王宮メイドは今日も夫を「観察」する
せわしなく人が行き交う王宮の片隅で、文官のヴィクター・サンディスは今日も書類と向き合っている。なめらかな長い指で、分厚い資料のページを一定間隔でするりと捲っていく。
そのようすを、窓ガラスごしに盗み見る人影があった。
(はぁぁ〜!今日も働くヴィクター様が尊すぎる……!)
その人物はメイド服を着て箒を握りしめ、ひとときもヴィクターを見逃すまいとまばたきさえ惜しんでいる。
ミネリ・サンディス――不審者……ではなく、れっきとしたヴィクターの妻だ。溢れて声になりそうな気持ちをぐっと抑え込んで、今日もミネリはヴィクターを「観察」している。
ヴィクターは文官たちのあいだでも美丈夫で有名だ。青みがかった艶やかな黒髪に、深い森を思わせるペリドットの瞳。採光用の天窓から入る柔らかな光で、精悍な顔元に長い睫毛の影が落ちてひとつの絵画のようにも見える。
(ヴィクター様、先週の立法会議の疲れが取れてないみたい……。でも陰のあるお顔もまた退廃的で良いわ〜♡あら、そろそろお茶の時間かしら?こめかみを押さえてる)
こめかみを揉んで目の疲れをほぐしたあと、ヴィクターはひとつ伸びをして立ち上がった。これから休憩に行くらしい。
部屋を出たヴィクターと鉢合わせないよう、ミネリはそっとその場を離れた。そして何食わぬ顔をして持ち場にもどり、ささっと残った掃除を終わらせた。
ミネリはヴィクターが好きすぎるあまり、プライベートも、仕事も、彼のことを見ていたい重度の「ヴィクターおたく」だ。掃除メイドとして同じ王宮で働いていることを隠して、ひたすら夫の「観察」にいそしむ、ちょっと残念な妻である。
ミネリはもともと末王女付きの侍女で、後宮に出仕していた。マイルスという兄がいて、ヴィクターと同じ文官職に就いている。
ある日マイルスが書類を忘れ、ミネリは仕事の合間に文官の詰所までそれを届けてやった。
その時マイルスが席を外していたため、ヴィクターが代わりにミネリの対応をしてくれたのだ。
『忘れ物だよね?マイルスが戻ったら渡しておくよ。しかしこんな可憐な妹さんがいたなんて……知らなかったな』
『か、か、可憐……!』
ヴィクターの噂は聞いたことがあった。文官にしては見目麗しく、優秀な男だというものだ。実際に対峙した彼は、背が高く、優しげな低い声がやけに艷やかだった。
涼しげで清廉な見た目に、耳に残る甘い声――ミネリは一瞬でヴィクターに心を奪われてしまった。
それからはマイルスに頼みこみ、ヴィクターとの接点を作ってもらった。昼食を3人でとったり、回廊でそれとなく鉢合わせたり……。
小さな努力を積み重ねた結果、1年たってミネリはヴィクターから交際の申し込みを受けた。そして半年前、無事に結婚するまで至った。
末端王族の侍女には産休制度などないため、皆結婚とともに退職する。ミネリもそういうものだと疑問を抱くことなく、同僚に見送られ円満退職した。しかしその退職の日、ミネリは初めて気が付いたことがあった。
『待って!仕事辞めたら、ヴィクター様の働く姿が見えなくなるのでは!?』
侍女をしていたときも、なんだかんだ理由をつけて外廷にいるヴィクターの姿を見に行っていた。プライベートと違う姿の彼もまた格好良いのだ。
ミネリは餞別の花束を抱えたまま、その足で出たばかりの実家に寄った。そして渋る兄を説得し口利きしてもらい、ひそかに王宮掃除メイドとして再雇用してもらい、今に至る。
✿ ✿ ✿
「あら、お兄様!」
仕事を終え、帰宅するためメイドの詰所を出る。ちょうど廊下の先に兄のマイルスの姿を見つけ、走り寄って声をかけた。
「なんだミネリ、もう上がりか?」
「うん。侍女と違って、掃除メイドは時間通りに帰れるの。
