第六十二話 電話
リビングでは、まだ笑い声が残っていた。
テレビの音。
湯のみの触れ合う音。
正月特有の、ゆるんだ空気。
——それが、一瞬で切れた。
ぶるぶる、と。
テーブルの上で、
私のスマホが震えた。
画面に表示された名前を見た瞬間、
指先が冷たくなる。
——父。
(……来た)
⸻
私は、
小さく息を吸ってから通話を取った。
「……はい」
『……いつまで帰ってこないつもりだ』
低い声。
新年の挨拶は、ない。
「……今は、帰るつもりはありません」
『理由は?』
「……話しましたと?」
『副会長の件か?』
『なぜ、あんなやつに協力する』
『何度言えば分かる』
『あれは——』
⸻
胸の奥で、
何かがぷつっと切れた。
「……もう」
声が、自分でも分かるほど冷たくなる。
「もううざいです」
一瞬沈黙が起きる。
「......謝らないんだったら」
言葉を、はっきり区切る。
「もう電話、かけてこないでください」
『……なん、だと!?』
声が、低くなる。
怒り。
支配。
いつもの調子。
『誰に向かって口を——』
「……もういい」
私は、
通話口からスマホを少し離した。
声が、
耳に刺さるだけだったから。
その時。
「……澪」
隣から、
落ち着いた声。
成田の父——満が、
こちらを見ていた。
「……変わろうか?」
短い一言。
真正面から出る、その声音。
迷った。
(……巻き込んでいいのか)
でも。
(……もう、無理だ)
「……お願いします」
小さく、でもはっきりと言った。
スマホを差し出す。
満は、それを受け取った。
「もしもし、鷹宮さん?」
次の瞬間。
通話口から、
はっきり聞こえた。
『……なっ!?』
息を呑む音。
『その声は……!?』
満は、一切動じない。
「久しぶりですね」
穏やかで、
でも逃げ場のない声。
「まさか、こんな形で話すことになるとは」
私は、その場に呆然としていた。
鼓動が早い。
でも。
不思議と、怖くはなかった。
(……ああ)
(本当に、———なんだ)
満は、淡々と続ける。
「あなたの娘さんは、今、私たちの家に居ます」
「無理やりではありません」
「自分の意思で、ここに居ます」
『……何?』
電話の向こうで、父の声が歪む。
「昔と同じことを、繰り返すつもりですか」
満の声が、
少しだけ低くなる。
「今度は、子どもを使って」
私は、思わず拳を握った。
(……やめて)
(……でも)
聞きたい。
この先を。
———
リビングの空気は、完全に凍りついていた。
真昼も、旭も、一言も発さない。
ただ、私を気遣うように見ている。
⸻
新年早々。
大人たちの過去が、
私の現在に踏み込んでくる。
でも。
もう、
引き返すつもりはなかった。
この電話が終わったあと、何が起きても。
私は——
自分で選んだ場所に、立ち続ける。




