第30.5話 彼女の日常
今回は半分番外編的な内容です。
彼女は今から約16年前、レムリナス王国の東部に存在する人口数百人の町で生まれた。
今から二十数年前、後に彼女の父親となる男は町と村々の間を巡る零細の旅商人で、母親となる女は美しい以外には特に変哲もないただの村娘だった。
父が母の生まれ育った村を商売のために訪れた時に2人は出逢い、数年間の交際期間を経て結ばれた。
誠実な父と田舎娘らしく朴訥な母は仲睦まじく暮らし、やがて数年が経った頃に母の妊娠が発覚する。
両親はなかなか恵まれなかった子宝を授かった事に喜んだが、幼少の頃からあまり体が強い方ではなかった母は妊娠を切っ掛けとして体調を崩しがちになった。
一時は母子共に生存が危ぶまれたが、本人の気力と周囲の尽力によって何とか出産を終えることができ、彼女がこの世に産声を上げた。
しかし、出産が更に母の体を弱めてしまったようだ。
出産までは何とか父の故郷の町で2人が生活を続けていられたが、起きているよりも床に臥せっている時間の方が長いようでは、赤ん坊の世話どころか自分の生活すら儘ならない。
旅商人である父がそう長い期間仕事を休んで家に居られるはずもなく、すぐに母の生まれ育ったトラッリーオ村にある母方の実家を頼ることになった。
時を経る毎にさらに彼女の母の体調は悪いものになっていき、彼女が物心ついた頃にはベッドの上で起き上がることすら稀になっていた。
だから、彼女の母についての記憶はいつもベッドと共にある。
トラッリーオ村にある実家のすぐ隣には一つの家があった。
その家には狩人をしている父親と、料理が得意な母親と、10歳を筆頭に7歳と5歳の息子ばかり3人が住んでいた。
少女の祖父母とその家の両親は親しく近所付き合いをしていたので、必然的に少女と息子たちも交流が始まった。
そうは言っても女と男の違いが有り、歳も大きく違うからなかなか同じ遊びをするという訳にもいかない。
少女が物心ついた時には、既に長男は狩人としての教育を受け始めていたので一緒に遊ぶ暇はなく、次男は腕白過ぎて彼の両親から少女に近寄ることを禁止されていた。
わざわざ禁止しなくても、自分より弱い人間にあまり興味を持たない性格だった次男坊と一緒に遊ぶ事はおそらく無かっただろうが。
5歳年上の三男も年齢差という意味ではかなり大きかったが、野山を駆け巡るよりも日向ぼっこの方が好きだという、幼い子供としては珍しい嗜好を持っていたので、母親に似て線が細いと思われていた少女の格好の遊び相手となった。
その少年は幼い少女を邪険にすることなく、常に行動を共にした。
仕事に家事にと忙しい祖父母や床に伏せりっぱなしの母、商売で忙しくて会えるのは年に数度しかない父などの血縁がある人たちよりも、全く血縁のない少年の方により強く懐いたのは当然の成り行きだっただろう。
少女が4歳の誕生日を迎える2,3ヶ月ほど前の事。
その頃にはもうベッドの上で起き上がるどころか目を覚ましている事すらほとんど無くなっていた母と、終に別れの時を迎えた。
当時の少女は、母の死を目の当たりにしても全く悲しみが湧いてこなかった。
まだ幼かったせいで死という概念をあまり理解していなかったという理由もあるし、母に対する認識が「いつも眠っている綺麗な小母さん」でしかなかったからだ。
今は母が彼女の事をどれだけ愛してくれていたかを痛いぐらいに理解しているが、当時はほとんど理解できていなかった。
だから、少年が母の亡骸を前にしてポロポロと大粒の涙を流していた事を、少女は不思議に思った。
「どうしたのー。どこかいたいのぉー?」
「うん。心が痛いんだ」
「こころ? どうしていたいの?」
「好きな人が居なくなっちゃったから。リサの事を愛してくれた人が消えちゃったから悲しくて、心が痛むんだ」
「……わかんない」
「リサにもそのうち分かるよ。お母さんがリサの事をどれだけ愛していたか、お父さんがリサのことをどれだけ愛しく思っているか」
困惑する少女の頭を、少年が涙を流しながら優しく撫でてくれた事だけは今まで一度も忘れた事がない。
少年はどこか不思議な人物だった。
普段の行動は普通の子どもと大差がなく、思い通りにならない事があると癇癪を起こしたりするくせに、時には彼女が知っているどの大人よりも理知的で思慮深い行動をするときもあった。
彼よりもだいぶ幼い彼女でも知っているような常識的な事を間違って覚えていたり、知らなかったりすることもあれば、村中の大人が誰一人として知らないような事を知っていたりした。
