第35話 急変
リサ・ウェッバー誘拐計画介入のための監視1日目は、"鳩"の元締めが移動したがらなかったせいで、一日中【黒犬】の幹部が集会に使うという豪華な部屋の中でずっと過ごす羽目になった。
部屋が豪華すぎる上に広すぎ、その上に"鼠"と"鳩"の護衛達がずっと無言のままに周囲に控えているという状況はかなり居心地が悪い。
しかし、居心地が悪いと感じていたのはケン1人だけだったらしい。
人に傅かれる事に慣れきっていそうな"鳩"の元締めは当然としても、庶民派に見える"鼠"の頭領でさえも衆人環視の状況を特に気にした様子がなかった。
貴人は召使を同じ人間だとは思っておらず、貴族の若い娘や奥方が下男に素っ裸を見られても別段気にしないのだなんて聞いた事があるが、もしかしてそれと同じ様な感覚だろうか。
確かに権力者、それも敵が多そうな裏社会の要人ともなれば危険すぎて単独行動なんてできないだろうし、護衛の人間が近くに居るのが当たり前であるなら、いちいち気にしてなんていられないだろう。
"鼠"の配下からの報告では、ケンが複数日続けて迷宮に入ると宣言してから出発したせいなのか、【花の妖精亭】を監視する【夜鷹】の盗賊たちの行動がかなり活発化しているという事だった。
怪しげな風体の男があからさまに店の周囲をうろつき回るようになり、監視1日目にして早くも事態が動くかと思われたが、結局はリサとそれに随伴するハンナを遠巻きにするだけで直接の接触はなかったようだ。
1日目は特に何事も起こらず、リサ・ウェッバーが外出先から無事に【花の妖精亭】まで帰り着いた時点でお開きとなった。
"鼠"と"鳩"の2人は自分の護衛達も含めて別々の正式な出入口から帰り、ケンだけはここまで来る時に使った非常用脱出口から外に出た。
当たり前の話だが、迷宮に潜っている事になっているケンが【花の妖精亭】に帰る訳にはいかないので、一度別れた"鼠"の頭領と再度合流して、彼の隠れ家の一つをその日の宿として使わせてもらった。
エイダが切り盛りする【花の妖精亭】ほどでは無かったが、それなりに部屋は綺麗にしてあったし料理も結構なものだった。
本当なら、迷宮の硬い地面の上で塩辛い干し肉と釘が打てるくらいに堅いパンを、革の匂いが移った水で流し込んでいるはずだったのだし、むしろあの価格であの質の料理と部屋を提供しているエイダの方が異常なのだから、文句を言っては罰が当たる。
リサ・ウェッバー誘拐計画介入のための監視2日目。
ケンと"鼠"の頭領の2人は、貧民街の一角にある隠れ家の一室でのんびりとしていた。
事態が動かないうちは特に出来る事もないので、今は暇潰しのためにリバーシをしている。
なんでも、1回聞けば誰でも覚えられるくらいにルールが単純で1回のゲーム時間も短くて済むリバーシは、マッケイブの町では手軽な暇つぶしや賭博の手段としてそこそこの地位を得ているらしい。
カードなどとは違って不正が困難だというのも高評価、だそうだ。
最初はチェスに似ているこの世界特有のゲームで遊んでいたのだが、ケンがあまりにも弱すぎたので暇潰しとしては不適と判断されていた。
ルールくらいは知っていても碌にやった事が無いのだから仕方がない、と誰にともなく言い訳をしておく。
今使っているリバーシ盤と石はベティとやる時に使っているような手製の簡素な物ではなく、職人が手ずから作った質の良い品だった。
リバーシの考案者と言うかアイディアを借用してこの世界に広めたケンとしては、上手くすればこれで大儲けできたのではなかったかと一瞬だけ考えた。
しかし、一般人には著作権という概念が浸透しておらず、それ故に全く法整備もされていないこの世界では、始めの頃は独占的に販売する事で儲けられても、すぐに類似品が大量に出まわって終わりだろうと思い直す。
魔道具の場合、ケンの知っている特許制度に似た発明者の登録制度が存在しているのだが、あれは魔道具創作者というごくごく狭い世界における単なる紳士協定でしかない。
簡単に大金持ちになれる、なんて美味い話はそうそう転がっていないようだ。
