第2話 魔道具店【バロウズ】
2015/4/2 ひっそりと書き直し
大陸北西部に位置する大国【レムリナス王国】。その王国の第二の都市とされているのが、ここ【マッケイブ】だ。
レムリナス王国の首都に次ぐ人口を擁し、首都さえも上回る国内一の経済規模を誇るマッケイブは、文字通り「迷宮を中心に」形成されたいわゆる"迷宮都市"である。
世界四大迷宮の1つである【マッケイブ迷宮】に関わる探索者や、探索者目当ての商売人たちがいつしか迷宮の周囲に定住し始め、長い年月をかけて大都市へと発展してきた。
まともな都市計画も持たず場当たり的な拡張を繰り返してきたこの町の生活道は、一部の人間から「もう一つの迷宮」と言われるほど複雑に入り組んでいる。
「この町に来て迷宮探索者になろうとしてるんだったら、まず迷宮の入口がどこにあるかを探索しなきゃならない!」
これはお上りさんや観光客相手に日銭を稼ぐ町の案内人たちの売り文句で、彼らの案内を受けた客たちはその言葉に納得して帰っていくのだが―――実は看板に偽りがある。
迷宮まで行くのは実に簡単だ。
迷宮入口から東西南北にまっすぐ伸びる大通りを進んで行けばいい。
大通りはこの町において唯一の都市計画と呼べる部分であり、大通りの上とその延長線上にはいかなる建造物を作ることも許されていない。つまり、しばらく来なかった間に道が消えていたり、増えていたりすることはないのだ。
だからマッケイブで道に迷ってしまった時は、一方向にまっすぐ進んで大通りを探すといい。
しかしそうは言っても、迷路のように入り組んだ路地にうっかりと入り込んでしまった場合は、慣れていないと抜け出せなくなってしまうことがある。
そういった時も慌てず騒がず周りを見回して、迷宮入口のすぐ隣にある【迷宮管理局】の鐘塔を探せばいい。町の中ならばだいたいどこからでも鐘塔が見えるので、そちらに向かって進んでいけばいつか大通りに行き当たるだろう。
迷宮入口からほど近く、東大通りと呼ばれる道から一本奥に入った裏通りに、魔道具店【バロウズ】は店を構えていた。
店主のジョン・バロウズは御年62歳になる老人だが、未だに現役を続ける魔道具創作者である。
正確に言えば、今から十数年前に限界を感じて魔道具の制作から引退し、魔道具の鑑定や売買を行うだけになっていたのだが、3年前に1人の男と出会ったことをきっかけにして現役復帰を果たし、今も精力的に新たな魔道具の開発を行っている。
天井にかけられた<持続光>の魔道具で照らされた店内に客の姿はない。
店内に置かれたテーブルの上で、何がしかを熱心に紙束に書きつけていた老店主がふと顔を上げると、時刻は日没を迎える頃になっていた。
がちがちに凝り固まってしまった肩を自分の手で叩いて解しつつ、今日の営業はそろそろ終わりにしようかと考えていると、防犯装置代わりに入口周辺に仕掛けてある<生命感知>の魔道具に反応があった。
「爺さん、いるか?」
店の扉を開けたのは、この辺りでは少し珍しい黒目黒髪の青年だった。
背は高くもなく低くもなく概ね平均的で、今は防具を着けているせいで分かりづらいが、どちらかと言えば細身だろう。
迷宮から出た足でそのままここにやって来たのか、黒尽くめの防具や道具のそこかしこに土汚れが付いたままだ。
「今日はもう、店仕舞いしようと思っておったところだがの」
青年は老店主の了解とも拒否ともつかない返答に全く頓着せずに店内に入り込み、老店主の目の前に置かれていた客用の椅子に腰掛けた。
迷宮に入っていた日数分の汗と垢の匂いが店内に漂ったが、もうすっかり鈍くなってしまった老人の鼻にとってはさほど気になるものではない。
迷宮の外にいても、体を洗わず洗濯もしない奴がいるくらいなのだから、これでもかなりましな方だろう。
「お前さんは相変わらず真っ黒だのう。夕暮れ時にお主が来ると、ついにお迎えが来たのかと勘違いしちまいそうだわい」
