第27話 研究会
※ご注意:この話し中に出てくる方言らしきものは完全なエセ方言です。自分でも書いていて訳が分からなくなっています。
昆虫研究家ダニエル・ファブリチウスおよびその友人達との面会は、以前のように町の西区画外れのファブリチウス邸ではなく、俗に貴族街と呼ばれている町の南区画にある魔術大学院の会議室を借りて行われる事になっていた。
ちなみにこの大学院という呼び名は「大学+院」ではなく「大+学院」という文字の構成になっている。
レムリナス王国の魔術師ギルド本部がマッケイブの町にあり、最も規模が大きいから魔術"大"学院と呼ばれていて、その他の比較的大規模な支部は魔術学院と呼ばれているらしい。
何故、魔術師ギルドの本部が政治的中心であり人口国内一の首都ではなく様々な意味で二番目の都市であるマッケイブにあるかと言うと、単純に魔石を入手しやすいからである。
魔術の研究者というものは日常的に使用する魔道具や実験などによって大量の魔石を消費するので、魔石の産地である迷宮の近くに居を構えている。首都という名より利便性という実を取るという選択については、研究者はかくあれかしと言いたいものだ。
閑話休題。
行政府の建物は横に広くて魔術大学院は縦に長い塔になっているという違いがあるが、同じように大きく立派な建造物である。
しかし、行政府と魔術大学院が似ているのは容れ物の巨大さだけで、中に入ってから受ける印象は全く違う。
以前に何度か行ったことが有る行政府の中は概ね静けさを保ちつつも活気に満ち溢れていたが、魔術大学院の中は騒然としているのに何故かあまり活気を感じない。この世界の人間には通じない表現だが「梅雨時のようなジメッとした感じ」というのが一番近いだろうか。
事前にダニエルから伝えられていたように、魔術大学院の正面玄関を入ってすぐにある受付所で会議室への案内を頼む。
迷宮管理局の通常窓口に居るむくつけき中年男共と違って、魔術大学院の受付に居るのは若くて可愛らしい受付嬢達である。
受付嬢もいわゆる"魔術師のローブ"を着ているが、もしかして彼女も魔術師なのだろうか。受付嬢達も含めて見える範囲の魔術師たちの大半がねずみ色のローブなので、地位によって色が違うというありがちな規則でもあるのだろう。
「すいません。私はケンイチロウと申します。ダニエル・ファブリチウス卿と面会する約束をしているのですが、会議室はどちらでしょうか」
「はい、お待ちしておりました。ご案内しますのでこちらへどうぞ」
先に立って案内してくれる受付嬢の後に続いて建物の奥へ向かう。
座っている時は気付かなかったが、立っている受付嬢を後ろから見るとローブの下から身体のラインが浮き出ているのが判る。見せびらかすだけの価値はあるなかなかに魅力的な肉体だとは思うが、これはわざとやっているのだろうか。
階段を2回ほど下りた後、程なく一つの扉の前に到着する。
「失礼します。お客様をお連れしました」
「ああ、ご苦労。入ってもらいなさい」
受付嬢がノックしてから扉越しに声をかけると、部屋の中からすぐに嗄れた声で許可が返って来る。
開けられた扉をくぐって部屋の中に入ると、既に4人の男達がテーブルの周囲に配置された座り心地の良さそうな椅子に着いて歓談中だったようだ。
テーブルの一方の端に主催者であるダニエルが座っていて、その反対側の一辺に手前から全身を羽毛に覆われた恰幅の良い鳥人族の男、達磨のような厳つい顔の偉丈夫、漆黒のローブを身に纏った老人という順に座っていた。
参加者はケンを含めて5人だと聞いているので、最も目下である彼が一番最後になってしまったようだ。まだ集会の開始予定時刻までは十分に余裕が有るはずなのだが。
「遅くなってしまい、申し訳ありません」
「いやいや大丈夫だよ。僕達が早く来すぎただけさ」
念のため、先に到着していた4人に対して謝罪をしてからダニエルと同じ側の一番入口に近い下座の席に着く。温和なダニエルはともかくとして、他の3人についてはまだどういった人物なのか全く分からないので丁寧に接しておくに越したことはない。
「全員揃ったみたいだし、少し早いけど始めてしまおうか。まずは……皆の紹介から始めたほうが良いのかな?」
「はい、そうして頂けると」
ケンはダニエル以外の3人と初対面だが、他の4人は以前からお互い顔見知りのようだった。全員がそれぞれの分野ではひとかどの研究者だという話だけは聞いている。
