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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第三章 過去よりの使者
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第34話 計画発動

 ケンは探索者に扮装した盗賊(シーフ)4人を引き連れて迷宮出口へと向かった。


 本当は片手剣を持った男が探索者パーティとしてのリーダー役を務めるはずだったのだが、盗賊達全員がケンに気を使い過ぎている様子が有り有りと見えてしまっていたので、仕方なくケンがリーダー役を引き受ける事にした。

 すると、パーティリーダーを立てる平メンバー達という自然な形に見えるようになった。

 探索者パーティの中にはリーダーの独裁(ワンマン)パーティというのもザラに見かけるので、それほどおかしく思われる事もなさそうだ。実際に、出口まで戻る道中に何組かの探索者パーティとすれ違ったが、特に不審そうにしていた奴はいなかった。

 始めは盗賊達の人相が悪い事について少しだけ心配していたが、よく考えれば迷宮探索者の方もガラの悪さでは引けを取っていなかった。

 町中では、下手なことを仕出かせば上から仕置を受けてしまう盗賊ギルドの下っ端達よりも、歯止めのない迷宮探索者の落ち零れの方がよほど素行が悪かったりするし、盗賊ギルドの末席に名を連ねつつ探索者をやっているなんて奴も居ないわけではない。



 来た時と同じくらいの時間をかけて迷宮出口に辿り着き、あくびを噛み殺しながらのんびりと立っている警備員と徴税官の横を抜けて町の中に入る。

 目論見通り彼らには特に注目されなかったし、特に何かを言われることもなかった。

 町に戻ったのはまだ朝と言っていい時間帯である。これからようやく店を開けようとしている個人商店もちらほらと見かけられた。


 ケンは、盗賊達のリーダーに案内されて"鼠"の頭領が待つ場所へと向かう。

 集合場所は町の北区画、俗に貧民街(スラム)と呼ばれている地区にあるようだ。

 進んでいくにつれてどんどんと周囲の建物がみすぼらしい物になっていき、道端にゴミが転がっていたり正体不明のシミがいくつも付いていたりする。

 スラムという場所は治安が悪い分だけ物価や宿泊費が安いので、赤貧探索者の中にはこの辺りで宿を取る奴も少数ながら存在している。だから探索者パーティがスラムを歩いていても特に不自然ではないし、だから注目されることもない。

「ういーす」

「おう、オヤジ! 何でも良いからとりあえず酒くれや!」

 ケンと盗賊4人は連れ立って【黒犬】が経営しているらしい酒場の一つに入った。朝という時間帯のせいで、店の中には前夜から泥酔して床に倒れている数人のみしか客が居ない。

 ドカドカと足音を立ててカウンター近くのテーブルへ向かう盗賊達と別れ、ケンだけが静かに店の奥へと進んでいく。

 盗賊達はとりあえずの役目を果たせてホッとした表情をしていた。



 酒場の店主からすれ違いざまに渡された鍵を使って、建物の奥へと続く扉を開ける。

 そこからまっすぐに進み、突き当りの部屋の中で椅子に座っていた男に対して"鼠"の頭領から教えられた合図を送る。

 偶然に同じ仕草をする事は絶対に無いと言い切れるくらい珍妙な動きである。どんな動きかはあまり説明したくない。

 すると合図を見た男が立ち上がり、椅子の下敷きになっていた部分の床にあった隠し扉を開いて地下へと続く階段を露わにした。

 【黒犬】の関係者以外はそうそう立ち入ることもできない部屋だというのに、何とも慎重な事である。


 男から手渡された<持続光>の魔道具を持って、ケンは地下に向かう。

 狭苦しくて急な階段を数メートル分下りた先には、幅が1メートルもないひたすらに真っ直ぐな通路があった。

 狭苦しい道を数十メートル進んだところで、今度は上り階段に突き当たる。

 先ほど階段を下りた距離の倍以上も長い階段を上がり切ると、そこには重厚な金属製の扉がでんと立っていた。

 その扉の表面をじっくりと観察してみても取っ手の類が1つも見当たらない。軽く押してみてもびくともしないし、扉のその物や周囲の造りからしてまさか引き戸ではないだろう。