「何言ってやがる。死神が『来る家を間違えました』って言ってから帰っちまうくらい元気だろうに」
目の前の青年は老店主にとって顔馴染みであり、この店の常連客である。
青年の首に今もぶら下げられているゴーグルはその名を"バロウズ式<暗視>ゴーグル"と言って、青年から出された無理難題を元に店主が設計・制作を行い、半年以上の苦労の末にやっと完成した老店主オリジナルの魔道具だ。
老店主がこのゴーグルを発明するよりもずっと前から、<暗視>が付与された眼鏡型魔道具は存在していた。
しかし、その魔道具は「夕暮れの室内でどうにか文字が読める」「星明かりのみでも足元に何かがあるということは分かる」といった程度の効果しかなく、とても迷宮探索の役に立つような代物ではなかった。
<暗視>の魔術は「目に入る光を増幅する」という原理によって、暗い場所でも周囲が見通せるようになる。
だから、迷宮の真っ暗な通路に合わせて増幅率を設定すると、ろうそくの光が近くにあるだけで眩しくて何も見えなくなってしまうのだ。
過去には魔道具を起動するための合言葉や、物理的なスイッチによって<暗視>の増幅率を切り替え可能にするという試みが為され、一応の効果は上げていた。
しかし、一瞬の遅れが生死を分ける迷宮の中でそんな悠長な事はしていられない。
そこで青年の思いつきから、老店主が<照度感知>と<効果増幅>または<効果削減>を組み合わせるという手法を編み出し、周囲の明るさに応じて自動的に<暗視>の増幅率を変えられるようにした物が"バロウズ式<暗視>ゴーグル"である。
自動調整機構そのものが完成した後も、青年から「反応が鈍い」「魔力の消費が大きすぎる」「視野が狭すぎる」「少し激しく動くとずれてしまうので、革のバンドで固定できるようにしろ」などという、小うるさい注文を散々付けられた。
しかしその甲斐あって、創作者として充実した日々を送れただけでなく、発明品に自身の名を冠するという栄誉を受けるほどの傑作を完成させることができたのだ。
少しだけならば青年に感謝してやらないこともない。
「それで、今日は何の用なんじゃい」
「悪いんだが、至急でこれの鑑定を頼みたい」
そう言って青年が背嚢から取り出したのは、<魔力遮断>布で作られた小袋だった。
<魔力遮断>布はその名の通り魔力を遮断する効果を付与された布で、迷宮都市ではごくありふれたものだ。
安価な<魔力遮断>布はその気になれば手で引き裂くのも容易であり、魔術師が行使する攻撃魔術に対しての防御力は全く期待できないが、使用者の魔力を消費して効果を発動する形式の魔道具の誤作動は確実に防げるため、魔道具は大抵こういった袋に入れて保管される。
「そういう面倒そうな物を持って来るのは、もっと早い時間にするもんじゃぞ」
「そりゃあ済まなかったな。これでも迷宮から出てからできる限り急いで来たんだけどな」
苦情を言う老店主に対して、青年は全く悪びれた様子もなく答えた。
老店主はため息を吐いてから鑑定の準備を始めた。テーブルの下の抽斗から<魔力遮断>布製の手袋を取り出して両手に着け、抽斗の別の段から拡大鏡を取り出してテーブルの上に置く。
青年から魔道具を入れた袋を受け取って中を覗くと、そこには持ち手部分も含めて全て金属製のコップが入っていた。
コップの表面にはびっしりと魔術文字が刻まれている。一見すると乱雑そうに文字が刻まれているだけに思えるが、じっくり観察していると不思議と規則性が感じられる一品だった。
「ほぉう。こりゃあ天然物……迷宮産出品か」
「判るのか?」
「ああ、製作者の<署名>が入っておらんからな。人工でもわざと<署名>を入れずに済ます奴もおるが、ここまで製作者個人の癖や乱れがないとくれば、答えは迷宮産以外になかろうよ」
「なんだ、そういう事か」
