第五十六話 拒絶されない
リビングで体を暖めていると、成田の母が湯のみを並べていた。
「どうぞ、温かいわよ。ゆっくり休みなさい」
湯気が、ふわりと立ちのぼる。
その白さに、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。
「……ありがとうございます」
両手で受け取りながら、
私は小さく頭を下げた。
父親はソファに腰掛けたまま、
落ち着いた声でこちらを見る。
「……鷹宮さん、さっきの話だが」
「無理に詳しく聞くつもりはない」
「ただ、旭が迎えに行った以上、
何か事情があるんだろうとは思っている」
その言い方に、“拒絶されない”という安心が滲んでいた。
(……話していいんだ)
そう思えた。
「……簡単に言うと」
私は、息を整えてから言った。
「家を、出てきました」
成田(旭)が一瞬こちらを見る。
でも私は、続けた。
「生徒会の件で……」
「なり......旭くんに、副会長にならないかって言われて」
「それを家で話したら……」
言葉が、少し詰まる。
「……反対されました」
「強く」
旭のお母さんの表情が、はっきりと曇る。
「……そう」
その一言に、責める色はなかった。
「“ライバルのところに行く気か”って」
「“あの家の言いなりになるつもりか”って」
淡々と事実だけを並べる。
「それで……」
「……出ていけって」
沈黙。
時計の秒針の音が、
やけに大きく聞こえた。
「……えっ?」
その沈黙を破ったのは、真昼だった。
「……ちょっと待って」
驚いた顔で、
私を見る。
「副会長って……」
「あの副会長になるの!?」
一気に視線が集まる。
成田が、慌てて口を開く。
「いや、まだ決まったわけじゃ——」
「でも」
真昼は、食い下がるように言った。
「旭に誘われたんでしょ?」
「副会長にならないかって」
「……はい」
私は、正直に頷いた。
「……誘われました」
「でも、まだ確定はしてません」
「……そ、そっか」
真昼の声が、少しだけ落ちる。
驚きと戸惑い。
それから——
言葉にしきれない、
複雑な感情。
満さんが、静かに言った。
「……あなたのお父さんのことは、多少は知っている」
「厳しい人だ」
「だが」
視線が、真っ直ぐこちらを向く。
「だからといって、
あなたの意思を無視していい理由にはならない」
その言葉が、
胸に深く落ちた。
「少なくとも今日は」
旭のお母さんが、はっきり言う。
「ここに泊まりなさい」
「雪もあるし、
今さら帰すなんてできないわ」
「……いいんですか」
思わず聞き返す。
「いいの」
即答だった。
「旭の友だちでもあるし」
一瞬だけ、真昼の方を見る。
「……それに、今日はみんな落ち着いた方がいい」
私は、湯のみを握りしめる。
「……ありがとうございます」
そう言った瞬間、
胸の奥で張りつめていたものが、
少しだけほどけた気がした。
この家の中で、
この夜は——
静かに、
でも確実に、
何かを動かし始めていた。




