第1話 迷宮探索者の非日常
設定等を煮詰めないまま書き始めているため、後から変更を加える可能性があります。
2014/9/30追記
※お詫び
感想で何件か「読み辛い」というご指摘を頂いています。
確かにかなり読み辛いと自分でも思いますが、続きを書くのが精一杯で現状は投稿済み文章の見直しまで手が回りません。
申し訳ありませんがご了承ください。
2015/4/1追記
ひっそりと書き直しをしてみました。
話の筋には全く変更がないため、読みなおしをしていただく必要はありません。
獲物の背後から音もなく忍び寄り、右手に握った鉄製の鎚矛を静かに振り上げ、力を込めて素早く振り下ろす。
彼の得物は無防備な獲物の後頭部と首の間、人間で言えば延髄と言われるであろう場所に狙い通りに命中した。武器を握る右手には背骨を砕く確かな手応えが感じられた。
間髪をいれず頭頂部めがけて第二撃を叩き込み、頭蓋と一緒に脳を砕いて止めを刺す。
断末魔の声をあげる事もできずに事切れ、地面に崩れ落ちていく物体にはそれ以上の注意を払わず、周囲の気配を探る。
周囲に別のモンスターの気配がないことは獲物に対して奇襲をかける前にさんざん確かめているが、それでも警戒は怠らない。
勝利を得た直後は無防備になりやすい。モンスターとの戦闘に勝利した直後に別口のモンスターに襲われ、無警戒と不注意の代償を自身の命で支払ったなんて話はこの5年で嫌になるほど耳にしているからだ。
完全な静寂を保ったまま数秒が過ぎた。彼の眼に動くものは何一つ映らない。
「ふーっ」
差し迫った襲撃の危険はないと確信した彼は、僅かに緊張を緩める。
戦闘が終わったのであれば、後始末をしなければいけない。
主武器をざっと見て特段の問題が無いことを確認してから腰の右側に吊り下げ、ついでに左腰に下げた副武器の小型剣が所定の位置に収まっていることを確認する。
そして、今しがた自身が刈り取った命の残骸に視線を向けると、ちょうど死体の分解が開始されたところだった。
迷宮探索者たちの間で『這い寄る影』と呼ばれる漆黒の豹人の肉体が頭頂部から崩壊し、崩壊した部分から淡く光る謎の粒子が立ち昇った。
並みの人間ほどの大きさがあるモンスターの肉体はものの数十秒で跡形もなく消えてしまい、代わりに直径2センチメートル程度の灰白色で半透明な石と、長さ30センチメートル以上もある巨大な鉤爪が残された。
(いつ見てもゲームみたいな光景だな)
戦利品を拾い上げながら彼が抱いた感想は、この5年間―――この世界で迷宮探索者となって以来、数えきれないくらい感じていたものと同じだった。
この世界には誰が、いつ、何の目的で作成したのかが一切解明されていない「迷宮」が、世界各地に点在している。
迷宮の中にはどこからともなく出現する多種多様なモンスターが多数生息しており、迷宮の中で生まれたモンスターの肉体は死亡後速やかに分解される。
モンスターの死体が分解された後には"魔石"と呼ばれる魔力が篭った半透明の石が必ず残される。
それに加え、運が良ければ「モンスターの肉体の一部や装備品だったもの」も残されることがある。これは探索者の間で【ドロップアイテム】と呼ばれている。
こういった現象が起こるのは迷宮の中で発生したモンスターのみであり、仮に迷宮の中に生息しているモンスターであっても、迷宮の外に由来を持つ個体であれば死体が分解されることはない。
迷宮の外で生まれたモンスターの場合、体内に高濃度の魔力を秘める幻獣や魔獣といったごく一部のモンスターは例外的に体内に魔石を有するが、人間を含めたほとんどすべての生物は体内に魔石を持たない。
一方、迷宮の中で生まれた―――言い換えれば迷宮が生み出したモンスターであれば、大した魔力を持たない最弱の洞窟コウモリですら、ごく低品質ではあるものの必ず魔石を持っている。
これらの事例から、研究者の間では「迷宮最深部から湧きだした魔力が結晶化して魔石となり、その魔石を核として迷宮内のモンスターが発生する」と考えられていた。