初めは老店主の眼力に感心していた風だったのに、種明かしをされて落胆した様子に変わった青年には構わず、拡大鏡を使ってコップの表面に刻まれた文字をじっくりと確認していく。
「このコップは間違いなく<水作成>の魔道具じゃな。確か奥の部屋に水桶が転がっておったはずじゃから持ってきとくれ」
青年が勝手知ったる他人の家とばかりに奥の部屋に入り、すぐに桶を持って戻ってきた。老店主の足元に桶を置かせ、その上にコップをかざす。
「コマンド・ワードは……これか。『清浄なる水の化身よ 我に恵みを与えたまえ』」
老店主がコマンド・ワードを唱え終わるのとほぼ同時、コップの表面の文字が僅かに発光し、次いでコップの底から透明な水が湧き出した。コップの中の水位は緩やかに上昇し、だいたい八分目まで達したところで停止する。
コップを傾けて中の水を桶に注ぐ。生み出された水は無色透明で特におかしな匂いもしないため、飲料水として利用するのに何の問題もなさそうだ。
「おお冷たい! コップ一杯の水を出すのに魔力消費1単位ってところじゃな。この大きさでこの性能……さすがは天然物と言うべきかのう」
魔術師ギルドが作った基準では、<持続光>を標準光量で10分間持続させられる量の魔力が"1単位"である。
「そう言われても、俺にはそれがどれだけすごいのか全然ピンと来ないんだけどな……」
「元素作成系の魔術は魔道具に付与するのが難しくてな。このコップぐらい小さくしようと思うと更に難易度が高くなる上に、これよりもうんと性能が低い物しか作れんじゃろ」
「どのくらい違うもんなんだ?」
「ワシが昔見た<水作成>の水甕は、このコップの10倍の水を出すのに50単位は消費しとったな」
「そうか、それならかなり性能が良いんだな。小型だし」
手に入れた魔道具が当たりだったと聞いた青年が相好をくずした。
「それで、売るとしたらどのくらいになるんだ?」
「そうさな、ワシがこれを仕入れるとすれば……こんなもんかの」
老店主が提示した金額を見た青年が、直前までとは一転して難しい顔になった。
<水作成>コップの買取価格は、青年が最近1年間で稼いだ金額の合計よりも多い。たった数日でこれだけ稼げたのなら飛び上がって喜んでもいい場面だ。
しかし、これが迷宮の宝箱から得られた財宝の価格だと考えると、そこまでは喜べない。世の中にはこの数倍の価格で取引される魔道具がごろごろしているし、過去には宝箱から得た魔道具にこの100倍以上の価格が付いたこともあるのだ。
「安すぎるんじゃないのか?」
「単純に魔道具としての性能だけを評価すれば、ゼロが1つ多くてもおかしくはないがのう……世の中には需要ってもんがあるからな」
需要と供給は商売の基本だ。
需要がなければ、客観的な基準でどれだけ優れた商品であってもゴミと変わらない価値しかない。反対に、需要さえあればゴミのような商品にさえ価値が生まれる。
この<水作成>コップはどうだろうか。
おそらく、迷宮の外に需要はないだろう。
考えてみれば当然だ。魔道具で生み出せる水の絶対量が少なすぎて、ほとんど意味がないのである。
水が飲みたいなら井戸や川などの水源から汲んでくればいいだけだ。汲んだ水がそのままでは飲用に適していなくとも、煮沸するなり浄化装置を通すなりすればいい。
魔術や魔道具を使うなら<水作成>よりも<水浄化>の方が良いだろう。そちらの方が安価な上に大量処理にも向いている。
近くに水源がなくて水を汲むことができない、もしくは採取中にモンスターからの襲撃の危険がある迷宮の中では、<水作成>の需要が高い。
しかし、探索者の大半は碌な蓄えを持っていないので、あまり需要者として期待しない方がいい。
身元の保証もなく、明日どころか今日の保証もない探索者に金を貸すようなお人好しはいないし、
ある程度の蓄えがあったとしても、武器や防具などの生命に直結する装備の購入が優先されるだろう。