何度か村で発生した困り事が彼の知識で解決に向けて進んだこともある。
少年自身も「どうしてそうなるか」についてはよく解っていないせいで不完全な結果しかもたらされなかったり、彼の知識によって問題が1つ解決してもまた別の問題が起きたりしてしまい、全部が丸く収まったわけでもなかったが。
少年が出したアイディアが殊更上手く行った時、関わった人が口々に天才だと褒めそやすのを聞いた少年が、何故か罪悪感を覚えているような、悔しげな表情だったのを見た事がある。
その他にも、少年の他には誰一人として知らないような遊びやお伽話を幾つも考えだしたりしていた。少年が語る物語には真実味が溢れていて、工夫を凝らされた語り口は聴いている者を全く飽きさせない。
いつしか、天気のいい日は日当たりの良い場所で少年の膝の上に座って、頭を優しく撫でられながら少年の話す物語を聞く、というのが少女の一番のお気に入りの時間になっていた。
少年があまりに色々な事を知っているので不思議に思い、何度か尋ねてみたことがある。
「どうして、グレンはそんなに色々な事を考えつくの?」
「実を言うとね、僕が考えた事じゃないんだよ。元々そういう知識が頭の中にあって、それをただ口にしているだけなんだ」
「ふーん……よく分かんない。でも、誰も知らない事を知ってるなら、学者さんとかになれるんじゃない?」
「学者は無理だろうね。学者っていうのは色々なことをただ知っているだけじゃ駄目で、どうしてそうなるかをきちんと理解していないといけないんだよ」
「じゃあ、作家さんは? グレンは面白いお話いーっぱい知ってるじゃない!」
「うーん。それも大体は僕が考えた話じゃないからなあ。他の人が考えた物語を自分の物だって言って披露して、それが面白いってみんなに褒められても僕は胸を張れないよ」
前に大人から褒められた時、少年があまり喜んではいなかった理由が少し解ったような気がした。
彼女の父は誠実な男だった。
誠実さは人間としての美徳であるが、商人として大成するためには綺麗事ばかり言ってもいられない。
お人好しの父は商売人として優れているとはとても言えず、だから父の商会の財政状態は常に厳しかった。
人と人との繋がりという単純に金に変えられない財産を除けばどうにか赤字にならず、なんとか商売を続けていられるくらいの稼ぎしか無かったようだ。
母が亡くなってからというもの、父は忙しい仕事の合間を縫って以前よりも多くの時間を少女と共に過ごそうとしていた。
しかしその当時の少女にとって、父は母以上にどこか遠い他人だという認識しかなかった。たまに帰ってきては父親面で指図してくる男を内心で憎んですらいたかも知れない。
少女と父の関係が危うい状態ながらも決定的には壊れずに済んだのは、彼女の父親が彼女に対して向けている愛情について少年がいつも諭してくれていたからだろう。
少女もその頃にはある程度分別が付くようになっていたので、父が村に居る間はなるべく一緒に過ごすように心がけた。
仕事一筋の父は生憎と子供の喜ぶような話題など全く持ち合わせて居ないので、その間の話題と言えばほとんど商売の話だった。
村々を巡る行商と言っても父一人でやっている規模が小さい商会であるから、巡回範囲もたかが知れているので土産話になるような出来事などそうそう起こらない。経営状況が厳しい事もあって、父の話のほとんどは苦労話や愚痴で占められていた。
今考えても、全く子供に聞かせるような話ではない。
父への鬱憤を少年と共有するために、父から話された内容を少年に対して逐一報告していた。
大体は黙って聞いた後に慰めの言葉をかけてくれるだけだったが、たまにその愚痴に対するアドバイスのような事を口にしたりもした。
「うーん、それって―――って感じでやれば簡単に解決すると思うんだけど」、
「―――とかしたら儲かると思うんだけど、誰もやってないって事は禁止されてるのかなあ?」
「それは多分―――じゃない?」
少女は少年の言っている事をほとんど理解していなかったが、少年がそう言うなら間違いないのだろうと考えて、次に父に会った時に少年の言葉をそのまま伝えてみた。
すると、半信半疑ながらも言われた通りに行動する事で商売が上手くいくようになり、父の商会はそこから急速に拡大し始める事になる。
少年が10歳になってから暫く経ったある日、彼が唐突に剣の修行を始めた。
切っ掛けは間違いなく、少女の父が少年に対して日頃のお礼にと贈ったある剣聖の生涯が書かれた伝記本だろう。
