一刻の見思い
ー一刻の見思いー
<務めと意義>
<食い止めの中身>
<幻の憂い>
<備えの裏の備え>
<二つの柱>
<務めと意義>
キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン
関東にある田舎の”浜名”中学校の校舎内に、チャイムが鳴り響く。生徒たちが、次々と教室の中に入っていく。三年三組の教室では、この春から異動してくる新しい担任の先生を、全員が席に座って心待ちにしていた。
「どんな先生何だろうな?」
教室の後ろの方の席に座っている男子生徒"斎藤”が、前の席に座っている男子生徒”山口”に言った。
「可愛い女の先生だといいな~w」
山口が笑いながら言った。
ガラガラガラ(ドアを開ける音)
「来たぞ!」
斎藤が小声で言った。
前のドアから女の先生が、何も言わずにドアを開けて入ってきた。長い髪を頭の後ろで縛り、スーツに身を纏っている。鋭い目つきのまま、手に持っていた荷物を教卓の上に置いた。しばらく先生は黙ったまま、何も言わない。
「今日から一年間、この中学校の三年三組の担任を務めることになりました。”太田”です。担当教科は、国語になります。よろしくお願いします」
そう言って、太田先生は頭を下げた。
「ちょっと怖そうじゃない?」
教室の窓際に座っている女子生徒”田辺”が、隣に座っている女子生徒”五十嵐”に言った。
「なんか厳しそうだよねw」
五十嵐も言った。
「様子見ってとろこね!」
田辺は冷静に言う。
「皆さん、今年は受験生ですね。全員が志望する高校に行けるように、指導させていただきます」
太田先生の言葉には終始、緊張感と厳しさが混じりあっていた。教室にも同様の緊張感が漂っていた。この日は授業もなく、各々が家に帰っていった。
その帰り道のこと。
「マジで、あの先生怖そうだよな。俺らまだ中学生だぞ!」
斎藤が顔をしかめながら言った。
「それな!もうちょっと優しく接してくれてもいいのに」
山口がそれに相槌を打つように言った。
「二人とも寄り道しないで、早く帰りなさいよ!」
二人の後ろから太田先生が歩いてきて言った。そのまま、太田先生は二人の横を通り過ぎていった。
「先生!歩いて帰るんですか?」
斎藤が大きめの声で尋ねた。
「ええ。家が学校の近くなの」
太田先生が歩くスピードを緩めてから言った。その後は何も言わずに歩き去ってしまった。
「太田先生、歩くの早くねw」
斎藤が山口と顔を見合わせて言った。
「なんか急いでんのかな?w」
山口が不思議そうな表情をした。
「帰るときまで、あの感じなのか」
斎藤は終始、苦い顔をしていた。
次の日の一時間目から太田先生の授業が始まった。
「それでは、授業を始めます!日直さん号令お願いします」
「起立、礼!」
日直の五十嵐が号令をかけて、生徒は一斉に礼をした。
「早速ですが、教科書の四ページを開いてください」
太田先生がはっきりした声で言った。
「では、”赤堀”君、このページを音読してください」
最初の授業ということもあり、出席番号一番の赤堀が指名された。赤堀はその場に立ち上がり、指定されたページを音読した。
「赤堀君ありがとう。では、この文章の解説に移ります」
そう言うと太田先生は黒板の方向を向き直し、何の迷いもなく黒板に解説を書き始めた。生徒も黙々と、その内容をノートに板書していく。
「この授業つまんなくね?」
斎藤が小さな声で山口に囁いた。
「一時間目からこれだと、寝ちゃいそうなんだけどw」
山口も、斎藤にしか聞こえないくらいの小さな声で言った。
「後ろの方!うるさい!」
突然、太田先生が二人の方を見て叫んだ。
「え⁉」
斎藤は目を丸くした。
「聞こえてたのかよ……」
山口がカタコトになりながら言う。
「他の先生の授業では、許されてるかもしれませんけど、私の授業で私語は許しませんよ!」
太田先生が間髪入れずに言った。
「すみません……」
二人は同時にそう言って、しばらく下を向いていた。
