第九話 成田満
真昼が帰ったあとの家は、急に静かになった。
玄関のドアが閉まる音。
それだけで、空気が切り替わる。
「……ふぅ」
俺は制服のまま椅子に座り、天井を見上げた。
キッチンから、包丁の音が聞こえる。
味噌汁の匂い。
焼き魚の匂い。
今日は焼き鮭かな?
「旭、ご飯できてるよ」
「はーい。今行く」
母の声に応えて、居間へ向かう。
すでに父は座っていた。
成田満。
俺の父親。
新聞を畳み、湯呑みを置く仕草は相変わらず丁寧だ。
昔から、無駄な動きがない人だった。
「いただきます」
三人分の声が重なる。
しばらくは、何でもない話をする。
学校のこと。
天気のこと。
魚が少し焼けすぎたこと。
……言うなら、今だ。
「父さん」
箸を置くと、
父はゆっくりこちらを見た。
「どうした」
「俺、実は生徒会長選挙に出るんだよね」
一瞬。
本当に一瞬だけ、空気が止まった。
母が、ちらりと父を見る。
父は驚いた様子を見せず、
ただ一言。
「ほう」
それだけ。
「理由は?」
「生徒会が形だけになってるから。予算も決定権も全部学校が握ってるのが許せない。」
父は黙って聞いている。
「それを変えたい。
生徒が決める仕組みにしたい」
言い切ったあと、
自分でも少し緊張しているのが分かった。
父は、箸を置いた。
「……お前の学校は会派という制度があったと思うが会派は?」
「生徒自治の確立を目指す会って会派を新しく作った。」
「ということは推薦はクリアできたのか?」
「うん。二十八人」
淡々と答える。
父は、ふっと息を吐いた。
「ずいぶん集めたな」
「……反対しないのか?」
俺がそう聞くと、
父は少しだけ笑った。
「反対すると思ったか?」
「正直……うん」
母が苦笑する。
「旭...あんた。お父さんの過去、忘れたの?」
忘れるわけがない。
成田満は、元衆議院議員だった。
改革保守の若手。
理想を語る人。
だが――
反対勢力にはめられて、失職した。
週刊誌に有る事無い事書かれて炎上した。
そんなのことを思い出す前に、この場の空気が変わった。
「旭」
父が、静かに口を開いた。
「一つだけ、覚えておけ」
「……何?」
「正論は人を動かす。同時に敵も作る」
胸に、ずしりと来る。
「お前がやろうとしているのは、小さな学校の話だ」
「でも、やることは父さんと似たようなことでしょ?」
俺は、黙って頷いた。
父は続ける。
「制度を変えようとする人間は、必ず“面倒な存在”になる」
――前にどこかで聞いた言葉だ。
「その覚悟はあるか?」
「ある」
即答だった。
父は、少しだけ目を細めた。
「……そうか」
そして、ゆっくりと言う。
「なら、止めない」
母が驚いた顔をする。
「え?」
「失敗するかもしれない。
傷つくかもしれない」
父は、俺を見る。
「それでも、
何もやらずに指をしゃぶるよりはマシだ」
その言葉は、
経験者の重さを帯びていた。
「ただし」
来た。
「人を敵にするな。制度を敵にしろ」
「……分かった」
「そして、正義など存在しないことも覚えておけ。正義の反対派もう一方の正義だ。」
「そう...なの?」
「お前に理解できないかもしれないががこれが現実だ。」
「わ...分かった...」
「それができないと、俺と同じ道を辿るだろう」
食卓に、静寂が落ちる。
でも、不思議と重くはなかった。
「父さん」
「なんだ」
「...なんか...ありがとう」
父は、少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「礼を言われるようなことはしてない」
母が、ため息をついて笑う。
「親子そろって、面倒なこと好きね」
「似たんだろ」
父がそう言うと、
母は何も言い返せなかった。
食事を再開する。
味噌汁が、少し冷めている。
それでも、
胸の奥は、妙に温かかった。
俺は思った。
父は、圧力に負けた。
でも――
ちゃんと行動した人間だ。
その背中を、
俺は今、少しだけ追っている。
俺は絶対に負けたくない。