今の彼女と父の関係は良好だが、その点についてだけはずっと恨み続けている。
少年は元々あまり体格に優れているとは言えず、外で駆けまわるよりも家の中で過ごす時間の方が長いような子供だった。
だから、少女を含めた周囲の人間は誰一人として少年が言う「王国一の剣士になりたい」という言葉を本気にしておらず、男の子が一度はかかる麻疹のようなものだ、いくら大人びているように見えてもやっぱり子供だったのだと微笑ましく見守っていた。
そのうちチャンバラごっこにも飽きて、そんな夢みたいな事は言わなくなるだろうと誰もが考えていた。
しかし、周囲のそんな予想に反して少年の剣の修行は1ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、1年が過ぎても毎日続けられていた。
初めは少年の2歳年上の兄に挑んでは軽くあしらわれる事を繰り返していたが、修行を始めてから1年が経過した時には身軽さを生かして大柄な兄と対等に渡り合うようになり、2年が経過した時には村で少年に敵う者は1人もいなくなった。
村で一番と言っても小さい村の事だし、村人達は自衛のために武器の扱い方を学んでいてもほとんど我流であって正式な教育を受けたものではないので、そこまで誇れるような事でも無かったが。
少年の剣の修行は彼が15歳になり、彼が村を出る前日まで毎日続けられた。
その頃になると村の誰もが少年の剣の腕を認め、王国一の剣士は無理でも兵士ぐらいは間違いなくなれるだろうし、頭も悪くないから運が良ければ騎士に取り立てられることもあるだろう、ぐらいには考えられるようになっていた。
だから、少年が15歳という成人として認められる年齢になる数カ月前、両親に対して村を出る許しを請ってもそれほど驚かれる事もなく、形ばかりの反対を受けただけであっさりと許可された。
しかし、少女にとってその事は青天の霹靂であった。
剣の修行を始めてからも少女との関係は特に変わらないままだったし、それはこれからもずっと続いてくのだと信じて疑った事は無かったからだ。
少女が泣き叫んで反対し、翻意を願っても少年の決意は変わらなかった。
それまでは少女が願えば絶対に不可能な事でもない限りは全て叶えてくれた少年が、その願いにだけは決して頷いてくれなかったのだ。
「剣の修行を始める前は、やる事為す事が全部誰かからの借り物みたいな気がしてたんだ。でも、剣は僕自身が努力した結果手に入れた物だと初めて思えた。だから僕は自分自身がどこまで行けるかを試してみたいんだ」
彼の決意が何よりも固いと知った少女は、それならば今までのお礼として彼の夢を応援しようと考えた。
まずは形から入る質だった少女が騎士に何が必要かと考えに考えた結果、剣と鎧を送るのが良いと考えて父に生まれて初めて物を強請った。本当は馬も贈りたかったが、さすがに軍馬は高価すぎるし欲しいと言ったからと言ってすぐ手に入るものではなかったので諦めた。
その頃には父の商売が軌道に乗って大商会の一つと言われるくらいには成長していたので、質の良い長剣と凧形盾、それに板金鎧を買うくらいは無理難題と言う程ではなかった。
父も娘も少年には散々世話になっていたので、それでも足りないくらいだ。
彼の15歳の誕生日が盛大に祝われた。その翌日、すっかり青年になった元少年は村を発つ事になった。
もちろん少女も見送りに行って、落ち着いたら必ず手紙を書く事と1年に1回は村に帰ってくる事を約束させてから送り出した。
それが、少女が彼を見た最後の記憶となった。
1年が経ち、2年が経っても姿を見せに帰ってくるどころか手紙の一つも届かない。
青年との別れから3年間は黙って帰りを待っていたが、ついに堪え切れなくなって少女の方から探す事にした。
幸い、父と違って商才に恵まれていた少女のおかげで商会は順調だったので、人を使って探させるくらいは簡単な事だった。
最初のうちは青年の足跡を辿るのも比較的簡単だった。
田舎では、騎士でもないのにプレート・メイルなんて高価な物を着て歩き廻っている男なんて、青年の他には居ない。
故郷であるトラッリーオ村を発った青年はまず最寄りの町まで行き、そこで仕事の口を探した。見つからないと分かると定期馬車に乗って別の町に行き、仕官させてくれる場所や仕事を求めて動き回っていた。
3ヶ月程そうしても全く剣で身を立てる道が見つからないと悟ったのか、青年は王国東部を離れて西部へ向かったようだ。
目的地は迷宮都市と知られるマッケイブ。世界四大迷宮の一つを抱える王国第二の都市だ。