「真面目に授業を受けてください。授業を続けます」
太田先生はすぐに授業を再開して、再度黒板を書き始めた。
その日の昼休み、田辺と五十嵐は太田先生に提出物を出すため、太田先生を探していた。職員室のドアをノックして、ドアを開ける。
「失礼します。三年三組の田辺です。太田先生いらっしゃいますか?」
田辺がよく通る声で言った。職員室を見渡す限り、太田先生は見当たらない。ドアの一番近くに座っていた隣のクラスの副担任の”宮澤”先生と目が合った。
「太田先生ですか?今、職員室にはいないみたいですね。また、放課後に来てみて!」
宮澤先生は丁寧に言った。
「分かりました。ありがとうございます」
田辺はそう言って、職員室のドアを閉めた。
「太田先生いなかった……」
田辺が五十嵐に残念そうに言った。
「じゃあ、教室に戻ろ!」
五十嵐はそう言うと、教室に向かって歩き始めた。廊下を歩いていると、校長室の扉が半開きになっているのを見つけた。中から校長先生と太田先生の話している声が聴こえてきた。
「ねえねえ。太田先生の声じゃない?」
五十嵐が言った。田辺もそれを聞いて、その声に耳を傾けた。
「本当だ!太田先生だ!」
二人は忍び歩きで校長室に近づき、半開きになっている扉の隙間から、校長室を覗き込んだ。
「何話してんだろうね?w」
田辺が小声で言った。
「ちょっと静かに‼バレたらどうすんの‼」
五十嵐が小声で注意した。
「そこで見てるのは誰?」
太田先生が突然、扉の方を見た。二人は一瞬身を引いたが、もう逃げられないと思い、扉を開けて中に入った。
「失礼します……」
田辺が恐る恐る言った。五十嵐もその後に続き、足音を立てないように中に入った。
「何か私に用ですか?」
太田先生が、はっきりとした声で聞いた。
「いえ、用があるわけでは……」
田辺が言う。
「田辺さんが、太田先生に提出物を出したいみたいで!」
五十嵐が田辺の言葉を遮るようにして言った。
「早く出して!」
五十嵐が田辺の耳元で小声で言った。
「こちらです。お願いします」
そう言って、田辺は手に持っていたプリントを太田先生に差し出した。
「分かりました。受け取ります。今後、私が職員室にいない時は、机の上に置いておいてください」
田辺先生が二人の目を凝視していた。二人も絶対に目を逸らさないようにした。
「間違っても、人の話を盗み聞きするなんてことが無いように!」
校長先生も、太田先生の言葉に続くようにして言った。
「はい。気をつけます」
田辺と五十嵐は声を揃えて言った。その後、二人は静かに教室に戻った。
新年度になって、初めての行事である”体育祭”が近づいていた。
「『体育祭はクラスにお任せします』って。アドバイスとかくれてもいいのにな!」
斎藤が休み時間にリレーの練習をしている時に、山口に言った。
「結構、太田先生に似てるw」
山口が笑いながら言った。
「え、そうかなw」
「でもさ、優しいのか厳しいのか、分かんないよな」
山口がため息交じりに言った。
「山口!バトンが回ってきたぞ!」
斎藤が山口に言った。山口の後ろからバトンを持った赤堀が走ってきた。山口はそのバトンを受け取り、次の人まで走って行った。
<食い止めの中身>
三年生が始まって二ヶ月が経過した。そろそろ、新しいクラスにも馴染んできて、全員がおおらかな生活を送っていた。
「三年三組が始まって二ヶ月も経つのに、太田先生とは全く馴染めてる感じしないよな」
斎藤が苦い顔をしながら言った。
「今までの先生と、なんか違うよな」
山口がそれに同情するような口調で言った。
「あ、そろそろ五時間目が始まるぞ。戻ろう!」
斎藤が山口に呼びかけるように言うと、二人は教室に戻った。
二人が教室に入ると、二組の男子生徒の”内村”と赤堀が激しく揉み合っていた。
「俺は取ってねえよ!」
内村が必死に叫んでいる。
「お前が取ったんだろ!」
赤堀もそれに負けじと、懸命に叫んでいる。
「おいおい!どうしたんだよ?」
斎藤が二人の間に割って入って、聞いた。
