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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第二章 秋季大規模討伐参加
22/89

第21話 報復

 その日、セーバス山の東の麓にあるその村ではゴブリンの集団との戦闘が開始されようとしていた。


「ゴブリーン! ゴブリンが来やがったぞ! 20匹は居やがる!!」

 物見櫓の上に立った男が警鐘代わりの鍋を打ち鳴らし、大声で敵襲を知らせる。

「迎撃準備ぃー!」

「外に居る奴はさっさと中に戻れ! 女はなるべく村の中心の広場に集まって、子供と年寄りは倉の中に入るんだぞ!」

「野郎ども準備は良いか! ビビってんじゃねえぞ!」

 ちょうど村の外に出ていた幾人かが泡を食って戻ってくる。2箇所ある出入口のどちらか近い方へと走ったり、両手両足を使って柵の上を乗り越えたりして、どうにか全員が村の中に入れたようだ。

 侵入者を阻むため、丸太を組み合わせて作った障害物を数人がかりで入口の前に移動し、柵に鎖で固定する。


 戦士隊は元より村人も戦いに参加できる男は全員が武器を持ち、迎撃準備を整えていく。

 戦士隊が馬車に載せて運んできた武器のうち、彼らが今使わない物は既にありったけ出して村人に渡してある。

 まともな武器が行き渡らない村人は棒の先にナイフを縄で括りつけただけの槍や、農業用の熊手(フォーク)、先を削って尖らせただけの槍なんて物もあるが、とにかく全員がなにか一つは武器持っている。

 数少ない弓を扱える村人は梯子をかけて屋根の上に登り、置き盾の影に身を隠す。木の板を組み合わせただけの簡易的な物だが、矢を防ぐだけであればその程度でも用が足りる。

 女達は後方支援だ。

 主な仕事は怪我人への対応で、消火班としての役割もある。村の中のそこかしこに水の入った大きな瓶や消火用の砂や灰が置いてあり、それを使って初期消火を行う。

 あの特殊なゴブリン共が人数を集めて村を襲う場合、それは村から収奪したりや占領するためではなく皆殺しにするためだろう。ならば火を放つのに躊躇する理由はない。

 延々と火攻めを続けられればすぐに持ち堪えられなくなるだろうが、ゴブリンが補給部隊でも引き連れていればともかく、そうでないならそこまで大量の油や火矢は持ち運んで来ないだろう。

 戦えない子供と老人は、村で唯一レンガ造りになっている穀物倉の中に隠れる。木造の一般家屋よりは頑丈にできているし火にも強い。大人たちが後ろを気にせず戦闘に専念するためには重要な要素だ。

 前線に出る事を許されなかった年嵩の少年が太い棒きれを持って扉の中で警備に就く。彼らの出番が来た時は、恐らく村が滅亡する時だろう。



 ゴブリンが到着する前に戦力と配置を確認しておこう。

 村側の戦力としてはまず秩序神教会所属の第24分隊員が12名。これは治癒術師(ヒーラー)斥候(スカウト)を1名ずつ含んだ数なので、純粋な戦闘要員としては10名となる。

 加えて、村人のうち武器を持って戦う男が26名。そのうち正式に武器を使う訓練をしたことが有るのは数名だけで、あとは狩人一家の3人が弓を扱えるくらいである。


 村からは北西と南東に向かって道が伸びていて、その出入口以外にはここ数日の突貫工事で直径15センチメートル前後の丸太を組み合わせた、高さ1.5メートルほどの侵入防止用の柵が立てられている。

 切ったばかりの木を全く乾燥もさせずに使っているので冬が空ける頃には歪んで壊れてしまう部分も出てくるだろうが、今回の戦闘では十分役に立ってくれるだろう。

 最も敵の攻撃を激しく受けると予想されているのは、相対的に侵入しやすい2箇所の出入口部分だ。

 この2箇所はそれぞれ、剣と盾を持った戦士隊員3名と村人4名が守備を担当する。頑丈な板金鎧(プレート・メイル)を着た隊員が矢面に立ち、槍を持った村人がそれを脇から補佐する形である。

