あちら側
「ちょっと、とある内侍官が隠し持っておりまして……」
言葉を濁したものの、峨楽も薄々とは気付いているのだろう。
所持していたのが内侍官だとしても、裏で糸を引いていたのがどういった者なのかは。
監査機関の御史台といえど、やはり踏み込みづらい領域というものがある。皇族や上級妃嬪など、後ろ盾に太い権力を持つ者達相手になると、途端に動きが鈍くなると聞く。
「はぁ……まあ、こうして無事みたいだから良かったものの、次からは自分の立場をわきまえなよね。君は女史長であって、あっち側じゃないんだから」
(あっち側……)
彼が何を指して言っているのか、理解できない小琳ではない。
峨楽は、彼や自分が皇宮では数少ない、権力とは関わらずにいれる側だと言っているのだ。誰に媚びを売らずとも、どこの派閥に属せずとも、小琳は女史長として生きていける。それは、薬師長である峨楽も同じだ。
反対に、あちら側――后妃や侍女、皇族や内侍官、そして外朝の官吏達――は、潮目を読み損なえば、あっという間に波に飲まれて深い海底へと引きずりこまれる。
そこに成嵐も慈于も立っている。
「…………」
誰よりも不確かな足場の上に、たった二人だけで、ずっと。
俯き、押し黙ってしまった小琳に横目を向けた峨楽は、ふぅと鼻から息を吐く。
「君子危うきに?」
「ち、近寄らず……」
なんだろうか。すでに薬処には入っているのだから、例の問答をする必要はないだろうに、と思っていたら。
「そう。だから私は馬鹿が嫌いなんだよ。命を大切にしろってんだ」
ふん、と鼻を鳴らして、峨楽は乱暴に丸椅子に座った。
足も腕も組んで歯ぎしりをする姿からは、心底嫌いだという気持ちがハッキリと伝わってくる。
「あ、ああ……なるほど。私はてっきり、単純に学のない馬鹿が嫌いなものだと……」
「もちろん、その馬鹿も嫌いだよ」
「そ、そうですか」
この皇宮で、彼が好意を抱ける者は、はたして存在するのだろうか。
しかし、小琳にも彼の考え方は理解できた。
「私も、この歳になってあちら側に関わるなんて、思ってもみませんでしたよ」
命を大切にしてほしい。投げやりにしてほしくない。とは、常々教え子達に対して、小琳も抱いていた想いだ。
女官でも、妃付きの侍女に昇格すれば、主人である后妃の意思に添わねばならず、自ずと派閥に組み込まれ権力闘争に巻き込まれていく。そして、その后妃達も、最初から命掛けの権力闘争など望んでいないのに。
ただ、教え子達に幸せになってほしいと思いつつも、小琳はいつも一線を引いてきた。積極的に関わってこなかったとも言える。自分は学び教えるのが役目で、国政や権力などに関わりたいなどと思ったことなどなかった。
『自分には関係ない世界だ』――そう思いながら、冷めた目で傍観していたのだと思う。
(でも……)
自嘲にも似た笑みが、小琳の口角を僅かに揺らした。
「お前も命を大切にしろ……馬鹿たれが」
納得していない疑りに目を細めた峨楽が、釘を刺すように言ってきた。いや、刺すようにではなく、刺したのだろう。
あちらに関わるなと。
小琳は肩をすくめ、頷いた。
「ええ、善処しますよ」
しかし、そう答えておいて、きっともう傍観しているだけではいられないのだろうなと、自分でこの約束が破られることはわかっていた。
◆
成嵐が拘禁されている屋敷に、取り調べに来た御史が放った第一声は、後の語り草になった。
「いや、誰!?」