「うるせえな!」
そんな斎藤を内村が突き飛ばした。しかし、内村は柔道部ということもあり、体幹が強く、相手にならない。
「先生来たぞ!」
山口が言った。誰かが太田先生を呼んできたようだ。
「ちょっと、何してるの?」
太田先生が教室に入った瞬間、二人に声をかけた。その流れで、二人を引き離そうとした。
「触んなよ!」
内村が太田先生の手を振り払いながら言った。だが、太田先生は内村の手を離さなかった。その手と服の端を掴んで、内村を背中から投げた。
「痛てえ……」
太田先生に制圧された内村は、その場に座り込んだ状態になった。クラス全員が唖然とした。
「何があったのか説明してくれる?」
間髪入れず、太田先生が内村と赤堀に聞いた。
「こいつが……内村君が俺の自転車の鍵を奪ったんです!」
赤堀が説明した。
「俺は取ってねえって言ってんだろ!」
内村が呆れた顔で言った。
「内村君、あなたがやっていることは窃盗と同じことよ」
太田先生が冷静に言った。
「本当のことを言いなさい」
「分かりました。これです」
内村はそう言って、自分のポケットに入れていた自転車の鍵を取り出し、赤堀に返した。
「内村君は早く自分のクラスに戻りなさい!みんなも早く席に着いて!今日は漢文について学びます」
太田先生がみんなに呼びかけた。全員が席に着くと、斎藤が太田先生に尋ねた。
「先生!どうして内村君に投げ技を決めることができたんですか?もしかして、先生も柔道部?」
太田先生はしばらく黙っていた。
「そうね。そろそろ、みんなに話してもいいかもしれない……」
小声でつぶやいた。太田先生はみんなの方を向き直って、淡々と話し始めた。
「私は”北川”警察署捜査一課から来ました。校長先生に頼まれて、ある事件の捜査をするために……。みんなは去年までこの学校にいた”中川”君を覚えてるかな?彼は約半年前、交通事故で車に轢かれて両足を失いました。今は病院でリハビリ中です。私たち警察の見立てでは、彼の事故にはこの学校の人物が関係していると考えています。それを調べるために、私はここに来ました」
中学生には、この状況をすぐに受け入れるのは難しかった。
「何か分かったんですか?」
田辺が太田先生に聞いた。
「まだ、何も分かっていません。みなさんも、何か不審な点があったら私に教えてください。今日は自習とします」
それだけ言い残して、太田先生は職員室に戻って行った。
「なあ!俺らでその犯人探してみない?」
斎藤が山口に提案した。
「えー。太田先生が捜査してるなら大丈夫だろ……」
山口が嫌そうな口調で言った。
「いいじゃん。受験勉強だけじゃ疲れちゃうよ!」
斎藤はしつこく誘った。
「分かった。ちょっとだけだぞ」
山口は仕方なく了承した。
次の日の朝から、斎藤と山口は調査を始めた。いつもより一時間も早く学校に登校し、校裏に隠れて、怪しいと思う生徒の様子を観察した。
「みんないつも通りだよ。怪しい動きをしてる生徒なんて一人もいない。むしろ、俺たちの方が怪しいよ……」
山口が言う。まだ納得し切っていない様子だった。
「まあまあ、もうちょっと見てようぜ!」
斎藤がサラッと言った。その顔は常にウキウキしている。
「あ!赤堀だ!」
斎藤が赤堀が登校してくるのに気づいた。
「お〜い!赤堀……」
斎藤が声をかけたが、どこかその様子がおかしい。
「あいつ、どこ行くんだろう?」
山口が不思議そうに言った。
「ちょっとついて行って見ようぜ」
斎藤はそう言って、赤堀の後をこっそりついて行った。
「ちょっと待てよ!斎藤!」
山口は止めようとしたが、斎藤は聞く耳を持たない。山口も遅れないようについて行った。
しばらく歩くと、赤堀は校舎の裏に入っていった。ずっと周囲の目を気にしている様だった。
「校舎裏に入って行ったぞ!俺ちょっと見てくる!」
斎藤は何の躊躇もなく、赤堀の様子を見に行った。校舎裏を覗くと山口を手招きした。
「山口も来いよ!」
斎藤は小さな声で言った。山口も加わり二人で赤堀の様子を見ると、赤堀ともう一人、顔が見えない男が会話をしていた。