 残りの隊員は余裕があれば射撃武器で攻撃したり、ゴブリンが柵を超えて侵入を果たした場合などにそれらを駆除するために動く。出入口を守備する隊員の交代要員としての位置付けでもある。

 出入口を担当する以外の村人は二人一組で村内を周って警備を行う。ゴブリンが柵を乗り越えようとしたり隙間を通ろうとした場合にそれを防ぐのだ。

 ゴブリンが自分の身長よりも高い柵の上を超えるには両手を使って自分の体を引き上げる必要があるだろうし、柵の隙間を通ろうとするなら村人が持つ槍のいい的だ。ただそこに武器を持って立っているだけでも一定の効果が見込めるだろう

 戦士隊長のフランクリンはゴブリンの集団から近い北西側の出入口前で全体の指揮を執り、クレアは中央の広場で女達の指揮と怪我人が出た場合の治癒を担当し、自警団長のジャクソンは出入口以外を守る村人に指示を出す。

 ケンは(クロスボウ)を持って狩人の3人と同じように建物の屋根の上に立ち、村全体とその周囲を俯瞰しつつ射撃対象の選定や各リーダーに対する情報提供を行う。


 そうやって村の側が忙しく準備を整えていると、地上に居る人間からもゴブリンの姿が目視できる距離まで近付いて来た。

 ホブゴブリンが1匹にゴブリンが約20匹。小柄なゴブリンの中に交じる比較的大柄なホブゴブリンは遠目にもよく分かる。

 やはり、最も目を引くのは指揮官(リーダー)だと思われるホブゴブリンだ。どうやって手に入れた物なのか要所に分厚い鉄のプレートを取り付けた鎖帷子(チェイン・メイル)に身を包み、持ち主の身長よりも長い両手剣(グレート・ソード)を背負っている。

 ゴブリン共は全員が革鎧を着け、剣と盾、槍、弓のうちのいずれかを手にしていた。ゴブリンの体格の問題で剣は小剣(スモール・ソード)、槍は長槍(ロング・スピア)ではなく短槍(ショート・スピア)、弓は短弓(ショート・ボウ)と言った大きさだが、どれもまともな作りをしているように見える。

 雑兵にまでまともな装備を支給できるとは、敵はどれだけ予算が豊富なのだろうか。鎧を着けているのは自警団長などの数人しかおらず、半数以上が急造の武器を持っている村人側とは雲泥の差だ。

 物資は潤沢でもさすがに訓練までは行き届かせられなかったのか、人間の正規軍のように隊列を保って整然と行進しているとまでは行かず、なんとなく集団を保って移動できているといった程度である。

 いや、普通は何十匹居ても烏合の衆でしかないゴブリンを集団行動が成り立つまでに教育できているのだから、教育した奴は大したものだと賞賛すべきだろうか。



 ◆



「まだ撃つなよ! 撃ってもどうせ当たらん!」

 現在、ゴブリンの集団は村の出入口から約50メートルの距離を保っている。

 村人が持つショート・ボウはともかく戦士隊が使う長弓(ロング・ボウ)なら十分に殺傷射程内だが、村へと続く道の真ん中で仁王立ちしているホブゴブリン以外は上手く木の陰に体を隠している。

 急所を狙撃できるような腕前を持っているなら別だが、そうでなければ撃っても木に当たってしまうだけだろう。


「20匹か……少ねえな」

 ゴブリンに近い側の出入口で防衛の指揮を執っているフランクリンが呟く。

 1週間前なら今正面にいる戦力だけで村を壊滅させるには十分だっただろうが、今は秩序神神殿の戦士隊が1分隊分控えているだけではなく、急ごしらえの防衛設備が作られた上に村人も迎撃準備を整えている。

 訓練を受けたゴブリンと言っても20匹程度ならば村人だけで撃退可能な数だろう。もちろん全く犠牲なしにとは行かないだろうし、村人が最後まで統制を保ったまま迎撃を続けられればという前提付きだが。

