第36話 状況終了
麻袋に詰め込んだリサとハンナの2人を荷物のように肩に担ぎ、急いでその場を離れていく【夜鷹】の下部組織に属する盗賊どもだったが、こいつらを追跡するのは至極簡単な事だった。
誘拐が成功して気が緩んでいるのか、単に今の自分たちを狙っている奴が居るなんてことを想像していないだけなのかは判らないが、碌に周囲を警戒していなかったからだ。
誘拐犯どもは周囲を警戒するどころか好色そうな目つきで女2人が詰め込まれた袋をじっと見ていたり、酷いのになるとハンナが詰め込まれた袋の、この辺に尻があると思われる部分を執拗に撫で回している。
粗くて固い麻布の上から触ったところで碌に感触なんて分からないだろうに、果たしてこの男はそれで満足なのだろうか。
<暗視>ゴーグルを装着しているお陰で日中と変わらない視界を確保出来ているケンの目には、その男のだらしなく緩んだ表情が見えている。だからきっと満足しているのだろう。
この体たらくでよくぞ町の中での営利誘拐に手を出せたものだと思う。
情報収集や実行に至るまでのお膳立ては【夜鷹】本体が全てやっていたとしても、肝心の実行犯がこんな状態では失敗する可能性の方が高かったのではないだろうか。
もしかしたらリサ・ウェッバー誘拐計画というのは単なる囮で、そこに喰い付いてきた敵対組織を包囲殲滅するための罠ではないか、などという陰謀論すらケンの脳裏には浮かんでくる。
この盗賊たちが【夜鷹】の本体に加入するのを許されず単なる下部組織のままでしかないのは、あまり使い物にならないので引き込むメリットが見出せなかったか、いざという時に切り捨てても良いトカゲの尻尾ぐらいの価値しか無かったからに違いない。
そう言えば"鼠"の頭領も、ウェッバー家の進出を阻止できなければ「あれは部下が勝手にやったことだ」という類の言い訳をして、【夜鷹】の本体がウェッバー家に取り入ろうとするのではないか、なんて事を言っていた気がする。
合計で10人もいれば少しくらいは頭を使えるのか、誘拐犯どもはなるべく人目に晒されないように商業地区の裏路地を通って貧民街方面へ向かっていく
しかし、その配慮が続いたのもスラムに到着するまでだった。スラムの中に入るやいなや、誰に憚ることなく肩で風を切って歩き始める。
夜のスラムには官憲の見回りも来ないし、盗賊ギルドの一員であることがあからさまである集団を好き好んで通報する住人も居ないので、この行動についてはそこまで問題があるわけでもない。
こんな人相の悪い集団がこそこそと行動している方が、よほど他人の興味を引いてしまいかねない。
誘拐犯どもはスラムの中を町の外周に向かって進んでいき、最終的には町の外に出てしまった。
マッケイブは迷宮入口の周囲に自然発生し、現在も人口の増加とともにどんどんと規模を拡大している都市なので、町の外周は壁などで囲われていないから出ようと思えばどこからでも出られるのだ。
誘拐犯どもが町の外に出て行くというのは少々予想外の事態だった。
"鼠"の頭領から聞いた話では、リサを誘拐した後はスラムの中にある【夜鷹】のアジトとして使われている建物のうちのどれかに連れて行き、そこで交渉なり脅迫なりが行われるだろうと推測されていたからだ。
だが、予想外の事態と言ってもケンや【黒犬】の盗賊たちがやるべき事は特に変わらない。
障害物のない町の外では尾行するのに少々骨が折れるが、逆に言えば違いはそれだけだ。
誘拐犯どもはあまり目立たないようにするためにガラス部分を薄い布で覆って明るさを抑えたランタンを持っているが、そのせいで少し離れていればこちらの姿は闇に飲まれてしまうし、そこにそういう物があると判っていればごく弱い光でも十分目印になる。
町から直線距離にして数百メートルも離れてしまえば、そこはもう森の中である。
ガサガサと草を掻き分ける音をさせながら獣道を進んでいく誘拐犯どもを、ほとんど音を立てずにケンが追跡する。
