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ヤンデレ対応は本人の希望が最優先です

作者: 青夏
掲載日:2026/09/30

ソフトですが一応ヤンデレものになります。

成人後の王子は王太子を除き、それぞれの邸で暮らしている世界線です。

「そなたとカインの婚約は解消してもらう」


 早朝から王宮に呼び出されたかと思えば、唐突に王妃から言い渡された沙汰がこれである。

 ブランシュは表向き神妙な顔を崩しはしなかったが、内心では呆れ果てていた。


「カインにはイザベル王女を新たな婚約者とする」


 そう言って、王妃が手を差し向けた先にいたのは隣国の王女イザベルだった。

 彼女は王妃と祖国を同じくする、姪でもある。


「発言をお許しいただけますか?」


 婚約解消を言い渡された哀れな令嬢の仮面のまま、ブランシュは遠慮がちに王妃に尋ねた。


「よかろう」


 王妃は尊大な態度のまま、ブランシュに許可を出す。


「イザベル王女殿下は、王太子殿下のご婚約者のはずではございませんか?」


 そう言った瞬間、王妃の手からブランシュに向けて扇が投げつけられた。

 頬を掠めた扇は、勢いよく床へと落ちて行く。

 ブランシュの頬を生温かい液体が伝って、ぽとりと一雫、床に垂れた。


(血ね……)


