お久しぶりです
何か思うことでもあるのか、視線は交わっているが何を口にするでもなく、まじまじと見られているだけだ。
「言いたいことがあるのならどうぞ」
「いや……欲しいものを考えてたんけど……」
ああ、そういえばそんな約束をしていた。
酒の不覚で潰れた時、彼に背負ってもらった礼として、自分の給金範囲でならという話だったはずだ。
「す、少しは貯めてるので、高価な物でも……だ、大丈夫……かも、しれません」
語尾が自信なさそうに萎んでいく小琳に、慈于がクスクスと笑みを漏らしていた。
仕方ないだろう。一応、女史長という上級女官で普通の女官よりかはもらっているが、太子と比べるとどんぐりの背比べも一緒だ。
「いや、あんたの懐は痛まないけど……」
「そっ、そうですか!」
思わず安堵に声を明るくしてしまい、慌てて小琳はコホンと咳払いする。
礼なのだから、金の多寡は気にしないのだが、やはり太子が欲しがる物というのは少々怖い。后妃達が衣装に使用している反物にも、一本で屋敷が建つものもあるという話だし。
「まあ、全部終わってから言うよ」
「全部?」
成嵐は結局欲しいものを言うことはなく、おもむろに袍を脱ぎはじめた。胸元がキラキラしていた黒の袍を、慈于に投げて寄越す。やはり気持ち悪かったのだろう。
白い内衣姿になった成嵐から、小琳はそっと視線を外した。
「慈于、新しい袍を持って来い」
「はいはーい」と、慈于は袍を抱えてパタパタと正室出て行く。
「それでは私はここで」と、小琳は西湖宮を去ろうとしたのだが。
「小女史にもお願いしたいことがある」
成嵐に手を掴まれてしまった。
「お願い?」
「俺の髪を結ってくれないか」
「髪……ですか?」
『今更?』と首を傾げつつも、小琳は成嵐の髪に手を伸ばした。
◆
日が傾きはじめていた。
まだ日は空で白く輝いているのに、木々の隙間から射し込む木漏れ日は、角度を深くして、淡い朱色に色づいているように見える。
成嵐は、西山宮の前で彼の戻りを待っていた。
「お久しぶりですね、祥江兄上」
職場である十六衛から帰ってきた祥江を目にするなり、成嵐はにこやかに挨拶をした。
祥江は一瞬驚いたように足を止めたが、すぐにいつもの皮肉交じりの笑みを口元に浮かべる。
「どうやら命拾いしたようだな」
「ええ、危ないところでした」
わざとらしく『何』と言葉にしない言外での会話とは、ここまで寒々しくなるのか。
「髪なんか結って……」
「私の覚悟を伝えるには、格好からと思いましてね」
今まで結ばれることなく下ろされていた髪が、今は上半分だけを綺麗にまとめられ、後頭部で簪で束ねられていた。元より美しかった顔が遠慮無くさらけ出され、相対した者は否が応でも圧倒される。
しかし、「覚悟?」と訝しげな声を上げたあと、すぐに「ハッ」と鼻を鳴らす祥江の様子からは、相手よりも自分のほうが優位に存在するという絶対的な自信と、お前如きがといった嘲弄が透けている。美醜など些事だと言わんばかりだ。
「柳史兄上に毒を盛った犯人は、兄上の内侍官でしたね」
唐突な話題に、ピクッと祥江の立派な眉が微動した。
「……それがどうした。お前と違って、俺には仕える者が多くてな。全員の行動なんか把握してないんだよ。ひとりしか側近がいないお前が羨ましいね」
びゅう、と二人の間を風が疾り抜ける。
「立越って言いましたっけ、例の内侍官。以前、内朝で獣の不審死が相次ぐという、妙な騒ぎがありましてね」
「へえ」
「原因は、太子園食膳処の内侍官が、選り分けた食べられない魚を適当に捨てていたことで、猫や鼠の獣が誤って食べて死んでいたわけですが……この時、捨てられていた魚っていうのが河豚でして。そういえば、兄上は魚料理を随分と所望されていたようですね? 私はそれほど魚料理は好きではないので、正直飽き飽きしていたんですよ。そんなに好きでしたっけ、魚料理……」
見上げるように視線だけで祥江の顔色を眺める成嵐に、彼はふんっと笑う。




