第五話 恐怖は蜜の味
中央生徒評議会の騒ぎから一日がたった。
廊下の空気は、何も変わっていないようで、少しだけ変わっていた。
俺がすれ違うたび、視線が一瞬こちらに刺さって、すぐ逸れる。
誰も何も言わないのに、もう“話題”になっているのが分かった。
「旭〜変なことしないで///」
弁当を広げながら、幼馴染の白石真昼が頬を赤らめながら大声で言った。
「変なことってなんだよ。てか言い方!」
「えへ!ところで...なんで視線がこっちに来てるの...?」
言われて初めて気づく。
俺らの席の周囲の人がこっちをチラチラと見てきながら指を指したりしている人もいる。
……なるほど。
「お前のせいやんけ!」
「ハイ...すみませんでした!」
勢いよく頭を下げて危うく頭を机にぶつける勢いだった。
そしてすぐ頭を上げて真昼は口を開いた。
「で!次は何するつもりなの?」
真昼が箸を止めた。
俺は答える代わりに、生徒手帳を机に置いた。
「規約、一通り読んだ」
「……ほんで?」
「生徒会長選挙、出る」
真昼が口をぽかんと開ける。
「ふぇ...?い、今さら……っていうか、マジで?」
「マジ」
「無理だって!推薦とか会派とか――」
「だから今から集める」
真昼は頭を抱えた。
「……やば。ほんとにやる気なのか」
「やる」
言い切って、俺は立ち上がった。
昼休みは短い。短いからこそ、動ける。
⸻
最初に声をかけたのは、同じクラスの男子だ。
「なぁ、柏木。生徒会の改革、興味ある?」
「改革?」
柏木はサッカー部で、クラスでも目立つ方のやつだ。
俺と違って、人望がある。
「生徒会って生徒会費を自分たちでどうするか決められないの。おかしくね?」
「……それ、どゆこと?」
「つまりだな。お前がバイトして稼いだ金の使い道をお前のおかんが決めるってことや。」
「マジで!?えぐすぎやん!」
柏木は難しい話は分からないが分かりやすく言うととても納得してくれる。
「マジ。で、それ変えたくて俺、立候補しようと思ってる」
柏木は目を丸くして、それから笑った。
「お前、やっぱ変なとこ真面目だな」
「褒めてないだろ」
「まぁ……面白そうじゃん。俺は賛成」
よし、食いついた。
「それでな、推薦人になってほしい。二十人必要なんだ」
「二十人?」
柏木の笑顔が一瞬で固まった。
「……もしかして推薦って、名前出るやつ?」
「ああ。書類に書く」
「うわ……」
柏木は視線を泳がせ、周りを見た。
廊下に人はいる。近くに教師はいない。
それでも、声が一段小さくなる。
「旭さ。俺が推薦したってバレたら、部活とか成績に響かね?」
「響くって何が?」
「顧問が生活指導系なんだよ。
“余計なことすんな”って言われるに決まってる」
余計なこと...
「……分かった。無理ならいい」
俺が引き下がろうとすると、柏木は慌てて手を振った。
「いや、違う! 俺は賛成だよ。旭が言ってること、正しいと思う。でも……俺、成績に響くのだけはちょっと...」
正しいと思っても、名前は出せない。
それが、この学校の“普通”。
「……考えとく。今日じゃなくていい?」
「いい」
俺は頷いた。
一人目でこれなら、先が思いやられる。
⸻
次は女子だ。
クラス委員の中村に声をかけた。
「中村、推薦って――」
「無理」
言い終える前に切られた。
「まだ何も言ってないけど」
「言わなくても分かる。成田くん、選挙出るんでしょ。
やめた方がいいよ」
「なんで」
中村は少しだけ眉を寄せた。
「空気読めてない。……ごめん、でも本音」
「空気って、誰の空気だよ」
「先生たちの空気。学校の空気。
それに逆らうと、“面倒”ってなる」
面倒。
その単語が一番厄介だ。
正しいかどうかより先に、排除される。
「……中村、今の生徒会で満足か?」
「満足じゃない。でも、困ってない。
困ってないのに揉めたくない」
それが多数派なのかな...と内心思った。
「分かった」
俺はそれ以上言わずに離れた。
説得はできる。
でも、今ここで説得したら、俺が“面倒”になる。
⸻
昼休みが終わり、放課後。
俺は他クラスの友人――と言えるほど親しいわけじゃないが、
話せる相手に声をかけて回った。
二組の篠原。
五組の森。
七組の佐久間。
反応は似ていた。
「それ、いいじゃん」