それよりヴィクター様のお仕事量、適切なの?まだ疲れが残ってるみたい。普段なら書庫の資料だって3秒で探せるのに、今日は少し手間どって――7秒もかかってたわ。心配よ!」
「お前…………ほんと相変わらずだな……。自分の仕事はちゃんとしてるのか?」
「もちろん!こないだも仕事が早いし、正確だって褒められたのよ?ただ、よくいなくなるねとは言われたけど」
「……」
マイルスはミネリに、残念なものを見る目を向けた。この妹は出会った時からとにかくヴィクターにぞっこんで、彼のすることなすこと、すべてを目に入れておきたい変態なのだ。
ミネリとヴィクターが結ばれたのは、ひとえにマイルスの功績だ。ヴィクターのほうも最後はミネリをかなり気に入っていた。
だが、ミネリを王宮メイドに雇用する口利きをしたのは、ちょっとやりすぎたかも……と最近思っている。
「ミネリ、本当にヴィクターに内緒のまま勤めきれるのか?」
「えっ、大丈夫よ?絶対に見つからないようにしてるし。ヴィクター様の姿が見えたら隠れる場所も決めてるの!」
「そう……なのか」
(これで良いのか……?まあ、ミネリもだが、ヴィクターも相当くせ者だからな……)
マイルスは浮かれた足取りで帰宅するミネリを、遠い目で見送った。
新居は王宮から少し離れた場所に借りている。帰宅してからの家事がひと段落し、ミネリは自室の机に向かった。引き出しの奥のほうから一冊のノートをそっと取り出す。
「さて、『今日のヴィクター様』を記録しないとね♪」
一見普通のノートだが、中を開くとそこにはびっしりとヴィクターのことが書かれている。呪詛かと思わんばかりの見た目だが、ヴィクターを観察しているとき発見した「魅力」を書き記している。彼の尊さを保存しておきたいという、ミネリの気持ちが詰まった激重の一冊だ。
《今日のヴィクター様》
【会議が終わったからかリラックスモード。久しぶりにお仕事中、ペンをくるくる回していたわ。新記録、25回!すごい! あとそろそろ髪を切る時期ね。前髪が2ミリくらい眉にかかってる。伸ばしても素敵だろうけど当分髪型は変えないわよね。美容院の予約を入れておかないと!
そういえば同僚のかたとお話されるとき、足を組む癖が…………】
ひとしきり思いと記録を書きづづったころ、玄関の鍵を開ける音がした。ミネリはノートを引き出しの奥に仕舞い、早足で玄関へと向かった。
「ただいま、ミネリ」
「ヴィクター様!おかえりなさい!」
ヴィクターが玄関を開けると、ミネリは彼の胸に飛び込み抱きつく。その体を軽々と受け止め、ヴィクターはミネリにちゅっと口付けた。これぞ新婚の醍醐味!と言わんばかりの光景だ。
ほわ……と一瞬夢心地になったミネリだが、ヴィクターに焦げ茶色のくせ毛を弄ばれながらも、妻の役割をはっと思い出す。
「お仕事、お疲れ様でした」
「うん」
「今日の夕食は仔羊のローストに、野菜たっぷりのスープ、ミートパイですよ!滋養に良いメニューにしました」
「ありがとう。ミネリのほうはどうだった?暖かくなってきたから仕事も増えてきただろう?」
「え、ええ。まあそれほどでも……」
一瞬たじろぐも、なんとか笑顔を作って答えた。ミネリは今、近所の商会の手伝いをしていることになっている。
(だって王宮掃除メイドになったってバレたら、ヴィクター様をじっくり観察できないもの……!)
かつてのミネリの職場は後宮だったが、今は同じ外廷に勤めている。妻がいるとなれば自然と注意が向いてしまうだろう。
家での彼は、甘く優しくミネリに接してくれて、とても満たされた毎日だ。
でもミネリはヴィクターが大好きすぎて、彼の他の部分も常に知っておきたい。その欲求をどうしても抑えられなかった。
(こんなのバレたら、絶対ヴィクター様に気持ち悪がられて……嫌われちゃう!)
