かくして、第四太子の教育係は
「あっはははは! あれだけ嫌がってたのに、四殿下の教育係を続けたいだなんて、どういう心境の変化かしら」
後宮に戻った小琳は、さっそく尚宮局を訪ねた。
そして案の定、笑われた。
「二日の休暇は、お前の何かを変えたようね。正直、お前を女史長から外すのは惜しいんだけど」
「耳が良いからですか?」
「それもあるけど、お前はなんだかんだ言って、いつも教え子達の幸せを最優先に考えてくれていたから」
そういう風に見てくれていたとは。先代女史長に褒められるのは、ちょっと嬉しい。
「呆子殿下なんて呼ばれてるけど、他の女史じゃ駄目なのかしら」
「多分……無理でしょうね」
きっと、他の女史では、彼の口八丁手八丁に巻かれてしまうだろう。何年も周囲を欺いてきた彼を、年相応の青年と思わないほうが良い。
「呆子殿下なんて呼ばれていますが、伸びしろは計り知れない方ですので。できれば自分で最後まで面倒を見たいといいますか」
「ほう、随分と成嵐のことを理解しているような口ぶりだな」
いきなり割り込んできた第三者の声に、小琳は声のした方――部屋の入り口を勢いよく振り返った。
「へ、陛下!?」
小琳は、崩れ落ちるように跪いて、床に額ずいた。
なぜ、彼がここにいるのだろうか。
皇帝が后妃の宮ではなく、女官しかいない尚宮局になぜ。
「顔を上げよ」
正面から声が聞こえ、小琳は短く返事をして顔を上げた。先程まで周尚宮が座っていた場所に皇帝が鎮座しており、周尚宮はというと、小琳の斜め前で、小琳と同じように床に手をついて皇帝に顔を向けている。
十数年後宮にいるが、この近さで皇帝にまみえたのは、はじめてだ。
齢五十もそろそろと聞いていたが、初老というには全身にみなぎっている覇気は、まったく陰りがない。皮弁冠の下から見える髪には白い筋が見え、髭が生えた口元にも相応の皺があるというのに、老いという言葉とは無縁の人のように思えた。
意思の強そうな黒い瞳にキリリとした眉は、どちらかというと成嵐よりも祥江を彷彿とさせる。
「成嵐の師としてついたのは、その方か」
珍獣でも見るように、まじまじと小琳を観察していた皇帝が口を開いた。
「小琳と申します。内文学館で女史長の任を預かっております」
「耳が良く、三十ながら、既に七年も女史長を務めてもらっております。四殿下は自由を愛される方と耳にしておりましたので、世の酸いも甘いも知った経験者がよろしいかと思いまして、彼女を付けさせていただきました」
小琳の自己紹介に、周尚宮が説明を足す。
「ははっ! 周尚宮は、我が子を実に良いように言ってくれる。素直に問題児と言ってくれて構わんよ。実際、私もあの息子にはまだ手を焼いておるのだから」
現皇帝の国政手腕について、漏れ聞こえてくる噂は悪くはない。かといって、民が諸手を挙げて喜ぶほどというわけでもない。大きな偉功もなければ大きな愚策もない。歴史に名を強く残すことはないが、国を存続させるために必要不可欠な王であると、小琳は思っている。
彼が帝位に就く以前の時代が、長い混迷を極めていたことを考えると、『落ち着いた』と言えるほどまで国も後宮も回復させたのだから、間違いなく賢王ではあろう。
そんな彼が、もう成人した息子――成嵐にはまだ手を焼いていると言う。
「あやつが本当にただの呆子なのか、それとも、呆子のふりをしているだけなのか、未だに掴めぬ。幼い頃は利発であったが、白蓉が亡くなってからは会うことも、言葉を交わすことも減ったからな……どのように成長したのか、父親の私でもわからぬ」
そこで、小琳は「あ」と気付いた。
「もしかして、四殿下に教育係をと命じられたのは、陛下でしょうか」
思い出せば、周尚宮は最初から『内侍省経由』としか言っていなかった。てっきり、慈于が依頼したからと思っていたのだが、それならば周尚宮は『先方の注文』などと、もってまわった言い方はしなかっただろう。
「いかにも。内侍省を訪ねた時、長官がちょうど成嵐の師をどうするかという話をしいてな、面白そうだった故、周尚宮に私からも頼んだのだよ」
当時の、周尚宮からのあまりにも唐突な命令に、納得がいった。
どうりで自分に拒否権が一切なかったはずだ。
「やることなすこと、呆子と言えることばかりだったが……どうも確信が持てなかった。あやつだけ、まだどこにも所属させておらぬ。太子達の所属先は私が命じるのだが、柳史は皇太子として経験を積ますために六部へ、花阡は結婚したゆえ封地を与えた。祥江は、まあわかりやすく武断主義だから、十六衛に入れた。しかし、成嵐だけは適所がなかった。どこにでも合うようで、どこにも合わぬ。執務についても、中庸は守るがそれ以上も以下もない」
そういえば、成嵐の仕事は河周尹のようなことだと言っていたが、獣の不審死の時は、別口からだと言っていた。
確かに、はっきりとした所属があるようではなかった。
「小女史、奴は鷹か鳶か……どっちとみる」
(英傑か凡人か、か……)
小琳は、軽く頭を下げて答える。
「今はまだなんとも……長い間、鳶の皮を被られていましたので」
「つまり、あやつの本質は鷹と?」
「鷹かもしれませんし、その他の何かかもしれません。それこそ雀の可能性もあります」
正面から、吹き出すような笑声が聞こえた。
「ははっ、雀か! 雀が鳶の皮を被っていたのだとしたら、それはそれで器用ではあるな」
皇帝は膝を叩いて、楽しそうに腹を抱えていた。
「陛下、ご安心ください。小女史は、教え子の良きところを見つけ育てることに優れております。その彼女が先程、まだ教育係を続けたいと申し出ましたので、四殿下の本質が白日の下にさらされるのも時間の問題かと」
相変わらず、周尚宮は人を動かすのが上手い。
褒めつつも、しっかりと『やれよ』と圧をかけてきている。
皇帝に言うということは、成嵐の教育係の期間延長を認められたということなのだろうが、同時にダラダラせず、さっさと成果も出せよと言われているも同じだった。
逃げ道を完封されている。
皇帝が、膝を押して立ち上がった。部屋から出て行こうとする皇帝の背に、気がついたら小琳は「あのっ」と声をかけていた。
皇帝が肩口から顔だけで振り向く。
「その……もし、四殿下や他の太子殿下が皇太子になりたいと……その……あ、争われることになったら、やはり陛下は……」
他の太子達を廃嫡するのだろうか。
『廃嫡』などという不吉な言葉を口にできずに、小琳は視線を俯けたが、皇帝はわかったように目を細め言った。
「鋼は叩いてこそ強くなるものよ」
パタン、と扉が閉まった後も小琳はしばらくの間、瞬きを忘れていた。
この時を以て、小琳の肩書きは、内文学館女史長から第四太子の教育係となった。
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