「何を話してるんだろう?」
山口が言う。
しばらく見ていると、赤堀がその男か茶色い封筒を受け取った。
「あれって、もしかして……」
山口はそう言って、斎藤と顔を見合わせた。
「何かの取引かもな……」
斎藤が冷静に分析した。
「太田先生に伝えなきゃ!」
山口はそのまま、その場から走って職員室に向かった。
「おい、山口!」
斎藤も走ってその場から去った。
「太田先生!お話があります!」
山口は職員室のドアを勢いよく開けて、中に入った。続けて斎藤も職員室に入った。
「山口君、斎藤君。先生に用があるときは、ちゃんとドアをノックして、自分の名前を名乗ってから入ってきてください!」
太田先生が、二人を落ち着かせるような口調で言った。太田先生は校長先生と立ち話をしていた。
「急ぎの用なんです!」
斎藤が乱れた呼吸の中で言った。
「ちょっとこっちに来てください」
太田先生は二人を引き連れて、小さな会議室に案内した。二人が入った後、校長先生もその部屋に入ってきた。
「私も話を聞かせてもらいますよ」
校長先生が言った。
「すみません。巻き込んでしまって」
太田先生が申し訳なさそうに言った。
「じゃあ、二人ともさっき言ってたことを詳しく話してくれる?」
その後、二人は赤堀について見たものを漏れなく話した。
「なるほど……赤堀君にも話を聞かないとね」
太田先生が言った。
「私が赤堀君を呼んできましょう」
校長先生が後ろで手を組みながら言った。
「すみません。お願いします」
太田先生は申し訳なさそうに、お礼を言った。校長先生は静かに頷いて、赤堀君を呼びに行った。
五分ほどしてから、校長先生と赤堀が三人が待つ会議室に入ってきた。
「赤堀君、そこに座って」
太田先生が手で自分の対面にある椅子を指し示しながら、優しく言った。
「何ですか?朝から……」
赤堀君は嫌そうな顔で、促されるまま椅子に座った。
「今日の朝、校舎裏で何をしていたの?」
太田先生が単刀直入に聞いた。
「親に忘れ物を届けてもらって、受け取っていただけです。これですよ!」
そう言って、赤堀はポケットから封筒に入った宿題のプリントを取り出した。
「男が手渡していたのは、この封筒で間違いない?」
太田先生が斎藤と山口に聞いた。
「間違いありません……」
二人は声を揃えて言った。
「そういうことでしたか」
校長先生が頷いた。
「三人とも教室に戻って。一時間目が始まる前に。赤堀君は今後、忘れ物を届けてもらう時には、校門の前でやってください!」
太田先生はそう言って、会議室のドアを開けた。三人は何も言わずに、会議室を出た。
「斎藤君!山口君!自分たちで調査をするのはいいけど、ほどほどにね。学校には太田先生がいるから大丈夫だ」
校長先生が二人を引き留めて言った。
<幻の憂い>
数日後の放課後、太田先生は生徒たちの帰宅を見守るために、校門の前に立っていた。
「さようなら。気をつけて帰ってね!」
太田先生は生徒一人ひとりの目を見て、何度も言っていた。
「太田先生!お時間いいですか?」
田辺と五十嵐が、太田先生のそばに走ってきて言った。
「分かりました。教室でお話を伺います。二人は先に行っててください」
太田先生が冷静な口調で言った。二人は言われた通り教室に行って、太田先生が来るのを待った。五分程経った頃に、廊下で太田先生の足音が聞こえてきた。
「お待たせしました。座ってください」
そう言いながら、太田先生は生徒用の椅子に腰かけた。
「『何か気になることがあったら言ってください』とおっしゃっていたので、去年のことなんですけど、お話しします」
田辺が恐る恐る話し始めた。
「些細なことでも構いません。話してください」
太田先生が相槌を打つように言った。その言葉には最初の頃よりも、優しさを多く含んでいた。
「一年前のことです。中川君がまだ学校にいた頃。私たちは一年生の時にも中川君と同じクラスだったんですけど、二年生になって問題行動をよく起こすようになったんです。一年生の時は全くそんなことなかったのに……」