そして、マッケイブに辿り着いた所で青年の足跡は途絶える。
探索者が人口の何割かを占めるあの町ではプレート・メイルを着けている人間などごまんといるし、世界中から迷宮に魅せられた人間が毎日大量に訪れているので、見知らぬ人間を見ても一々気にしたりする奴はいない。
それでもグレン・ビーチャムという名前を手掛かりにして散々探させたが、青年の名を知っている人間はただの一人も見つからなかった。
報告を持ってきた人間は、恐らく迷宮の中で死んだのだろうと言った。迷宮の中で死んでしまえば死体も残らないし、無名の探索者が死んだところで知り合い以外は誰も気にしない。
彼女は決してその言葉を信じた訳ではなかったが、そこで青年の捜索は打ち切りにした。
彼女が誰かを探している事がだんだん有名になっていたせいで、ウェッバー商会と敵対していたり取り入ろうとしている奴らから色々と横槍が入るようになったのは無関係ではない。
少女が15歳になり、記憶の中の青年の年齢に追いついた頃、彼女の父であるケビン・ウェッバーは王国東部に覇を唱える随一の商人になっていた。
父が有名になったおかげで彼女―――リサ・ウェッバーの名もかなり知られてしまったので、気軽に町を歩きたい時には町娘のような格好をして、さらに偽名を使うようになった。
偽名のグレイスという名はリサの母親の名前だ。
成長した彼女の外見は美しかった母に良く似ていると父に言われていたから、偽名を考えた時に最初に出てきた名前だった。
耳聡い人には母の名を知られているが、正体を完全に隠すのが目的ではなくお忍びであると周囲に示したいだけなので、バレたならそれはそれで構わなかった。
少女が16歳になり、もうこれ以上商売の規模を拡大したければ王国東部から出て、他の地方へ行くしかないという所まで来た。
その時にまず思い浮かんだのが、青年が最後に辿り着いた場所であるマッケイブだった。
もうすぐその町で収穫祭が行われるという事もあり、そこに合わせて極秘に視察する事を決めた。視察は単なる口実で、青年が見た光景を彼女自身の目で直接見たかっただけだが。
初めて訪れたマッケイブの町は想像以上に人が多かった。
祭りの直前なのでそれも当然と言えば当然だが、普段から町に住んでいると思われる人だけでもかなりの数である。これでは探し人が見つけられないのも無理は無い
確たる目的もなく町を散策している最中、信じられない物を見た。
彼だ。
前に会った時から5年以上経っているのでそれなりに顔貌は変化しているが、リサがグレンを見間違えるはずが無い。
道の両脇に立ち並ぶ出店を冷やかしながらだんだんと近付いてくるグレンがリサに気付いた様子は無い。
すれ違う直前、リサは意を決してグレンに呼び掛けた。
「すみません、そこの方」
無視された。
グレンは彼女の声に気付かなかったかのように、こちらを一瞥する事もなく通り過ぎて行った。
少年―――グレンならば、周囲がどんなに騒がしかった時でも、少女の―――リサの呼び掛けに気付かないなんて事は有り得なかった。
まさか別人だったのかという思いと、自分がグレンを見間違えるはずが無いという想いが頭の中をぐるぐると激しく回った。
いや、今は考えている場合ではない。追わなければ、見失ってしまえば今度こそ二度と会えなくなってしまうかもしれないのだ。
「ちょっと! 貴方!」
急いでグレンの後を追うが、人混みに遮られてなかなか近付く事ができない。
幾つもの通りを抜け、怪しげな店ばかりが立ち並ぶ裏路地を抜けたところでやっと捕まえる事が出来た。
「ちょっと貴方!! さっきからずっと呼んでいるのにどうして無視しているんですの!!」
やっと彼女の方を振り向いた彼は、何か得体の知れない物を見る目をしていた。
「何か御用でしょうか?」
見知らぬ他人にかけるような不審げな声。リサは目の前が真っ暗になった。
グレンを問い詰め、正体を喝破して見せても否定されて、最後には逃げ出されてしまった。
そこからの記憶は少し曖昧だ。
宿に戻ってリサは考えた。
自分がグレンを見間違えるなんて事が万が一にもあるだろうかと。
すぐに「有り得るはずが無い」という答えが出た。
だとしたら、彼が惚けているのだろう。
リサはこの5年の間に別人のように成長したから、すぐには分からなかったのかも知れない。最初に知らないと言ってしまった手前、思い出したと言いだせなくなってしまったのかも。
いや、グレンならばすぐにリサの事がに気付いたはずだ。