わざと距離を取って追跡してくる後続のために目印を付けておくのも忘れてはいけない。
星明かりも届かない森の中なので普通にしていては目印が全く見えないだろうが、今回【黒犬】から参加した"穴熊"の実戦部隊のうち数人はケンと同じバロウズ式<暗視>ゴーグルを装着しているので、十分見ることができる。
"穴熊"の副官が言うには「本当は全員分用意したかったんッスけど、残念ながら予算と時間の都合が付かなかったんッスよねぇ」だそうだ。
複雑な構造を持つ魔道具が高価なのは当然だが、そういった物は技術的な問題からその魔道具を製造できる人数が限られてしまう。だから、数を揃えようとすると金額以上に時間が問題になってくるようだ。
<持続光>の魔道具のように製造が簡単で、作れば作っただけ売れる魔道具であれば大量供給されるので市場在庫もすぐ見つけられる。
しかし、ゴーグルのような特殊用途の魔道具だと売れるかどうかが判らないので、どこも在庫を抱えたがらないのも入手までに時間がかかる理由だ。
ケンの前を歩いている誘拐犯どもはそんな便利で高価な魔道具を誰も所持していないので、被せていた布を取り払って本来の明るさに戻ったランタンで周囲を照らしてもまだ視界が悪いままの森の中を、足元に注意しながらゆっくりと歩いて行く。
集団の中の2人は女1人ずつを担いでの移動なので、なおさら慎重な足取りになっているようだ。この速度ならば【黒犬】の盗賊たちも直に追いついてくるだろう。
森の中の曲がりくねった道をしばらく進んでいくと、一帯の木が伐られて広場になっている場所が見えてきた。
その広場には普段は樵が使用しているものと思われる小さな丸太小屋が建てられていて、壁を繰り抜いて雨風避けの板が据え付けられただけの窓の隙間からは微かに明かりが漏れている。
小屋の入り口の隣には、顔に<暗視>ゴーグルを装着した見張りが1人立っているのが見えるので、間違いなく中にはリサ・ウェッバー誘拐計画の発案者もしくは主犯が待っているのだろう。
ケンは身を隠す場所がない広場の中には立ち入らず、木の陰に身を隠して小屋へと近づいていく誘拐犯を観察する。
誘拐犯どもは無事目的地に着いた事で安堵したようだった。
それまでは一応は黙って歩いてきたのに、開放感からか声を潜めずに会話を始めて兄貴分に頭を叩かれている奴もいた。
誘拐の実行部隊リーダーが丸太小屋の前に立つ見張りの男に二言三言話しかけた後、扉を開けて小屋の中に入っていく。
小屋前の広場ではリサとハンナを閉じ込めていた袋が地面に下ろされ、袋の中から縛られたままの2人が手荒に引きずり出されていた。
ハンナは縄で体中を巻かれたまま地面の上に仰向けに転がされ、リサの方は体に巻かれた縄は解かれたものの、手首と足首は縛られたままで地面の上に座らせられている。
上司が近くに居るからか、性欲が駄々漏れの誘拐犯共もさすがにリサ達の身体に触れようとはしなかった。その代わり、性犯罪者そのものの目付きで地面の上に寝転がっているハンナの胸や腰の辺りを舐め回すように見ている。
獣のような男どもの下卑た視線を向けられているのはハンナの方ばかりで、リサの方は誰一人として―――いや、1人だけリサにそういった目を向けている男が居たようだ。
小屋の前で見張りに立っていた男はそんな誘拐犯たちの姿に呆れたような表情をしていたが、特に何かを言う事は無かった。
小屋の中から先ほど中に入っていった実行部隊のリーダーを含めて合計3人の男が出てきた所までを見届け、ケンは仲間たちと合流するために一旦森の中に引き返していく。
それほど待たされることもなく、サブが率いる【黒犬】の部隊と合流できた。
戦闘技能を基準に選んだので隠密技能は劣ると言っていた割には、全員かなりの腕前である。
「どうッスか?」
「この先の小屋に首謀者と思われる奴が2人、ゴーグルを付けた見張りが1人いる所までは確認できた。恐らく見張りは小屋の周囲に複数配置されていると思われる」
