第二十九話 選挙前日
お泊まりの日から、三日が経った。
あの夜のことは、誰も知らないだろう。
学校では、
今まで通りの距離感。
少しだけ視線が合う回数が増えて、
少しだけ話す時間が減っただけ。
——それでいい。
そう思うことにした。
今は、それどころじゃない。
⸻
そして、今日は木曜日。
選挙前日。
各候補者の決起集会の日だ。
校内は、朝から落ち着きがなかった。
廊下では候補者の名前が飛び交い、
掲示板の前には人だかり。
新聞部の速報紙も、
いつもより早く貼り替えられている。
「生徒会長選挙最終情勢」
数字はもう見ない。
見ても何も変わらないからだ。
⸻
昼休み。
真昼が俺の隣に来る。
「……いよいよだね」
「ああ」
短い会話。
でも、
それだけで十分だった。
「...無理しないでね」
「言われなくったってわかるよ」
「そうやって言って無理する旭だから言うの!」
(母親みたいなこと言うな)
そう思いながら言葉に詰まる。
詰まりに詰まって出た言葉は
「……ありがと」
真昼は少しだけ笑っていた。
⸻
帰りのホームルーム。
「本日放課後、生徒会長選挙に伴う最終決起集会を行います」
クラス中は「ついにキタ!」とざわついている
「みなさん、興味のある陣営の演説を見に行きましょう。興味のない生徒は帰っても構いません」
このクラスはおそらく誰も帰らないだろう。
ここでの人数の集まり具合が選挙結果に直結すると言われている。
なぜなら同時刻すべての陣営が開始するため、一番見たい候補にみんなが集まる。
それが実質的な投票なのだ。
一体いくつ集まるだろうか。
⸻
俺の借りられた会場はまさかの体育館。
広い。
音が響く。
集まりはやはり予想より多かった。
少なくとも、
「十%」の数字じゃない。
その事実に、
少しだけ救われる。
壇上の袖で、
深呼吸。
「……」
頭の中を、
空にする。
ここまで来たら、
もう言うことは決まっている。
⸻
一方。
委員会棟の講堂では、
鷹宮澪が立つ。
静かな空間。
秩序の象徴。
感情ではなく、
信頼で集まった生徒たち。
そして。
中庭では、
東雲美久が演説の準備をしている。
新聞部で安心、安定の人物。
学校が“用意した答え”。
⸻
同時刻。
三つの会場。
三つの正しさ。
誰が勝つかじゃない。
どの正しさが、この学校に選ばれるか。
それを決める戦いの初戦が始まろうとしていた。
⸻
ステージ袖で準備をしている時に小声で名前が呼ばれる。
「……成田さん行きましょう」
一歩、踏み出す。
ライトが眩しい。
ざわめきが、
一瞬で静まる。
この場所で、
言えることは一つだけ。
俺は、
マイクを握った。
「……こんばんは」
俺が思ったより意外と落ち着いていた。
「今日は、私の話を聞きに来てくださり誠にありがとうございます」
拍手はない。
でも、それでいい。
「単刀直入に言います」
いきなり、本音から入る。
「俺は、この選挙で過激なことを言ってしまい事件を起こし てしまいました。」
小さなどよめき。
「考えが足りないまま
発言してしまいました」
(あれ...俺って言っちゃった?)