 ホブゴブリンについては村人だけでどうにかできるとは思えないので、村人だけで戦ったらどうなるかという仮定は全く無意味ではある。


「それに、何で攻めて来んのだ」

 ゴブリン共は村から少し離れた場所に布陣したまま、攻める様子も退く様子も見せない。

「もしかして、我々が居るので攻めあぐねているのでは?」

「いや、それはねえな……」

 洞窟を棲み家にしていたゴブリンが1匹残らず殺された事は既に敵の知るところだ。

 子供や老人を含んでると言っても巣には30匹以上のゴブリンが居たのだから、それを皆殺しというのはただの村人に出来ることではない。村が外部から何らかの戦力を呼び寄せたのではないか、という考えには簡単に辿り着くだろう。

 洞窟に様子を見に行かせたら尾行を付けて帰って来たのだから、洞窟のゴブリンを全滅させた戦力がまだ村に残ったままだという推測は簡単に成り立つ。

「村に防衛設備ができている事が完全に予想外だったのでは?」

「うーむ」

 誘拐のためにあれだけ下見をしていたのだから、本体が村に到着する前に斥候の1人や2人は村へ送っていてもおかしくない。

 何にせよ村まで来れば侵入防止用の柵があるのも戦士隊が居るのも一目瞭然なのだから、そのせいで攻略が不可能だと判断したのなら援軍を呼ぶなり一度退却するなりの選択をするだろう。

 姿を見せたままそこに居続けるのなら、何らかの目的があると疑うべきだ。


ホブゴブリン(でかいの)が1匹だけなのも気になるな……こっちは囮か? 全員、伏兵に注意しろ! 出来る限り持ち場を守れ!」

 フランクリンのその声が開戦の合図になったかのように、ゴブリン共が雄叫びを上げて突進を始めた。



 ◆



 先手を取ったのはゴブリン側だった。

 村の東側にある森の中から3,4匹のゴブリンが駆け出してきたかと思うと、小型の壺のような物体を山なりに放り投げる。柵の上を飛び越えて地面に落ちた壺は簡単に割れて中から液体を撒き散らした。

 壺の中に入っていた液体をまともに被ってしまった村人が悠長に手で拭おうとしている所に、壺を投げたのとは別のゴブリンが火種を投げつけると、運の悪い村人がたちまちのうちに火達磨になって地面に倒れこむ。

 屋根の上に居たケンからはどうしても死角になってしまう場所からの奇襲に気付けなかったケンがほぞを噛むが、今は落ち込んでいる暇など無い。

 突然の戦闘開始で村人達が浮足立った隙を突いて、1匹のゴブリンがまんまと柵の一番上にまで登っていた。ケンが装填済みのクロスボウで素早く狙いを付けて撃つと、胸に矢を受けたそいつが柵の内側へと落ちて痛みにもがく。


「柵に取り付かせるな! 怪我人は女に任せろ!」

 目の前にゴブリンが来ても呆然としたままだった近くの村人達が、ケンの怒声を聞いてやっとの事で動き始める。慌てて火を叩き消してやろうとしていた男もはっとして槍を構え、目の前に落ちていたゴブリン目がけて槍を突き出す。

 最初は恐怖からか腰の引けた力のない攻撃だったが、何度か当てているうちにだんだんとコツを掴んだらしくきちんと止めを刺せたようだ。


 火を消そうとしてかそれとも無意識の反応か火に包まれながら地面を転がる男に、女が駆け寄って消火用に準備していた灰をぶちまける。

 火達磨から灰塗れに変わった痛みに呻く男を、女3人が協力して村の中心で周囲を鼓舞するクレアの元へと引きずっていく。

 精神的ショックは大きいようだが火に包まれていた時間はそれほど長くなかったので、クレアが<治療>の魔術をかけてやれば傷跡も残らず治るだろう。



 既に、村の各所で戦闘が始まっていた。

 北西側の入口には道に布陣していたホブゴブリンが率いる一群が殺到し、フランクリンが率いる部隊と激突している。

 東側だけではなく反対の西側の森からも10匹以上のゴブリンが姿を現し、どうにかして村の内部に侵入しようと柵に取り付いては、村人が持つ槍に突かれて飛び下がる。

 手にした鉈で柵を切り倒そうとしたり柵に油を撒いて燃やそうとしている奴も居るが、その程度でどうにかなるほど華奢な作りはしていない。さすがに延々とやられ続ければいつか壊れてしまうので、村人達が妨害しなければならない。