 魔術師ギルドのギルド長室にあった扉のように魔術的な方法で開け閉めする物なのかと考えたが、そんな話は全く聞いていないし鍵になるような物も一切受け取っていなかった。


 他に方法も思いつかなかったので、扉を少し強めにノックしてみた。

 すると、金属製の扉のおおよそ顔ぐらいの高さにそれまで影も形も見当たらなかったスリットが突然開き、その隙間から2つの眼がこちらを覗いてきた。

 眼球の持ち主がたっぷり数秒もの時間をかけてケンの顔を確認した後、出現した時と同じような唐突さでスリットが消えた。数瞬前まで隙間があった場所を穴が空くくらい凝視してみても、継ぎ目は全く判らない。

 ケンが扉の前で立ち尽くしていると、やがてゆっくりと扉が開かれた。扉の向こう側には、以前に"鼠"の頭領と会った時にも見かけた用心棒の2人が揃って立っている。

「入れ」

 相変わらず必要最低限の単語しか喋らない用心棒に促され、部屋の中に入る。

 そこはたったの3メートル四方しかない殺風景な部屋で、今は用心棒が座るためと思しき木製の簡素な椅子しか置かれていなかった。

 レンガ造りになっているこの部屋の壁は隙間を埋める漆喰の塗り方も雑な代物で、部屋の中で背後の金属製の扉と右手側にある高級そうな木製の扉だけが異彩を放っている。

 興味に駆られて金属製の扉を観察してみたところ、扉のこちら側にはちゃんとドアノブが付いていた。どうも部屋の中からしか開けられない構造になっているようだ。


「少し待て」

 用心棒の片方が、木製の扉を開けてその奥に進んでいった。隣室にいる"鼠"の頭領にお伺いでも立てに行ったのだろう。

「いいぞ」

 すぐにこちらへと戻ってきた用心棒が言葉少なに入室の許可を与えてくる。

 ケンが木製の扉に向かって進もうとすると、用心棒のもう片方が声をかけてきた。

「荷物を預かる」

「武器はどうすれば?」

「いい」

 彼の言葉だけでは「預けた方が良い」のか「預けなくても良い」のかが判らない。首を横に振って否定を表していたので、持ったまま隣の部屋に入っても良いのだろうと判断した。

 迷宮の中に居た時からずっと背負いっぱなしだった背嚢を用心棒に渡し、腰に下げた鎚矛(メイス)はそのままにして木製の扉へと向かう。用心棒は特にこちらを引き留めようとはしなかった。



 木製の扉を抜けた先は広くて豪華な部屋だった。

 20メートル四方はありそうな部屋の床全面に毛足の長い絨毯が敷かれていて、隣の部屋と違ってきちんとした壁紙が貼られている壁面には、額に入れられた大判の絵画がいくつも掛けられている。

 その他にも壺やら細工物やらよく解らない形状をした物体(オブジェ)やらの芸術品が部屋の中にはいくつも飾り付けられていた。

 ケンは全く芸術を解さないので何にどれだけ価値があるかの目利きができないが、そんな男でも一目見ただけで理解できてしまうくらいの一流品揃いである。

 特に今入ってきた扉の正面にある一際大きな絵画は、何と言うか本物のみが発する"凄み"が感じられた。

 そんな事を言っておいて、実は全て複製品(レプリカ)ですと返されたらとんだ赤っ恥だが。


 ケンが見る限り、部屋の中には10人の人間が居るようだ。

 中央には大きな四角いテーブルが置かれ、そのテーブルの周りには大きな背もたれ付きの椅子が一辺あたり一脚ずつ配置されていた。

 合計4つある椅子のうち3つには既に誰かが座っていて、残りの7人はその3人の背後にそれぞれ控えている。その7人は大半が武器を持っているので、恐らくは護衛の人間だろう。

