第17話 秋季大規模討伐
秩序神教会の戦士長エセルバートと契約を結んでから1週間が経過し、特に何事も無く秋季大規模討伐の日となった。
その間ケンがやったのは、遠征のための物資類の準備と、感覚が鈍らないように迷宮上層でいつものようにモンスターを狩ったことくらいである。
任務地に向けての出発当日は幸いにも快晴だった。
8分隊の合計80名の戦士と、各分隊に1名ずつ付けられた治癒術師と斥候。それに加えて20台近い物資運搬用の荷馬車と、それを動かすための馬と御者というのが派遣部隊の全貌だ。
まずは任務に携わる全員が一度マッケイブ西門の外に集合し、派遣部隊の総責任者である中隊長の訓示を聞いてから出発することになっている。
集合場所には見送りに来た部隊員の家族や友人も来ているせいでかなり賑やかだ。
教会関係者の鎧や神官衣などの装備は白で統一されており、整列した姿はなかなかに壮観である。
ケンを始めとする臨時雇いのスカウト達は部外者であるため列の外から彼らを眺めているが、中に入っていたらさぞかし居心地が悪かったことだろう。
暫しの間別れを惜しんだ後、派遣部隊員は見送り人達に別れを告げて目的に向けて進行を開始する。
今回の作戦期間は行きに3日、現地活動4日、帰りにまた3日の合計10日間を予定している。
秩序神教会の担当地域は、マッケイブの町から見て西側に位置するセーバス山とその麓に広がる森林地域である。
セーバス山の頂上付近は万年雪の層があり、岩ばかりの地形のそこには身長5メートルを超える山岳巨人や、女の上半身と禿鷲のような四肢をもつ妖鳥が生息している。
ヒル・ジャイアントは高い知性に加えて温和な性格であるため衝突の危険は小さいが、数年に一度程度の頻度で狂った個体が山から降りてくることがあり、その時には二十人規模の討伐隊が組まれ、それでも大きな犠牲が出ることがある程に強力な存在である。
ハーピーは空を飛べるということもあって山頂以外でも頻繁に目撃される。
単体ではさほど脅威ではない魔物だが、群れで行動するという習性に加えて空から襲いかかってくるので、対処法を心得ていなければ熟練の戦士でも不覚を取ることがある。
山の低部は針葉樹林帯であり、そこには様々な動物や魔物が生息する場所となっていて、時折山から降りてきては村々の住人を悩ませているようだ。
秩序神教会の担当地域へと向かう時、途中までは部隊全員が揃って街道を移動する。人数が増えるとどうしても行軍速度は遅くなってしまうが、移動中の食料補給の手間や安全を考えればこの方が良い。
人数が多い方が、中継地点となる宿場町に立ち寄った際の宣伝効果が大きくなるというのも利点の一つだろう、というのはケンは見立てている。
中隊全体で移動した2日間で数回ほど野犬を遠くに見かけたが、結局一匹も狩る事はなく終わっていた。
主街道の周辺は担当地域では無いので、逃げる相手をわざわざ追いかけて狩ったりはしない。襲いかかってくれば当然斃すが、勝てないとひと目で分かる相手に戦いを挑むような間抜けでは野生を生き抜けない。
移動3日目は分隊毎に分かれて自分たちの担当区域へと向かう事になる。
ケンが参加している第2小隊所属の第4分隊は経験の浅い者が大半を占めているので、危険度が低いと考えられる森のごく浅い部分の担当だ。
麓にある村の一つを拠点として周辺の巡回を毎日行う計画になっていて、新米に実戦の空気を感じさせることが主目的なので積極的に魔物を捜索する事はしないのだそうだ。
契約を結ぶ際にエセルバートから聞いた通り、計画通りに進めばスカウトが居なくても特に問題はなさそうである。
それでも居るなら居るで役に立つ場面もあるだろうが。
分隊は野営用の装備を積んだ荷馬車を中心にして隊列を組み、周囲を警戒しながら森の中を進む。
不思議なことに、森の中だというのに荷馬車がすれ違えるほど太い道が通されていた。昼頃になっても誰ともすれ違わないので交通量はそれほど多くないように思えるのだが、まさか今回のような大規模討伐で使うためだけに整備したのではあるまい。