男2人だけのむさ苦しい空間でのんびりとゲームをしつつ、雑談に興じる。
楽して儲けられる美味い話がどうだこうだと考えていたせいか、雑談の内容がいつの間にか商業関係になっていた。
「ふと疑問に思ったんだが、グレイス……リサ・ウェッバーが会いに行ってるのってこの町に根を張ってる商会の奴らなんだろ? 商売仇になりそうな相手に協力する奴なんているのか?」
パチリパチリと白石を裏返して黒石にしながらケンが問いかけた。
ウェッバー商会のマッケイブ進出計画には、町と町の間で荷を運んで商会相手に卸すという問屋業だけではなく、町の中に店舗を構えての小売業部分も含んでいる。
商売の美味い部分を独占しているという既存の商会側が、協力的な態度を取る理由が無いように思える。
「この町の連中も、別にそうしたくて縄張りを分け合ってる訳じゃねえからなあ……本音ではどいつもこいつも他を潰して自分のトコで独占したいと思ってるだろうよ。だが、抜け駆けしようにも単独でやってちゃあ寄ってたかって潰されるだけだし、じゃあ複数で手を組もうと思っても話を持ちかけた相手が裏切らないって保証がねえ」
黒石を白石に変えながら"鼠"の頭領が答える。既に終盤に突入している盤面は少しだけ黒が優勢だった。
「そんな状況だから、ウェッバー商会が進出してきて場が荒れるのを内心では期待してる奴も居ると思うぜ? かと言ってそれを迂闊に表に出しちまうと、後でそれを口実にして潰しに来る奴がいるから誰も口には出さないだろうけどな」
「感触は悪くないはずなのに決定的な言質が全く取れない、ってリサがボヤいてたのはそういう事か」
今回のゲームは黒が僅差で勝利した。
今のところ6:4でケンが勝ち越しているが、ほとんどリバーシをやった事がなかった"鼠"の頭領相手の戦績としては全く誇れるものではない。
「今更言う事じゃないかも知れないが、商人の屋敷にいる間に誘拐される危険は無いのか?」
「それをやっちまうと、やっぱり他の商会から攻撃の口実にされかねないから大丈夫だろ。確実にウェッバー商会とも揉めるからなあ」
「誘拐計画に協力するとしても、何時、どこで会うのかって情報を渡すくらいが関の山か」
「だろうな」
自主的に何かをしようとすれば周囲に寄ってたかって潰されてしまうとは、何とも生き辛そうな世界である。
だが、黙って口を開けているだけで十分な量の食事が勝手に飛び込んでくる事を考えると、上を目指そうとしていない人間にとっては良い環境なのかも知れない。
しかし、そんなぬるま湯に浸りきったマッケイブの町の商会共が、激しい生存競争を勝ち抜いてきたウェッバー商会に自力で対抗できると本当に思っているのだろうか。
ケンにはこの上なく甘い見通しに思える。
天敵が存在しない環境で我が世の春を謳歌していた種が、ある時侵入してきた少数の外来種によってたちまち絶滅の危機に追い込まれた、なんて話はこの世界でもざらにあるのだが。
天気のいい日中をのんべんだらりと過ごしていた2人の元に、少しだけ焦った様子で近づいてくる1つ人影があった。
この2日間でケンも何度か見かけたことがあるその男は、"鼠"の副官である。
今はリサ・ウェッバー監視の情報取りまとめ責任者の地位にあり、誘拐事件に関わる情報は全て彼の元に集まるようになっている。
集められた雑多な情報をまずは副官が選別し、彼が知らせるべきと判断した情報や副官という職権では判断を下せない問題が発生した場合にのみ、こうして"鼠"の頭領に知らせに来る。
定時連絡の内容が全て「異常なし」だった場合には顔も見せない副官が急いでこちらに向かってくるということは、何か問題が発生したのだろう。
まだ太陽は空の高い位置にあるが、もしかしてもう誘拐が行われたのだろうか。
「ボス、至急お耳に入れたいことが……」
息せき切って駆け寄ってきた副官がケンの方にちらりと目線を送った後、"鼠"の頭領の耳元に口を近づけて何かを囁いた。
すると"鼠"の頭領の表情がみるみるうちに険しい物に変わっていく。これまでずっとお気楽そうな表情ばかりを見せていた彼がこれ程まで表情を歪めるのを、ケンは初めて目にしている。