田辺が淡々と話した。
「具体的にはどんなことをしていたの?」
太田先生が質問した。
「校長室の窓ガラスを割ったり、職員室に忍び込んで保管されていた教材費を盗んだり……そんなことする生徒ではなかったんです」
五十嵐が感情的になりながら説明した。
「それは、こちらも把握しています。警察でも、それと関係があるのかどうかを含めて、照査しています。そんなことをする生徒ではなかったというのは、初耳ですね……」
太田先生は終始、二人の言葉に真剣に耳を傾けていた。
「教えてくれて、ありがとう。気を付けて帰ってね」
そう言って、二人を変えるように促した。
「頑張ってください。捜査……」
田辺が帰り際に言った。
「ありがとう」
太田先生は若干顔を赤くしていた。純粋なその言葉が嬉しかったのだろう。
その後、太田先生は校長室を訪れた。
コンコンコン(ドアをノックする音)
「失礼します。校長先生、少しお時間いいですか?」
そう言って、太田先生は校長室に入ろうとした。すると、すぐに校長先生がドアを閉めて出てきた。
「ちょっと校長室は散らかっているから、会議室で話しましょう」
校長先生が少し焦り気味な様子で言った。
「わ、分かりました……」
そのまま、太田先生と校長先生は会議室に移動した。
「それで、要件は何ですか?」
校長先生が聞いた。
「お話がありまして。生徒からの情報提供があって……」
太田先生は校長先生に、生徒からの話をそのまま話した。
「そうですか……。確かに、そういう生徒だったかもしれません」
校長先生は思い出したような表情を見せた。
「犯人像も全く浮かんでこなくて……。せっかく私がいるのに、すみません」
太田先生が暗いトーンで言った。
「そんなことないですよ。警察の方がいてくださって、我々も安心です。先生も今日は帰っていただいて大丈夫ですよ。後の処理は私がやっておきます」
そう言って、校長先生は校長室に戻って行った。太田先生も職員室に戻り、そのまま帰宅した。
斎藤と山口は先生にバレないように調査を続けていた。
「五十嵐さん、ちょっとお話伺ってもいいかな?」
斎藤が五十嵐に言った。
「何?また警察ごっこ?」
五十嵐は嫌そうな顔で言った。
「”ごっこ”じゃねえよ!」
斎藤が見栄を張って反発した。
「古賀君のことで、何か知っていることはありませんか?」
斎藤の後ろに隠れていた山口が、顔を出して言った。
「もう、ふざけないでよw。私たちが気になってたことは全部、太田先生に話しました」
五十嵐が怒って言った。
「何だよ。つまんねんな」
斎藤はへそを曲げた。
「帰った、帰った!」
田辺が追い払った。斎藤と山口もおとなしく二人から離れた。
それからしばらく時間が経ち、一学期の終業式の日。太田先生たちは三年三組の教室にいた。
「明日からいよいよ夏休みです。交通事故等に気を付けて。夏休み明けもみなさんと、元気に会えることを楽しみにしています」
太田先生はそれだけ言って教室を後にした。
「やっと、太田先生と打ち明けてきた気がするよ」
斎藤が笑顔で言った。
「何かいい意味で変わったよな!本当の先生っぽくなってきたというか……」
山口も前のめりで斎藤に言った。
「私たちの卒業まで、この学校で見守っていてほしいよね」
五十嵐が言った。
「このまま先生になればいいのに」
田辺が笑顔で言った。
太田先生は教室でのホームルームを終えた後、職員室に向かった。
「一学期中、警察の捜査にご協力いただき、ありがとうございました。夏休み中は警察署の方に戻りますが、学校で何かあったら私に連絡して下さい」
太田先生が職員室にいた先生たちに呼びかけた。それを聞いた先生たちは大きく頷いた。
<備えの裏の備え>
夏休みは何事もなく終え、二学期の修了式の日がやってきた。長期休暇明けで登校が若干、遅れている生徒もいたが、大部分の生徒がいつも通り登校していた。
コンコンコン(ドアをノックする音)