部隊の訓練の一環なのか斥候であるケンは周囲の警戒活動には加えられず陣形の中心に留め置かれ、今は荷馬車を曳く馬の隣を歩いていた。
「コラァ! 隊列を乱すなと何回言えば解るんだ貴様らは!」
野太い声を張り上げて隊員たちを叱咤しているのは、24分隊の隊長であるフランクリン・グレイウズである。注意を受けた隊員たちが授業中の居眠りを見つかった学生そのものの動作で背筋をぴんと伸ばすと、慌てて隊列を整える。
彼の立場を一言で表すとすれば「職業:鬼軍曹」だろうか。
もう60歳近い高齢の彼は全盛期に比べればかなり衰えているのだろうが、今でもなお現役の戦士として立ち続けている。彼の褐色の肌には所々に深い皺が刻まれているものの、戦士として必要な靱やかさを失ってはおらず隻眼から放たれる眼光は鋭い。
そうやってケンが観察していると、フランクリンの一つだけ残っている目でギロリと睨まれてしまった。
「何だ!? お前も『どうでも良い細かいことに一々文句を付ける五月蝿いジジイだ』とでも思ってやがんのか?」
「とんでもない。キチンとした隊列を組むのがどうでも良い事の訳が無いでしょう」
ケンの答えを聞いたフランクリンが意外そうに目を大きく見開く。
「別に危険な場所を通ってるわけじゃなくてもか?」
「何でもない時に出来ていない事が、緊急時だけはちゃんと出来るなんて思えませんからね」
周囲の隊員をぐるりと見渡して隊列がきちんと保たれていることを確認し、歯をむき出しにして笑う。どうやら彼のお望み通りの答えを返せたようだ。
「ふん! 穴熊なんかにしてはちったあ物事を解ってるじゃねえか」
そう言って彼は隊列の最後尾に付く。そこが全体を見渡せる場所だからだろう。
ちなみに、穴熊というのは迷宮探索者の蔑称の一つである。由来はわざわざ言うまでもないだろう。
別名としては坑夫や山師といったものもある。前者は魔石という石ころを穴の中から発掘してくるからで、後者は迷宮で稀に出現する宝箱で一獲千金を狙う投機的な奴という意味から来ているのだろう。
「グレイウズの小父様に随分と気に入られたようですね」
そう声をかけてきたのは、同じ分隊にヒーラーとして参加しているクレアだった。
部隊の紅一点である彼女は後方支援担当なのに鎖帷子の上から神官衣を着け、剣と盾を持つという完全武装だ。
板金鎧を付けた周囲の男ほどではないにせよ合計すればかなりの重量が有るはずだが、周囲に遅れることもなく徒歩で付いてきている。
「あれは気に入られてたんですかねえ」
「ええ、それはもう。小父様がああやって笑うのはとても機嫌が良いときですから」
ケンにとっては猛獣から威嚇されているようなものだったが、あれでも機嫌が良いらしい。呼び方からしてクレアは以前からフランクリンの事を知っているようなので、彼女の言うことが正解なのだろうが何となく釈然としない。
「ところで、クレアさんはダーナの方に付いていなくても良かったんですか?」
いい機会なので朝からずっと気になっていたことを尋ねてみる。
大規模討伐隊には彼女のパーティメンバーであるダーナも別の分隊にスカウトとして参加しているのに、ケンと同じ分隊に参加しているのを不思議に思っていたのだ。
「良いんですよ。あちらにはアルが行っていますし、私がケンイチロウさんを推薦したのですからきちんと見届けなければいけませんから」
教会内の階級は持っていないがアルバートも立派に秩序神の信徒をやっているので、今回の討伐隊に戦士として参加している。
みそっかす扱いのケンと違ってあちらは危険区域を担当する部隊に所属しているようだ。アルバートは今回の参加者の中でおそらく最も腕が立つ男なので、涼しい顔で任務をこなすことだろう。
「エミーはどうしているんですか?」