迷宮の中で生まれたモンスターの肉体は「触れることができる幻影」でしかなく、だからモンスターが死ねば肉体は跡形もなく分解されてしまうのだという。
稀に肉体の一部などがドロップアイテムとして残るのは、例外が発生して魔力から実体が作られた結果であるとされる。
なるほど。一応、仮説として成立してはいる。
簡単な幻影や映像の記録・再生を行う魔術は存在しているし、迷宮に生息するモンスターが実は高度な幻影、つまりは立体映像のようなものだとすれば死体が残らずに消えてもおかしくはない。
真偽は定かではないが、前に「熱い火箸を押し付けられたと思い込んだせいで、実際には火傷をしていないのに体に水ぶくれができた」という話を聞いたことがある。
それが現実に起こり得るとすれば、本物と全く見分けがつかない映像から攻撃され、致命傷を受けたのだと強く思い込んだ場合にショック死してしまうという可能性もゼロではないだろう。
しかし、死傷の原因が自己暗示によるものであるなら石を持たない非生物には全く影響しないはずであり、モンスターの攻撃を受け止めた武器や防具が損傷をうけることとの整合性がとれない。
彼としては、迷宮内のモンスターも間違いなく実体を備えていて、同種族のモンスターでも迷宮の外と中では肉体を構成する物質に何らかの違いが―――
いや、やめておこう。
これは迷宮の中という襲撃の危険があるような場所で悠長に考えるような問題ではないし、考えたからといってすぐに答えがでるような問題でもない。
それに、答えが出ても何かが変わるわけではないのだ。
迷宮の中でモンスターを斃すことで魔石が手に入り、地上に戻ってしかるべき場所に魔石を持っていけば金に変えられる。
迷宮探索にとって重要で意味があるのはたったそれだけの事で、それ以外の些細な問題は象牙の塔の中で暇を持て余している研究者どもに考えさせればいい。
雑念は生存率を下げはしても上げてくれることはないのだ。
(最近は、探索中にあまり余計な事考えなくなってたんだけどな……)
集中力が切れ始めているのを自覚する。
体力的にはまだ余裕があり、帰り道で消費する分を差し引いても水や食料、回復薬などの物資にはまだ十分な余裕がある。
だが「もうはまだなり、まだはもうなり」という格言があるように、まだ大丈夫だと思った時にはもう退き時なのだろう。個人的な経験だけで考えても、こういった状態の時が最も失敗を犯しやすかった。
彼は他者からの援助が全く期待できない単独探索者なのだから、他の探索者よりも慎重に行動するべきだ。臆病と蔑まれるくらいで丁度いい。
運良く影豹の鉤爪を得られたこともあって、今回の探索では十分な黒字が確保できている。当初の予定よりも1日早いが、ここまでで探索を切り上げることにしよう。
無意識のうちに左手で弄んでいた魔石を腰に括り付けた革の小物入れの中にしまう。
短剣の刀身のように見える鉤爪は、先ほどの戦闘を始める前に壁際に置いていた背嚢の中にとりあえず突っ込んでおく。
頭の中で迷宮出口までの道順を思い浮かべつつ、彼はゆっくりと歩き始めた。
◆ ◆ ◆
帰還を初めてから1日半が経過した。
適当に休憩を取りつつ真っ暗な洞窟を黙々と歩き続けた結果、今は狩場から出口までの道のりの半分以上を消化できている。おそらく、明日のうちには迷宮から出られるだろう。
ふと、進行方向から微かな気配を感じた。いったん足を止めて意識を集中する。
気配の発生源はこちらに向かって移動しているようだった。
彼はすぐさま来た道を数十メートルほど引き返して、そこにあった横道へと入り込む。分岐から数メートルの地点にあったせり出した壁の向こうに身を隠し、息を潜める。
迷宮と名付けられるだけはあって通路が曲がりくねっている上に分岐や障害物も多く、隠れる場所には事欠かない。
身じろぎもせずに待つこと数分。
先程はかすかにしか感じ取れなかった気配が、距離が縮まったおかげで今ははっきりと認識できるようになっていた。