「失礼します。三年三組の五十嵐です。太田先生はいらっしゃいますか?」
二学期早々、五十嵐が一人で職員室を訪ねてきた。
「はい。何ですか?」
太田先生が作業の手を止めて言った。
「赤堀君のことで、伝えておきたいことがあって……」
五十嵐が言いにくそうな口調で話した。
「分かりました。廊下で待っていてください」
太田先生が冷静に言った。五十嵐が廊下で数分待っていると、太田先生が職員室から出てきた。
「お待たせしました。赤堀君がどうかしましたか?」
太田先生が五十嵐に聞いた。
「今日の朝、校舎の裏で大人の男の人と会っていて……。茶色い封筒を受け取っていたんです」
五十嵐はずっと下を向いて話していた。
「前に注意したんだけどな……」
太田先生が独り言くらい小さな声で言った。
「え?何か言いました?」
五十嵐が、太田先生の顔を覗き込んで尋ねた。
「いいえ、大丈夫。教えてくれてありがとう。五十嵐さんは教室に戻っていてください」
精一杯の笑顔で言った。
「分かりました。教室に戻ったら、赤堀君を呼びましょうか?」
「その必要はないです。ありがとう」
五十嵐が提案したが、太田先生はすぐに断った。五十嵐は小走りで教室へ戻って行った。
ちょうどその時、校長先生が太田先生の前を通りかかった。
「また、赤堀君ですか?」
校長先生が呆れた顔で言った。
「そうなんです。また、校舎の裏で忘れ物の受け渡しをしてたみたいで……。彼をマークします」
太田先生は鋭い目つきで言った。
「久しぶりに警察官らしい言葉が出ましたねw。まあ、彼は大丈夫でしょう。念のため、私も彼のことをよく見ておきますね」
校長先生は優しく返した。
「ありがとうございます。心強いです」
そう言って、二人はその場をあとにした。
浜名中学校では、毎年十月に合唱コンクールがある。もちろん、太田先生が担任の三年三組も参加する。本番前日の放課後の教室。
「太田先生に俺たちの歌、聞かせたいよね!」
斎藤がクラス全員に呼びかけた。
「練習してきた成果を、しっかり先生に見せよう!」
山口も全力で呼びかけた。その言葉でクラスが一致団結した。
クラスが盛り上がってきた時に、赤堀が荷物を持って教室を出ようとした。
「ちょっと、赤堀君!どこ行くの?」
五十嵐が赤堀を引き留めた。
「用があるから帰る」
赤堀が面倒くさそうに言った。
「いいよ。ほっておこ……」
田辺が五十嵐をなだめるように言った。赤堀は大きなため息をついて、教室を出て行った。
合唱コンクール当日、全校生徒と先生は体育館に集まっていた。それぞれのクラスが順番に発表していく。
「やっぱり二組は上手いなー」
山口が言った。
「担任の先生の指導がいいんだな。それに比べてうちのクラスの担任は……w」
斎藤が笑いながら言った。
「でも、私たちだけで練習した成果を、先生に見せないとね!」
田辺が二人の会話に割って入って言った。
「次が私たちの番だよ!」
五十嵐が言った。
「え?なんか太田先生電話してない?」
田辺が三人に言った。
「どっかに行っちゃったよ!」
五十嵐が、太田先生の動きに目線を合わせながら言った。
「宮澤先生!太田先生はどこに行ったんですか?」
田辺が近くにいた宮澤先生に聞いた。
「太田先生か……。警察署からの応援要請があったらしくて、警察署に行きましたよ。おそらく今日は学校には戻ってこないと思います」
宮澤先生が答えた。
「そんな~~~」
四人が声を揃えて言った。
「三年三組の皆さん、準備をお願いします」
司会の声が体育館に鳴り響いた。
「行かなきゃ!」
斎藤がため息交じりに言った。
結局、三年三組は準優勝で終わった。放課後にクラスみんなで学校近くの焼肉店で打ち上げをすることになったので、学校から歩いて移動していた。
「いや〜、惜しかったね。あとちょっとで優勝だったよ!」
山口がみんなを励ますように言った。
「ほぼ優勝だったよw」
斎藤がふざけて言った。
「もうそろそろお店だよ!」
先頭を歩いていた田辺が言った。
「ああ。ちょっと電話が……」