サブの小声での問いかけに対して、ケンも小声で報告を行う。
今いる場所は小屋から50メートル程度は離れているし、生い茂った枝葉が音を遮ってくれるのでこの程度の大きさなら問題ない。
「途中で見張り番を1人だけ片付けて来たッスから、間違いなく他にも居るッスね。そっちもゴーグル付けてたんで下っ端じゃなくて上の方の奴らだと思うッス」
下部組織を使うだけではなく【夜鷹】の本体からも人材を出していたようだ。
どうせ人を出すのなら最初から本体側で全部やれば良いと思うのだが、敵は敵で何か事情があるのだと思っておくことにする。
「これからどう動く?」
「現状"血塗れ"は町の中に残ったままって連絡があったッスから、介入は気にしなくて良さそうッス。当初の予定通りにプランAで行くッス」
プランAとは最も使用される可能性が高いと思われていた計画で、内容は「敵アジトの周囲を探索して見張りを排除した後、総員でアジトを包囲し、合図と共に一斉に襲撃して敵を速やかに無力化」というものである。
単純だが、単純な故に大きな失敗を犯さなければ確実な成功を見込める策だ。
この計画では、ケンともう1人が襲撃を実行する前に出来る限りリサとハンナの近くまで忍び寄っておき、合図とともに彼女たちを速やかに危険な領域から脱出させるという役目を負っている。
「了解」
"穴熊"の精鋭たちはそれ以上何も問うことなく、自分の役目を果たすために森の中に消えていった。
ケンは今回の相棒となる男と互いの<暗視>ゴーグル越しに目線を合わせ、どちらからともなく頷きを交わしてから彼らと同じように森の木々の間を抜けていく。
ケンが複数での行動に全く慣れていないため、ケンが先行するのに合わせて相棒から追従してもらえる事になっている。
町中で一度訓練した時に相棒の実力の程は理解しているので、遠慮なく動いても良い。
誘拐犯どもが居る丸太小屋の背後に回りこむように進んでいくと、木陰に身を隠すように立っている見張りの男を1人発見した。
ゴーグルを装着したその男は小屋があるのとは逆の方向を主に監視していたせいで、小屋の横を迂回してきたケン達にはまだ気付いていない。
ケンは後ろから付いてくる相棒に対して「自分が対処する」という合図を送った後、愛用の鎚矛を構え、一言も発しないままに急速に距離を詰めていく。
見張りの男から約5メートルの距離まで忍び足で近付いた後は、足音を立てるのを気にせずに一気に突っ込んでいく。
当然、至近距離にいる見張りの男には足音でケンの存在に気付くが、慌てて身構えてももう手遅れだ。
付与されている<重量増加>の効果を発動し、威力を増した真っ黒なメイスを見張りの頭部目掛けて全力で叩きつける。
強烈な一撃が男のこめかみの辺りに命中し、頭蓋骨を砕いて脳を押し潰す。メイスを握った右手には急所を捉えた手応えが返ってきた。
攻撃の反動で吹き飛んだ男が木に抱きつくような格好になり、完全に脱力した身体がずるずると地面に崩れ落ちていく。
念のために倒れこむ途中の男の後頭部にメイスを叩きつけ、完全に止めを刺す。
男の死体はとりあえず近くにあった繁みの中に隠しておき、相棒と共に周囲を警戒しながら丸太小屋の裏手に回り込んでいく。
殺した1人以外の敵とは出遭わず、小屋の裏まで辿り着く事ができた。
小さく開いた窓から見える小屋の中は真っ暗になっていて、中から人の気配は感じられない。相棒に周囲の警戒を任せ、念のためにケンが壁に空いた穴から小屋の中を覗いてみても人影は確認できなかった。
相棒に向けて身振りで誰もいないと知らせると、それを見た相棒が梟の鳴き真似をして仲間に合図を送った。目を瞑って聞けば本物と全く聞き分けが付かないくらいに上手い鳴き真似だ。
ケンは鳴き声が示している内容を全く理解できないが、おそらく「小屋の近くまで着いた」という内容と「アジト内には誰も居ない」という意味を伝えているはずである。