 南東側の入口には今のところ1匹もゴブリンが来ていないせいで遊兵になってしまっているが、これはおそらく計略の一つだろう。あまり手薄にすれば今度はそちらを目掛けて伏兵が殺到するに違いない。

 戦闘に参加していない入口周辺の隊員や村人は落ち着かない様子だが、持ち場を守れという命令が徹底されているのか今のところその場を離れる様子はない。

 戦力の振り分けについては全体の指揮を執るフランクリンの権限なので口は出さない。ケンが手を出さなくてもフランクリンが適切に処置するだろう。


 ケン自身は攻撃よりも情報収集に重きを置いて行動している。当てられる距離かつ射線が通る場所にゴブリンが居ればクロスボウを撃つこともあるが、積極的な攻撃は本分ではない。

 手薄な場所に取り付いたゴブリンを見つけてはその周囲の村人に警告し、大怪我をした村人を見つければクレアにそれを伝える。地味だが重要な役目だ。


 混乱が深まっていく中、全員がどれだけ自分の仕事が出来るかで勝敗が決まるだろう。



 ◆



 村の北西側出入口とその周辺における攻防は今のところ何とか均衡を保っていた。


 入口に置いた障害物を退かそうとゴブリンが数匹がかりで押してくるのを押し返し、固定している鎖を切ろうと鉈を振り回すゴブリンを剣を振るって下がらせる。

 柵に取り付いたゴブリンに対しては村人達が槍で牽制の突きを放つ。

「深追いはするな! 柵から引き剥がすだけで良い!」

 障害物を挟んでの攻撃だと大きな傷を与えるのが意外と難しい。剣が振り切れないし、突くにしても狙う場所が制限される上に若干間合いが遠いからだ。

 素人である村人ならなおさらだろう。槍が扱いやすい武器だと言っても急所を的確に突くだけの技倆が有る訳では無いし、腕力が上がる訳でもない。


 後列のゴブリンがショート・ボウから放つ矢は、顔の前に凧形盾(カイト・シールド)を掲げて弾き返したり、置き盾の後ろに隠れることでやり過ごす。

 ゴブリンが使う弱弓なら、十数メートルも離れればプレート・メイルにとっては全く脅威ではないし、置き盾に突き刺さる事はあってもその背後に隠れた人間にまで矢が届くことはない

 ゴブリンと人間の双方で次第に怪我人が増えていく。

 深手を負った場合でも回復させられるクレアを擁する人間側が、消耗戦では若干優位に立っていると考えても良いだろう。


 今回村まで連れてきた若い奴らは、ほとんどが初陣だというのに良くやっている。

 数日前にゴブリンの巣を攻めたが、あれは戦闘などではなくただの駆除としか言えない有り様だったから本当の殺し合いは今が初めての経験だろうに、全く臆すること無く戦えている。

 村人たちが期待以上に動けているのは役割を単純明快にしたお陰だろう。どこかを攻めるのではなく、自分たちの住む場所を守るのだという意識からか戦意も旺盛だ。



 しかし、村側が装備と人数で勝るゴブリンを何とか抑えられているのは、戦術や戦意の有無よりもゴブリン側の最大戦力がまだ動いていないという理由が大きい。

 集団のリーダーであるホブゴブリンは配下のゴブリン共をけしかけるだけで、自らはまだ戦闘に加わっていなかった。門から20メートルほど離れた道の真ん中で、鞘に入ったままのグレート・ソードを杖代わりにしながら高みの見物を決め込んでいる。

 屋根の上に立つ狩人が何度かショート・ボウで射かけたが、矢が顔めがけて飛んできた時以外は避ける素振りすら見せなかった。隊員からロング・ボウで狙われた時にはさすがに無視できなかったようだが、軽々とした身のこなしであっさりと躱されてしまった。


