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第四太子の教育係  作者: 巻村 螢
第四章 毒を盛った者をさがせ

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おぞましい世界

 彼が解放されるのはわかっていたが、いつとはわからなかったため、昨日も正湖宮を訪ねて、日が暮れるまで慈于と彼の帰りを待っていたのだ。


 捜査状況や判決など、逐一こちらまでは伝わってこない。皆、それとなく流れてきた噂でしか知りようがなく、昨日、彼が解放されなかった時は、まだ嫌疑が掛かっているのかとハラハラしたものだ。


「お帰りなさいませ、四殿下」


 ちょっと恭し過ぎるかとも思ったが、小琳は彼に拱手を仰いだ。


「顔上げなよ」


 顔を上げれば、目の前まで成嵐がやって来ていた。

 二日前に会いはしたが、再び西湖宮で彼の顔を見ることができて、ほっとしている自分がいた。


「助かったよ、小女史。君のおかげで今俺はここにいる」

「何を仰いますか。むしろ、四殿下が助けてくれなければ、私はこの場にいませんでしたよ。感謝いたします」


 どうやって拘禁の屋敷から抜け出してきたのか、戻ったのかなど謎は山ほどあるが、色々と隠し持っている彼のことだから、また上手く人の目を欺いたのだろう。


「それで、あの犯人の内侍官はどうなりました」


 聞かずとも、死刑に処せられることはわかっていたが、今回の件がしっかりと決着したのだと認識したかった。

 さらっと答えてくれるかと思いきや、しかし、成嵐の顔はキュッと眉間を寄せて険しくなった。


「死んだよ」

「え」

「今朝、牢の中で死んでいるのが確認されたって」

「もしかして……」

「ああ、例の毒薬を飲んだようだ」


 背筋に冷たいものが流れた。

 その毒薬を、自分はあと少しで飲まされるところだったのだから。


 皇太子の柳史が死ななかったのは、本当に運が良かっただけだったとわかる。

 獣でばかり実験していたが故に、人間に効く分量で作られていなかった丸薬が、柳史に使用されたことで、人間にもしっかり効くものになったのだと思うと、立越がやっていた実験のおぞましさがわかる。


「こんな近くに、ただ人を殺すためだけに、日々を過ごしていた人がいたなんて」


 こみ上げる気持ち悪さに、小琳は口を手で押さえて顔を歪めたが、成嵐と慈于は平然とした面持ちをしていた。

 むしろ、彼らの目の奥には、小琳に対する憐れみすら浮かんでいる。

「え」と、小琳が二人の表情に困惑の声を漏らすと、成嵐は嘆息と共に首を横にふった。


「これが皇宮だ。かつて小女史が、老師から命を賭せと言われた世界だよ」


 その一言で、小琳は自分の甘さを理解した。

 今まで自分が置かれていた世界が、どのようなものだったのか。

 彼らがずっと身を置いている世界が、どれほど過酷なものなのか。


 小琳は唇を噛みそうになる自分の頬を、両手で打った。

 パァンッ、と小気味良い音が部屋に響く。

 成嵐と慈于が目を丸くして、小琳の唐突な行動に驚愕していた。


「私は師ですから。知らないものがあって良かった、ということはありませんよ」


 彼らが生きてきた世界を、ただ傍観していた自分が悲嘆すべきではない。

 それは彼らに失礼だ。

 今、身を以て知ることができて良かったと思うべきだ。


「慈于、学士達に小女史の爪の垢を配ってこいよ」

「いや、本当。というか、内侍省で泣いて頼んだ僕に感謝してくださいよ」


 泣いてまで頼んだのかと、当時の彼の限界度合いに同情を禁じ得なかった。


「それで、今後はどうされるのですか、四殿下は。実は、四殿下の教育係を受けた時の話では、『せめて、嘗祭で恥を掻かない程度に』というものだったので、厳密に言えば、私が四殿下の師でいる期間は終わってるんですよね」

「あれ、そんな風になってたんですね。僕は内侍長官に『とにかくなんか負けない人をつけて』って頼んだだけですし」


 負けない人とはなんだろうか。何に勝てというのか。

 というか、それで自分が選ばれたのだとしたら、周尚宮を恨んでしまいそうだ。彼女の中で自分はどう認識されているのか。


「きっと、あまりに抽象的な依頼だったので、内侍長官が気を利かせてくれたのでしょう」


 そうであってほしい。


「なあ、つまり、小女史はもうここには来ないってことか」


 顎に手を沿わせて何やら黙考してた成嵐は、視線を上げるなり小琳に尋ねた。


「まあ、そういうことになりますね。期間限定という話でしたので、私の籍は内文学館に置いたままですし」


 正直、午前に女史長としての仕事をこなして、午後は成嵐の授業というのも中々に大変だった。後宮を出られるのは良い気分転換にはなったが、移動距離が厳しかった。内文学館がまた後宮の奥に位置していることもあり、小琳の宿房から直接太子園に行くよりも遠くなっていたのだ。


「でも、もう四殿下には私は不要かと。実際は、とても頭がきれて腕も立つ方のようですので。私が教えられることも、もうないでしょう」

「本当に、小女史にはお世話になりました……っ! いくら頭を下げても下げたりません。困ったことがあったら言ってくださいね。大したことはできませんが、内侍官としての情報なんかは手に入りますからね!」


 慈于に両手を握られ、ブンブンと振り回すように上下に揺すられる。


(そうか。もうここに来る必要がないなら、これがお別れになるんだ)


 同じ内朝にあっても、太子園など特別な用事がなければ立ち入ることもないし。

 感極まったのか、目尻に涙を浮かべた慈于の顔を見たら、これで最後かと少々惜しい気になってくる。

 しかし、教え子の卒業とは、いつもこのようなものだったはずだ。

 今回は色々と濃すぎただけで、一時的に感傷的になっているだけに過ぎない。

 小琳は、慈于に腕をブンブン振られながら、成嵐へと視線を戻す。


「それよりも、四殿下は、これからも馬鹿のふりをなさるんですか」


 彼は片眉を上げて、「んー」と悩ましげな声を漏らす。


「せっかく長生きするために呆子殿下なんて言われてきたのに、馬鹿でも殺されるんじゃ、理不尽の極地だろ」

「それはそうですね」


 毒が盛られたのは柳史だが、その犯人に仕立て上げられたのでは、殺されるも同じだ。


「……ん? なんでしょうか」


 不意に、彼がジッと自分を眺めていることに気付いた。




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