第十一話 誤解
生徒指導室を出て、廊下に一歩踏み出した瞬間。
「……ん?」
胸の奥が、じわっと熱くなった。
――だから許して?♡
さっきの言葉が、
今さらになって再生される。
声、可愛かったよな。
いや、可愛いというか……柔らかい?
「……」
足が止まる。
あれ、普通に考えて。
「……あれ、甘くなかったか?」
気づいた瞬間、
顔に血が集まるのが分かった。
「え、待て待て待て」
立場上とか言ってたけど、
あの言い方はおかしい。
教師として?
それとも――
「……いやいや」
ぶんぶんと首を振る。
「考えすぎだ。そういうのじゃない。絶対そういうのじゃない」
論理的に否定する。
大人だし。教師だし。
――でも。
「……じゃあ、あの♡は何だよ……!」
顔が熱い。
そのとき。
「旭?」
背後から、聞き慣れた声。
振り返る前に、
肩が小さく跳ねた。
「な、なんだ真昼」
そこに立っていたのは、
放課後の廊下で待っていた真昼だった。
「顔、赤くない?」
「赤くない」
即答。
「いや、赤いでしょ」
真昼は一歩近づき、
じっと俺の顔を見る。
「……何かあった?」
「何もない」
「嘘だぁ〜」
即否定すな!
「生徒指導室、長かったし。しかも出てきてから立ち止まってた」
鋭い...!
「……宮本先生と、話しただけだ」
「ふーん」
真昼の目が、細くなる。
「で?」
「で、って何だ」
「なんか言われた?」
一瞬、迷った。
――言うか?
――言わないか?
……言っても、
別に問題ない、はずだ。
「立候補やめるか、公約変えろって」
「うん」
「で、最後に」
そこで、言葉が詰まった。
「……?」
真昼が首を傾げる。
「……『立場上こうしなきゃいけないの。だから許して?』
って言われた」
言った。
言ってしまった。
沈黙。
次の瞬間。
「……え?」
真昼の目が、見開かれる。
「それでね?『返事はすぐじゃないくていいって』言ってた」
「……は?」
「いや、だから」
「ちょっと待って」
真昼は、俺の肩を掴んだ。
「それ、
告白じゃない?」
「は?」
俺も固まる。
「だって、
放課後、二人きり、生徒指導室で、
甘い声で『許して?』でしょ?」
「……立場上って言ってた」
「立場上“言えない”けど、本音が漏れたパターンじゃん」
「いやいやいや」
頭が追いつかない。
「それに『返事は今すぐじゃなくていい』?それ完全に告白テンプレじゃん!」
「先生だぞ?」
「関係ない」
即答。
「年上×立場上×二人っきりの部屋。それ完全に告白じゃないっすか!」
「どこの恋愛脳バカだよ!」
「うっせ!」
真昼が、じっと俺を見る。
「......で、旭は、どう思ったの?」
「どうって……」
俺は、少し考えてから答えた。
「……応援してくれてるんだな、って」
真昼は、数秒固まったあと――
「……はぁぁぁ」
深いため息。
「ほんと、鈍感」
「何が」
「全部」
真昼は額を押さえる。
「旭、今の話、他の人にしないで」
「なんで」
「誤解が誤解を呼ぶ」
「もう呼んでないか?」
「呼んでる」
断言。
「ていうか」
真昼は一歩近づいて、
小さな声で言う。
「その話、私が先に聞いてよかったと思いなよ」
「……?」
「他の人だったら、絶対違う方向に拡散するから」
背筋が冷えた。
「……やめてくれ」
「無理」
真昼は、にやっと笑った。
「でも安心して」
「何が」
「旭が一番無自覚だから」
それが一番怖い。
俺は頭を抱えた。
政治より、
制度より、
今はこの誤解の方が厄介な気がする。
……選挙、
本当に無事に終わるんだろうか。