アルバートのパーティメンバー4人のうち3人までが討伐隊に参加しているが、エミリアの姿は見かけていない。彼女の魔術の腕前なら、まさか実力不足で参加を断られたということはあるまい。
「あの子はあまり人付き合いが得意ではありませんから……魔術大学院に居るお師匠様に会って、新しい魔術を身につけてくるって張り切っていましたわ」
「そうでしたか。ますます優秀な魔術師になりますね」
その後も雑談をしながら少々歩いた後で休憩時間となった。
道が広くなっている所に荷馬車を停め、馬に水と飼葉をやりつつ人間たちも水と軽食を摂る。馬車や各自の装備の点検も必要だ。
ケンは他の部隊員やクレアとは若干離れた場所に座って休憩を取る。あまりクレアを独占していては男たちからの嫉妬が怖い。
談笑する隊員たちを輪の外から眺める。
秩序神の戦士団は階級構造こそ正規軍である騎士団と同じだが、内部の編成にはかなり違いが有るようだ。
ケンの知識では、軍隊は部隊単位で使用する武装を統一して必要に応じて複数の兵科を組み合わせて運用するものだ。しかし、ここの戦士団では分隊の中で系統の違った武器が混在している。
隊長を除く9名の内訳は、クレアと同じように長剣と凧形盾の組み合わせが4名、両手持ちの棘付き鉄球棍棒、両手持ちの戦斧がそれぞれ2名、長弓が1名となっている。
荷馬車には今使われている種類の武器の他にも長さ3メートル程の長槍や片手用の鎚矛が確認でき、ロング・ボウの他に弩も幾つか積まれている。
彼らが休憩の度に別の武器に持ち替える場面も目にしていて、全員が2種類以上の武器を扱う訓練を積んでいるようだった。
「どうして全員剣と盾持ちじゃねえのか、気になるのか?」
「ええ、まあそんなところです」
この世界において、剣というのは他の武器と一線を画した地位に有る。
神話の英雄やおとぎ話の主人公が使う武器は決まって剣だし、鍛冶師の中でも剣を作る職人は一段高く見られている。
短剣術、小剣術や曲刀などの剣の範疇に入る武器も合わせれば、剣術の流派数はその他の武器全ての流派を合わせたよりも多いとすら言われ、未来の英雄を目指す少年が何か武器の使い方を学ぼうと考えた場合、最初に候補に上がるのも剣だ。
正規軍でも槍は雑兵の武器とされ、メイスや長柄武器などは従卒のための武器とされていて、職業軍人が最も重視するのはやはり剣術だ。
実際の戦場では好き嫌いなど言っていられないので、使えるものは何でも使うしそのための訓練も積んでいるようだが。
「まず聞いときたいんだが、お前は何で剣じゃなくてメイスを選んだ?」
「……最初は剣を使おうと思ってたんですけどね。思いの外扱いが難しかったので、単純に振り回せばなんとかなる棍棒にしました」
「ハハハハハ! やっぱり変わってるなお前は!」
表現はともかくとして、これでもいい加減に選んだ訳ではなく合理性を考えた末に辿り着いた結論である。
剣の場合は刃筋を立てる事が出来なければ完全な威力を発揮できない。刃ではなく峰で殴るのであれば単なる棒で殴るのと大差がなくなってしまうし、下手をすれば武器を壊してしまうことにも繋がる。
「剣がまともに扱えるようになるまで待っている余裕はありませんでしたし、武器の修練よりも先にやらなくてはいけないことが満載でしたからね」
剣ではなくメイスを選んだ理由の一つに、まともな剣はまともな棍棒の数倍の値段がするというのもあったが、それは黙っておいても良いだろう。
「思わず笑っちまったが、俺が言いたいこととそう違っちゃいねえぞ。確かに剣は難しい……剣で人間をキレイに斬り殺そうと思ったら、何年も修行しなくちゃならん」
無防備に立っている人間に対して体ごと当たって突き殺すだけなら素人でも可能だが、敵だってただ殺されるのを待っていてくれる訳ではない。攻撃を避けようとするし、反撃だってしてくる。
そもそも、突き殺すのなら間合いの狭い剣ではなく槍を使った方が簡単だ。