この世界において"学問"というのは限られた人間だけの物で、庶民は母語の読み書きと四則演算がせいぜいといった教育水準である。だから、自分の好きな研究に専念できる環境にあるというだけでそれは上流階級に属する人間であるということが証明されていると言っても過言ではない。
「それじゃあ、順番に紹介していこう。一番奥に居らっしゃるのがジョーセフ師で、魔術理論研究の第一人者であらせられる」
「ふんっ、儂がすごいんじゃなくて他がボンクラなだけじゃわ」
見た目通りに偏屈そうな老人だった。
長く伸ばされた髭も髪の毛も元の色が全くわからないくらいに真っ白になっていて、顔には深い皺が幾重にも刻まれ、漆黒のローブの袖から出ている腕は枯れ木のようだ。しかし、煌々と輝いていた瞳からは深い知性と強い生命力が感じられる。
魔術関係の研究者なのだからおそらく魔術ギルドに所属しているのだろう。その態度から考えてかなり高位の幹部なのには間違いない。
「お次がアーヴィング卿。迷宮について研究しておられる方で、過去にはご自身も探索者として世界各地の迷宮に入ったことがおありになるそうです」
「吾輩も若い頃は世界各地を放浪していたのであるが、最近はすっかり出不精になってしまってな。今日は面白い話が聞ける事を期待しておる」
彼は隣に座るジョーセフよりもたっぷり頭一つ分は背が高く、それに比例するように体の厚みも立派なものだ。
実は人間ではなく大鬼人だと言われても納得できてしまいそうな巨体の上には、幼い子供が見ただけで引き付けを起こしそうなくらい厳つい顔が乗っている。だが、笑顔を浮かべると恐ろしげな印象が一転して親しみやすさを感じさせ、深みのある重低音の声が謎の安心感を感じさせる。
ダニエルが"卿"を付けて呼んでいるところを見ると爵位持ちだろうか。若い頃とは言え、継承権を持つ貴族が諸外国を放浪した上に探索者をやっていたとはなかなか変わり者のようだ。
「そしてハウトン殿。鉱物の研究家にして蒐集家で、ハウトン殿以上のコレクションを持っている人にはそうそうお目にかかれないでしょうね」
「初めまして。できれば長い付き合いにしたいもんですなぁ。迷宮の中で珍しい石でも見つけたんなら最初にワテのトコに持ってきてもらえると飛んで喜びますわ」
奇妙な訛りで話すのは、この辺りでは余り見かけない鳥人族の男だ。
コレクションの一部だろうか。鳥人族の常として服を着ていない上半身には、今まで一度も見たことがない不思議な色や形をした鉱石がいくつか填め込まれた首飾りを付けている。かなり派手だが決して下品ではないデザインだ。
鳥人族は空を飛ぶために体が軽くなくてはいけないので大抵は痩せているものだが、羽毛によってボリュームが増しているのを差し引いても彼の体型はかなり丸い。首から上に生えている羽毛がごく短いので最初は禿鷲系かと思っていたが、羽の小ささや色合いからするともしかしてダチョウのような陸を走る系統の鳥人族だろうか。
そうだとすると「飛んで喜ぶ」はそれと絡めた冗句という事になるが、笑うタイミングはとっくに逃してしまったので気付かなかった事にしておく。
「最後に、今回が初参加のケンイチロウ君。現役の探索者で、なんとこの町の迷宮中層に単独で入っているそうです。彼には以前、迷宮の中で捕まえた珍しい昆虫を譲ってもらった事が縁で知り合ったんですよ」
「初めまして。皆様にお会いできて光栄です」
特に語る事も主張したい事もないので自分の番は無難に済ませておく。
「今回の主催は僕、ダニエル・ファブリチウスです。集会場所を快く提供してくださったジョーセフ師、遠方から呼びかけに応じてくれたアーヴィング卿とハウトン殿、そして今回の話題を提供してくれるケンイチロウ君と、新たな知識を得る機会を与えてくださった知識神ノーリア様に感謝を捧げます」
5人がそれぞれのやり方で祈りを捧げる。
この国では多神教が主流なだけはあって宗教的にかなり緩い。特定の教会に仕える人間でもない限り複数の神を信仰するのも普通の事だし、自分が仕える神では無かったとしてもこういった場で祈りを捧げるくらいは何の制限もない。
「ではケンイチロウ君、早速見せてもらえるかい?」
「はい」
今回彼らが集まったのは、ケンが以前迷宮の中で豚頭鬼人から手に入れた謎の黒い球体について調査するためである。