王国一の剣士になると言って村を出た手前、騎士どころか兵士になれなかった事が恥ずかしくて村に連絡を出来なかったのかもしれないし、そのせいで知らんぷりをしてしまったのかも。
ならば、別に馬鹿にしたりなんてしていない、みんな心配しているのだから帰って来て欲しいと伝えねばならない。
引き連れてきた護衛兼密偵達に街中で出遭った男を探すように命じ、彼女自身は説得が長期に渡った場合を考えて準備を始めた。
優秀なウェッバー商会の密偵達はたった3日で結果を出した。
彼は今、ケンイチロウという名前で迷宮探索者として活動しているようだった。パーティを組まずたった一人で活動しているのに、迷宮の中層まで到達しているらしい。
彼女は迷宮について全く知らなかったのでそれがどれだけの事なのかを理解できていないが、まず中層まで辿りつけるのは100人に1人も居ないと聞いて、さすがグレンだと誇らしく思った。
迷宮探索者のケンイチロウはこの町にある【花の妖精亭】という宿を拠点として活動しているとのことだったので、先ずは同じ宿に泊まって説得に当たる事に決めた。
今すぐに飛んで行きたいという気持ちを抑え込んで、この町で長期間過ごすための下準備を行う。
何故か、宿で再会したグレンはリサに対して怯えていた。
どうして怖がっているのかは分からないが、このままでは一緒に帰ろうと言っても拒否されるだけだろう。
少々方針を変更し、今の彼の観察をしながら少しずつ昔のように仲良くなる事にする。
【花の妖精亭】は女将であるエイダと、彼女の姪であるベティという幼い女の子の2人だけで切り盛りしている宿で、設備は値段相応だが常に掃除が行き届いているなかなかの場所だった。
ケンイチロウはその2人、特にベティの方と仲が良いらしく笑顔で会話している場面を頻繁に目にした。
本人に当たるよりも先に周囲の人から情報を集めるべきだと考えて、まずはその2人に話を聞いてみる。
聞く限りでは彼女の知っているグレンと、ケンイチロウを名乗る人物に外見以外の共通点は無い。だが、唯一の共通点である外見があまりに酷似し過ぎている。
「ケンイチロウさんってどんな方ですの?」
「うーんとね、迷宮で探索者をしていて、いっつも真っ黒な服を着てるんだよ」
「ベティちゃんと、ケンイチロウさんってどんな関係ですの?」
「わたしとケンの関係? うーん、そうだなー。ケンは優しいお兄ちゃんみたいな人かなぁ」
リサは直感した。この女は敵だと。
ただの子供のような顔をして、中身は立派に女になっている。
いつもいつもグレンに頭を撫でられているのを見て、ずっと気に入らなかったのだ。
その位置に居るのはベティなんかではなく、リサであるべきなのだ。
「そうなんですの……まあそうですわよね、ベティちゃんはまだまだ全然子供ですものねえ!」
「……わたし、モテないケンがかわいそうだから、大人になったら結婚してあげるって約束してるんだー」
宣戦布告は間違いなく伝わったようだった。
大人気ないと言われようともリサは気にしない。戦場に在っては大人も子供もないのだ。
とは言っても、リサがケンイチロウと親しく話せるようにならなくては勝負にもならない。
父にはマッケイブで商売の拠点づくりをするために長期滞在すると伝えているから、そちらについても手を抜かず動かなければならないのだ。
ケンイチロウとはなかなか距離が縮まないが、商売の話については順調である。現地の様々な人と会談をして少しずつ地歩を固めていく。
【花の妖精亭】に滞在し始めてから約2週間。
今日は面会が長引いたせいで帰りが遅くなってしまった。もうすっかり慣れた帰り道を護衛のハンナと共に歩く。
「遅くなってしまいましたね。関係無い話ばかり長々と……」
「ええ、でも仕方ないわ。こちらがお願いする立場なのだから、勝手に話を打ち切って帰るわけにはいきませんもの」
いつもより遅い時間のせいか、彼女たちの周囲に人影は無い。
いや、無さ過ぎる。
ハンナとリサがその不自然さに気付く直前、路地から飛び出してきた2つの影がハンナに絡みつき、彼女を地面に組み伏せた。
「ハンナ!」
別の路地からも人影が飛び出し、リサを囲む。
そのうち一人が悠々と近付いてくると彼女の目の前に立った。
「リサ・ウェッバーだな? 俺達と一緒に来てもらおう」
「そんな誘い方で私が靡くと思って?」
「大人しく付いてくるなら手荒な真似はせずに済むんだがな。自分から来ないなら無理にでも連れていくだけだ」
「こんな事をしておいて手荒も何もないですわね。勝手になさいな」
こんな時、グレンが居れば自分を救いに来てくれただろうか。