 しかし、初めはニヤニヤとした表情だったホブゴブリンも、遅々として進まない村の攻略に次第に苛立ちを募らせたようだ。

「来るぞ!!」

 遂に鞘から剣を抜き、全長2メートル以上もある長大な剣(グレート・ソード)を片手にゆっくりと近づいてくる。

「ウゥルゥオオオォォォォォォォォォォォォォ」

 ホブゴブリンが狼のような遠吠えを上げると、入口周辺に攻めかかっていたゴブリンが一斉に後ろに下がった。そこに幾つもの油壺が投げつけられ、中から大量の油が溢れだす。

「火が来るぞぉぉ!! 下がれぇぇ!」

 火種が投げつけられ、周辺に激しい炎が巻き上がる。


 同時にホブゴブリンが全力で助走を付けて跳んだ。

 高さ1メートルはある入口前の障害物と炎を飛び越え、炎を避けたせいでポッカリと空いていた空間に着地する。重量のあるプレートメイルを着けたままで数メートルの距離を跳躍するなど尋常な業ではない。

 驚愕によって動きを停めてしまった隊員の1人に対して、ホブゴブリンが持つグレート・ソードが逆袈裟に振るわれる。

 標的にされた隊員は何とかその一撃を躱そうとするが、敵の目前での一瞬の停滞は致命的だった。


 剣を持ったままの右手が吹き飛ばされ、空中でくるくると回る。



 ◆



 祈りを捧げ、癒しの奇蹟を願う。

 神の御業の証である仄かな光が村人の身体を撫でていくと、腹部を横断している大きな傷が跡形もなく消えていく。

「有難うございます、神官様。これでまだ戦えます」

 今傷を塞いだばかりの男性が早口で礼を言うと、クレアが止める間もなく戦場へ戻っていってしまう。

 奇蹟によって傷は治せたと言ってもあれほどの傷だったのだ。しばらくの間はかなりの痛みが残ったままだろうし、傷から流れた血と消耗した体力は時間が経つ事でしか回復できない。

 戦場では過度の興奮によって大きな傷を受けても痛みを感じなくなってしまう人も居ると聞くが、先刻の彼もそうなってしまったのだろうか。


 ゴブリンの襲撃によって村は凄惨な有り様だった。

 彼女も今日だけで何度、癒しの奇蹟を願っただろうか。

 戦士達や村人達がゴブリンの手によって傷つけられ、村には何度も火を放たれ、消火が間に合わなかった家が炎を上げて燃え盛っている。

 既に村人が1人、天に召されてしまっていた。ゴブリンの放った矢が喉に突き刺さった彼は物陰に倒れてしまったせいで忙しく走り回る女性達になかなか気付いて貰えず、手遅れになってしまったようだ。

 治療を受けに来た村人が亡骸を目にして動揺してしまわないように、今は近くの家の中に安置されている。

 蘇りの奇蹟は数百年も前から伝説の彼方にある。

 例え彼女が人を蘇らせる事が出来たとしても、秩序神の教義がそれを許さない。それはこの世とあの世の境界を侵し、秩序を乱す行為だとされているからだ。


 自らの未熟を悔やむ。

 経典に記されている初代聖女様が今ここにいらっしゃれば、この村にある罪なき人々の命は一つも喪われなかっただろう。

 戦士として一人前と言われ、高位の癒し手だと認められ、未来の聖女だと褒めそやされていても目の前にある命さえ救えない。たった一人では手の届く場所さえ絶対守れるとは限らない。

 神ならぬ身で全てを救おうとするのが傲慢だと言われても、彼女は進むのを止めたりはしないだろう。



 獣のような遠吠えが聞こえた後、村を包んでいた喧騒がいや増した。

 最も激しい戦闘が繰り広げられている入口の方からは悲鳴と怒号が響いてくる。

 別の方向からは木が折れる大きな音が数度。音がした方向に目を向けると、そこには怪物が居た。


 砕けた柵の向こう側、人より背丈の高い一匹のホブゴブリンが分厚い金属製の鎧に身を包んで悠々と立ち、巨大な三日月斧(クレセント・アックス)を木の枝でも振るかのように扱っている。

 今しがた自身が作った柵の隙間を通って村の中に入ろうとするホブゴブリンを止めようと、2人の村人がそちらに向かっていく。

 勇敢さは美徳だが、勝ち目の無い戦いに挑むのはただの蛮勇だ。


「いけない、逃げて!」

 間に合う事を祈りつつ、クレアは全力で駆け出した。

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