 いくら気に入らない発言だろうと、歴とした貴族令嬢を暴行するなどあり得ない。

 くらくらする頭を何とか支えて、ブランシュは真っ直ぐに王妃を見つめた。


「王太子殿下は了承されていらっしゃるのですか?」

「うるさいっ!黙れおれ!あれはもう息子ではないっ!!」


 感情の制御をすることもなく、怒りに任せて捲し立てる醜い王妃の姿を前にして、ブランシュは一連の流れを嫌でも理解した。


 王太子は既に廃位されたのだと。


「お話が以上でしたら、わたくしはこれで退出させていただきたいのですが」


 それならば、これ以上の長居は無用。

 ブランシュは未だ興奮状態の王妃に、退出を願い出る。

 すると王妃は、たった今閃いたとばかりにブランシュに嬉々として語り出した。


「婚約解消の手続きは追って沙汰を出す」

「……」

「案ずるな。そなたには新しい婚約者を用意しよう」


 どこか狂気じみた王妃の笑顔に、ブランシュは嫌な予感がした。

 そうしてそれは、すぐに現実のものとなる。


「そなたはアベルに嫁がせよう」


 王妃が上げた名は、亡き側妃の産んだ第一王子のものだった。


「……全て父に、お話しください」


 かろうじてそれだけ伝えると、ブランシュはカーテシーを執り、ようやくその場を辞することが出来たのだった。



◇



「あ〜!最悪だわっ!!」


 馬車に乗り込むと、ブランシュは怒り心頭でクッションを力任せに抱きしめた。


「お嬢様それよりお顔を……」


 専属侍女のクレアは、そんなブランシュの怒りより頬の傷が気になって仕方ないらしく、さっきから真っ青な顔で必死に頬を冷やしている。


「大丈夫。かすり傷よ」

「万が一傷痕でも残ったら……カイン殿下に顔向け出来ませんっ!!」


 何でも無いことの様に言ってのけたブランシュに、クレアは悲鳴に近い声を上げた。


「お戻りになるまでには……消えるでしょ?」


 あまりのクレアの必死さに、ブランシュも途端に不安になる。安心感が欲しくて聞いただけだったのに、クレアは渋い顔を返して来た。


「わかりません。そもそもこんな事態になってカイン殿下が予定通りに過ごされるとは思えませんし」

「それは……そうね」


 ふうと、お互い目線を合わせて思わず口篭ってしまう。


 こんな事態ーーそれは勿論、ブランシュと第三王子であるカインの、王妃による一方的な婚約解消宣言のことである。


「それにしても、王妃殿下は命が惜しくないんでしょうか?」


 あまりに率直なクレアの疑問に、ブランシュは思わず吹き出した。


「お嬢様、はしたのうございます」

「ごめんなさい……ふふふっ」


 クレアが抱いたのは当然の疑問なのだが、いざ言葉にされると現実の滑稽さがおかしくてたまらなかったのだ。

 それくらい王妃の言動は常軌を逸していた。

 しかしブランシュは知っている。

 王妃の不可解な命令の理由を。


「エンディングを迎えたのね……」


 だから世界が変わったのだ。


「お嬢様?」


 ブランシュの口から漏れた聞き慣れない言葉に、クレアが不安気な顔をする。

 頭まで打ったと思われたのだろうか。


「何でもないわ」


 だからブランシュは、クレアの不安を吹き飛ばす様にふわりと笑った。




 ブランシュ・コルトレーク侯爵令嬢。

 由緒正しい侯爵家の長女にして、第三王子の婚約者。公爵家出身の母方の祖母は、強国である帝国の皇族出身でもある。

 王子の婚約者として完璧な相手といえる。

 その上この婚約は、ブランシュに一目惚れした第三王子の熱烈な希望で結ばれたものだった。

 婚約解消を求められる理由がない。


 通常であれば。


 しかしブランシュはその理由を知っていた。正確には、ブランシュではないもう一人の自分が、ではあるが。


 この世界が、乙女ゲームの世界であることを。


 ブランシュには前世の記憶がある。


 幼い頃からぼんやりと、頭の中にもう一人の自分の記憶があったのだ。


 前世の自分は、十七歳という今と同じ年頃に病気で亡くなってしまった。

 そんな前世の自分には仲の良い幼馴染の少女がいて、よくお見舞いに来てくれた。

 とりわけ彼女にお勧めされたのが『ヤンデレ』なるジャンルだった。

 それは小説や漫画など様々で、特に彼女が一推ししていたのは、とある乙女ゲームだった。


 なんでも王太子の攻略に成功すると、現れる隠しキャラがヤンデレになるらしい。

 本来の王道ルートよりその隠しキャラを見たいと、やり込むファンが続出するほどの一種のカルト的人気を誇っていたゲームだった。

 残念ながら、前世のブランシュはゲームをクリアする前に亡くなってしまったために、隠しキャラを知らないのだが。

 

 漠然と、自分が乙女ゲームの世界のモブ令嬢に転生したのだろうとは理解していた。


 しかし、いたって平和な毎日だったのである。ついさっきまでは。


 おそらくこの事態は、本来のメイン攻略対象である王太子がヒロインに攻略された為に起こったのだ。

 つい先日行われた学園の卒業パーティーで、ピンクブロンドの男爵令嬢による騒ぎがあったらしいが、王家による厳しい箝口令が敷かれ、下級生であるブランシュの下までは詳しい内容が漏れて来なかった。

 だが、王妃のあの剣幕から推測してまず間違いないだろう。


 ヒロインも転生者だったのだろうか?


