別人かな?
何事だと小琳は頭を上げて転げた立越を見やれば、彼の肩に剣が突き立っているではないか。月明かりにギラリと刃が鈍色に光るそれは、紛うことなき剣で、苦しそうに肩口を押さえる立越の手には、ぬるぬるとした赤黒いものが滴っている。
何が起きたのかと呆然とする小琳だったが、背後から掛けられた声で我に返った。
「ったく、危ないことするなって言っただろ」
次の瞬間、小琳の身体はふわりと浮いて、しっかりと足から地上に着地する。
「――し、四殿下!」
振り返った小琳は、そこにあった顔を見て目を丸くした。
なぜ彼がここに。
彼は門兵が見張る屋敷で拘禁されていて、やすやすと出てこられないはずなのだが。
「え、幽霊ですか? もしかして、間に合わずもう死んじゃいました?」
「そこは普通涙目で、『四殿下……っ』って、感動に抱きつくところじゃないの?」
「別人の説が出てきましたね」
第四太子とは、こんなことを言う人間だっただろうか。
いやしかし、国宝級の美男子もそうそういまい。
ということは、目の前の彼は本人ということになる。
「……脱走しましたね?」
「助けに来たって言ってほしいねえ」
よく脱走する太子だ。どうやって脱走したのかはわからないが、既に彼の本当の姿を知っている小琳には、彼ならば上手くやるだろうという謎の信頼があった。
それにしても、彼が来てくれて助かった。
「ありがとうございます、四殿下。さすがにあの毒を飲まされていたら、死んでいました」
おそらく、というか立越の発言からも、彼が使おうとした毒は、柳史に使用された毒と同じものだろう。
烏頭にも河豚毒にも解毒薬は存在しない。対処療法しかなく、そこで肩の痛みに地面を転がっている男はきっと、その対処すらさせないように小琳を拘束し続けたに違いない。
小琳が立越を目線で示すと、成嵐は立越に近付いた。
そして、なんの躊躇もなく肩に刺さっていた剣を抜いた。
「ウ゛アッ!」と、また立越の肩から、少々の血飛沫と汚い悲鳴が上がる。しかし、成嵐は立越の悲鳴など意にも介さず、無遠慮に立越の懐を漁った。
小琳が見た小さな包みが数個出てくる。
予備を作っていたということは、まだこの毒を使って誰かを害しようとしていたのだろう。なんとも物騒な。
小琳は、一応峨楽に丸薬の正体を確かめてもらうと言い、成嵐からひとつだけ包みを受け取った。成嵐は、立越の衣装の袖を破き、血の滲む肩口に巻き付けて縛っていた。
その様子を、小琳は『あーあ、もうその官服は使えないな』などと思いながら眺める。しかし、彼が新たな官服に袖を通すことは二度とないし、破れようが怒る者もいまい。
「さて、あまりここでバタバタ騒がしくしてたら、祥江兄上が起きてくるだろうし……」
立越の身体が『祥江兄上』という言葉を聞いた時、わかりやすく強張った。
「今は何も喋らなくていい。俺と一緒にいる間は、身の安全を保証してやる」
すっかり月と同じ青白い顔色になった立越は、焦点の定まらぬ目で力なく頷いていた。
◆
翌日、小琳は朝一番に峨楽のところへと向かった。
立越が盛っていた丸薬が、おそらく烏頭と河豚毒を混ぜたものであることや、皇太子に使われた毒だということを伝えれば、過去一番の盛大なため息を吐かれた。
「これだから馬鹿は嫌いなんだよ! 絶対これ、自分で作ったやつじゃないよね!? 絶対危ないことして手に入れたやつじゃん! いくら呆子殿下なんて言われてても第四太子だよ!? 御史台の捜査が入るに決まってるじゃん!」
峨楽は『わかれよ!』とばかりに両手を広げて、小琳に盛大な演説のごとく説教をしていた。これには小琳も、危ないことをやったという自覚があるため、強く言い返すことができない。
御史台とは、官吏を監視して不正を取り締まる、調査・逮捕権を持った国の監察機関である。民間の問題事は刑部の所管だが、官吏に関してはこの御史台がすべてを担う。
「いえ、御史台が入るのはわかっていたのですが、その、しっかりと捜査をしてくれるのか心配だったもので……」
「わかるよ!? その気持ちすっごいわかるけどね!? でも、だってこれ……!」
峨楽はそこで言葉を句切ると丸薬を見つめ、チッと隠す気のない舌打ちをした。
「……これ、どこで手に入れたの?」
ジロリと怒り交じりの猜疑の目を向けられる。