成田は極度の緊張をしている。
「それでっ...不安にさせた人もいると思います」
「でも...それはっ...全て事実です」
一拍を置く。
「だからっ...まず、謝らせてください」
頭を下げる。
とても深く頭を下げた。
この時に深呼吸をしているといつも聞いている声が聞こえる。
「旭!落ち着いて!」
真昼の声だ。
そうだ。俺は覚悟を決めたんだ。
そう再認識し、顔を上げる。
「そして、大事なことは!」
声を、少しだけ強くする。
「俺は、この学校を嫌いじゃないということです」
意外そうな空気。
そして俺は過集中モードに入っている。
自分で何を言っているのか理解ができなくなってくる。
かと言って自然にスラスラと言葉が出てくる。
「嫌いならこんな面倒なことしません」
「俺が問題だと思ってるのは、学校や先生ではなく」
一拍を置いて周りを見まわした後続けた。
「様々なことの決め方です」
「先生が決める」
「生徒会は伝える」
「生徒は従う」
「それで、
何も疑問を持たない」
「それを、“自治”って呼ぶのは違うと思いました。
そして、それが生徒会のあるべき姿だとは思いません。」
⸻
「俺は革命を起こしたいわけじゃないです」
ここは、はっきり言う。
「校則を全部壊すつもりもない」
「先生を敵に回したいわけでもない」
会場の空気が少し緩んだ気がする。
「ただ」
「生徒が自分たちで決める権利と責任を、ちゃんと残したい」
「間違えたら、生徒たちが手を組み先生が手伝って修正すればいい」
「失敗したらみんなで責任を取ればいい」
「それを経験する場が学校だと思うからです。」
⸻
一度、言葉を切る。
「他の候補者は、
もっと安心できることを
言っていると思います」
鷹宮の顔が、
頭に浮かぶ。
「秩序と安定」
「二つとも大事です」
「俺も否定はしません」
「それだけで前に進めますか?」
「今のままで、困ってない人もいる」
「でも」
一呼吸を置いた。
「ただ、困ってる人がいるなら
それを“仕方ない”で終わらせたくないです。」
⸻
「俺は、
完璧な会長にはなれないでしょう。」
ここで、会場中に動揺が起きる。
「たぶん、この前のように失言もするでしょう」
「怒られることもあるし」
「失敗もすると思います」
「ですが」
ここで数秒置いた。
ここからが大事なところだからだ。
視線がさっきよりも増える。
「逃げない」
「都合が悪くなったら
黙る、
そういうことはしないと約束しましょう」
「決める時は、なぜそうなるかと理由を言う」
「反対されたら、意見を聞き、可能な限り尽力します」
「それでも決めたなら、それ相応の責任や埋め合わせのための行動を取ります」
⸻さぁラストスパートだ!
「明日誰に投票してもいいです」
「秩序を選んでもいい」
「安定を選んでもいい」
「棄権(投票しない)をする、という選択も立派な意見です」
一拍を置く。
「でももし」
「“学校を変えてみたい”」
「何度でも失敗しても学校を変えていく、より良くするために一緒に戦うのがいい」
「そんな人がいたら」
視線をゆっくり会場全体に向ける。
「俺にその一票をください。お願いします」
深く一礼をする。
だが拍手は、すぐには起きなかった。
一秒。
二秒。
やがて、
ぽつぽつと。
徐々に大きくなってゆく。
何秒たっただろうか。
耳が痛くなるほどに大きい拍手だ。
そして、静かにフェードアウトしてゆく。
頭を上げてマイクを置く。
ステージの袖に戻りながら再確認する。
——言うべきことは?
全部言った。
——誤解されるようなことは?
言ってない...はずだ。
悔いはない。
みんなの意思を明日確かめるだけだ。
———————————————
講堂に立った瞬間、
私はまず「空気」を確認した。
ざわめきの種類。
立っている人数。
視線の向き。
——感情は動いていない。
理屈を聞く準備ができている。
なら、
やることは一つだ。
⸻
「今回生徒会会長選挙に立候補した
風紀委員長の鷹宮澪です」
拍手を待たず、
続ける。
「まず、私の結論を言わせてください」
一拍。
「私は、この学校を急には変えたくありません」
どよめきがやはり起きる。
でも、
想定内。
「理由を三つ説明します」
指を、一本立てる。
⸻
「一つ目」
「この学校には、
すでに
九百人分の生活が
存在しています」
「校則、部活動、行事、評価制度そして生徒会活動」
「それらは、
完璧ではありません」
「しかし」
「突然変えた場合、
影響を受けるのは
“声の小さい人”です」
視線を後方へ持っていく。
「適応できる人」
「反対意見を主張できる人」
「目立つ人」
「そうでない人は確実に置いていかれます」
少しずつ視線が減り始めている。
(...想定より、反応が薄い?)
「そして二つ目は、失敗の責任です」
「改革は、失敗する可能性があります」
「その時」
「誰が責任を取るのか」
ここで長い沈黙という選択肢があった。
(視線が減っている今は沈黙し再注目を集めないと...!)
「私は、“誰かが取るだろう”というような丸投げ改革が
一番危険だと思っています」
「そして最後の三つ目」
少し、
間を置く。
「私は怖いです」
「失敗が怖い」
「秩序が壊れるのが怖い」
「安定が失われるのが怖いんです」
「そしてそのように恐れることを私は恥だとは思いません」
「恐れは、ブレーキになります」
「そしてブレーキのない車は、必ず事故を起こします」
ここで、
一度区切る。
「ここまでが私が“急に変えない”理由です」
「そして、ここからが大事なポイントです」
「私は現状維持を主張していません」
「変化が不要だと言っていません」
「私がやりたいのは段階的な調整です」
「試験的導入、検証、修正、合意形成」
「その手順を飛ばさないでゆっくりやることは大切です」
ここで私はあえて成田の名前を出した。
「例えば今回の選挙戦で話題の成田さんは、その順序が“飛ぶ人”です」
少しだけ、
会場がざわつく。
「私にはそんなことをできません」
「ただ、彼の言うことも分かります」
「でも、生徒会には順序を飛ばすよりも
足場を固める人間の方が必要ではないですか?」
「私は、生徒会は安定してなければならないと思います」
私はゆっくりと深呼吸をした。
「安定と秩序を守りながら自分の思う学校へ変えたい」
「そう思うなら私を選んでください」
「以上です。ご清聴ありがとうございました」
深く頭を下げる。
拍手はないに等しい。
でも少しは聞こえた。
私の考えが届いた証拠だ。
壇上を降りながら私は思う。
成田はやっぱり過激すぎる。
(でも...私みたいな考えだと学校を変えられるのかな?)
