「無視ではありません。聞こえなかったふりです」
「おはよう、市原」
席替えをした次の日の朝、おれは市原に笑顔で話しかけた。
「……………」
無視。
やべえいきなり心折れそう。
だがこんな事でへこたれていたらこいつとの友達なんて無理だ。道は険しい。
「いーちーはーらー。おはよー」
市原は昨日と同じように窓のほうに顔を向けていたが、ぐいっと回り込んでばっちり目を合わせて今度は至近距離であいさつをした。
さすがにこれは無視できなかったのか、市原はうげっと顔をゆがませた。
「朝からきもちわるいですね。君変態なんですか? 訴えますよ。気持ち悪い」
…………。
気持ち悪いを2回言われた。
「あ、あいさつぐらい普通だろう」
「へえそうですか、君の中のあいさつは女の子に顔を近づけて至近距離でやるんですね」
「それはお前が一回目を無視したから…」
「無視? 人聞きが悪いですね。ただたんに君の声が気持ち悪くて小さかったので聞き取れなかっただけです」
「気持ち悪いは関係なくね!? ていうかそれ聞こえてるよな!?」
「っ! しまった君の声が気持ち悪すぎてつい…。でもあれは無視ではありません。聞こえなかったふりです」
「同じだろ!?」
「全然違います。無視は悪意によっておこりますが、聞こえなかったふりは相手が死ねばいいのにという純粋な気持ちによっておこります」
「いや、それお前だけだろ!?」
「ああ、もう近くでぎゃんぎゃんと言いがかりばかりつけてきて…。相手の迷惑も考えてください」
「じゃあお前も相手の気持ちを考えろ!」
「すみません、私は相手の気持ちなんて考える気になれないんです。そういうやつなんです。…なのでそれが嫌なら二度と話しかけないでください」
…! しまった、おれが市原に話しかけない理由を作られてしまった。
市原は、ふっどうだ、というイラつく顔をしていた。
くそっ!
どう反論しようか悩んでいると、HRの始まるチャイムとともに先生が入ってきてしまったので、おれは仕方なく席に着き、朝の会話はここで終わった。
うぅ~。やっぱあの女ムカつく…!
ん、ちょっと待てよ、おれあいつと仲良くなるために話しかけたのに、口論みたくなっちゃってたよな…。
うあーーーしまったーー!
う、うん。次から気をつけよう…。
*
「なあ、つかさ。お前なんで市原なんかにからんでんだ?」
昼休み、購買で買ったパンを食べながら高瀬が聞いてきた。
ああちなみにつかさはおれの名前だ。春田つかさ。
そういえば一度もあの女に名前呼ばれなかったからな。
「ああ、朝二人でしゃべってたよね。つかさの声結構聞こえてきたよ」
高瀬の言葉に須田も便乗する。
須田は細身で少し中性的な容姿をしている。だからかなんか可愛いんだよな。
「まじか…!? 声大きかったかな?」
あんなふうにみっともなく叫んでいたのがクラスのみんなに聞かれていたのかと、思わずおれの顔が引きつった。
「うん、おっきかったな」
高瀬がふつうにうなずく。
うそだろ…。
おれのクラスでのイメージが、女子に対して容赦なくさけんでる最低野郎に!
いや、でもあれは市原がおれに対してひどい言葉をあびせたのが悪いのであって、おれは正論を言ってた、はずだ!
「で、なんで市原に話しかけたんだよ」
高瀬がしつこくも同じ質問をしてきた。
「えー別にー。言うほどのことでもないしなー」
同じく購買で買ったピザパンをかじりながら、おれは目を周りの風景に向ける。
本当のことを言ったら心の小さいやつだと思われかねないしな。
ちなみにここは屋上である。
おれたちは雨のとき意外はたいてい三人でここで昼飯を食べている。
周りには、同じくグループで昼飯を食ってるやつらが結構いる。カップルも多くてとてもむかつくが。
おれの反応を見た高瀬はずいっと顔を近づけてきて、
「もしかして……狙ってるのか?」
「げほっごほっ!」
やべえ、思わずむせてしまった。
おれとしたことがなんてべたなリアクションを…。
「おおっ! 本当にそうなんだ」
そこに須田もらんらんとした目で入ってきた。
「いや待て待て、違うから」
このままでは、おれが市原を好きという方向で話がまとまってしまうと思い、あわてて否定する。
一口ペットボトルのお茶をふくんでから、ふんっと馬鹿にした笑みをうかべる。
「なわけないだろう。普通に考えてわかれよ。市原は恋愛対象とかじゃないから」
「その顔むかつくな、おい。…てか、じゃあなんなんだよ?」
高瀬がいぶかしげな顔で聞いてきたので、おれはしばし悩むが、好きだと勘違いされるよりはマシかと思い本当のことを言うことにした。
「あいつとおれの会話聞いてたんだろ?」
「ああ、なんとなくは」
高瀬と須田がうなずく。
「あいつ、メッチャ口悪かったろ」
「あ、俺それびっくりしたんだよ!」
「僕も! 意外だったよね」
「市原が誰かと話してんのほとんど聞いたことないからな」
二人の反応にうんうんとおれもうなずく。
「で、昨日よろしくって言って握手もとめたとき罵倒されてめっちゃむかついたわけよ」
「それ、お前嫌われてるんじゃねえの」
「うっ…!」
本人に言われて分かってはいたが、第三者から言われると意外とグサッとくるな。
「…でも、おれあいつと初めてしゃべったんだぜ。嫌われる理由が分からん」
「んーでも、生理的にムリとかあんじゃん?」
ぐさっ!