「裸の人間を斬り殺すだけなら修行を積めば誰でもできるようになるが、戦場じゃあ誰だって鎧を着てる。鎧ごと切り捨てようとなったら本人の才能と修練、それにいい武器が揃わなきゃまず不可能だろうよ」
「片手で鉄を切り裂けるような化物なら、どんな武器を使っていても強いでしょうね」
「違げえねえ」
強い奴は何をどうしようと強い。弱い側からすればこんなに理不尽な事は無いが、天才というのは元々理不尽なものだ。
「それにだな、戦場で人間を相手に戦ってりゃあ良い騎士様と違って、こっちは魔獣やら何やらと戦う機会も多いからな。そうなると片手剣じゃあ弱い」
ケンは出会ったことが無いのだが、この世には鉄よりも強靭な皮膚やら毛皮やらを持つ生物が実際に存在するらしい。
プレートメイルを着けた人間相手なら鎧の隙間を狙う事でなんとか対処可能だが、全身切れ目なく鉄以上の物質で覆われてしまってはもうお手上げだ。
そこまで規格外の防御力を持った存在ではなくても、人間より強い生命力を持つモンスターならばごまんといる。
例えば、大鬼人などは並の人間が10回は死んでいるくらいの損傷を受けても暴れ続けているなんて事も実際にあった話だ。
「だが、俺が知る限りでは剣と盾を持ってる奴が一番防御が堅え」
「確かに、片手で持った斧や棍棒では受け流しの難易度が高いでしょうね」
攻撃力を増すために先端部が重くなっている武器はバランスを崩しやすく、受けには向いていない。やるとしたら相手の武器にこちらの武器を当てて軌道を逸らすのが良いだろう。
「そこで、だ。盾持ちが相手を抑えてる間に斧やら何やらの両手持ちの武器で殴りつける訳よ。人間じゃない奴ら相手に一対一で正々堂々なんて言っててもしょうがねえからな」
気付けば、隊員全員がフランクリンの言葉にじっと耳を傾けていた。
「そういう時に隊列ってもんが生きてくる。奇襲をかけられても一番外側にいる盾持ちが受け止めて、何とか耐えてる間に他の奴らが駆けつける。適当に並んでるだけだったら最初から一番ヤバイ所に当たられちまう」
フランクリンの言葉は途中からケンに対してではなく、完全に隊員たちに向けた説明になっていた。
妙に話し声が大きいとは思っていたが、最初からケンに対して講釈を垂れる体で隊員たちに教育するのが目的だったのだろう。
「だからあんなに隊列を乱すなと言っていた訳ですか」
「応よ」
長めの休憩時間を終えると、再び隊列を組んでの行進が始まる。
休息を取る前よりも心なしか隊員たちの動きがキビキビとしているようだ。それだけではなく、注意して隊列を保とうとしている様子も見られる。
その後も同じようにフランクリンを講師、ケンを助手役にして様々な事についての講義を行いながら進んで行く。
隊員たちにもとっくに「本当は誰に向けて話しているのか」は理解しているのだし、似たような事を何度も繰り返していると流石に面倒になってくるので、できれば隊員たちに直接教えるようにして欲しいものだ。
直接言う度胸はないので、その後もありがたく拝聴し続けるのだが。
その後の道中は油断せずに警戒をしていたおかげか、途中で遭遇した森狼の群れを怪我人も出さずあっさりと蹴散らした。
そうして、完全に日が暮れる前に拠点となる村に到着することが出来た。約20戸というこの地方では平均的な規模の村である。
隊列を保ったまま村の中に入って行くと、村の中央の広場に男たちが集まり物々しい雰囲気を振りまいていた。注意して確認してみれば、男は弓や手製の簡素な槍を持ち、女は不安げな表情でそんな男たちを見ているのが判る。
村人たちは秩序神の戦士団を見て一瞬ぎょっとした後、一転して安堵の表情を浮かべる。少なくともこちらに対して攻撃を仕掛けるために武器を持っていたのではないようだ。
集団の中心にいた老人がこちらに近づき、声を張り上げる。
「ああ! 騎士様がた、どうか我々をお救いください!」
何事も予定通りは行かないものだが、今回の大規模討伐は波乱含みの幕開けのようだ。