地面に耳を押し付けて、足音を確認する。気配の主もなるべく足音を抑えて静かに歩こうと努力はしているようだが、地面が硬い岩でできている関係で完全に足音を消すのはとても困難である。
彼が確認できた限りでは二足歩行の足音が4人分。歩き方の癖や個々の歩幅・足音から推測できる体格の違いが大きいことから、恐らくは探索者の集団だ。
迷宮の浅い場所で群れを作る二足歩行のモンスターと言えば小鬼人ぐらいしか存在せず、人間の子供ぐらいの背丈しかないゴブリンはもっと歩幅が小さい。
そもそもゴブリンならば周囲に気を配ることもなく、ギャアギャアと声を上げながらドタバタと大きな足音を立てて歩いているだろう。
(さて、どうするか)
気配の主がモンスターではなく探索者だったからと言って安心はできない。いや、むしろ警戒を強める必要すらあるかもしれなかった。
探索者などという小奇麗な名称を付けられているが、一般人からは「盗賊に毛が生えたような奴ら」という程度に認識されている。実際問題、探索者の多くは素行が良いとは言い難い。
相手が人間ではなくモンスターであるというだけで、やっていることそのものは追い剥ぎと大差が無いのだから、当人達が否定してもあまり説得力が感じられない。
迷宮内は国が定めた法の及ばない化外の地であり、迷宮に潜った探索者がいつまでも帰って来なかったからといって誰かが探しに来ることはない。
そんな悪人どもの目の前に、明らかに探索帰りで魔石を持っているであろう人間が1人きりで現れた場合、彼らがどんな行動に出るだろうか。答えはわざわざ語るまでもないだろう。
相手が真っ当な探索者だった場合でも、それは必ずしも面倒事が発生しないことを意味しない。
迷宮という場所はいつ何時命の危険に曝されるかわからない場所であり、迷宮の中にいる探索者たちは常に周囲を警戒している。
探索者の間ではよく知られている「迷宮の中で動くものを見たら敵と思え」という格言を真に受けたわけではないだろうが、過去にこちらをモンスターと誤認した探索者から出会い頭に攻撃を仕掛けられたことがある。
幸い、双方が無傷のうちに事態は終息したが、加害者本人から謝罪どころか「勘違いさせるほうが悪い」と文句を言われたことは、今思い出しても腸が煮えくり返る。
それ以降、経験を活かしてなるべく迷宮の中では他の探索者を避けて行動するようにしたのだが、そうすると今度は探索者狩りを企んでいるのだというあらぬ疑いをかけられ、疑いを晴らすのに難渋した経験もあった。
迷宮内では相手が人間であるかモンスターであるかに関係なく、他者と出会うことそのものがリスクなのだ。極端な理屈ではあるが、少なくとも彼にとってはそれが真理である。
彼が隠れている場所は迷宮の"順路"から外れた横道であるため、探索者パーティがこちらへ進んでくる可能性は低い。
しかし、何かの気紛れを起こしてこちらに向かってこないとも限らず、勘が鋭い人間がいた場合にたった数メートルしか離れていないのでは見つかってしまう可能性もある。
このままの場所に隠れ続けているのは危険と判断し、横道のもっと奥へと移動する。
数十メートルほど進んだ場所に腰を掛けるのに適した岩があったので、念のため周囲に罠やその他の危険が無いことを確かめてから背嚢を下ろした。
だんだんと近づいて来た探索者パーティの気配はそのまま通り過ぎた。やはり"順路"を進んでいくようだ。
すぐに戻って鉢合わせになっても嫌なので、休憩も兼ねてしばらくここで待つことに決めた。革の水筒から温い水を飲み、背嚢から取り出した塩辛いだけの干し肉を食べ、黒砂糖のかけらを口に含む。
ここまでくれば食料や水を無理に節約する必要もないが、満腹になると動きや感覚が鈍ってしまうのでごく少量だけを摂取する。
そうやって束の間の平穏に浸っているうちに、探索者パーティの気配は全く感じられなくなっていた。
簡単に所持品の確認を済ませ、往きに比べればかなり軽くなった背嚢を背負い直す。