迷宮の浅い場所で3,4日間過ごす程度なら、持ち込む水の量も自力で運べる程度で済むのだ。それよりも少し深い場所まで潜るなら、専門の荷運び人を雇った方が何かと融通が効く。
ごく一部の、迷宮のかなり深い場所で活動する探索者たちなら大金を持っているが―――そのくらいになると<水作成>を行使可能な魔術師が必ず1人はパーティに含まれているものだ。
同じ金額を使うなら<重量軽減>や<浮揚>が付与されたバックのような汎用性の高いものが好まれる。
老店主の解説を聞いた青年はかなり不満そうではあったが、一応は納得したようだ。
今は腕を組んで虚空を睨みつけながらじっと考え込んでいる。
青年が何事かを悩んでいる最中に老店主が何をしていたかと言えば、店の奥から<加熱>のコンロとヤカンを持ちだして、<水作成>コップから出てきた水を沸かしていた。
ティーポットに紅茶の葉を入れて、沸騰したお湯を注ぎ込む。
<水作成>で生み出された水はこの辺りの井戸から汲まれた水とは水質が違うらしく、普段とは若干違う紅茶の香りを漂わせていた。
青年の前に紅茶を注いだカップを置いてやったところで、彼は我に返ったようだ。
紅茶にはミルクや砂糖を入れるのがこの地方での標準だが、老店主や青年はいつも何も入れずに飲む。
紅茶を一口。口の中で香りを味わった後にゆっくりと飲み込む。
「とりあえず、売るかどうかはしばらく考えさせてくれ」
「ああ、お前さんのもんなんだから好きにすりゃええ。すぐにどうするか決めさせて、後からゴネられても困るしのう」
「そうするよ。あとは、簡単なもので良いからこの魔道具の鑑定書みたいなのを書いてくれないか」
「正式な鑑定書はワシじゃ書けんぞ。魔道具ギルドに依頼すると一月はかかる上に料金もボッタくられるからおススメせんが」
「効果と性能だけ書いてくれりゃ良いさ。爺さんの正式な<署名>が入ってれば、ギルドの鑑定書に劣らないくらいの信用はある」
「おだてても何も出んぞ?」
老店主がカップの中身を飲み干すまで待ってから、青年が自分の荷物を持って立ち上がる。
「長居して悪かったな。鑑定料は?」
「そこに書いてある」
青年は壁に張られた料金表を確認し、腰に括り付けた革の小物入れから数枚の硬化を取り出してテーブルの上に置いた。
「多すぎるじゃろ。穴蔵の中に居るうちに数も数えられなくなったか?」
「これだけあれば3日分くらいにはなるか?」
青年が余分に支払ったのは、一言でいえば口止め料である。
利益を生む情報を得るために金を出し、情報を守るのに金を出すというのは探索者にとっても商人にとっても当然の行動だ。
「ふん、そんなに金はいらんわ。それよりも、またおかしなアイディアでも思いついたら真っ先にワシに教えに来い」
「爺さんがそれで良いって言うなら、俺は構わないけどな」
老店主がテーブルの上に置かれた硬貨の半分以上を押し返すと、青年もそれ以上は反論せずに大人しく金をしまう。
「今日はもう目が疲れたんでな、鑑定書は明日の夕方ぐらいに取りに来たらええじゃろ」
「そうか。だったらそれは爺さんに預けとくよ。その代わりできる限り正確に鑑定しといてくれよ」
「ああ、言われんでもそうするわい」
「じゃあ、また明日来る。爺さんも歳なんだから、あんまり根を詰めすぎないようにしろよ」
「ふんっ! 余計なお世話じゃ」
猫でも追い払うような仕草で青年に早く帰れと促すと、青年は意地の悪い笑みを浮かべながらすぐに立ち去った。
店内に1人残された老店主は手元にある操作盤を使って全ての出入口に<施錠>し、テーブルの上に置かれたままの<水作成>コップに向き直った。
先ほど青年に言ったように疲れてはいるが、こんなに面白いおもちゃを目の前にしては休んでなどいられない。
近頃は歳のせいで無理が利かない体になってきたが、若い頃は2日や3日の徹夜も平気でやっていたのだ。今でも1日ぐらいの徹夜は何とかなるだろう。
魔道具店【バロウズ】の夜はこうして更けていく。