そう言って、最後部を歩いていた赤堀が立ち止まった。
「先に横断歩道を渡ってるね!お店もすぐそこだから!」
田辺がよく響く声で言った。
「あいつ、スマホなんて持ってたんだな」
斎藤が赤堀を見て言った。
「そこはどうでもいいよw」
山口がツッコんだ。
赤堀をその場に残して、他のクラスメイトたちは横断歩道を渡り、向かいにある焼肉店に行った。
しばらくして、赤堀も電話を終えて店に向かおうとした。歩行者信号が青に変わったことを確認して、渡ろうと道路の中央辺りまで進んだその時、
「え……」
右側から猛スピードで車が向かってきた。とっさのことで赤堀は全く足が動かなかった。
<二つの柱>
「危ない!」
後ろの方から声が聞こえて、誰かに手を引っ張られた。車はそのまま数メートル赤堀の前を通り過ぎた。
「何があったの?」
近くにいたクラスメイトが、車の異常な音を聞きつけて、様子を見に来た。
「太田先生……」
五十嵐が一文字一文字を噛み締めるように言った。
「どうしてここに……」
山口が聞いた。
「その理由はあとで説明します。まずは車の運転手と話がしたい」
太田先生が言った。
その声を聞いて、車の運転手がゆっくりとドアを開けて降りてきた。
「校長先生……どうして……?」
赤堀が震えた唇で恐る恐る言った。
「やっぱり、そうだったんですね」
太田先生が校長先生の目を真っすぐ見て言った。
「ど、どいうことですか?」
斎藤が、太田先生と校長先生を交互に見回しながら言った。二人はしばらく黙っていたが、太田先生が前に進み出て、話し始めた。
「校長先生は赤堀君を殺そうとしたんだ。自分の秘密を知った赤堀君の口封じのために……」
「秘密……?何なんですか、それ……」
山口が首を傾げながら尋ねた。
「校長先生は学校のお金を横領していたんです。そうですよね?校長……」
太田先生が校長に厳しい口調で聞いた。
「……」
校長先生は何も言わなかった。何も言えなかった。その後、しばらく沈黙が続いた。
「赤堀君は校長が横領していることを知ってしまった。そのことについて、校長先生は脅されていたんでしょう。『口止め料を払わないと、教育委員会に訴える』とでも言われて。赤堀君が校舎の裏で会っていた男性は、校長先生だったはずです。口止め料を手渡していた。違いますか?」
太田先生は再度、校長先生に問いかけた。
「……」
校長先生は依然として何も言わなかった。
「口止め料の支払いが苦しくなってきたことを理由に、赤堀君を交通事故に見せかけて、殺そうとしたんです。中川君も同じですよね?あなたが交通事故を起こして、彼は両足を失った」
「ああ……そうだよ」
校長先生がやっと口を開いた。
「でも、彼は赤堀君と違って、口止め料を請求したりはしなかった。でも、彼は自分が問題行動を起こして、校長先生の横領に気づかせようとしたんです。中川君に関する資料を一から見直しました。そしたら、彼の問題行動はすべて、お金や校長先生に執着していた。彼は身を挺して、あなたの異常さを訴えかけたていたんです」
太田先生の目は涙で霞んでいた。
「それでも、あなたは中川君を殺そうとした……」
「よく真実にたどり着いたな」
校長先生が自慢げな顔をして言った。
「あなたから依頼があった時からずっと、違和感がありました。中川君や赤堀君の行動に対して、やけに鈍感だったり。私に彼らのことを自ら話すことをしなかった。何よりも、ここにいる私のクラスの生徒が、些細なことでも教えてくれたんです」
太田先生が生徒たち一人ひとりの目を見ながら言った。
その時、辺り一帯にパトカーのサイレンが鳴り響いた。
「そうか。もう、終わりか……」
次の瞬間、校長は近くにいた赤堀の首をつかんで、自分の方に引き寄せた。その手にはナイフを持ち、先端を首に当てている。
到着したパトカーからは警察官が降りてきた。
「その手を離せ‼」
警察官の一人が叫んだ。
「既に発砲許可は出ています」
女性の警察官が太田先生に伝えた。
「絶対に、撃たないで!」