彼が出口の方向に向かわず、横道の奥に進んでいったのは単なる気紛れである。何かの予兆を感じ取って普段とは違う行動を取った、というのは単なる後知恵だろう。
横道はたった百数十メートル、時間にして数分程度進んだところであっさりと行き止まりになった。
そこで彼は、大きな問題に直面する。
行き止まりなのが問題ではない。迷宮深部へと向かう太い通路、迷宮探索者の間で"順路"と呼ばれる道以外は長くて数百メートル、短ければ数メートル程度で途切れるのが普通だ。
通路の突き当りに用途不明の小部屋があるが、迷宮の中ではこういった小部屋はありふれている。通路のどん詰まりにあるような小部屋はよくモンスターがねぐらにしているが、今回はそういうわけではない。
問題は、目の前にある小部屋の中が明るく照らされていて、しかもその中央に宝箱が鎮座していることだ。
宝箱と言っても、目の前にあるのは日本のロールプレイングゲームや海賊映画などでよく出てくるような、豪華な装飾を施された金庫のことではない。
迷宮が創りだした宝箱は、装飾もなくつるりとした平面で構成される灰色一色の正六面体だった。
どういう原理によるものかは全く解明されていないが、迷宮自身が宝箱の置かれた部屋を生み出すということは、この世界では五歳児でも知っている事実である。
とある探索者が苦労の末に迷宮を踏破し、最深部に置かれた「宝箱」の中の財宝を元手にして国を創ったり、手に入れた強力な魔法の武器を使って魔王や悪い竜を討伐するというのが少年向けのおとぎ話における永遠に変わらぬ定番だ。
そして逆に、財宝に目が眩んだ探索者が不用意に宝箱を開いてしまい、仕掛けられた悪辣な罠によって命を落とす、もしくは死ぬよりも辛い目に遭うというのも教訓的めいた童話でよく見る話だ。
現実でも宝箱に関連する逸話はいくつも耳にしたことがある。
宝箱に仕掛けられた罠を恐れて開けずに帰るという意見と、多少の危険を許容して開けるという意見が対立した挙句にパーティが崩壊した。
宝箱の中から首尾よく財宝を手に入れた後で大金に目が眩んだ誰かが独り占めを目論み、仲間割れを起こして結局は全員が死んだ、もしくは分配で揉めてパーティが崩壊した。
パーティ崩壊の危機を乗り越え、無事に全員が大金を手にして探索者を引退したが、詐欺に遭って身包み剥がれた。もしくは散財が祟って数年で全て使い果たしたり、賊に入られて全てを盗まれてしまったという話もある。
大抵の話が不幸になって終わるのは、恐らく語り手の嫉妬が反映された結果だろう。
これらの話が事実でも願望でも、ソロ探索者である彼にはあまり関係ない。
もう一度、現在の状況を整理しよう。
彼の目の前には迷宮が用意した宝箱がある。いくら瞬きしてみてもそれは変わらないし、頬を抓れば痛みがあるから夢や妄想の類ではないだろう。
部屋の中に小石を幾つか投げ込んでみても飛び方や跳ね方に不自然な部分がないことから、幻影の類だとも思えなかった。
宝箱が発見されるのは迷宮の奥深くのというのが相場だが、入口に近く比較的浅い場所で宝箱が見つかった事例が全くない訳でもない。
噂によれば、宝箱部屋というものは前触れもなく突然現れ、宝箱が開かれて中身が取り出されるといつの間にか消えるという特性を持っているらしいので、既に誰かが中身を持ち去った後という可能性はごく低い。
念入りに調べても入口に罠は見つからなかった。
扉は元々存在していないし、光源のない通路部分とは違って宝箱部屋の中は天井や壁から発せられる光によって照らされているため、紐式の検知器や重量感知床が無いことは一見しただけで判る。
鏡を使って部屋の外から直接見ることができない壁や天井を確認してみても、そこには継ぎ目が一切存在しない白い壁があるだけで、部屋に入った瞬間に矢やモンスターが飛び出てくるような構造になっているとは思えない。
罠を仕掛けるのなら最初の一人しか仕留められない入口よりも、その場にいる全員を罠にかけられる可能性が高くなる宝箱そのものに仕掛けるだろう。