「もう"穴熊"には?」
「はい、既に1人送りました」
「念のためもう1人行かせろ。"穴熊"に『本命の方はこっちが何とかする』と伝えさせろ。"穴熊"本人に直接伝えて返事を受け取ってこいってな」
「はいっ!」
短いやりとりのあと、副官が急いで部屋から出て行った。
"鼠"の頭領の表情はずっと険しいままだ。
「面倒事か?」
「面倒事どころか、超面倒事だぜ……悪いが予定変更だ。これから人手が足らなくなりそうだから、アンタにも動いてもらいてえ」
「それは構わないが、事情は聞かない方が良いのか?」
「いや、別段そういう訳じゃねえ。聞きたいって言うなら教えるぜ? 聞いて気持ちが良い話じゃねえし、聞いたからってどうなる話でもねえが」
「一応聞いておこう」
こういう場面で好奇心を抑えられないから面倒事に巻き込まれるのだと薄々気付いてはいるが、聞かずにはいられない性分なのだから仕方がない。
「さっきのはな、とある男が町中で目撃されたって報告だよ。その男ってのは"血塗れ"なんて二つ名が付いてる盗賊でな、目的のために殺すんじゃなくて殺すのが目的だっていう狂人さ。もう7年か、いや8年ぐらい前になるかな。抵抗できない女子供を何人も甚振ってから殺した、ってのがバレて町から追い出されたんだが……ほとぼりが冷めたと思って戻って来たみてえだな」
当然の事ながら、盗賊にとって暴力というものは日々の糧を得るための手段であって目的ではない。
暴力を振るわずに目的を達成できるのであればそちらの道を選ぶし、殺人というのは必要に駆られた場合のみに行われる最終手段だ。
やり過ぎれば恨みを買って報復される危険があるし、あまり派手にやっては官憲に鼻薬を嗅がせるのにも限界がある。
中には暴力を振るったり殺しをしたりする事そのものが目的だという人間も存在する。
そういう奴の大半は、探索者や冒険者になることで暴力衝動を満たすと同時に生活のための資金が得られるような道を選ぶ。
しかし、ごくごく少数ながら人間相手以外では欲求を満たすことができない者も存在し、人間を殺すために傭兵になって戦場に立ったり、はたまた快楽殺人者として意味もなく殺して回ったりするようになる。
「あんなクズでも腕が立つって理由だけで慕う奴ってのは居るもんらしくてなあ……ヤツは1人で戻ってきたんじゃなくて、5,6人ばかり引き連れてるらしい。これまで何をやってたのかは分からんし"血塗れ"とそいつらがどういう関係かもまだ分からんが、まあ、碌でもない関係なのは間違いないだろうよ」
「その"血塗れ"が今回の件に絡んでくると?」
女子供を殺したくて仕方がない奴が襲撃に加わるとなると、リサやハンナが問答無用で殺されかねない危険がある。
リサを殺すことでもウェッバー商会のマッケイブ進出は阻止できる、つまり目的は果たせるのだからむしろ嬉々として殺しかねない。
「まだ確定情報じゃねえけどな。今回の誘拐計画の主体になってるギルドのナンバー2だか、ナンバー3だかがその昔"血塗れ"の弟分だった奴らしいんだよ。仮にギルドに入ったとして今回の件に関わってくるかは判らんが、こっちとしては最悪の場合に備えざるを得ねえ」
「なるほど……俺はどう動けばいいんだ? 生憎と貧民街の土地勘が無いし、俺は大して戦闘も強くないからその"血塗れ"と戦えと言われても厳しいものが有るんだが」
腕が立つという理由で慕う奴が居るほどの腕前を持っているなら、おそらくケンでは歯が立たないだろう。
ただ殺せば良いだけなら、不意打ちをするなり毒を盛るなりいくらでもやりようはあるが。
「そっちは"穴熊"にやってもらうつもりだ。今回は念のため戦闘に長けた奴らを揃えてもらってたからな。アンタには、そっちに人を回す分だけ手薄になっちまうリサ・ウェッバーの監視と尾行を担当して貰いてえ。どうせ最終的にはその場に居なくちゃならねえ訳だしな」
「ちなみに、部隊の指揮も無理だぞ」
「解ってるよ。まとめは"穴熊"のとこの副官にやらせるから、アンタはそいつの下に入って欲しい」
「了解した」