 そうでなければ、男爵令嬢が婚約者のいる王太子と恋仲になろうなどと考える訳がない。

 その先に、明るい未来が待っているはずがないのだから。

 あまりにも貴族社会の常識から逸脱している。


「う〜ん」


 いつもなら、ブランシュの婚約者であるカインに聞けば細かい事情までわかる話なのだが、生憎彼は王族として課せられた半年の外遊で、近隣国を渡り歩いていた。

 帰国予定は、およそ一ヶ月後だ。


「どうしようかしら……」


 国王はここ数日執務室に篭って誰とも会わないのだと、王宮を下がる際に沈痛な表情の女官から教えられていた。

 おそらく今回の王妃の暴走は、王の許すところではないのだろう。

 何とかして謁見出来ないものか。

 邸に着くまでの間、ブランシュはそんなことをずっと考えていた。



◇



「おお!ブランシュ!何てことだ……」


 馬車から降りると、父自らが出迎えてくれた。執務はどうしたのかと思わないでもなかったが、緊急事態だ。先ぶれで知らされた内容に、娘を心配して出て来てくれたのだろう。

 とりあえず、ブランシュは可憐に涙ぐむことにした。


「お父様……わたくし、もうどうしたらいいか……」


 わっと両手で顔を覆えば、慰めようと父が必死に言葉をかけてきた。


「心配するな、婚約解消になどならない。しかし王妃殿下もどうしてしまったのか……」


 ブランシュの父は優しい。そして甘いのだ。 

 そんな父に、王妃の考えなど到底理解出来るはずがなかった。


「王太子殿下の身に、何があったのですか?」

「……それは」


 核心に切り込んだブランシュに、父は思わず口籠る。しかしすぐに意を決したのか、ブランシュを執務室へと伴い人払いをした。


「よいか、これは他言無用だ」

「はい」

「……王太子殿下が廃位された」

「まぁ!」

「卒業パーティーで、公衆の面前でイザベル王女に婚約破棄を突きつけ、男爵令嬢を愛していると宣言したからだ」

「……」


(お約束通りね)


 ブランシュは悲痛な表情を浮かべたまま、内心では納得感に大きく頷いていた。


「殿下は魅了の魔法にかけられていたらしい」

「魅了……?」


 そんな設定あっただろうか?

 そもそもこの世界に魔法が存在していた記憶がブランシュにはなかった。

 もしかしたら、ゲームの終了により設定自体が変わってしまったのかも知れない。


「……王妃殿下は、王太子殿下に期待されていたから」


 それだけではないだろう。善良な父の推測にブランシュは眉を顰めた。


「王妃殿下はイザベル王女をカイン様と、わたくしをアベル殿下と婚約させるとおっしゃってましたわ」

「はぁ……」

「王妃殿下の独断ですわよね?」

「あの方は、二十年前で時が止まってしまわれたのだ……情勢が見えていない」


 嘆かわしいとばかりに父は頭を振った。


 二十年前、この国は先代の国王を急な病で亡くし、まだ若い現在の王が即位した。

 度重なる敵国との戦いに劣勢を強いられた王は援軍を求め、他国の王女との婚姻を選んだ。 

 その時同盟に応じたのが王妃の母国である。


 婚姻時の事情から、王妃は嫁いだ当初から権勢を奮った。


 王が王妃よりも先に、王宮勤めの子爵令嬢を孕らせた時など、処分される寸前だった。

 何とか保護し、側妃として離宮に隔離出来たのは、子爵令嬢の懐妊から遅れること二ヶ月足らずで、王妃自身の懐妊が判明したためである。


 そうして十八年前、二ヶ月違いで生まれたのが側妃腹の第一王子アベルと王妃腹の第二王子、先日廃位された王太子であった。


 側妃はほどなくして表向き病によりこの世を去り、王妃はその翌年に第三王子カインと、数年後に第四王子セトを生んでいる。


 もう長い間ずっと、この国は王妃の天下だった。


 しかしそれも、この数年で事情が変わった。

 まず、王妃の母国が王位争いで政情不安に陥る。

 長年争って来た敵国とも和議が成立した。

 大陸一の強国である帝国とも、外交による友好関係を築いている。

 そして何より、内外共に王が有能だったのが大きかった。


 そんな折に起こったのが、王太子の失態だ。


 何としても、第一王子に王太子の座を明け渡したくない王妃は冷静さを欠いている。

 婚約を結んだ時とは違い、既に二代続けて王妃の母国から王妃を迎える意義が無いことも、帝国の血筋であるブランシュを第一王子の妃にしてしまえば、それこそ王太子の座を奪われかねないことも、理解出来ていなかったのだ。



