二人の息子と二人の貴妃
「なるほど。その女官は、お前が連れ込んで遊んでいる女だったか」
理解しがたい言葉が聞こえ、思わず祥江を凝視してしまった。既に彼の視線は成嵐へと向いており、目が合うことはなかったが、揶揄が多分に含まれた顔だというのは見てとれる。
「いえ、そういった者ではなく――」と成嵐も否定していたが、『お前の言葉など聞く気はない』とばかりに、祥江は首を横に振る。
「いい、いい、隠すな隠すな。女官とは、なんともお前にはお似合いの相手じゃないか」
陽気に声を弾ませ、祥江は成嵐の肩を叩いていた。
大きく肉厚な手が、成嵐の肩で跳ねるたび、重量感のある音が聞こえる。
このひと言で、なぜ成嵐が祥江に会いたがらないのかよくわかった。
息を吐くように成嵐への侮蔑を口にする祥江は、きっと昔から彼にそのような言葉を浴びせてきたのだろう。祥江は『嫌なことを言ってやろう』といった気負いなど見られず、あまりにも自然と成嵐を見下していた。
彼らの母親の関係から、二人の仲は良くないだろうなとは思っていたが、まさかここまでとは……。
祥江の母親は玄桂花という現貴妃であるが、小琳が後宮に入った頃、彼女はまだ四夫人よりもずっと低い二十七世婦のひとつである婕妤という位にいた。
妃嬪ではあるが、四夫人と比べると、間には大河ほどの大きな隔たりがある。
その当時、貴妃位には劉白蓉という者がついていた。
彼女こそ、成嵐の生母である。
玄桂花は第三太子を生んだものの、九嬪や四夫人への昇位はなされなかった。理由としては、子を産んでいない四夫人もいたものの、玄桂花の家格が彼女達に比べさほど高くなく、またすでに皇后が第一太子を産んでいたからだ。
玄桂花が産んだのが第一太子であればまた違ったかもしれないが、三人目の男児となると、おめでたいことではあるがそこまで重要視もされなかった。
周尚宮が言うには、玄桂花はよく、子を産めなかった上級妃嬪達に噛みついていたようだ。それが元で、中々の喧嘩に発展することもあったのだとか。
それから月日は流れ、成嵐の母親である劉白蓉が亡くなった。
貴妃位が空いたのだ。
ここぞとばかりに、玄桂花は空いた位には自分が相応しいと、後宮で声高に叫んだ。
当然、彼女は皇帝にもことあるごとに言い募っていた、という話も聞いている。
その流れであれば確かに、十日の服喪が開ければ、空いた位に第三太子を産んだ玄桂花がつく、と考えられるだろう。
しかし、そうはならなかった。
劉白蓉は貴妃であると同時に皇帝の寵妃でもあり、彼女が亡くなった後、皇帝は自らに一年の服喪を課した。これは異例の長さであった。通常、皇帝崩御の服喪ですら三十六日と、ひと月そこらだというのに。
これにより皆が、皇帝がいかに劉白蓉を愛していたか、広く知ることとなった。
そうして貴妃の喪が明け、皇帝の心や後宮内が落ち着いた三年後、ようやく玄桂花が貴妃となった。
それからは、貴妃と言えば、玄貴妃のことを指すようになった。
母親がいた場所に別の者が座り、かつて母が呼ばれていた名で呼ばれているというのは、息子としても複雑なものだろう。
また、服喪期間が長く、中々母親が貴妃位につけなかったこともあって、その間好奇の目にさらされ続けた息子というのも、思うところがあるのかもしれない。
二人の関係は、単純な好悪では説明しづらいものがあり、部外者である小琳が二人の間に口を挟むのははばかられた。
「そうだ、成嵐。久々にこうして顔を合わせたんだから、手合わせしよう」




