呆子殿下の覚悟
「ああ、好きだね。まあ、一緒に育ってもいないお前は、俺の好みなんて知らないだろうがな」
「それもそうですね。ああ、そうそう。以前話しました、薬草が盗まれた翌日、兄上の宮の内侍官が薬草を燃やしていた……という話ですが。覚えておいででしょうか」
「さあ? そんな話があったかな」
「まあ、覚えていようがいまいがどちらでも良いのですが。その時、薬草を燃やしていた内侍官の正体がわかったので、お知らせしようかと」
「興味ないな」
「まあまあ、そんなこと言わず」
へらりと成嵐は人好きのしそうな笑みを浮かべる。
「立越でしたよ。薬草を燃やしていたのは」
「……何が言いたい」
気付けば、二人の相手を見る様は、話しはじめた当初と逆になっていた。
顎を上げて見下げるように成嵐を見ていた祥江は、今は顎を引き、睨むように成嵐を見上げ、反対に腰が低そうに見上げていた成嵐は、今は祥江の反応を窺うように首を反らせ、笑んでいる。
「いえいえ、言いたいことなど特には。ただ、事実をお伝えしているまでですよ。そういえば、兄上。夜の皇都で兄上を見たという者がいたのですが、何をなさっていたのでしょうか」
「……見回りだ」
「おかしいですね。以前兄上は、衛が違うから自分は皇都の巡邏などしない……と仰っていたはずですが」
はじめて祥江が、唇を噛んだ。
明らかな、強い嫌悪だ。
「お前、本当に成嵐か……っ。拘禁されてる間に頭でも打ったか」
彼がそう思うのも無理はないだろう。
とても呆子殿下と呼ばれる者の話術ではない。少しずつ包囲を縮めて、見えない位置から足に縄を絡めるようなやり口は、智者の手管だ。
「立越が飲んだ毒と、柳史兄上に使われた毒は同じものでした。烏頭と河豚毒の混合毒です。きっと利発な兄上なら、もうお気づきでしょうが、盗まれた薬草には烏頭も含まれており、河豚も最近よく皇宮へと運び込まれていましたよね」
「なるほど。お前は薬草の窃盗も獣の不審死も、立越が原因だって言いたいのか。奴が、その二つを使って毒を作ったのだと」
成嵐は是と言うことも頷くこともせず、変わらずに薄い笑みを描き続けている。
あまりにも表情が変わらないもので、薄気味悪さすらある。
「そして、その背後に俺がいると……。俺が立越に柳史兄上を毒殺させるために、すべて命じていたとお前は言いたいんだな?」
ぐぐっと祥江の眉間が縮んだ、次の瞬間、祥江は天を仰ぐようにして哄笑した。
獰猛な獣を彷彿とさせる彼の野太い声は、木々すらも揺らしていると錯覚するほどに辺り一帯に圧を放っていた。
まるで、先程まで漂っていた成嵐に気後れした空気を払うように、祥江は笑い続けた。
「まったく……突飛な推理をしたもんだ。俺は無関係だよ。お前がそう思うんだったら、こうやって俺を待ち伏せせずに、直接御史台に言ったらどうだ? ん?」
それができないとわかっていて挑発しているのだから、やはり祥江の性格はよろしいとは言えない。
間違いなく御史台は、今回の件で祥江にも聞き取りを行っている。
彼の宮に勤める内侍官が犯人だったのだ。確認にせよ嫌疑にせよ、主人である祥江にも話はいくはずだ。それで、こうして変わらずにこの場にいるということは、そういうことなのだ。
証拠など何もない。
唯一の証人は喋る前に服毒して、口なしとなっているのだから。
「誰の入れ知恵かは知らんが、お前は……馬鹿はこの世界で生き残れねえよ。今回は運が良かっただけだ」
ふぅと成嵐は息を吐く。
「そんな意地悪なこと言わないでくださいよ。別に、俺は兄上を御史台に突き出すつもりなんてないんですから……今は」
ひくっ、と祥江の目の下が痙攣した。
二人の間に流れていた空気が、皮膚を刺すほどの棘々しさを帯びる。
しばし、視線を交わし合うだけの時間が過ぎる。
そして、張り詰めた空気から、先に背を向けたのは祥江だった。
その背に、成嵐が声を掛けた。
「兄上、菊宴の時の悪戯は……兄上ですか」
やや間があって、「なんのことだ」と、不機嫌そうな声が返ってくる。
成嵐は「なんでもありません」と首を横に振った。
「成嵐、こちらに関わろうとするな。今まで通り、大人しく太子園の隅で鼠のように隠れていれば、目こぼしくらいは考えてやる」
真っ赤な袍を翻し、祥江は脅しともとれる言葉を言い置いて、西山宮へと姿を消した。
「四殿下」
小琳は鬱蒼とした木々の後ろから顔を出し、まだ西山宮を眺めている成嵐の背に声をかけた。
祥江は気付いていなかったようだが、小琳は最初から二人の会話をすべて聞いていた。彼の髪を結い終わった後、「聞いていてほしい」と言われ、木の陰で隠れて待っているように命じられた。
最初は何を聞いておけば良いのかわからなかったが、すべてを聞けば、これが彼の兄に対する宣戦布告なのだと理解した。
振り向いた成嵐が、手招きをしていた。
小琳は足元の木々を跨いで、小走りで彼に駆け寄る。
「予想通りといえばそうなんですが、やはり三殿下は認められませんでしたね」
「元々、あの人が素直に認めるとは思ってないからな」
祥江の言動は半ば認めていたようなものだったが、証拠がないことの一点で、ああも堂々と否定できるのは、さすがは太子といったところだろう。
「あのような態度をとってしまえば、四殿下はもう馬鹿でいることは許されませんよ」
少なくとも祥江は、今後、成嵐のことをを、呆子殿下などと見てくれないだろう。
「だろうね。少なくとも祥江兄上は警戒してくるし、ちょっかいも増えるだろうさ」
そのちょっかいの範囲に、毒殺というのも入っているから、怖いのだ。皇太子相手に平然と毒を使い、弟を犯人に仕立てようとするなど、普通の兄が考えることではない。




