なりたい人
そして、小琳のこの聞いたら覚えるという特技は、学ぶことと相性が良かった。必然的に小琳はどんどんと学を求めるようになった。
ただ、女に対して学という門戸は開かれていなかった。
かつて暮らしていた北の街に、隠居した老人が暇つぶしにと開いた私塾のような場はあったが、学問を修めるようなものではなかった。
多少の読み書きと、老人が知っている詩や論語を語り聞くだけの場だった。
当時、同じ年の男の子も同じ私塾に通っていたが、後に学び足りないと国子監へと入学してしまった。国子監は、各主要都市に置かれた、国が運営する教育機関である。科挙を受ける者の多くが、ここで学んだ者だという。それほどに教育水準が高い機関だ。
しかし、女の小琳は国子監に入ることはできなかった。
小琳は、時折皇都からやって来る古書売りの商人から書物を買い、自分で勉強した。
擦り切れた古書をひとり読みふけった。
しかし、ほとんど基礎すら穴だらけで培われていない者の独学というのは、無謀と同義だった。読みを教えてくれる者はいても、その意味までとなると難しかった。
父親は花楼を経営していたが、学び豊かな人というわけではなかった。
もちろん、花楼の妓女達の中には頭がきれる者もいたが、それは小琳が必要とする知識とは別物だった。
小琳は、時折花楼に来る身なりの良い客を引き留めては、書の意味を問うた。
しかし、やはり満足いく答えが返ってきたことはなかった。
北では大きな街だったが、皇都とは違い学のある客は少なかった。街で一番の博識といえる者も、官庁の役人くらいだ。
耳が良いことを褒められることはあった。
ただ、それはただの一芸のようなもので、花楼で座敷の余興として喜ばれる程度だった。
小琳自身も、大して役に立たないと思っていた。
学ぶには片手落ちだし、一度聞いてしまえば、忘れたいことでも忘れられない。役に立つと思ったことなど、帳面を持たずにおつかいに行けた時くらいだ。
ずっと、小琳には解消されないわだかまりがあった。
そのモヤモヤを抱えたまま十七になろうとしていたある日、店に皇都から来た客がいると聞きつけ、小琳は部屋を訪ねた。
部屋にいたのは老人で、彼は皇都でしばらく師のようなことをしていたと言い、自らを『老師』だと名乗った。今は隠居したが故に、各地を放浪している最中だと言った。
老師はなんでも知っていた。
「私は彼を三日も花楼に引き留めて、毎日部屋に通いました。花楼に数日泊まる客というのも、珍しくはありませんしね。四殿下は、そういったことについてお詳しいと思いますが」
顔を見上げると、彼は意表を突かれたのか一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに「そうだな」と、今度はとぼけた様子で肩をすくめていた。
花街で遊んでいるという噂を、否定する気はないらしい。
「生まれてはじめて、私は『師』というもののありがたさを知りました」
私塾の老人とはまったく違った。
尋ねれば、正鵠を射た答えが淀みなく返ってくる。読み違えば、その場ですぐに正してもらえる。悩んでいれば、糸口に繋がるきっかけをそっと示してもらえた。
老師は、小琳の毒にも薬にもならないと思っていた特技を褒めた。『きっと誰よりも師に向いている』とまで言ってくれた。
純粋に嬉しかった。
ただの見世物でしかなかったものを、役に立つと言ってくれたのだ。
『自分も老師みたいになりたい』――その者が持つ、輝ける部分を引き出せるような人間になりたいと思った。