「確かにおかしいよね」
「面白そう」
そして、最後は必ずこうなる。
「……でも、推薦するのはちょっと」
「名前出るのは怖い」
「先生に目つけられるの無理」
賛成は、ある。
勇気が、ない。
俺の集めた“賛成”は、紙切れ一枚にもならない。
――二十人。
二十人どころじゃない気がしてくる。
⸻
生徒会室の前で、真昼が待っていた。
「どうだった?」
「全滅」
「だよね……」
真昼は苦笑する。
だけど、そこで終わらせないのが俺だ。
「まだ終わってない。制度のうざいポイントもう一個ある」
「え?」
俺は生徒手帳を開き、該当箇所を指で叩いた。
「推薦人二十人。それだけじゃない。三クラス以上から集めろって書いてある」
「……えっ」
真昼の顔から血の気が引く。
「つまり、同じクラスで十人集めてもダメ」
「え、なにそれ……」
「“偏りを防ぐため”だって担任が言ってた。建前はな」
建前。
実際は、先生の息がかかってない奴の出馬を難しくしてるだけだ。
「で、さらに会派所属が必須」
「会派……改革の会しかないでしょ?」
「ああ。そんでな?新会派作るには二十人以上所属が必要」
真昼は頭を抱えた。
「待って待って。推薦二十人で、しかも三クラスまたいで、会派は一つしかなくて、別の会派作るのには被っててもいいけど二十人必要……?」
「そういうこと」
「……詰んでない?」
「詰んでる」
言い切ると、逆に気持ちは冷えた。
冷えた分だけ、考えが回る。
「でも、やる」
「どこから来るの、その自信」
真昼が呆れた顔で言う。
俺は肩をすくめた。
「自信じゃない。ムカつきだ」
「うわ……」
「この制度、最初から“変えるな”って言ってるようなもんなんよ。だから余計に、変えたくなってくる。」
真昼は、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと。
「……ねえ旭」
「ん?」
「推薦、私がなる」
一瞬、耳を疑った。
「マジ?」
「だって、幼馴染だし。旭がやるって決めたなら、止めても無駄でしょ?」
真昼は笑っているのに、目だけは真剣だった。
「真昼、お前……」
「でも条件ある」
「条件?」
「私、会計やる。お金のこと分からない人が改革とか言っても、絶対ぐちゃぐちゃになる」
会計。
生徒会の金を握るポジション。
それは――
改革の核だ。
「……分かった」
俺は頷いた。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
二十人のうちの一人が、ようやく確定した。
たった一人。
されど一人。
「あと九人、だね」
真昼が言う。
「いや」
俺は生徒手帳を閉じた。
「三クラス以上。
つまり、最低でも……」
頭の中で数をはじく。
「別クラスに、最低二人。
……いや、もっといる。怖がるやつが多いから」
真昼はため息をついた。
「地獄だ」
「地獄だな」
俺は笑った。
でも――
こういう地獄は嫌いじゃない。
やるべきことが、はっきりしているからだ。
そのとき、廊下の向こうから足音がした。
一定のリズム。
迷いのない歩幅。
空気が、わずかに締まる。
見なくても分かった。
風紀委員長――鷹宮澪。
彼女は俺たちの前を通り過ぎ……るはずだった。
だが、足が止まる。
視線だけが、こちらに向いた。
「成田さん」
名前を呼ばれた瞬間、
背中に冷たいものが走る。
「あなた、最近“動きすぎ”よ」
声は低く、感情がない。
だからこそ、怖い。
真昼が小さく息を呑む。
俺は、逃げずに目を合わせた。
「動かなきゃ、何も変わらないだろ」
鷹宮の瞳が細くなる。
「変える以前に、壊す気?」
「壊れてるのは最初からだ」
一歩も引かない俺に、
鷹宮は静かに言った。
「――風紀委員会室に来なさい。話がある」
命令ではない。
でも、拒否できる空気じゃない。
真昼が俺の袖を引っ張る。
「旭……」
「分かった」
俺は短く答えた。
鷹宮はそれ以上何も言わず、踵を返す。
制服の裾が揺れ、廊下の空気が冷えていく。
……来た。
理屈の壁の次は、
秩序の壁だ。
俺は真昼と視線を交わした。
「行くぞ」
「……うん」
(俺自身結構怖いけど、恐怖は蜜の味だからな!)
「面白くなってきたぜ!」
小声でそう、いつのまにか言っていた。