「お前はしばらくお祖母様の邸に身を寄せなさい。

ちょうどお母様もお見舞いで滞在してる分都合が良い」


 帝国の血筋である母方の祖母の邸に匿われれば、王妃とて迂闊に手は出せない。

 現状、ブランシュたちが取れる最善手だ。


「ああ!それと」


 はっとした様に、珍しく父が大きな声を上げた。

 まだ何か問題でもあるのかと、ブランシュは眉を寄せて父に視線を向ける。

 父は少しきまり悪そうな顔で、小さく一つ咳払いをした。


「……陛下が、明日密かに第一王子殿下の邸を訪問される。お前にも、お祖母様の邸に行く前に立ち寄るようにと」

「ええっ!」


 どうにか陛下に謁見できないかと願っていたのは自分だ。しかし、第一王子の邸で会うなど面倒事の予感しかしなかった。

 出来れば断りたい気持ちを込めてブランシュは父を睨め付けたが、父は諦めろとばかりに大きく首を振った。


「王妃殿下の目がある。私は同行しない方が良いだろう」

「お父様っ!?」


 可愛い娘を一人で差し出すなどあんまりだ。

 あまりの父の逃げ腰に、ブランシュは思わず天を仰いでいた。



◇



「わざわざ悪かったな」


 翌日、第一王子の邸でブランシュは王と対面していた。

 王の隣には、当然第一王子も控えている。

 ブランシュは優雅にカーテシーを執ると、視線を伏せながら前を向いた。


「そなたの処遇は変わらん。何も案ずることはない」


 王の絶対的な言葉に、ブランシュは内心安堵する。


「ありがとう存じます」

「なに、いらん心労をかけた……」


 その声は、どこか自嘲気な響きを含んでいた。しかしすぐに口元に笑みを浮かべると、王は隣にいる第一王子へと話の矛先を向けた。

  

「アベルは本当にそれで良いのだな?」

「はい陛下」

「そうか……」


 ブランシュの預かり知らぬところで、何やら二人は重大な話をしていたようだ。

 居心地の悪さを感じながらも、ブランシュはじっとその場に控えているしかなかった。


「よし!ならば大掃除といくか」


 吹っ切った様に王は言うと、立ち上がり颯爽と退室して行った。

 その場には、ブランシュと第一王子のアベルのみが残された。


「早く帰った方がいい」


 ブランシュが何か言い出す前に、アベルは表情の読めない顔でそう言った。


「はい」


 (帰るというか、これからお祖母様の邸に避難するんです)


 内心の呟きとは裏腹に、ブランシュは神妙に頷く。

 そんなブランシュに、アベルは思い出したかのように尋ねてきた。


「カインには知らせてあるな?」

「はい。お手紙で」

「手紙か……」


 ブランシュの返事に、顔を曇らせたアベルは考え込んでしまう。


「間に合わないか……まずいな」

「あの、第一王子殿下?」


 全く話が見えてこない。ブランシュは困惑するばかりだった。

 しかしそんなブランシュに、アベルは冷めた視線を送って寄越した。


「何だ、まだいたのか。早く帰ってくれ。私はまだ死にたくないんだ」

「ええ??」


 一体、何故そんな事を言われなくてはならないのかブランシュにはさっぱりわからなかった。

 ブランシュが帰らないとアベルが死ぬ?