手早く準備を整えた後、ケンはスラムがあるマッケイブの北区画から、行政府や貴族の邸宅がある南区画に移動した。
この町の大商会の経営者達が商業地区ではなく揃って貴族街に居を構えているのは、もしかして自分たちが特権階級であるという意識の現れだろうか。
【黒犬】の盗賊たちとの合流地点は、リサが本日面会を行っている商人の邸宅から少し離れた場所に設定されていた。
合流地点に到着した後は【黒犬】にだけ判る合図を出した状態で待機する。
数分ほど経過したところで道の向こう側からブラブラと1人の男が歩いてきた。その男が目立たないように出している合図から、彼が待ち合わせの相手である"穴熊"の関係者だと判った。
男は全く歩調を変えずにケンの前を通り過ぎていき、十数メートルほど離れてからケンは後を追う。
相変わらずブラブラと歩き続けていた男が表通りに面した1つの喫茶店の前で立ち止まったので、念のため警戒を解かないようにしながらケンの方から近付いていく。
ずんぐりとした体型で厳つい顔をした"穴熊"の頭領と違い、待っていた男は痩せ型で平均よりも少しだけ背の高い男だった。顔だけを見ればかなりの美形なのに、感じさせる雰囲気には全く派手さが無い。
ハンナのような天性の影の無さではなく、違和感がない程度にわざと存在感を抑えている様子だった。
ケンが彼の数メートルの距離まで近づくと、その男が右手を挙げながらへらっとした笑顔を浮かべて挨拶をしてきた。
「やー、どーもどーも。黒鎚さんッスよね? 初めまして。黒鎚さん呼びだとあれなんでクロさんって呼んでも良いッスか? あ、申し遅れましたが、自分は"穴熊"の副官をやってるッス。仲間にはサブって呼ばれてるんで、クロさんも気軽にサブって呼んで欲しいッス」
全く予想外の個性だった。
三大盗賊ギルドに所属する幹部の副官の地位にあり、実戦部隊の指揮も任されているのだから無能であるはずが無いのだが、雰囲気からは全くそういった背景を感じさせない。
いかにも切れ者という雰囲気を漂わせていては相手に警戒されてしまうから、潜入などを行う者としてはこれで良いだろう。
要人の護衛であれば周囲に対して「護衛している事」を顕示するために威圧感を持つことも必要だが、それでは潜入捜査はできない。
彼の今の姿が演技ではなく、彼が生来持っている天然の姿のようにしか見えないのが少し気になるところだが、世の中は適材適所だとでも思っておくことにしよう。
「……分かったよ、サブ」
「んじゃ、ここの店入りましょう。クロさんなら言うまでもなく大丈夫だと思うッスけど、ここは【黒犬】の店とかじゃないんで一応気を付けて欲しいッス」
「良いのか?」
「リサ・ウェッバーが出てくるまでは俺たちに出来る事は無いッスからね。ちゃんと見張りは居るんで問題無いッスよ。それに、大の男が日中から通りで立ち話してるってのも変じゃないッスか?」
サブの言うことも尤もだと思い、喫茶店の中に入る。
貴族街の中に有るだけはあってかなり高級そうな雰囲気の店だった。若い女を中心に数組の客が居るが、大声を上げて喋っているような行儀の悪い客は1人も居ない。
店員の案内を受けて奥の方にあるテーブル席に着く。テーブル同士の間隔が広く保たれている上に半個室状になっているので、普通の音量で話している分には他人に聞かれることもないだろう。
適当に飲み物の注文を済ませると、早速今後についての打ち合わせを行う。
「クロさんにご登場願った経緯については既にお聞きッスかね」
「大体のところは聞いてるよ」
「じゃあそれについては省略して、まずは念の為に現状を説明しておくッス」
サブが語った内容は、ここに来る前に"鼠"の頭領から受けた内容とほぼ同じだった。
"穴熊"の頭領が2つに分けた部隊の一方を率いて"血塗れ"とその手下の監視を行い、必要があれば牽制もしくは襲撃を行う。
そしてもう一方の部隊を目の前の副官が率いて、本来の目標であるリサ・ウェッバーの監視及び誘拐からの救出を担当する。