 椅子に座っている3人のうち、正面の椅子に座る小柄な鼠顔は"鼠"の頭領だと判っているが、残りの2人については全く見覚えがない。

 右手側に座っているのはずんぐりとした猪首の男で、左手側に座っているのは肉感的な美女である。

 猪首と美女の背後には護衛がそれぞれ3人ずつ立っているが、"鼠"の頭領の背後には1人しか居ない。

 先ほどの部屋に居た2人の用心棒は"鼠"の頭領の子飼いのはずなので、彼らを加えればちょうど全員が3人ずつの護衛を引き連れている計算になるだろう。



「よう! 待ってたぜ黒鎚(コクツイ)の。意外と早く着いたんじゃねーのか?」

 ケンがゆっくりとテーブルに近付くと、"鼠"の頭領が以前に会った時のように軽い調子で声をかけてきた。両脇の2人は無言のまま興味深げな表情でこちらを見ている。

 そう言えば前回、ケンは三大盗賊ギルドの幹部ともあろう者に対して随分とぞんざいな口をきいてしまったが、あれは問題にならなかったのだろうか。

 当人は特に気を悪くした様子もなかったし、部下に対してケンの事を「自分の兄弟分として扱え」と言っていたようだから別に問題は無いのだろう。

 畏まった口調に改めるのも今更だし、何故か"鼠"の頭領に対しては敬語を使う気が全く起きない。なので、彼に対しては前回と同じような態度で接することに決めた。


「その呼び方は止めろと言ったはずだが」

「まあまあ良いじゃねーか。こっちの業界では本名なんて呼ばねえもんなんだから」

そっち(・・・)の業界ではそういうもんだと言われれば、そういうもんなんだろうが」

 確かに、ケンは"鼠"の頭領の名前を知らない。

 前の世界でも今の世界でも、後ろ暗い行為に手を染めている人間はなるべく正体を明かさないようにするものだ、という認識があったので初めから名前なんて聞こうしなかったし、仮に聞いたとしてもどうせ本名なんて言わないと思っているからだ。

 偽名で呼ぶのも"鼠"の頭領と呼ぶのも、個体識別方法としては大差ない。


 しかし、こっちは迷宮探索者という一応は表社会の人間なのだから、勝手に裏社会の流儀に巻き込まないで頂きたいものだ、とケンは思う

 今居るのがどんな場所で、これから行われているのがどんな集会なのかについては意図的に考えない。



「立ったままってのもアレだからよ、そこの席使ってくれや。アンタのために空けてあるんだぜ?」

 "鼠"の頭領に座るように促されたが、ケンは少しだけ躊躇する。

 椅子に座っている3人は、本人たちの態度や連れてきた護衛の数を同数にしているあたりから、"鼠"の頭領とは対等な地位にあるように見える。

 この場所に居るのであれば盗賊ギルドの関係者なのは間違いなく、すると必然的に彼らは【黒犬】の幹部なのではないかという結論が導き出される。

 しかし、他の3人が豪勢な椅子に座っている中で1人だけ立ったままなのも滑稽だし、別にそれを受け入れた訳ではないが"鼠"の頭領はケンの事を兄弟分として扱えと指示しているらしいので、言ってしまえば彼も対等な立場である。

 将来的にどうなるかはともかく今はまだ「客」の立場なのだから、ホストとゲストが同じテーブルに着くのは何一つおかしな事ではないと誰かに言い訳しつつ座った。



「そんじゃ、無事に役者も揃ったみたいだし話を始めるとするか。まずはお待ちかねのお二人さんに俺っちの兄弟分を紹介しておこう……紹介しなくても知ってるんだろうけどな。彼が今回の(キーマン)である黒鎚だ」