自覚はしているのだ。これがちょっと……いやかなり問題がある行動だということを。
ヴィクターを料理の並んだダイニングにいざないながら、「観察」のことは墓場まで持っていこう、そう改めてミネリは決意した。
朝。出仕するヴィクターを見送り、ミネリの1日もはじまる。食材をチェックし、買い物メモを作り、洗濯を終わらせる。その後自分も出勤するのだが、うねるくせ毛をきっちりまとめ、気休め程度の「変装」をして行く。
「ふわ……」
思わずあくびが出てしまい、これはいけないとぱちんと両手で頬を叩いた。平日だというのに、昨晩はちょっぴり盛り上がってしまったのだ。新婚だから仕方ないわねと、ミネリは誰にともなく言い訳する。
メイドの詰所に寄ると、その日の担当場所を確認し、掃除用具を持って持ち場に行く。掃除は嫌いではない。やっただけ成果が見える掃除メイドは、何気にミネリに向いていた。
ある程度綺麗になったところで、ミネリはそっとヴィクターのもとへ向かった。資料庫に隣接する棟に立法部門があり、一階が彼の仕事場だ。
手前に小高い丘のようになっている部分があり、植え込みに身を隠すと、窓の向こうがちょうど見れるポイントがある。
だが「観察」の定位置にあと一歩のところで、野太い声がミネリを呼んだ。
「ようミネリ!元気か?」
「!?うるさっ……!トリスタン、貴方いつも声が大きすぎるのよ!」
大柄な騎士がミネリを見下ろしている。近所に住んでいた幼馴染のトリスタンだ。最近王城の巡回を任されているらしくよく遭遇する。
見知った顔があると嬉しいのか、よく絡んでくるのだが、気配を消していたいミネリにとっては大変迷惑な相手だった。
「なんだ。結婚してちょっとは落ち着いたかと思ったが相変わらずだな」
「貴方でしょ、落ち着かないといけないのは!王城の騎士がそんなガサツでどうすんの!?」
「はあ?騎士にスマートさなんか求めても仕方ないだろ」
ワハハ、と鷹揚に笑うトリスタンは悪い奴ではない。ただデリカシーがあまり無いだけだ。
座学はてんでダメだったが、剣の腕と力はピカイチらしい。王城の騎士に採用されたと聞き、トリスタンなりに頑張ったのだな、とミネリは感心した覚えがある。
腐れ縁の幼馴染の相手をしている時間はない。しっしっ、とトリスタンを追い払い所定の場所に着いた。だが次の瞬間、信じられないものがミネリの目に飛び込んできた。ヴィクターの仕事場に、若い女がいたのだ。
「えっ、誰?」
男世帯の文官の部屋に、1輪の紅い花が咲いたようだった。鮮やかな赤いワンピースに身を包んだ、賢そうな女性が皆に挨拶をしている。
(そういえば、人事異動があるってヴィクター様が言ってたっけ……)
夫と同じ部署に、若く美しい女性が来た。ミネリの胸は、ちりちりと嫌な痛みを感じていた。
仕事を終え、家に戻っても、まだミネリはさっきの女性文官のことが引っかかっていた。いくらヴィクターが魅力的な人だとはいっても、彼はもう既婚者なのだ。そう簡単に言い寄られたりはしないはず。
自分でも気にしすぎだとは思った。だがあの女性、どこかで見た気がするのだ。それがどうしても思い出せない。
夜に帰宅したヴィクターは、とくに変わった所もなくミネリを抱きしめ、口付けをくれた。やっと安心できたミネリは、それとなくあの女性のことを聞いてみた。
「新しい方が入られたと聞きましたが……お仕事はまだ忙しいの?」
「ん?いや、逆だよ。やっと人を増やしてもらえたんだ。今までギリギリの人数でやってたからね。新人の指導員になったから少しの間せわしないけど、それが終わればもっと早く帰れるようになるよ」
「そしたらミネリと過ごす時間が増えるね」……ヴィクターがミネリの耳元で囁いた。それでまた、ふたりの夜はちょっと盛り上がってしまった。
だが翌日から、ミネリの「観察」は目の端にちらちらと動く女性に遮られることになる。マイルスに探りを入れたところ、女性はアルマイア・コーリーという名らしい。本人がぜひとも立法部門で活躍したいと希望し、試験的に転属してきたという。
指導役のヴィクターのあとを、ひな鳥のようについてまわるアルマイアが見受けられるようになった。ヴィクターが席につくと彼女も隣にすわり、資料片手に何かを質問し始める。