相棒が合図を出した後、しばらくして返事が返って来たようだ。
ケンは小屋の左手側から回り込み、相棒は逆の右手側から回り込むという指示を伝えられたので、身振りで了解の意思を伝える。
そして、これまで以上に細心の注意を払い、小屋の壁に張り付くようにして身を隠しながら素早く、静かに小屋の前面に回り込んでいく。
数十秒でリサとハンナが目視できる場所まで到着し、ちょうどそこに積み上げられていた薪の陰に隠れた。
小屋前の広場にはリサ達と誘拐犯どもが勢揃いしていた。
手首足首を縛られた状態で地面に座るリサの隣には、身体を縄で幾重にも巻かれたハンナが転がされ、リサの目の前には小屋の中で待っていた2人の男が立って何か会話をしているようだった。
誘拐の実行犯どもはリサの背後を囲むように半円状に並んで立ち、<暗視>ゴーグルを装着した見張りの男は今も小屋の扉の横という広場全体を見渡せる位置に立っている。
誘拐の首謀者である男2人とリサの間には周囲を煌々と照らす<持続光>の魔道具が置かれ、目を吊り上げて首謀者の一方を睨み付けているリサの顔を明るく照らしていた。
ケンが隠れている場所からリサまでの距離は約15メートル。
こちらに背を向けている男の声は小さくてよく聞き取れないが、激昂したリサの口から発せられる「裏切り者」や「恩知らず」といった言葉から察するに、その男とは以前から顔見知りだったのだろう。
リサと話している男の方が別の町から来たという誘拐計画の発案者で、その斜め後ろに腕組みをしながら立っている方が誘拐を実行した盗賊ギルドの幹部なのだと思われた。
配置に付き、合図が出されるのを準備万端で待つ。
数十秒後、広場を挟んだ向こう側の森から猿の雄叫びのような甲高い鳴き声が聞こえた後、森の中から広場の中に2つの物体が僅かな時間差を付けて投げ込まれた。
投げ込まれた2つの物体のうち1つは目立たないように黒く塗られ、もう1つは目立つようにわざと白く塗られている。
何が飛んできたのかと驚いてその物体を見ている広場の中の人間を余所にして、ケンはその物体を直視しないように顔を俯かせて目を閉じる。広場の周囲に隠れ潜む【黒犬】の盗賊たちも同じようにしているはずだ。
そこからの変化は連続して起こった。
まず<持続光>によって明るく照らされていた広場が夜の暗闇を取り戻し、次の瞬間に闇を切り裂いて激しい閃光が発せられる。
広場の中にはたちまち野太い怒号と悲鳴で満たされた。
瞼を通してもまだかなり明るく感じられる閃光を合図にして広場の中央に向けて走り出し、ケンは地面に座っていたリサを抱き上げる。同時に、小屋の反対側から同じように走ってきた相棒が地面に転がったハンナを肩に担ぎ上げていた。
「いやっ! 何? 何ですの!? 痛い! 目が痛い!」
リサは激しい目の痛みのせいでボロボロと涙を流しながら、彼女を抱き抱えるケンの手から逃れようと訳も分からず身を捩って暴れている。
ハンナの方もどうにかして逃げようとしているようだったが、身体を縛られているせいで丸々と太った芋虫のように緩慢な動きにしかなっていなかった。
「暴れるなリサ、味方だ」
ケンがリサの耳元でそう囁くと、たちまち腕の中にいるリサが大人しくなった。借りてきた猫のようになったリサは思っていたよりもずっと軽い。
ケンと相棒はそれぞれ救出対象を抱えて森の中に逃げ込み、木々に身を隠す。
「縄を切るから暴れるなよ」
腰に下げた小型剣を抜き、リサの手首と足首を縛っていた縄を切る。ハンナの身体に巻かれていた縄や猿轡は相棒が外していた。
リサは縄の痕が付いてしまった手首をさすりながら、徐々に視力は戻って来ているもののまだ霞む目を瞬かせつつ無言でケンの顔を見つめている。
頬にリサの吐息が感じられるくらいに至近距離からずっと見つめられているので、とてつもなく居心地が悪い。
