付け、さらに多額の謝礼金まで収めなければない。
そのどれ1つとして持ち合わせていなかった当時のケンは、歯噛みしながら魔術ギルド加入を諦めるしか無かった。
それでもどうにか抜け道が無いかと探してはみたが、魔術師ギルド員以外に魔術の指導を行った事が露見した場合、問答無用でギルドから除籍された上に制裁まで課されるとあっては、規則を破ってまで指導してくれる魔術師がそうそう見つけられる訳もない。
単なる噂でしかないが魔術に関する記憶を全て封印されたり、魔術を使おうとすると全身に耐え難い苦痛が生じるようにされたり、最悪では命が奪われるといった制裁が行われるようだ。
世界中で魔法を教えているのはなにも魔術師ギルドだけではないので、そっちから教わればどうかと考えてみた事もある。
有名なところで各種の教会が教えている神聖術や森人族が使う精霊術、その他にも呪術、死霊術、降霊術、召喚術、占星術など様々な呼び方をされているが、ケンが調べた限りでは原理的には魔術と大差がないように思えた。
どの系統でもいいから修行をして魔法を使えるようになれば、その応用でいくらでも他系統の魔法を使えるようになるのではないかと考えたのだ。
しかし、ケンのこの考え方は全く一般的ではないようだった。
昔、探索者として働いていた神聖術の使い手に対して、魔術と神聖術は原理的には同じ物であるという自説を開陳してみたことがあったが、全く同意を得られなかっただけではなく「神の御業である神聖術を魔術なんぞと同一視するとは何事だ」などと激怒されてしまった事がある。
それ以来、この説は誰にも話していない。
それはともかくとして、魔術以外の魔法系統を学ぼうと思ってもそれはそれで難しいものがあった。
神聖術の場合、まずは教会組織に所属して何年も修行を積んだ上で、上層部から信仰心と才能を認められなければならない。そして、それでも絶対に神聖術が使えるようになるとは限らなかった。
日本人としての意識が全く抜けていなかった当時のケンとしては、他人が宗教の信徒として身を捧げていることに特に拒否感を感じなくとも、自分がそうすることにはなんとなく拒否感があったので、神聖術を学ぶことは諦めた。
精霊術の場合はエルフ族以外にはそもそも教えていないだとか、それ以外の系統でも特定の部族や血族のみにしか教えていないといった排他的なものが多かった。
そういった制限がない種類の魔法系統であっても、まずはその魔法系統を使える人間の所在を探すことから始め、頼み込んで弟子入りを認められなければならないのであまり現実的とは思えなかった。
そもそも、迷宮探索者としてより上を目指すために魔術を利用したいのであって、魔法を使えるようになる事そのものが目的ではない。
だから魔法を習得することはすっぱりと諦め、魔道具などを利用しつつ普通のやり方で迷宮探索者としてやっていくことにしていた。
しかし、人生というのは何が転機となるか分からないものだ。
迷宮の中層で一匹の昆虫を捕まえたことで貴族であり昆虫研究家のダニエルと知り合い、彼を通じて魔術師ギルド長のジョーセフと知り合った。
ジョーセフの単なる気紛れから弟子となることができたお陰で、特に努力もしていないのにあっさりと魔術を習得する機会を得てしまった。
こうなると5年前の魔術を習得するための努力は何だったのかと思ってしまうが、あの経験があったおかげで魔術というものについて考えるようになり、新たな魔道具などの開発もするようになったのだから無駄ではなかったと思っておこう。
色々と面倒事が付いて回るのは余計だが、自分にとって得になる方向に偶然転がったのだから文句を言う筋合いではない。
柄にもなくウキウキとした気分で【花の妖精亭】の一室で身支度を整え、エイダとベティに挨拶をしてから外に出る。
雪の積もった地面を歩きながら、今日はいい日になりそうな予感を感じていた。