ミネリはその様子を、植え込みの中からただ見ているしかできない。つい先週までは心躍らせる時間だったこの「観察」が、夫と他の女性が一緒にいるのを見ている時間になってしまった。
「こんなの、嫌だわ……」
だが、アルマイアの距離の近さは別として、ミネリのやっていることは褒められたことではない。現に今も仕事をさぼってヴィクターを見に来ているのだし。
ミネリは肩を落とし、早々に持ち場に帰る事が多くなった。おかげで仕事ははかどり、分担ではない場所も綺麗にしてしまうくらいだったが、心は全く晴れなかった。
それでも2人のことが気になり、ついあの場所に立ち寄ってしまう。指導期間が終わればアルマイアだって離れていくはずで、そうしたら元通りになるはずだから……。
「どうしたー、腹でも壊したのかっ?」
思念の沼に沈んでいたミネリに、ドスドスと近寄ってきたのはトリスタンだ。
「……あんたは悩みなんて無いんでしょうね」
「悩み?あるに決まってんだろ?巡回騎士は給料が少ないことだ!」
「ハァ……王宮内で言うんじゃないわよ。クビになりたいのかしら……」
「うじうじ悩むよりもなんか美味い物食べて元気だせよ!そうだ、恋人が誕生日で、今晩は肉を焼く予定なんだ。お前も食べに来い!」
「行くわけないでしょ!?本当にデリカシーが無いんだから!」
気遣いはありがたいが、壊滅的なデリカシーの無さに、恋人の分までトリスタンには蹴りを入れて追い返した。
アルマイアがやって来てから一週間ほど経った頃。その日は小雨が降っていたため、屋根のある場所に清掃の分担が変わっていた。ミネリは資料庫の埃取りを割り当てられた。ヴィクターがよく出入りしている場所だ。
雨の日の資料庫は薄暗く、入り口の石畳は吹き込んできた雨で滑りやすくなっている。
人がいないのを確認し、奥の書架から棚を拭きあげていった。すると半分ほど終わったところで、誰かが資料庫に入ってくる気配がした。
(え、ヴィクター様!?それから、アルマイアさん……!)
棚の隙間から見知った顔が見え、ミネリは反射的に身を隠した。偶然にもヴィクターとアルマイアが来てしまったのだ。出入口はひとつしかないので、彼らがいなくなるまで出られない。息をひそめていると、ふたりの会話が聞こえてきた。
「探している資料はこの棚だ。よく使うからいつも手前に置いている」
「ありがとうございます、助かりますわ」
「見つかったのなら僕は戻るよ。仕事がたまってるんだ」
「待ってください!サンディス様に少し、ご相談したいことがあって……」
ミネリは書物の隙間から、ふたりの様子を伺う。今日のヴィクターは少し苛立っているように感じた。言っているとおり仕事が忙しいのだろう。対するアルマイアは、やけに色っぽい声色でヴィクターに話しかけている。
「私、実は気になっている方がいて……」
「……何の話かな」
「でもその方には、奥様がいらっしゃるんです」
「……」
アルマイアが潤んだ瞳でヴィクターを見あげた。
「それでも私、諦めきれない……!」
そう言ってアルマイアはヴィクターの胸にしなだれかかった。
(え、ちょっと!嘘でしょ?!?)
ヴィクターの胸のなかは自分だけの場所だ!ミネリはそう叫び、飛び出したい衝動をすんでのところで押さえる。
だが書庫の入り口で、ヴィクターは何もせず、無言でアルマイアを見下ろすばかりだ。アルマイアは自分を振りほどかないヴィクターを見て、にやりと口元を歪めた。
「ヴィクター様……」
「戻ろう」
ヴィクターは低い声で言い、後ろに一歩下がってアルマイアから距離を取った。
思っていた反応と違ったのだろう。彼女は一瞬戸惑ったが、あわてて仕事場に戻っていくヴィクターを追いかけて行った。
「なんてものを見てしまったのかしら……」
再び無人になった資料庫に、ミネリの声がぽつりと落ちていった。
その後なんとか1日の仕事を終え、ミネリはぐったりして帰宅した。アルマイアとヴィクターの姿が脳裏に焼きついたように離れない。顔をざぶざぶと洗って鏡を見ると、生気の抜け落ちたような表情の自分がいる。
「なるんじゃなかったかも……掃除メイド……」