迷宮が人間と同じような思考パターンを持っているかは分からない―――どころか、意識や知能を持っているかも解明されていない―――が、宝箱は探索者に対する迷宮側からのご褒美、あるいは探索者を迷宮に誘うための撒き餌だ。
せっかく用意した宝箱に指一本触れさせないようにする、なんてことはしないに違いない。
自分でも無茶苦茶な理屈であると分かっているが、何もせずに立ち去るのはあまりにも惜しい。
最大限の警戒をしながら部屋に入り、まずは正六面体の周囲を確認しつつ壁に沿って部屋を一周した。特に異常は感じられない。
宝箱が載っている台座は1メートルほどの高さがあり、床や壁と同じ素材で構成されているようで、床と完全に一体化している。
次に、宝箱を見ながら部屋を一周する。宝箱の側面の角には一切の継ぎ目が存在せず、表面には磨きぬかれた石や金属のような光沢がある。見た限り、鍵穴や固定具などは付いていなかった。
宝箱の上面がさしこみ蓋やスライド蓋と呼ばれる形式になっているようだ。ご丁寧にも入口とは反対方向にスライドするようになっているので、今の手持ち道具だけでは部屋の外からロープか何かで引っ張るような小細工はできそうにない。
宝箱の周囲に何も仕掛けられていない事を確認し終えると、ついに手を伸ばせば宝箱に触れられる位置まで近付いた。
もちろん、不用意に開けたりはしない。まずは罠が仕掛けられていないかどうかを入念に確認するのだ。
迷宮に罠は付き物であり、迷宮の浅い部分でも場所によっては罠が仕掛けられている。
位置が完全に固定されているため、人通りが多い"順路"などでは罠の位置を網羅した地図も出回っているのだが、彼が狩場にしているような人通りの少ない道では自力で罠を発見し、解除しなければならない。
そうして磨いた技術を使って宝箱の罠を探したが、何一つ罠は見つけられなかった。知りうる限りの方法で3回繰り返して調べても結果が変わらなければ、それ以上やっても無駄だろう。
何かあってほしいわけではないが、部屋にも宝箱にも何もないとなると逆に疑わしく思えてきてしまう。
彼が発見できないくらい巧妙な仕掛けが施されている可能性や、彼が発見する方法を持っていない魔法的な手段で何かが仕掛けられている可能性もゼロではないだろう。
―――身の安全は他の何よりも優先されるべきだ
確かにその通りだ。ならば何のためにお前は迷宮探索者なんて危険な事をやっている?
―――生きるためだ。生きていくためには金を稼がなければならない
他に幾らでも安全な道はあったはずだろう?
―――五年前、自分には探索者以外になるという選択肢などなかった
ならば、何故お前は危険を冒して迷宮の奥へ奥へと向かっているのだ。
数日に一度迷宮に潜ってゴブリンの1匹でも殺せば、豊かとは言えなくとも餓えない程度の食事は摂れる
この五年、死にそうな目に何度も遭いながら少しずつ技術を磨き、僅かな稼ぎを全てつぎ込んで装備を充実させ、より迷宮の深い場所を目指して進んできたのは何故だ?
罠の存在を恐れて宝箱に手を出さず帰るという選択肢は、もちろんある。
売れば一生遊んで暮らせるような高価な財宝が入っている可能性があるが、何に使えるのかも分からない二束三文のガラクタが入っているだけという可能性もある。
宝箱に罠が無い可能性もあるし、罠がある可能性もある。
罠があったとしてもそれが不発で終わる可能性もあるし、罠が発動してもそれが外れたり、当たっても致命傷にならなかったり、罠のせいで命を落とす可能性もある。
未来は不確定だ。可能性だけなら無限にある。
ただし、一つだけ確実に分かっている事がある。
「この宝箱を開けずに逃げ帰ったとしたら、俺はそのことを一生後悔し続けるだろう」
覚悟を決めて、宝箱の正面に立って蓋に手をかける。ここまできたらこちらも小細工無しだ。
深呼吸を一つ。
(さて、鬼が出るか仏が出るか……)
彼は力を込めて宝箱の蓋を開けた。