太田先生が警察官たちに叫んだ。
「ほらほら、大事な生徒が死んじゃうよ。太田先生!」
校長先生が脅した。
「生徒を離してください⋯⋯」
太田先生がそう言いながら、少しずつ校長先生に近づいた。
「来るな‼俺はこいつと死ぬんだ!」
校長先生が赤堀の首により強くナイフを突き刺した。赤堀は全身を使って、必死に抵抗している。
「あなたも教師なら分かるでしょ。今なら、まだ間に合う⋯⋯」
太田先生は躊躇すること無く、校長先生に近づいていく。
「先生!」
赤堀が泣きながら叫んだ。
「⋯⋯」
校長先生はナイフを落とし、その場に膝から崩れ落ちた。
「確保‼‼」
太田先生のその掛け声とともに、周囲を取り囲んでいた警察官らが、校長先生を取り押さえた。
「私は彼らからもう一つ、大切なことを学びました。中学生を中学生らしく、支えてあげることを……」
太田先生が校長先生を引き止めて言った。
「私は、彼らを見くびっていたようだね」
校長先生はそれだけ言い残して、パトカーに乗り込んだ。
「君たちは今日は家に帰って!ここからは私たちの仕事よ」
太田先生は生徒たちにそう言って、自分も校長先生と同じパトカーに乗り込んだ。
「太田先生!もう、帰ってこないんですか?」
田辺が聞いた。太田先生は静かに頷いた。
それから、三年三組の担任は宮澤先生に引き継がれた。
校長先生は横領罪、二人の殺人未遂、傷害罪が確定し、二度と教育業界に戻って来ることは無かった。
スピンオフ
<別れの時間割>
校舎の外にある桜並木の桜の花びらが静かな風に吹かれて、一枚一枚ゆっくり散っていく。三年三組のクラスメイトは、使い込まれた制服に身を包み、いつもの教室にいた。
「今日はいよいよ卒業式ですね!みなさん、気を引き締めていきましょう!」
宮澤先生がみんなに呼びかけた。
「もう、気合入りまくりだよ!」
斎藤が大声で言った。
「斎藤君は準備万端ですねw。卒業式の前に、みんなさんのためにスペシャルゲストをお呼びしています!」
宮澤先生がニコニコしながら言った。
「もしかして、有名な俳優さんとか!」
斎藤が山口に言った。
「えー。俺はアイドルとかがいいな!」
山口が笑いながら言う。
「では、お入りください!」
宮澤先生が呼びかけると、教室前方のドアがゆっくり開いた。
「何だよ!太田先生かよ!」
斎藤がそう言うと、教室全体が笑いに包まれた。
「もう先生じゃないけどねw。でもね、もう一人いるの……」
太田はそう言いながら、自分の後ろにいる車いすに乗った男子を紹介した。
「中川君のリハビリが終わりました」
太田が噛み締めるようにゆっくりと言った。
「中川!よく来たな!」
山口が真っ先に言った。
「こっち来いよ!」
斎藤はそう言って、自分の隣の席を案内した。
「今日はみんなに最後のメッセージを伝えに来ました……」
太田が宮澤先生の代わりに教壇に立ち、一人ひとりの表情を観察した。
「私が少し見ない間に、すごく成長しましたね!」
「受験勉強でちょっと太ったからね!」
斎藤がふざけて言った。
「もちろん、内面の話です。
さあ、これからみなさんは先の見えない大きな海に向けて、長い旅に出ることになります。時には大きな荒波に揉まれて、進めなくなることがあります。でも、ここにいる誰かがあなたを助けて、ここにいるあなたが誰かを助けてあげてほしい。私もこの学校で色々なことを学ばせていただきました。それが学べたことって、絶対に”当たり前”ではないんです。相手がいて、生徒がいて成立するものだと改めて感じました。逆に、まだまだだと感じた部分も多くありました。勉強もまだまだだと思いますし、生徒にはどうしても厳しく当たってしまって。誰しも、完璧ではないことの方が多いと思います。だからこそ、それを完璧なものにしようとする過程が美しいわけで、そこに価値を見いだせるわけで、次のステップへの活力になるんだと思います。ここで得た学びは絶対に忘れないで、くれぐれも私には……警察にはお世話にならないようにね!」