——革新と保守
どちらが正しいかじゃない。
どちらが、この学校に必要か。
仮に成田が勝ったとして役員にならないか?とか言われても絶対協力なんかしたくない。
彼は責任を取れる人なの?
———————————————
中庭は、
思ったよりも広く感じた。
「……行けるわよね」
手のひらが...冷たい。
心を落ち着かせてる時に司会が話しかけてきた。
「すみません東雲さん、マイクが不調なので交換をしてきます。開始が少し遅れるかもですがいいですか?」
「え...えぇ。分かったわ」
制服の裾を、
無意識に握りしめていた。
(あたいは大丈夫)
(原稿は何度も読んだし練習した)
(原稿の数字も間違ってない)
(言うことは正しいはず!だから理解してくれるはず!)
そう、正しいことを言えばいいのよ。
そんなこんなで時間は定刻の七分遅れていた。
「……機材不良のため開始が遅れて申し訳ございません。
これより、演説を始めます。東雲さんお願いします」
司会の声が響く。
そしては拍手……が来ない。
(想定内よ...大丈夫)
そうして私はマイクの前に立った。
「……こ、こんばんは」
自分の声が思った以上に小さい。
(……あ)
一瞬で、
気づく。
喉が...苦しい。
「し...東雲...美久です」
声が震える。
落ち着くために原稿を見る。
(読むだけ)
(書いた通りに)
「私は...この学校に——」
「……聞こえねーよ」
後ろの方から、ヤジが飛んだ。
あたいの中の時間が止まる。
「……」
「マイク入ってんの?」
笑い声。
半分パニック状態だった。
冷たい風が私を襲う。
(どうすればいいの?ねぇ誰から助けて...)
そんな中誰かが咳払いをして空気を治してくれた。
でもあたいは半分泣いていた。
(……グスッ...大丈夫よ)
(言い直せばいい)
マイクを、
少し近づける。
「……あ、あの」
声が、
裏返った。
「私は……」
「声ちっさ!」
今度は、
はっきり。
ざわめきが、
広がる。
「やる気あんの?」
「新聞部のくせに?」
心臓が跳ねる。
(……違う)
(私はちゃんと……)
喉が動かない。
空気が重くなる。
亮が、心配して声をかける。
「……美久、一度深呼吸を——」
「いいから早くしろよ」
亮の言葉を遮るように誰かが吐き捨てる。
その瞬間。
頭の中が、
真っ白になった。
⸻
「……すみません」
気づいたら、
そう言っていた。
マイクから、
声が消える。
「……体調不良のため、
ここで演説を中断します」
拍手は、
ない。
笑いも、
ない。
ただ、
微妙な空気。
あたいは、深く頭を下げて壇上を降りた。
⸻
中庭のベンチに座った瞬間、
膝が震えた。
「……」
原稿が、
ぐしゃっと音を立てる。
(……正しかったのに)
(間違ってなかったのに)
(ちゃんと、
言えば——)
でも。
言えなかった。
それだけで今までの努力が無駄になる。
こんな人前で話す人が勝てない選挙なんて本当に...
⸻
教室への帰路の廊下を歩いている時
誰かの声が聞こえる。
「やっぱ東雲無理だろ」
「先生が東雲は信頼できるって言ってたけど、あれは信頼できねぇ」
「新聞部、
裏方向きだな」
一言一言が、
胸に刺さる。
あたいは耳を塞いだ。
(……あたい何やってるんだろ)
学校が望んだ。
先生が認めた。
新聞部が支えてくれている。
なのに。
声が出なかった。
———
選挙前日。
三人の候補の演説では
一人は、
言葉で人を動かした。
一人は、
理屈で人を納得させた。
一人は、
何も残せなかった。
それでも。
明日は、
来る。
投票箱は、
平等に置かれる。
選挙とはとても酷なものである。




