第三十一話 負けた人間でいさせて
夜の校舎は、静かだった。
窓に映る自分の姿が、
やけに輪郭だけはっきりして見える。
——負けた。
その事実は、
もう何度も頭の中で反芻した。
でも、
感情はまだ追いついていない。
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家に帰っても、
制服を脱げなかった。
椅子に腰掛け、
鞄を床に置いたまま、
ただ天井を見上げる。
(……二百四十三票)
少なくない。
でも、足りなかった。
(私の言葉は届いた)
それは分かる。
拍手もあった。
聞いていた視線もあった。
(それでも大勢には選ばれなかった)
そこが、
一番重い。
⸻
机の上には、
選挙用にまとめた資料が残っている。
改革案。
段階表。
想定リスク。
——どれも間違ってはいない。
(私は正しかった)
そう思う。
でも同時に、
別の考えが顔を出す。
(……それだけで足りた?)
言葉にした瞬間、
胸の奥が少し痛んだ。
⸻
成田の顔が、
頭に浮かぶ。
壇上で、
少し噛みながら。
失言を認め、
頭を下げて。
(……あの人は、
自分の未熟さを
隠さなかった)
それが、
正解だったのか。
(いや)
(危険だ)
(無責任だ)
反射的に、
そう否定する。
でも。
(……それでも)
(人は、
そっちを選んだ)
⸻
ベッドに倒れ込む。
天井のシミを、
ぼんやりと見つめる。
『秩序と安定』
それらは、
今も大事だと思っている。
(私は、
間違っていない)
でも。
(……私は、
誰の味方だった?)
その問いが、
ふいに浮かんだ。
先生か。
学校か。
制度か。
それとも——
生徒か。
⸻
風紀委員長として、
正しいことをした。
校則を守り、
秩序を維持し、
混乱を抑えた。
それは、
誇りだ。
でも。
(成田は、
誰の味方だった?)
考えなくても、
答えは出る。
(……生徒だ)
自分も、
そう言ってきたはずなのに。
⸻
布団に顔を埋める。
(……悔しい)
ようやく、
本音が出た。
負けたからじゃない。
否定されたからでもない。
(……選ばれなかった)
その事実が、
こんなにも重いとは思わなかった。
⸻
スマホが、
枕元で震えた。
通知。
一瞬、
誰か分かる。
——成田旭。
指が......動かない。
開けない。
開いたら、
何かが変わってしまう気がした。
(……今は無理)
画面を伏せる。
そして灯りを消す。
暗闇。
今日一日を、
もう一度なぞる。
拍手。
数字。
視線。
そして、
彼の背中。
(……夜は、
考えすぎる)
そう自分に言い聞かせて、
目を閉じる。
明日になれば、
また役割がある。
風紀委員長としての、
私が。
でも。
今夜だけは。
——ただの、
負けた人間でいさせてほしい。




