第十話 宮本先生と二人きり
翌朝。
ホームルームが終わる直前、
担任の宮本沙也加先生が、俺の名前を呼んだ。
「成田くん。今日の放課後、生徒指導室に来てね」
教室が、ほんの一瞬だけ静かになった気がした。
誰もざわつかない。
でも、全員なんでか分かっている。
「……分かりました」
俺がそう答えると、
宮本先生はそれ以上何も言わず、
いつもの通りに戻った。
視線が、刺さる。
でも、昨日までとは少し違う。
もう――
隠す段階は終わっている。
⸻
放課後の生徒指導室は、
相変わらず無機質だった。
長机と椅子。
壁の注意書き。
窓はあるのに、開けられない感じ。
「座って」
宮本先生は、ドアを閉めてから言った。
二人きり。
「……単刀直入に言うわね」
前置きなし。
でも、声は柔らかい。
「学校としては、
あなたの立候補を、このまま進めるのは好ましくない」
「理由は?」
即座に返す。
宮本先生は、少しだけ視線を逸らした。
「あなたの行動を、嫌がっている生徒がいる」
「じゃあ」
俺は間を置かずに言った。
「俺に投票しなければいいじゃないですか」
空気が、ぴしっと張る。
宮本先生は、目を見開いてから、
困ったように笑った。
「……そう単純じゃないの」
「単純ですよ。選挙なんですから。」
「学校はね、
選挙“だけ”で回ってない」
「それは分かってます」
間髪入れずに追い打ちをかける。
「もしそれで僕が選挙に落ちればそれが民意なんです。そうでしょう?」
そして俺は椅子に深く座り直す。
「それを理由に出るなって言われる筋合いはないと思います」
宮本先生は、机に手を置いた。
「あなた、今かなり目立ってるには分かってるよね?」
「ええ。分かってます」
「空気を乱してる、って感じる人もいる」
「改革って、空気乱さずにできるもんなんですか?」
少しだけ、声が強くなる。
宮本先生は、深く息を吐いた。
「……ねえ、旭くん」
いきなり名前で呼ばれる。
「あなた、正しいこと言ってるの。本当に」
「だったら――」
「でもね」
宮本先生の大きな声で被せられた。
「“正しい”と“望まれている”は、別なのよ?」
「……」
「学校としては、これ以上摩擦を大きくしたくない」
つまり――
静かにしろ、ということだ。
「選択肢は二つ」
宮本先生は、指を二本立てた。
「立候補を取り下げるか」
一拍。
「公約を、少し穏やかな内容に変えるか」
「……穏やかって?」
「“自治の確立”とか、そういう強い言葉を避ける、とか」
俺は、鼻で笑った。
「それ、やる意味あります?」
宮本先生の表情が、わずかに揺れる。
「……あるの」
「俺には、ないですよ?何もメリットないです」
沈黙。
壁の時計の音だけが、やけに大きい。
「宮本先生」
俺は、ゆっくり言った。
「嫌がってる人がいるのは、知ってます」
「……」
「でも、賛同してくれてる人もいる」
「……」
「だから会派結成ができて推薦人数を二十人以上集められたんですよ。」
「......そうだね」
「その人たちに、“やっぱやめます”って言うのは無責任だと思いません?」
宮本先生は、しばらく黙っていた。
それから――
肩の力を、ふっと抜いた。
「……ほんと、頑固ね」
「よく言われます」
「でしょうね」
宮本先生は、小さく苦笑してから、
ぐっと声を落とす。
「……立場上、こう言わなきゃいけないのよ。私はこう言いたいわけじゃないの」
そして、
本当に小さな声で、
少しだけ甘く。
「だから許して?♡」
一瞬。
俺は、きょとんとした。
「……?」
宮本先生は、何事もなかったかのように、
すっと表情を戻す。
「今のは忘れてください」
「?...あ、はい」
「とにかく、学校としての要請は伝えた。返事は、今すぐじゃなくていい」
「……返事は」
俺は立ち上がった。
「もう決まってます」
宮本先生は、少しだけ目を伏せた。
「……そう」
「でも」
ドアに手をかける前、
俺は振り返る。
「言ってくれて、ありがとうございます」
宮本先生は、驚いた顔をした。
「……何が?」
「ちゃんと、真正面から話してくれたことです」
一瞬、
教師じゃない顔が覗いた。
「……バカね」
小さく、そう言われた。
俺は、軽く頭を下げて、
生徒指導室を出た。