 きっと、あまりにも滑稽な顔をしていたのだろう。呆れたとばかりにアベルは大きなため息を吐いた。


「君は、この国の男が狂っているのをわかってないのか」

「え」

「何故、令嬢は血の繋がった親兄弟、祖父までしか成人する十五歳まで異性との接触を禁じられていると思う?従兄弟ですら厳禁だ」

「あの」

「本当は平民も禁じようとしてたくらいだ」

「えっと」


 そう言われても、わからなかった。

 この国の貴族は、成人を迎える十五歳でデビュタントを迎える日、初めて近しい親族を除いた異性と対面する。

 学園に通うのすらその後と決まっていた。

 何故と言われても、決まりだからとしか考えたことがなかった。確かにおかしな決まりだが、この国ではそれが常識であった。

 しかしそれに、第一王子である人物が異議を唱えているのだ。

 ブランシュは、何と言えば良いのかわからなかった。


「よく言えば一途。悪く言えば病的」

「え」

「この国の男の愛し方だ」


 アベルは吐き捨てる様に言う。


「令嬢方の言う溺愛なんて可愛いもんじゃない。一人と決めたら他を愛せないんだよ。まるで呪いみたいに」

「……」

「だから、異性の顔合わせは十五歳と決めた。以前は幼い頃の婚約者と成人後に婚約破棄する事態が溢れ過ぎてたからね」

「!?」


 告げられた事実に、ブランシュは言葉を失った。

 確かにこの国は一夫一妻制で、王家のみ例外的に側妃制度が許されていた。

 だが、だからと言って、この国の男性にそんな性質があるなど、今まで知らなかった。

 それではまるで、国を上げてヤンデレ予備軍ではないか。


「君は?」

「え」


 心底面倒くさそうに尋ねられた。


「カインとどうして婚約した?」

「え……あの、夜会でカイン様に、一目惚れされて……って、あれ?」


 アベルが苛立った様に、片手で頭を掻きむしった。


「だからっ!カインはもう君を選んでる!このままだと私は害虫だと誤解されて排除される!」

「そんな、まさか」

「決まってるんだよ!しかもここは既にエ(・)ン(・)デ(・)ィ(・)ン(・)グ(・)後(・)の(・)世(・)界(・)なんだからっ!」


 アベルの叫びは悲痛そのものだった。


「……え?」


 しかしブランシュは、そんなアベルの鬼気迫る姿よりも、発した単語に引っかかっていた。


(エンディング後の世界……今、間違いなくそう言ったわよね?)


 それの意味するところはつまりーーアベルもこの世界が乙女ゲームだと知っている。

 転生者だということだ。


「あの!第一王子殿下」


 事実を聞かなくてはと、ブランシュが口を開いたと同時に、痺れを切らしたアベルが足早に扉へと向かい出す。


「もういい!私が出て行く!」

「ええ!?」


 まだ何も聞けてないのにと、ブランシュは慌ててアベルの後を追った。

 アベルは横目でブランシュを認めると、鬱陶しそうに捲し立てる。


「私は王位継承権を放棄した。これからは大使として帝国に赴く。もうこの国に帰るつもりはない」


 そうして最後は、ブランシュを振り切る様に全力で走り去って行った。


(ちょっと待ってよ〜!!)


 一人残されたブランシュは、どうすることも出来ずにその場に立ち竦むしかなかった。



◇



「お嬢様?どうかなさったんですか?」


 祖母の邸へと向かう馬車の中で、心配そうなクレアに声をかけられた。


「ううん。何でもないの……」


 まさか第一王子に転生者疑惑があるとか、この世界の男性はそもそもヤンデレ予備軍だとか、言えるはずもない。

 ブランシュは力なく微笑んだ。 


 今はどの辺りだろうと気まぐれに窓から外を眺めた時、突然馬車が急停車した。


「きゃっ」

「お嬢様!」


 勢い任せに座席から振り落とされそうになるブランシュを、懸命にクレアが押しとどめる。

 必死に縋りついた指先は、突然の事態に動揺して震えが止まらなかった。


(まさか王妃殿下が!?いえ、そんなはずは)


 やはり邪魔だと命を狙われたのだろうか。

 最悪の想像ばかりが頭をよぎって、ブランシュは混乱を極めていた。


 そんな時、ブランシュを必死に守っていたクレアの身体が、音もなくその場に崩れ落ちた。


(え)


 一体、何が起こっているというのか。

 