だが自分から無理を言って願った手前、せめて契約の1年間は勤めきらないといけない。ミネリはため息をついた。
「いくらヴィクター様が好きだからといって……。私、やりすぎたんだわ」
今更と言うべきか。ミネリは嫌な場面をみてしまい、ようやく自分のやっていた事を顧みた。
なんとなくヴィクターに会わせる顔が無く、夕食を用意すると寝室にこもった。帰宅したヴィクターに気遣われたが、「体調が良くないから」と言い1人にしてもらった。
「ミネリ、医者に行かなくて良いのか?」
「ええ。風邪を引いたのかも。寝ていれば治るわ」
「……仕事で何かあった?」
「ううん……そういうんじゃないの」
同じベッドで少し離れて、ヴィクターと背中合わせで眠りにつく。彼が心配してミネリの様子を伺っているのが分かった。寝たふりをしているとそっと頭を撫でられ、そこに優しく口付けられた。
しばらく経つとヴィクターの寝息が聞こえてきた。体を起こし、ミネリは夫の寝顔を覗き込む。
こんなに優しくしてくれる人に、嘘をついてまで自分の欲を優先させるなんて……。自分のしていることが申し訳なくなってきて、じわりと涙が滲んだ。
(嫌われるかも知れないけど、ヴィクター様にすべてを話して、謝るわ……)
ミネリはヴィクターの肩に毛布をかけながら、そう決意した。
翌日、浮かない顔で出勤したミネリは、庭掃除の最中に思いもよらない人物に話しかけられた。
「やだ!サンディス様の奥様じゃない。ここで働いていたの?」
なんとアルマイアだった。そこでミネリは、やっと彼女を見た時の既視感の正体がわかった。
「思い出した!貴女……アルマイアさん、私たちの結婚式に来ていたわよね?」
「そうよ?覚えていてくれたみたいで嬉しいわ」
フン、と鼻息荒くアルマイアはミネリを睨みつけた。決して嬉しくなさそうなその様子に、ミネリは遠い目になる。
ミネリとヴィクターの結婚式は、職場結婚でもあるため王宮関係の参列者が多かった。その中でも目立つ赤いワンピースを着ていた彼女を、なんとなく記憶にとどめていた。
「何でヴィクター様は、あなたみたいな人が良かったのかしら。ちんちくりんだし、侍女を辞めたと思ったら掃除メイドなんかになってるし」
腕組みをして夫を名呼びするアルマイアは、完全にミネリを侮っている。確かに背が高く豊満な体の彼女と並ぶと、ミネリは少女のようにも見えてしまうだろう。
「生憎ね。そのヴィクター様に、ぜひともと焦がれて私は妻になったの。逆にどうして貴女が選ばれなかったのか、ご自慢の胸に手を当てて考えてみたら?」
「なっ……?!」
一見大人しそうなミネリが言い返すと、アルマイアは真っ赤になって顔を歪めた。
ミネリも負けてはいない。こんなふうに絡まれるのは、ヴィクターとの交際を始めてからしょっちゅうだった。侍女だったときもよく呼び出され、言いがかりをつけられ女のバトルを繰り返してきた。
「ヴィクター様を誰かと取り合おうなんて思わないわ。私はひたすら彼を見ていたいの。他の人のことなんでどうでもいい」
「フン、そんな悠長なこと言ってるけどね。昨日あの方は、私の気持ちを受け入れてくれたのよ?」
書庫での一幕のことを思い出したのか、アルマイアは自信を取り戻していた。
ヴィクターは告白の返事をしなかったものの、胸にもたれかかったアルマイアをすぐに突き放さなかった。
「ヴィクター様は私の抱擁をすぐに解かなかったの。迷っていたのね!私の魅力に抗えなくて……」
「それは違うわね」
ミネリがビシッと言い放つと、アルマイアが固まったのが分かった。
「な、何よ。何も知らないくせに……」
「いいえ。昨日の書庫の入り口、吹き込んだ雨で濡れて滑りやすくなっていたの。だから貴女を突き放して、転ばれでもしたら危ないってヴィクター様は思ったのよ」
「貴女、見てたの!?」
「ええ。ちょうど書庫の掃除をしていたもの」
「はあ!?何それ!」
アルマイアの大きな目が限界まで見開かれた。目、こぼれ落ちない?とミネリが見当違いなことを考えるほどに。
「第一、アルマイアさんが寄りかかった時のヴィクター様の表情……。キッチンに出てきたゴキブリを退治したときと同じものだったわ。限りなく無表情になって……それから一瞬殺気を発するの。最後に仕留めるときにね。