やべえ、生理的にムリって言葉、すっげえダメージ食らうな…。
「ま、まあ、とにかく。だから、仲良くなって、今度はこっちから冷たく突き放して、あいつをどん底に落としてやるって決意を固めたんだよ!」
ダメージを食らって、説明する気力がなくなり、てきとーにまとめた。
その言葉を聞いて二人は予想通りうわーという表情になった。
「お前、前々から思ってたけど、結構性格悪いよな」
「なんか負けず嫌いだよね」
な、おれのイメージそんなんだったのか!? ショックだ…。
ていうかやっぱり引かれたし…。
ああ、これも市原のせいな気がしてきた。
くそっ、やっぱり絶対にどん底に落としてやるからなっ!
おれはさらに残念な決意を堅くしたのだった。
*
「市原、一緒に帰ろー」
学校が終わり、みんながぞろぞろと教室を後にする中、おれは市原に笑顔で話しかけた。
うん、やっぱりスマイルは大切だろう。
だが、そんなおれの笑顔もこの女には通じるわけがなく、冷ややかな目でにらまれる。
「また君ですか。懲りないですね。私と話しても楽しくないなら話しかけないでください。Mなんですか?」
「別に楽しくないなんて言ってないだろ。別にMじゃないけどな」
つめたいことを言われても笑顔を崩さず、さわやかに対応する。
ふっ、完璧だ。
市原はおれに毒舌が通じなかったのが悔しかったのか、むっとした表情になる。
「とにかく君と帰りたくなどないので。私はこれで」
市原はかばんを持って立ち上がるとスタスタと教室を出て行ってしまう。
もちろんおれもその後に続き、廊下を歩きながら横に並ぶ。
「ぅっ!? ストーカーですか? 気持ち悪いので線路に飛び込んで死んでください」
おお、市原が一瞬あわてた! ふっふっふ。ざまあみやがれ。
おれは湧き上がってくるニヤニヤが抑えきれず思わず口元がゆるみ、市原にじと目で見られたが気にしない。
さっきさりげなく自殺しろと言われたが、もちろんそれだって気にしない。
「まあまあ、一緒に帰ろうぜ」
市原はしばらく何か言い返そうと言葉を探していたが、おれの全くどうじない様子を見て観念したのか、ふぅ、とあきらめたようにため息をついた。
「本当に何なんですか君は。私と仲良くなりたいんですか?」
「まあな」
「…変わってますね。気持ち悪くてうっとうしいです」
「べ、別に気持ち悪くはないだろう」
「かわいそうに。自分の気持ち悪さを自覚していないんですね。無自覚って一番痛々しいんですよね…」
「哀れみの目で見るな!」
「別に哀れんでません。むしろ喜ばしいです」
「人の不幸を喜ぶな!」
「別に誰の不幸でも喜ぶわけじゃないですよ…。君の不幸だから喜ばしいんです」
「そんな恋する乙女のような表情でそんなセリフを言うな!」
「ああ、もうピーチクパーチクうるさいですね。永遠にしゃべらないでください」
「お前も相当よくしゃべるぞ」
毒しかはかないけどな。
そこで、おれは今までタイミングを逃していて聞き忘れていた事を思い出した。
「そういや、お前なんで敬語なんだ?」
その言葉に無表情のまま一瞬市原は黙るが、すぐに言葉をつむいだ。
「…別にみんなに敬語なわけじゃないですよ」
そこで一旦区切ると、ふいっと顔を周りの景色へと向ける。
いつの間にか昇降口までついており、靴を履き替え、再び駅に向かって歩き出す。
「でも気を許している相手以外は敬語でしゃべると決めています」
「なんだそのポリシーは…」
「別に私の勝手でしょう。君には関係ないです」
きっぱりと言い切られ、一瞬言葉に詰まる。だが、それでも話を続ける。
「ていうか気を許してる相手っているのか?」
「…いますよ、数人は。でも、この学校には一人もいません」
その言葉は、この学校のすべての人間を拒絶したように感じられた。
相変わらず無表情で市原が何を考えているのかは全く分からない。
だが、こいつはきっと誰とも仲良くなるつもりはなく、心を許す気もないのだと分かった。
それから駅までほとんど無言で歩き、乗る電車が違うので反対方向に分かれた。
本当におれはこんな奴と仲良くなれるのだろうか。
先行きが不安だ…。