 震える指を必死に動かして、クレアに手を伸ばそうとした時、馬車の扉がガタリと動いた。


「!!」


 施錠しているはずの扉が、呆気なく開かれていく。ブランシュは恐怖に息を呑んだ。


「シュシュ!」

「へぇ?」


 扉の向こうに現れた人物に、ブランシュは思わず気の抜けた声を漏らした。

 黒い髪に、青い瞳。男性なのにどこか中性的でもある美しいその人は、いつもと変わらず愛し気にブランシュを見つめている。


「か、カイン様っ!?」

「うん。ごめんね遅くなって」

「う……ひっく」

「シュシュ」

「わぁぁん!」


 ブランシュはカインの胸に飛び込んだ。

 すぐに力いっぱい抱きしめられると、その温かさに涙がとめどなく溢れて来る。


「あのっ、あの、わたくし……」

「うん。大丈夫」


 涙で詰まって上手く喋れないブランシュの背中を、カインは優しくあやすように撫でる。


「カイン様がいなくて……わたくし……一人で」

「ごめんね。怖かったね」

「っ……く、王妃殿下が、王太子殿下が……」

「ああ、あのゴミたちの名は呼ばなくていいよ。シュシュの可愛い口が汚れちゃうから」


 それまで甘ったるいほどに優しかったカインの声音が、急速に響きを変えた。


「…………え?」


 聞き間違いだろうか。およそカインの口から出るはずのない言葉を聞いた気がする。

 ほんの少しだけ迷ったが、ブランシュはおずおずと顔を上げて、すぐ目の前にあるカインの顔を見上げた。


「ん?」


 ブランシュを見つめるカインの瞳は、優しく細められていた。いつもと変わらない。

 やはり聞き間違いだったのだと自身を納得させたブランシュは、そこでようやく事態を思い出す。


「あ、あのカイン様!馬車が突然止まって、そうしたら、クレアも倒れて!」


 そうだクレアの安全を確認しないとと、伸ばした手は、けれどカインに絡め取られて届くことはなかった。


「え」


 呆然とするブランシュに、にっこりとカインは笑いかける。


「大丈夫だよ。クレアも御者たちも眠ってるだけだから」

「眠ってる……?」

「そう。魔法でね」

「魔法……」


 魔法なんてこの世界に無かったはずなのに、さも当たり前の事の様にカインは言う。

 

「あの……」

「でも本当に心配したよ」


 カインの右手が、ブランシュの頬の傷を撫でる。


「やっぱりシュシュを一人に何てするんじゃなかった。もう二度と離さないからね」

「……え」


 それは一体どういうことなのか。

 聞こうとして開いた唇は、声になる前にカインに喰まれて、言葉は行き場を失った。


(ん?あれ……)


 そうして、何度も唇を触れ合わせているうちに、ブランシュの視界は徐々に光を失っていき、気づいた時にはもう、意識を失っていたのだった。



◇



「……ん」


 目覚めたら、見慣れない寝台の上だった。

 とりあえず起き上がって寝台に座ってみる。

 いつの間にか、ドレスから着心地の良い夜着に着替えも済んでいた。


「カイン様?」

 

 最後に意識があった状況からして、ブランシュをここに連れて来たのはカインしかいない。

 ブランシュが確信を持ってカインを呼べば、すぐにどこからともなくカインが姿を見せた。


「ああシュシュ起きたんだ」


 欠片も悪びれる様子の無いその笑顔に、一瞬ブランシュは混乱した。


「あの、ここ……」


 何から聞けばいいのかわからなくて、ブランシュはとりあえず辺りを見渡し無難な質問を選んだ。


「ああ、俺の邸の離れ。塔があったでしょ?」

「はい」


 確かに、使っていない塔がカインの邸の離れにはあった。


「元々魔術の研究に使ってたんだよね」

「魔術……」

「ここなら邪魔が入らないから」

「邪魔?」


 なんだろうか。さっきから当たり前の様にカインが口にする言葉に、ブランシュは漠然とした違和感を拭えなかった。


「安心してシュシュ」


 そんなブランシュの戸惑いを感じ取ったのか、カインはブランシュの隣に座ると、満面の笑みで言った。


「ゴミの処分は終わったからね」

「え」


 ゴミ、ゴミ……?