 護衛も含めた10人の視線がケンに集中する。

 今のケンはいつものような黒尽くめの格好ではなく、盗賊の1人から渡された一般的な探索者らしい格好をしているので見ただけでは判らないだろうが、そんなものは知ったことではない。


「そして、黒鎚とは初対面の2人を紹介しよう」

 そう言ってケンの右手側に座っている男を示す。

 その男は身長がケンよりも頭半分ほど低そうなのに、体の厚みはケンの1.5倍ほどもあるように見える。巌のような、という表現がぴったりと合いそうな風貌だが、存外につぶらで可愛らしい眼をしている。

「こっちの男が"穴熊"の頭領だ」

「初にお目にかかる。黒鎚の噂はいろいろ聞いてるよ。前々からうちに入れようかと狙ってたんだが、まさか"鼠"に掠め取られるとは思わなかったよ……今からでも"穴熊(うち)"の方に移ってこないか?」

「初めまして。私の所属の件につきましては、今回の事が終わった後に改めて白紙状態から検討させていただきたいと思います」

 今すぐに答えを出さなくていい問題に対しては、玉虫色の回答というものはとても便利である。

「おいおい、俺っちの目の前で堂々と手柄を横取りしてんじゃねーよ」

 ちなみに、白紙状態から考えるというのは"鼠"と"穴熊"のどちらかを選ぶという意味ではなく、【黒犬】に所属するかどうか含めて最初から考えてみたいという意味である。


 次に、ケンの左手側で行儀悪く足を組んで座っている女が指し示された。

 ウェーブのかかった艶のある長い銀髪に、くびれた部分とふくらむ部分がはっきりとした体つきを持った年齢不詳の美女は、健康な男であれば誰もがふるいつきたくなるような色香を漂わせている。

 ただこちらの顔を黙って見ているだけなのに、何故か誘惑されているかのようだ。

「そっちの女が"鳩"の元締めだ」

「ここに来るまではゼンゼン期待してなかったのだけれど、意外とワタシ好みの顔をしてるわねぇ……今度時間があるときにワタシの店にいらっしゃいな。ワタシが直接、アナタに極上の夢を見せてあげるわよ? 夢から戻ってこられなくなっても責任は取れないけどね」

「……光栄です」

 "鳩"というのは何の隠語だったかと考え、数秒かけてやっと記憶の中から娼婦の隠語であるという知識を引っ張り出す事ができた。

 なるほど、目の前の女ならば戻ってこられなくなっても良いと思えるくらいの素晴らしい夢を、毎夜ベッドの上で見せ続けてくれるに違いない。

 しかしケンの場合、その直前まで天国にいるかのような夢見心地だったとしても、次の瞬間には地獄での責め苦でさえ生温いと思えるような状況に陥りそうな気がするので、残念ながら全く食指が動かない。

「やめとけやめとけ。しわしわのジジイみたいになるまで全部吸い尽くされちまうぞ」



 予想していたとおり、先にテーブルに着いていた3人は全員が盗賊ギルドの幹部だったらしい。

 女一人の誘拐事件に対して随分と大仰なことだ。

「今回の件は、盗賊ギルドの幹部が何人も出張ってくるほどの事だったのか?」

「ああ、幹部が何人も出張ってくるほどの事だよ。今回は【夜鷹(あっち)】の牙城に【黒犬(こっち)】が食い込んでいけるかどうかの分かれ目だし、ここで上手くいきゃ俺っちはもっと上に行けるが逆なら破滅だからな」

 これから誘拐されるはずのグレイス(リサ・ウェッバー)を救出して恩を売り、マッケイブの町に進出してくるウェッバー商会と協力関係を結び、ウェッバー商会が他の商会の牙城を崩すのに乗じて自ギルドの勢力を拡大する。