それから1,2分ほど経過して、広場の中から聞こえてきていた野太い悲鳴はもう聞こえなくなり、小さな呻き声が聞こえてくるばかりになった。
広場の中では再度<持続光>の明かりが点けられたようで、ケンがいる場所まで光が漏れてきている。
「状況終了!」
安全を宣言する声が聞こえた後、念の為に一度自分の目で状況を確認してからリサを伴って広場の中に戻る。 リサは何故かケンが促しても立とうとしなかったので、腰でも抜けたのかと思って引っ張り上げようと近づいていくと急に立ち上がってケンに抱きついてきた。
「お話は後でじっくりと聞かせて頂きますわね?」
耳元で発せられたリサの言葉に背筋を激しく粟立たせながら、スタスタと広場に向かって歩いて行く彼女の後を追う。
本当はこのまま逃げてしまいたい。
広場の中は阿鼻叫喚の様相を呈していた。
誘拐の実行犯の多くは身体のどこかに傷を負って血を流し、手足を縛られて一箇所にまとめて転がされていた。大半は虫の息になっていて、何人かは既に死んでいるだろう。
それを見てしまったリサは青白い顔になって視線を逸らしている。
丸太小屋の入り口前の<暗視>ゴーグルを装着した男は首があらぬ方向に折り曲げられていた。あれで生きていたら人間ではない。
誘拐計画の発案者、盗賊ギルドの幹部、実行犯のリーダーの3人は見た限りでは大きな怪我もなく、それぞれ【黒犬】の盗賊2人がかりで地面に押し付けて拘束されていた。
合図が出された後に起こった事は単純だ。
最初に広場の中に投げ込まれた物は<暗闇>の魔道具である。
<暗闇>の効果範囲内にある<持続光>の魔道具は一時的に動作を停止してしまう。同時に<暗闇>の効果も消えてしまうが、今は夜なので両方共効果がなくなれば夜の闇が戻ってくるのが道理だ。
それから僅かな時間差で使い捨ての<閃光>の魔道具が効果を発揮し、その光を目にした人間は一時的に視力を失うことになる。
ケンが使っているバロウズ式<暗視>ゴーグルは、周囲の明るさに応じて効果量を自動調整して一定の明るさを保つようになっている魔道具だが、効果量の変化にはどうしても一瞬の遅延がある。
<持続光>の光が消えた後、暗くなってしまった視界が元通り明るく見えるように光量の増幅率を上げるのだが、その瞬間に<閃光>が発動してはひとたまりもない。
光量制限機能が付いているのでそれだけで失明する事は無いが、ゴーグルを使っていない場合よりも強く目が眩んだことだろう。
<閃光>によって敵の目を眩ませた後は、ゴーグルを装着した【黒犬】の盗賊たちが広場に居る敵に襲いかかっていくのだ。
<暗視>ゴーグルを付けた敵は最優先で排除し、次に誘拐計画についての重要な位置にいる3人を拘束する。
ここまでくれば、閃光と夜の闇に何も見えず手も足も出ない誘拐の実行犯どもは適当に動けなくなるくらいまで負傷させておけば良い。
「クソッ! テメエらどこの者だ! ウチのシノギを邪魔するとは覚悟は出来てんだろうなあ!」
事ここに至ってやっと事態を把握できたらしい【夜鷹】の下部組織の幹部である髭面が、自分達を襲撃した敵部隊の指揮官であるサブを睨みつけて怒鳴った。
なかなか堂に入った恫喝の声音だが、後ろ手に縛られた上に2人がかりで地面に押さえつけられていては威厳も何もない。
「アンタ達こそどういうつもりだよ? うちの身内に手を出すなんてのは、重大な協定破りだぞ」
サブの冷徹な反論を聞いて髭面が驚愕の表情を浮かべる。
一方、ケンは「サブも普通の喋り方ができるのか」とどうでもいい事で驚いていた。
「身内だあ?! その女は余所モンだぞ! 言いがかり付けるならもっとマシな言いがかりを付けやがれ!」
会話がしづらかったからか、サブが顎をしゃくって合図すると押さえつけていた2人が髭面の身体を引き起こして正座の状態で座らせた。
「じゃあ証拠を見せてやるよ……向こうを見ろ。今、リサ・ウェッバーの後ろに立ってる人が誰だか知ってるな?」