第一<転移>門から無事迷宮の外に出た後の戦利品分配の時に、金銭的な価値が判らなかったのでアルバート達のパーティが最も興味を持っていたケンに権利を譲ると言ってくれていた。
しかし正体不明なだけあって金銭的にはガラクタ同然かも、国宝級の宝玉かも知れず、あまり分配が不公平過ぎるのも気が引けるのでとりあえずは5人の共同所有ということになっている。現物はひとまずケンが預かって調査を行い、価値が分かってから改めて収益を分配する予定である。
だが、入手してから約3ヶ月が経過した今も正体の手がかりすら掴めていない。
ダニエルに促され、持ってきた手提げ袋の中から<魔力遮断>布で包まれたそれを取り出すと、それだけで魔術師のジョーセフが反応を見せた。
「むっ?! その布切れはジョンのとこのか」
「はい、よくお分かりになりますね。お知り合いでしたか?」
この<魔力遮断>布はケンの行きつけである魔道具店【バロウズ】で以前魔道具を買った時に付属していた物だ。そこの店主の名前がジョン・バロウズだったはずだから、ジョーセフが言っているのは店主で間違いないだろう。
「ふんっ。単なる腐れ縁じゃい。あいつめ、一度は『自分には才能がなかった』とか言って引退しおったくせに、いきなり復帰したと思ったらヘンテコな新作を3つも4つも出しおってからに……もしかしなくともお主の仕業じゃな?」
【バロウズ】の店主が現役復帰した事も、新魔道具開発にもケンが関わっている事も間違いない。
ケンとしては名声など欲していなかったし、アイディアを少し出しただけで開発そのものは全部爺さんがやったのだからと考えて、完成した新魔道具の発明登録をする際にはケンの名前は出さず単独開発という事にしてもらっている。
「ええ、バロウズさんと協力して色々と試している事は確かですが……」
ジョーセフは半ば確信しているような物言いだったし、何が何でも隠さなくてはいけないような事でも無いので正直に答えた。
睨まれたのが怖くて誤魔化せなかった訳では、断じて無い。
「やっぱりのう! あいつは他の奴よりはまあ、ちょっとだけマシな奴なんじゃが頭がとんでもなく固くてな。あんな石頭がいくつも新機軸を打ち出せるのはおかしいと思っとったんじゃ!」
「はあ……」
「バロウズというとアレですかい、<暗視>ゴーグルとか<色彩変化>布の? ワテのとこでもなかなかの売れ筋でっせ。特にあの布は仕入れても仕入れても明くる日には全部売れてしまうんですわ」
<色彩変化>布は安い上に応用範囲が広いのでそこそこ需要が有るとは思っていたが、予想以上の大人気商品らしい。
疑問に思ってハウトンに聞いてみると、芸術関係でひっぱりだこだと言うことだ。絵画の複製を作るのに使われたり、<色彩変化>布を利用した作品を作り始めている芸術家もいるらしい。
「アレで転写すると当然左右がひっくり返ってまうんけど、そんなんもう一回転写したら元に戻るわな。上手い具合にやれば遠目には本物そっくりの複製画がすぐにできるよってに。いくら出来が良くても、近くで見たらイッパツでバレますけどな」
逆に<暗視>ゴーグルはほとんど売れていないようだ。魔道具の価格自体も高価な上に魔石の消費も大きな割には使い道が限られてしまうからだろうか。
盛大に脱線してしまったが、ダニエルの司会によって話が本筋へ戻される。
「まあ、後でじっくりと話を聞かせて貰う事にしようかのう」
面倒事の気配を感じ取ったのでジョーセフの呟きは聞こえなかったことにしておく。全く逃げられる気がしないが。
気を取り直して<魔力遮断>布の包みを解くと、こぶし大の黒い球体が露わになった。
限りなく真球に近く、表面は滑らかそうに見えるのに一切光を反射していない。ぼんやりと眺めるとそこだけがポッカリと穴が空いているようにも見える。
「いかがでしょうか?」
「ワテが見たことのあるどんな鉱石ともちゃいますなぁ。原材料はともかくとして何らかの加工が施されているのは間違いないでっしゃろ」
「吾輩も見たことがござらん。モンスターによってはこういった形の宝玉を落とす者も居るが……どこが違うのだとはっきり言えぬが、今まで見た宝玉とは何か違う印象を受けるな。ジョーセフ師はどう考えておられる?」