 ケンにはあまり分が良い賭けだと思えないのだが、何か止むに止まれぬ事情でも有るのだろうか。

 事情が有るにせよ無いにせよ博打(ギャンブル)の参加者はケンではなく"鼠"の頭領の方だし、本人が危険性を認識していない訳でもないのだから他人がとやかく言う事でもない。

 現状維持ではなく拡大を望むのなら、時にはリスクを負う事も必要なのだろう。


「それに、これでも関わる人数は最低限に絞ってるんだぜ? 万が一にでもウチの動きが漏れれば計画はおじゃんだからな。黒鎚を迎えに行った奴らも今回の件については何一つ知らねえし、現場に出る奴も誘拐の事について知らされてるのは指揮官級だけだ」

 軍隊のような上意下達の組織構造ならば、現場の人間が目的を知らずに動くのも普通の事だろう。

 むしろ、指揮官でも無いのに裏の事情まで知りたがるケンのような人間の方がよっぽど少数派である。


「"穴熊"がここに来てるのは荒事に慣れた手を借りてるからだよ。俺っちのトコは荒事が得意な奴が少ねえもんで他に手を借りるしか無いんだが、事が事だけに外から連れてくるわけにもいかねえからな。"穴熊"の最精鋭を大盤振る舞いしてくれるってんだから、ホント百人力だぜ」

「今回は俺が直接指揮を執ることになっている。黒鎚の手を煩わせる事は無いはずだが、場合によっては協力してもらうかもしれん」

 幹部が直接前に出ると言う事は、万が一失敗した場合に"穴熊"も権力的に相当な傷を負ってしまうのではないだろうか。

 "鼠"が言う通り、今回の件には相当力を入れているようだ。

「はい、私なんぞで宜しければ微力を尽くしましょう」

「あれ? なんか黒鎚の態度が俺っちの時とはぜんぜん違うんだけど、どういう事よ?」


「"鳩"の方は……今回は単なる冷やかしだから別に気にしなくても良いぜ」

「あら、誘拐について"鼠"ちゃんに教えてあげたのは、いったい誰だったかしらぁ?」

 この場に娼婦の元締めが来ている事が少々疑問だったが、どうやら情報の出発点が"鼠"ではなく"鳩"だったかららしい。

 酒と女と金は人の口を滑らかにする薬だから、女を扱う"鳩"と情報を扱う"鼠"の間には普段から協力関係があってもおかしくない。


「はいはい、"鳩"のお嬢様でごぜえますよ。ちゃんと見返りは渡してやったじゃねえか」

 話の流れからすると、娼婦に対して寝物語にでも計画を漏洩した馬鹿がいたのだろう。

 "鼠"の頭領が最初にケンに接触してきた1週間前の時点では、まだ誘拐計画は具体的なものになっていなかった。

 だから、漏洩するとしたら町の外から来たという発起人か、発起人に話を持ちかけられた【夜鷹】の下部組織のどちらかという事になる。

 【夜鷹】の幹部が敵対組織である【黒犬】の幹部が経営する娼館に来るはずが無いので、おそらく発起人が漏洩したのだろう。

 そうではなく、もしかしたら"鳩"の元締めの色香に血迷った内通者かも知れないが、どちらにせよ間抜け過ぎる話である。



「さて、それじゃ手順の最終確認をするか」

 雑談の時間が終わり、行動を開始する時が来た。


「念の為にもう一度だけ聞いておくが、黒鎚の方の仕込み(・・・)は上手くいってるんだろ?」

「問題ないはずだ。この1週間、少なくとも部屋の外ではずっと付けっぱなしだったのは間違いないし、今朝の時点でも付けていたのは遠目に確認している」

「よーしよし、ナイスだ。そこで躓いてたら何も始まらねえからな」

 元々そういう物を嫌う質だったのか、それとも町娘としての扮装をしていたからあえてそうしていたのかは判らないが、リサが【花の妖精亭】に現れた時はアクセサリの類を1つも身に付けていなかった。