髭面が武器を含めて全身黒尽くめの格好をしたケンを見て疑問の表情を浮かべ、すぐに正体に思い至ったのか動揺を露わにする。
「その真っ黒な格好……テメエは……何でここに居る!」
「ちゃんと知ってたようだな。じゃあ、そこに居るリサ・ウェッバーが黒鎚と同じ宿に泊まっていて、黒鎚の女だって事を知らない訳が無いよなあ? 身内の女なら身内に決まってるだろ」
決してそんな関係ではないと抗議したいところだが、余計な事を言うと厄介な事になってしまいそうだったのでケンは沈黙を保つ。
リサがどんな表情をしているかについては、彼女の背後に立っているケンには分からない。サブの語る内容に驚いたリサがこちらを振り向いているように見えるのは、恐らく目の錯覚だろう。
「証拠がねえ! 黒鎚がテメエらの身内だって証拠も、そこの女が黒鎚の女だって証拠もな!」
「往生際の悪い奴だな……それじゃあお二方、証拠を見せてやってくださいッス!」
先ずケンが左手の手甲を外し、その下に挟んでおいた【黒犬】の紋章が染め抜かれた布を見せ付けてやると髭面の表情が歪んだ。
「リサ、あの男にペンダントを見せてやれ」
次に、ケンに促されたリサが服の下からペンダントを引き出して目の前に翳した。<持続光>の光に照らされて、ペンダントトップの裏面に薄く彫り込まれた【黒犬】の模様が輝いている。
普段は全く気にならないくらいにごく浅く彫り込まれているが、光の反射の具合が違うのでこうして見るとよく判る。
それらを見た髭面はぽかんとした表情を浮かべた後、徐々に怒りの表情に変わっていった。
「……テメエら俺をハメやがったな! こんなのはありえねえ! こんなやり方が許される訳がねえぞ!」
「命だけは助けてやるから言い訳は別のところでやってくれ。【夜鷹】の上の方がその言い訳を聞いてくれるかどうかは知らないけどな」
今度こそサブに止めを刺された髭面は一転して情けない表情に変わった後、がっくりと力なく項垂れた。
襲撃現場の後始末と捕虜の扱いについては全て【黒犬】に任せた。
その場ではリサと【黒犬】の間で後日会談の場を設ける事だけを確約し、リサとハンナ、ケンに加えて護衛の盗賊数人はマッケイブの町へと戻る。
「ケンイチロウさん? 今日の事はどうなっているのか、ちゃんと教えて頂きますわよ」
町の中に入って盗賊たちと別れた後、遂に恐れていたものが訪れた。
先を歩いていたケンは立ち止まってリサと向かい合う。
「……説明できることなら説明しよう」
「いえ、これ以上遅くなるとエイダさんを心配させてしまうので、今は一つだけ」
大きく深呼吸。
「ケンイチロウさん、貴方は本当にグレンではないのですか?」
ただ違うと言うのは簡単だった。グレンという男とケンイチロウという男は精神的には間違いなく別人だからだ。
だが、それだけでは彼女は納得しないだろうし、ずっとそう言い張り続けるのも限界があった。
主にケンの精神的な安定という意味での限界が。
だから半分だけ本当の事を言った。
「実を言うと俺にも分からないんだ。俺の最初の記憶は今から5年と数ヶ月前、迷宮の前に立っている時から始まっていて、それより前にこの世界で過ごした記憶が何もない」
「5年より前の記憶がない……」
「この事は今まで誰にも話した事がなかった。この町で知り合いの1人にも会った事がなかったし、誰かに言ったってどうにかなる問題じゃなかったからな」
それを聞いたリサは目を閉じて、ケンの言葉を噛みしめるように呟いた。
「解りました。きちんと答えてくださって有難うございます」
どこか吹っ切れた様子で微笑んだ後、軽い足取りで【花の妖精亭】に向かうリサと慌ててそれを追うハンナをケンは見送った。
今回で第三章は終了です。
次回の投稿は10月中旬を予定しています。
なるべく早くお届けできると良いのですが、しばらくお待ち下さい。