「―――うむ。この珠からは微弱な魔力が漏れておる……どうにか抑え込もうとして抑えきれぬ感じじゃな。直接触れんようにしたのは妥当な判断だったじゃろ」
専門家3人が今言った内容を総合すると「すぐに正体は分からないが尋常のものではない」かつ「おそらくは人工物である」というのが一致した見解だろうか。
人工物と言っても、この世界においては字面そのままの「人間が作った」という意味ではなく、人間以外の高度な知性を持った種族や迷宮そのものも含まれるが。
「僕は入手した状況を聞いてみたいと思ったんだけど……良いかい、ケンイチロウ君?」
「はい、では説明させて頂きましょう」
話すことで正体に一歩でも近づくことができると言うなら、むしろ積極的に話すのが当然だろう。
アルバート達とパーティを組んだ経緯や道中の探索場面など直接関係ない部分はばっさりと省略し、オーク・リーダーを見つけた場面から話を始める。
推測部分は推測であると断りを入れながら、あの時のモンスター部屋で見た物と感じたことを全て伝えた。
「ローブや法衣を着たオークなど吾輩は一度も聞いたことがござらん。それに、幾ら上位種と言っても大鬼人よりも強いオークなど有り得ぬ―――ああいや、ケンイチロウ殿の事を疑って居る訳ではござらんが」
ハウトンが重々しく語った。ケンだって鬼より強い豚が居るなんて話を他人から聞けば眉に唾を付けただろう。
しかし、そう見立てたアルバートが敵の実力を大きく見誤るとは思えないし、何よりあのオーク・リーダーより強いオーガが中層にうようよと徘徊しているなんて事は想像すら遠慮しておきたい。
「<業火嵐>を使った魔術師と言うのはあの娘っ子か。あの娘は攻撃魔術の腕前は並よりは少しだけ上じゃったが、それ以外はからっきしでのう。それがこの間急に……」
ジョーセフは【バロウズ】の店主だけではなくエミリアについてもご存知だったようだ。エミリアの実力を評して「並より少し上」とは、単に評価基準が厳しすぎるのかそれとも世界がそれだけ広いと云うことなのか。
「ジョーセフ師、また話が脱線してしまいますのでそのあたりで……」
「ふんっ。やはり後で詳しい話を聞かせてもらわんといかんの。まあ、あの娘っ子が使う<業火嵐>をまともに喰らって生きておると言うなら、ただでかいだけのオーガなんぞ相手にならんだろうよ。単に防具が良かったのかも知れんがのう」
「迷宮の中に湧くモンスターというモノは装備まで含めて"格"の内でござるからな」
オーク・リーダーの装備品は迷宮内に出現するモンスターの常として、所持者の死亡とともに全て消滅してしまったので性能を確かめる術が無い。
モンスターが装飾の施された板金鎧なんて物を着ているのがまず異常なので、何か特殊な能力を持った鎧だったとしても驚くには値しないが。
刃部分には間接的にすら誰も触れなかったので判らなかったが、もしかしたらオーク・リーダーが持っていたハルバード槍斧も魔法の武器だった可能性もある。
「その、でっかいオークから出た魔石の値段がオーガのより高価かったんやったら、そっちの方が強いって事で良いんちゃいますかね」
「少々極端ではあるが、そう間違った結論ではござらんな」
例外はあるが、基本的に迷宮内に出現するモンスターは強い者ほど死亡した後に大きくて良質な魔石を残す。魔石の大きさは内包する魔力量と比例関係にあり、当然大きい物ほど売却価格が上がる。
ただし価格と魔石の大きさは単純には比例せず、大きい物ほど内包する魔力量に比して割高になっていく。例えば「魔力100単位の魔石100個」と「魔力1,000単位の魔石10個」があった場合、合計した魔力の量はどちらも同じなのに後者が圧倒的に高価になる。
「その時に取れた魔石もありゃあ良かったんじゃがな。まあ、魔石はどこまで行っても魔石じゃし直接見たところで何か分かる訳でもないかのう」
「3ヶ月前じゃもう売れてしもうとるやろねぇ。でも、買取の時の帳簿を見れば魔力量くらいは分かるでしょうから、必要なら取り寄せたらええんでは?」
「おお、そうじゃそうじゃ」
盛大に脱線しつつも3人の専門家たちが侃々諤々と黒い球体の正体について議論する様を、ダニエルとケンが見守る。
話し合われる内容の殆どが高度な知識の存在を前提としているせいでケンにはほとんど理解できない。ときおりケンに対して行われる質疑の他はほとんど置物のようにそこに座っているだけになってしまった。