 ブランシュが不思議そうに首を傾げると、カインはブランシュの金の髪を愉しげに指で遊ばせ始めた。


「王妃と王太子。どっちも元(・)だけどね」

「ええっ!?」


 思っても見なかった答えに、ブランシュは目を丸くした。一応、カインにとって実の母と兄である。


「馬鹿だよねぇ。俺からシュシュを盗ろうとするなんて」


 けれどカインは少しも動じていなかった。寧ろ軽快に事の顛末を語っていく。


「あ、でも直接手を下したのは父上だよ。結構恨んでたみたいだから、元王妃の事は」


 王太子は廃位の上、王位継承権を剥奪され北の離宮に幽閉。王妃は離縁され、祖国に送還されたそうだ。イザベル王女も一緒に。


「あの国今めちゃくちゃだけど、どうなるんだろうね?」


 あの国とは勿論、元王妃の祖国だ。

 もしや外遊中にカインが何かしたのだろうか。


「……何かされたんですか?」


 ブランシュの疑わしげな視線に、カインは小さく笑った。


「ん〜?ちょっと。疑いの芽を撒いてやっただけだよ。今は王が玉座を追われて内乱中」

「えぇ!?」


 ちょっとどころではない。

 一体どんな手を使ったのか。もしやそれも魔法なのだろうか。

 混乱してばかりの頭を、愉しそうなカインに撫でられて、ブランシュはもう訳がわからなかった。


「あ、そうだわ!」


 こうしてばかりもいられない。

 祖母の邸に向かう途中だったのだ。カインが連絡してくれてはいるだろうが、自分でもきちんと顔を出さなければと、ブランシュは立ち上がった。

 いや、正確には立ちあがろうとして、床に崩れ落ちた。


「へぇ?」


 思わず間の抜けた声が出てしまった。

 それくらい、全く脚に力が入らなかったのだ。

 ブランシュが恐る恐る自身の足首を見ると、いずれにも、見慣れない透明な輪が嵌められていた。


「え、何これ」

「大丈夫?シュシュ」


 輪に伸ばした手をそのまま掴まれて、ブランシュはカインに抱き上げられた。

 ブランシュを見つめるカインの瞳はいつもと変わらなく優しい。そう、見えた。


「カイン様、何か、足首に……」


 ブランシュが震える声でそう訊けば、カインは嬉しそうに微笑んだ。


「ああ、それ。魔力を込めた足枷だよ。金属と違って肌を傷つけないから安心してね」

「ええ……?」


(すごい、一つも安心する要素がないわ)


 ブランシュはまじまじとカインの顔を見つめて、はたと気づく。


 カインは王妃腹の第三王子で、第一、第二王子の王位継承権が放棄、剥奪された今、最も王太子の地位に近い立場にある。

 つまりそれはーー


(もしかしてヤンデレの隠しキャラってカイン様なの!?)


 考えれば考えるほど、そうとしか思えなかった。


「シュシュ?」


 カインを見つめたまま固まってしまったブランシュの顔を、不思議そうにカインが覗き込む。


「ん〜!」

「ん〜?」

「いつまで……?」

「うん?」

「いつまで、ここにいたらいいの?」


 さすがにずっとと言われたら、ブランシュも困ってしまう。

 けれどもしカインが本当にヤンデレ化したのであれば、ある程度要求を聞くのが最善だと思った。

 朧げな、前世の記憶を頼りにして。


「シュシュが俺しか選ばなくなったらかな」

「他の人なんて選んだことないわ!」

「でも、兄上の邸に行ったよね」

「だってあれは!陛下に呼ばれたから!」


 仕方がなかったのだ。臣下が王に呼び出されて断れるはずがない。

 そう反論したと同時に、第一王子の迷惑そうな顔を思い出して、妙に納得している自分もいた。

 こういう事かと。


「うん。そうだね。でも俺の気が済まないから少し付き合ってよ」

「……少し?」

「うん。少し」

「……家にはちゃんと連絡してくれてます?」

「勿論!侯爵は是非って言ってたよ」


(お父様、カイン様が怖くて娘を見捨てたわね)


 王の呼び出しにも、王妃の目を恐れて娘を一人で行かせたくらいだ。父ならまず間違いなくやる。

 しかし当主が許可しているのだ。貴族ならば、それに従うのみ。

 ブランシュは覚悟を決めた。


「じゃあ、少しだけ」

「うん。ありがと」


 満面の笑みのカインに頬擦りされて、まあいいかと、判断力の完全に鈍った頭でブランシュは頷いていた。



◇



「ねえ、カイン様。これ外しちゃうの?」


 あれからどれくらい経っただろうか。閉ざされた空間でのカインとの二人暮らしに、ブランシュは案外すぐに適応した。

 前世の入院生活に比べれば、ずっと快適だったせいでもある。


「それついてたら歩けないでしょ。まあ俺が、抱えて歩いてもいいけどね」


 明日、王宮での立太子式にいよいよ出席せざるを得なくなったカインは、式の後ブランシュを侯爵家に帰すことを渋々決めた。

 その前に、寝台の上でブランシュの足枷を外そうとしたカインへの問いかけがそれである。

 外しちゃうの?と。


「うんまあ。十分満足させてもらったしね」


 そう言うと、カインはブランシュの足首に右手を翳した。すると跡形もなく透明な輪が消えていく。


「すごい!」


 初めて間近に見る魔法にブランシュは目を輝かせた。異世界転生といえば魔法は醍醐味である。一度は生で見てみたかったのだ。


「シュシュは不思議な子だよね」


 きゃっきゃっと喜ぶブランシュに、カインは自嘲気に薄く笑った。

  