 しかし、ケンが精神的な破滅の危険を犯してまで念を押した甲斐があったのか、今では彼が贈ったペンダントを見せびらかすようにずっと付けたままにしている。

 それを贈った人間としてはそこまで気に入ってもらえて嬉しい事は嬉しいのだが、贈った目的を考えると少々の罪の意識を感じてしまう。



「これまでに俺っちが集めた情報から推測して、誘拐が実行されるのは早ければ今日、本命は明日、どんなに遅くても明後日ってところだ。恐らくは夕方、リサ・ウェッバーが商売の話をしに出かけた帰り道が狙われるはずだが、それも絶対そうだとは断言できねえ。だから、朝から晩まで人を貼り付けておくことになる」

 この辺りは事前に聞いていた通りだった。

 時間的にはそろそろリサが【花の妖精亭】から外出する頃である。彼女が【黒犬】の縄張りから出た時から本番開始だ。

 【黒犬】の監視役はリサの監視をこなしつつ、同じようにリサの監視をしているはずの【夜鷹】の盗賊の監視もしなくてはならない。もちろん、監視対象には気付かれてしまわないように注意する必要がある。

 ケンの監視に付いていた奴の質を考えるとそれ程難しくない任務のように思えてしまうが、おまけでしかないケンを相手にした時とは違って、本命のリサに対しては敵側も最精鋭を投入してくるだろう。

 いずれにせよ油断は禁物だ。


「事が起こるまでの監視は主に"鼠"が担当する。誘拐の後、恐らくはリサ・ウェッバーを【夜鷹】が持つアジトのどれかに連れて行くはずだから、そこからが"穴熊"の出番だ。多少の人死は構わんが、出来る限り交渉相手になりそうな奴だけは残すようにしてくれや」

「了解した。その辺りの匙加減はこちらでするつもりだが、状況によっては無理な場合もあり得るぞ」

「最悪でも皆殺しだけは避けてくれれば良い。せっかく大義名分作っても、それを見たのが死人しかいないんじゃ意味がねえからな」

 物騒な単語を口にする2人の口調はごく軽い。彼らにとっては畑の作物を採るのも人の命を取るのも大した差がないと言わんばかりだ。


「黒鎚の出番は、基本的に交渉段階での最後のひと押しだけのつもりだ。全部が思い通りにいけばそのひと押しも必要なくなるはずだが……向こうもそこまで諦めが良くねえだろう」

 【夜鷹】側が今回の誘拐計画をどれだけ重要視しているかは不明だが、自組織の競合相手である【黒犬】にちょっかいを出されて簡単に引くとは思えない。

 だから半ば無理矢理にでも介入するためのお膳立てを整えたのだ。



 それから2,3点だけ細かな部分を確認した後、現場で指揮を取るために"穴熊"の頭領が部屋を発った。


 彼が席を立った後、ケンが入ってきた木製の扉ではなく壁の方に向かっていったのでどうするのかと思って眺めていたら、壁際で急に姿が消えてしまった。

 玩具を自慢したくてたまらないという表情をしていた"鼠"の頭領に聞いてみたところ、どうもこの部屋には魔術的な手段で隠蔽された出入口が複数存在していたようだ。

 ケンがここに来るために使った通路は、本来は非常用の脱出口として用意されているものの1つだったらしい。

 道理で通路側から開けられない構造になっている訳である。

 ケンの事を信用しているような態度を見せているが、まだ身内になっていない奴には正式な出入口を教えられないという事だろう。





 待機1日目の間は特に動きがなく、情報の報告を受けている最中以外は暇な"鼠"の頭領と、何故かずっと入り浸ったままの"鳩"の元締めと雑談をしただけで一日が終わった。



 そして本命の2日目。

 "鼠"の手下がもたらした情報によって、状況は緊迫の度合いを高めることになる。

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