……貴女も仕留められる寸前だったんじゃない?」
「っ、な……!!」
「いつも彼を見ているもの。何を考えているのかだいたい分かるわ」
ミネリの言いように、アルマイアは恥辱のあまり激昂し、肩を突き飛ばしてきた。
「きゃっ!?」
「あなた、ヴィクター様を監視でもしてるの?気持ち悪い。言いつけてやるから!」
「それは……他から見たら、そう見えるかも知れないわ。でもアルマイアさんが言わなくても、夫には私から言う。きちんと謝って話をするつもりなの」
ミネリはヴィクターの気持ちを疑ってはいない。だがあのとき、ヴィクターは振り解いたアルマイアが怪我をしないようにと、すぐに彼女を遠ざけることをしなかった。彼の優しいところを尊敬しているものの、他の女の人にそれが向けられるのは嫌だと感じた。
そんな気持ちになるなら、夫を観察するのは辞めたほうがいい。
ミネリは黙って掃除メイドをしていたことも打ち明け、ヴィクターに謝ろうと思っていた。
「どうせ軽蔑されて嫌われるわよ!」
「そんなことはあり得ない」
地を這うような低い声が響き、ミネリとアルマイアが振り返る。そこにはふたりの良く知る男の姿があった。
「ヴィクター様!」
「どういうことだ?コーリー。仕事に戻って来ないから探しに来てみれば……。何故ミネリと一緒にいる?」
「……ごめんなさい」
ミネリは先に切り出した。
「ヴィクター様に内緒で……再雇用してもらって、この3ヶ月掃除メイドとして働いてたの。理由があって……」
「奥様はここで働きながら、ヴィクター様をずっと監視していたんです!!こんな振る舞い許されないわ!」
「監視じゃ無いわよ。でも、ヴィクター様をずっと見ていたのは本当……ごめんなさい」
大げさに振る舞うアルマイアの横を素通りし、ヴィクターはミネリの前で立ち止まった。首を垂れるミネリの肩に、ヴィクターはそっと手を置いた。
「何故謝るんだ?ミネリに気にしてもらえて、僕は嬉しく思うのに」
「え?」
「ミネリがここで働いていたのは知っていたよ。マイルスから聞いていた。また王宮で働きたかったんだろう?
夫婦で同じ場所で働くのは、色々気を使うのかと思って……あえて知らないふりをしてたんだ」
自分の目の届かないところでミネリが働くのも不安だしね、とヴィクターは付け加えた。
「知っていたのね……ヴィクター様」
「君は嘘をつくのが下手だから。マイルスもそう思って私に教えてくれたんだろう」
ミネリは一枚上手だった兄の、「しょうがないな、お前は」と自分を見るまなざしを思い出す。
「ミネリの希望はなるべく叶えてあげたいと思う。でも、できるなら、僕には隠し事はせずにいてほしいかな」
「ええ……わかったわ。黙っていて本当にごめんなさい」
肩にあるヴィクターの手が、すべりおりてミネリのものと繋がれた。そんな2人をアルマイアは呆気に取られながら見ていた。
「何なのよ……こんな茶番見させられて」
「ああ。それからコーリー、君の評価はこのままだとDランクだ。うちの部署では面倒を見られない」
「えっ?!」
「君は仕事はできなくはないが……私語は多いし、何度言っても男性文官たちに言い寄るのをやめないだろう。規律が乱れて職務に影響が出ている」
「そんな!私はただ、皆さんと仲良くなりたくて……」
「ここは仕事をする場所だ。仲良しごっこがしたいなら別でやるといい」
ヴィクターはアルマイアをはっきりと拒絶した。
アルマイアはヴィクターのかつての上司の娘らしい。頼まれて結婚式にも渋々呼んだし、指導係にもなったが、奔放な彼女をかなり持て余していたようだ。
上司も退職し、受けた恩は十分返しただろうとヴィクターは判断していた。
「先に戻っていろ、コーリー。配属先が正式に決まるまでは、引き続き真面目に勤めるように」
「……っ!」
アルマイアは顔を歪め、返事をすることなくヒールを鳴らしてその場を去った。
「ヴィクター様……大丈夫なの?」
「ああ。彼女の処遇はもう決まっているからね。それよりミネリ……僕も気になっていることがある」
「えっ?何かしら」
「あの見回りの騎士とは……どういう関係なのかな?」
笑っているのに、何故かまた、ヴィクターから冷気が発せられている気がした。