「カイン様?」


 どこか罪悪感を抱えたカインの瞳を、ブランシュが心配そうに覗き込む。


「俺なんかに捕まって可哀想に」


 そう言うと勢いよく寝台に倒れ込んだ。

 目元を覆っていた腕をどかして、真上からブランシュはその顔を覗き込む。


「自己嫌悪ですか?」


 ふふっと笑う吐息がカインの鼻を擽ぐった。

 カインは諦めたように小さく息を吐くと、ブランシュの長い髪を指先で弄ぶ。


「あのね、普通はこういうの嫌がると思うよ?」


 こういうのとは、今の軟禁状態のことだろうか。ブランシュは首を傾げる。


「二人きりで楽しかったですけど」

「閉じ込められてるのに?」

「必要なものは全部ありますし」

「会いたい人とかは?」

「うーん……お母様とお祖母様には会いたいです。あとクレア!お父様は結構です」

「ははっ!そっか」

「はい」


 笑顔で頷けば、ぐいっとカインに腕を引っ張られて、その胸へとブランシュの身体は抱き込まれた。


「あ〜可愛い……帰したくない」


 切実なカインの呟きがおかしくて、ブランシュは小さく笑った。


「その割には手は出さないですよね?」

「だーかーらー!そういう事は言わないの!危ないからね!」

「でも多分、誰も信じないと思いますよ?」


 二人が未だ清らかな関係だという事は。


「いやいやいやいや!ダメだから!結婚前だよ!?」

「一緒に暮らすのはいいのに?」

「うっ!それは、本当にゴメンナサイ……」

「ふふっ」


 カインには、ブランシュにはよくわからない厳格な基準があるらしく、塔に連れて来られてからも毎晩添い寝するだけで、口付け以上のことは何もなかった。

 ただ毎日、ブランシュにぴたりと張り付いて生活するだけで彼の心は満たされるらしい。

 欲が無いわけでもないだろうに、その精神力にはブランシュも感心してしまう。


「不安だったんですよね?」


 ブランシュはカインの胸元で顔を起こしながら、彼を見上げた。


「でも絶対、わたくしはカイン様としか結婚しませんからね。安心なさってください!」


 あの王妃による婚約解消未遂は、カインの中で相当根深く遺恨を残していた。

 婚約解消させようとしたことも。

 当時カインがブランシュの側から離れていたことも。

 ブランシュが王の呼び出しに応じて、王妃が新たに婚約させようとしていた第一王子の邸に行ったことも。

 その全てがカインの中で不安を増幅させた。そうしてその不安を解消するために、ブランシュと二人、閉じ籠る時間が必要だったのだ。


「シュシュの心が海より広くて幸せ……」


 カインはブランシュの額に口付けると、感慨深そうに呟いた。


「任せてください!」


 ブランシュは自信満々に胸を張る。

 こちらは前世からヤンデレに薫陶を受けているのだ。対応は心得ている。


 カインは必ずブランシュを最優先に考えている。ならば同じ様に返せばいい。

 重い愛は重い愛で。四六時中側にいたいなら離れなければいい。足枷くらい何て事ない。

 そんな簡単なことでカインの情緒が安定するなら、ブランシュはいくらだって叶えてみせる自信があった。


 もしかしたらブランシュ自身にもヤンデレの素質があるのかも知れない。


(この国の女性だって愛が重くても不思議じゃないわよね?)


 ふと、いつかの第一王子の言葉を思い出したブランシュは一人納得していた。


「……シュシュ、今何考えてた?」


 頭上からカインの低い声が降って来る。

 どうやらブランシュの脳内に他の男の気配を感じ取ったらしい。もはや才能である。


「ふふ……内緒です」


 答えをはぐらかしたブランシュに、カインが口を尖らせる。


(可愛い)


 こうしてまた、ブランシュの事だけ考えて、思考を全部満たせばいい。

 ブランシュはカインの胸に頬を寄せながら、心からそう願ったのだった。


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良い~ね~♪激甘酸っぱ♡(*´艸`*) ヤンデレもコレならw怖くナイ♪
ヤンデレキャンセラーか好きです。
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