昆虫については膨大な知識を持っているダニエルも今回の件についてはさっぱり分からないようなので議論に加われず、しかたがないのでダニエルとケンの2人で議論の推移を見守りつつ雑談を交わして友情を深めていた。
朝から始まった集会は軽々と昼を越えて続いた。
昼食としてサンドイッチや茹でた腸詰め肉などの軽食が運び込まれ、食事を摂りながらも会話が途切れることがない。簡単に調理されただけだが素材が良いのか食事は美味く、紅茶や薬草茶やコーヒーなどの飲み物も質が良いので少々飲み過ぎてしまった。
内容の多くは難解すぎてケンには理解できなかったが、興味深い話がいくつもあった。
ジョーセフからは魔術について疑問に思っていた事の答えをいくつも聞くことができたし、ハウトンは一年中各地を周っている上に早耳なので昨今の社会情勢に詳しく、迷宮内に出現するモンスターのドロップアイテムがどのように利用されているかについても知っていた。
最も興味深かったのはアーヴィングの迷宮についての研究成果で、迷宮内でモンスターが湧く条件や湧く場所と湧かない場所の判別方法、特定のモンスターが湧く地域は明確に決まっている事などのケンに直接役立つ情報が多数得られたのは大きな収穫だった。
迷宮内での方角判別方法と、現状はまだ結論が出ていないがどの方角に進めば迷宮の中心により近づけるのかについていくつか仮説を聞き、検証への協力を要望された。仮説のいずれかが正しい場合迷宮の完全突破にかなり近付けるだろう。ケン単独ではどう足掻いても不可能だろうが。
話のタネは全く尽きないが、夕の鐘を契機として本日の集会はお開きになった。
遠方からやって来ている貴族のアーヴィングと商人のハウトンは、今からどうしても外せない晩餐会に参加しなくてはならないらしい。
「と言う訳で、今後の研究のためにこれを預からせて貰いたいんじゃが、問題なかろう?」
「あ、はい。むしろこちらからお願いしたいくらいです」
簡単に結論が出るような問題では無いので、成り行きとして継続調査になった。まずは黒い球体が発する魔力について解明するのが先決と判断されて、マッケイブの町を本拠としているジョーセフが預かるようだ。
正直に言って保管場所に困っていたので渡りに船である。あまり余計な物を迷宮に持ち込みたくは無いし、得体のしれない物体を【花の妖精亭】に預けておくのも怖い。倉庫などに預けるにしても信頼のおける業者の場合はかなりの料金を要求されるのだ。
「久々に腕が鳴るわい……ああ、そうじゃ。これをお主に渡しておこう」
ジョーセフが自分の指に填めていた指輪を外し、ケンに向けて放り投げる。
石の付いていない金製のその指輪は幅が1センチメートル程もあり、びっしりと魔術文字が刻まれている。指輪としてはかなり大きなものだ。
「この指輪は何でしょうか?」
「まあ、魔術大学院の通行証のようなもんじゃよ。入口でそれを見せれば儂まで話が通るようにしておくでな。形状調整の効果付きで誰でも填められるようになっとるから無くさんように普段から着けておくんじゃぞ」
指輪の中に指を通すと、吸い付くような感覚とともにジョーセフの言う通りケンの指にピッタリの大きさになった。
「10日に一度は顔を出すんじゃぞ。気が向けばその時いろいろと教えてやるでな」
「じゃあワテもお近づきの印に名刺渡しときましょ。うちの系列店にこれを見せてもらったら何かええ事があると思いまっせ」
「ありがとうございます」
ハウトンから渡されたのは金属製のプレートだった。6センチ×10センチくらいのサイズでハウトンの名前が彫り込まれており、左上には何かの鉱石が埋め込まれている。
「む、吾輩は残念ながらそういった気の利いた物がござらんな。後でジョーセフ師宛に書状でもしたためておこう」
「もったいない事です」
魔術大学院の建物から出ると、もう陽は完全に落ちきっていた。
普段ならばこれからどんどんと街中を歩く人間が少なくなっていくのだが、今日は収穫祭初日である。むしろこれからどんどんと盛り上がっていくだろう。
事前に予想していた通り、男と顔を突き合わせているだけという潤いの無い集会で丸一日潰れてしまったが、祭り見物をする以上の物は得られただろうと自分を慰める。
一度【花の妖精亭】まで戻り、精神的な潤いを補給してから次にする事を考えよう。