"穴熊"の頭領が直接出てくるという関係上、【夜鷹】の本体ではなく下部組織の1つを相手取るにしては過剰なくらいの戦力を準備してあったので、予定していた半分の人数でも続行は可能との判断が下っている。
「それで、クロさんには待ち人が屋敷から出てきた後の尾行と、【夜鷹】がアジトに帰った後で偵察の中心になって欲しいッス」
「俺で大丈夫なのか? 人間相手にはあまり経験がないんだが」
「失礼ながらここに来るまでの間にクロさんの事を観察させて頂いたんスけど、今いる手勢の中ではクロさんが一番適任だと思ったッス。今回はどちらかと言うと戦闘に比重を置いて人を選んでる上に、頭領の方に隠密行動が得意なのを多めに振り分けちまってるんで」
そこら辺を歩いている普通の兄ちゃんのような見かけをしていても、流石の観察眼を持っているのだとサブに対する認識を改める。
見た目だけで判断するのは危険だと理屈では分かっているのだが、どうも認識が見た目に引っ張られてしまう悪い癖がある。
「そういう事であれば引き受けさせて頂こう。サブの指揮下に入るから遠慮無く命令して欲しい」
「ありがたい事ッス」
結局、その喫茶店でしばらくサブと雑談をして、昼食までそこで摂った。
昨日と言い今日と言い、暇つぶしの雑談と飲み食い以外に何もしていない気がする。
ちなみに値段が高いだけはあって料理とお茶はそれなりに美味かった。
だが、そのゆっくりとできた時間もそこで終わり、喫茶店を出た後はすぐに屋敷の監視任務に就いた。
特に何事も起きず変化の無い光景を身を隠しながらじっと見ているだけの仕事だが、鈍っていた感覚を徐々に取り戻すためにはちょうど良い。
もう11月に入ったマッケイブの町は、日が落ちるのが随分と早くなっていた。
夕の鐘が鳴る頃にはすっかり夜の風景である。
日が落ちてから見張りを交代したタイミングで、サブに頼んで迷宮の中から取ってきて貰った自分の装備に着替えた。2日も空いていないはずだが、ずいぶんと久々に黒尽くめの格好になった気がする。
いつもの格好に戻ったおかげか、少々鈍っていた感覚も完全に取り戻せていた。
むしろ、普段よりも周囲の気配を鋭敏に感じ取れているくらいに調子が良い。
その後もリサが居る商人の邸宅の監視を続け、もうすっかり夜と言っていい時間になってからやっとリサが姿を現した。
今日の面会相手にはずいぶん長々と引き止められていた様子で、【花の妖精亭】までの道中では愚痴を言うハンナを慰めるリサという珍しい構図を目にすることができた。
リサを遠巻きに囲んで尾行する【夜鷹】の盗賊どもを、更に【黒犬】の盗賊達が囲んで尾行する。
ただし、ケンのみは【夜鷹】の盗賊どもの囲みの中、リサ達から数メートルしか離れていない位置で姿を隠しながら尾行していた。
万が一、誘拐ではなく最初からリサを殺害しようとした場合に、どうにかして制止しなくてはいけないからだ。
女2人とその周囲を二重に取り囲む多数の男という奇妙な集団は、貴族街を抜け商業地区へと入っていく。
【花の妖精亭】まであと数分で到着するという時間になった時、遂に動きがあった。
夜と言ってもまだ人通りが絶えるほどの時間ではないのに、ぽっかりとその周辺だけ誰も居なくなっている。おそらくは【夜鷹】がその周辺の人払いをしたのだろう。
それまで遠巻きにしていた【夜鷹】の盗賊たちがどんどんと距離を詰めていき、リサとハンナが何かに気付いたように立ち止まった瞬間、男たちが一斉に飛び出してハンナを地面に押さえつけた。
「ハンナ!」
叫ぶリサに対して、襲撃部隊のリーダー格だと思われる男が詰め寄っていく。
「リサ・ウェッバーだな? 俺と一緒に来てもらおう」
抵抗は無駄だと悟っているのか、リサは男を睨みつけたまま逃げようともせず毅然とした態度で立っていた。
男たちは手際よくリサとハンナに猿轡を填め、縄で手足を縛った上で小汚い麻袋に押し込む。
更にその袋の口を縄で縛った後、担ぎ上げて何処かへと運んでいく。
さて、リサ・ウェッバー誘拐計画の第一段階は、一応は予定通りに行われている。
後はこれから、正体不明のヒーローよろしく彼女たちを無事に救い出すだけだ。