見回りの騎士……?ミネリはすぐにピンと来なかったが、どうやらトリスタンのことを言っているようだ。
「どういう関係も何も、腐れ縁の幼馴染ですよ?」
「ずいぶん仲が良さそうだったが?まさかとは思うけど、その彼と会いたいから、王宮に勤め始めたなんてことは……」
「待って!なんだかとんでもない誤解が生まれてません!?」
ヴィクターは、トリスタンのウザ絡みに合うミネリを見て、2人が道ならぬ関係にあるのではと思ったらしい。ミネリはぶんぶんと首を振って叫んだ。
「ありえないです!あんな脳筋男、今まで一度もそんな目で見たことない!」
「そうか?でも彼にとっては違うかも……」
「いや、そもそもトリスタンは同棲してる彼女もいて……」
「へえ。名前で呼んでいるのか」
どんどん暗くなるヴィクターの目に、ミネリは本能的に「やばい!」と感じた。が、時はすでに遅し。
その後は各自仕事に戻るも、帰宅したあとのヴィクターの目はやはり同じようにすわっていた。そして夜、ベッドの中でミネリは、これでもかと夫の愛の重さを知ることになった。
ヴィクターに翻弄され、クチャクチャになったミネリは、墓まで持っていく予定だった「ヴィクター様観察ノート」を持ち出した。そして王宮メイドになった真のわけを告白する羽目になった。
「ミネリがこんなにも、僕のことを想っていてくれたなんて……!よく見ていてくれたんだね。だいたい合ってるよ!」
「良かった……です……」
ノートを見たヴィクターからは、思いもよらないセリフが飛び出した。ミネリは羞恥やその他もろもろで死にそうになっていたけれど……。
ミネリもまたヴィクターのことを少し誤解していた。ふたりが相手に向ける愛は、お互いに違う方向で重かったというわけだ。
「ミネリ、行こうか」
「はい、ヴィクター様!」
こうして仲良しの夫婦が朝、一緒に出勤する光景が見られるようになった。ミネリは相変わらず仕事を抜けてヴィクターを観察しに行っているようだが、前と違うのは、たまにヴィクターに気づかれてしまうこと。
ミネリを見つけたときのヴィクターの微笑みが、新たにミネリを彼の虜にすることは想像に難くないことだった。
✿ ✿ ✿
マイルスは妹のミネリとヴィクターが、イチャつきながら出勤するさまを見させられ、「やっぱりな……」と呟いた。ミネリは絶対に隠し通せないと思ったし、ヴィクターもミネリに執着されると逆に喜びそうだったからだ。
ミネリが忘れ物の書類を届けに来たあの日、席を外していた自分の代わりに対応したヴィクターが、仕事のあとでマイルスに近寄ってきた。
『なあ、マイルス。妹さんのことなんだが……誰か決まった相手がいるのか?』
『は?どうしたいきなり』
『さっき書類を預かったときに会話したんだけど……。ちょっと気になって』
『えっ、お前が女に興味を持つことあるのか?しかもミネリに!?』
ヴィクターは割とモテる奴だったが、あまり女性に興味はないようで、秋波を送られても相手にしていない印象があった。だから一度会っただけの妹に関心を持つのが意外だった。
家に帰ると、当時侍女をしていたミネリからも「ヴィクター様との仲を取り持って!」と懇願された。
ミネリが一方的にヴィクターに思いを寄せるなら、協力しないつもりだった。ヴィクターのほうが明らかに高値の花だ。だが2人はお互い、一目会っただけでなぜかピンときてしまったらしい。
「あいつらは本当、似た者夫婦だよ……」
結婚後、ヴィクターにミネリが王宮の掃除メイドになると伝えたときも、ヴィクターはただ「ふうん」と頷くだけだった。
『良いんじゃないか?ミネリは知人の商会の手伝いをしたいと言っていたけれど……そこには他の男もいるだろうからな。僕の目が届かなくなるのは嫌だ。王宮なら君もいるし、安全だ』
ナチュラルに重い発言だったが、「ヴィクターに内緒で働く」という部分は特に気になっていないようだ。この夫婦の考えていることはよく分からないが、まあ仲良くやっているなら良いだろう。
「あの分だと、ミネリの来年の契約更新は無いな」
マイルスの予想どおり、ミネリはまもなく第一子を授かり、満面の笑みで掃除メイドの任期を勤め終えたのだった。
読んでくださってありがとうございました!




