第九話 虚無の賢者様
「言えないことが多いけど、それでもいい?」
俺はエリンに苦笑いを向ける。
「もちろん構わない……複雑な事情がありそうなのは、わかるから」
覚悟を決めて、俺はエリンの隣に座った。
風にエリンの銀髪が舞う。
美しい切れ長の瞳が、不安そうに揺れていた。
任務に関わることをすべて伏せ、正体も明かさず、なんとか説明すると、
「要するにチャーリーは事情があって復学して、成り行きであたしを助けてくれたってこと?」
エリンは首を傾げた。うん、まあそうなるよな。自分でも内容がスカスカすぎて意味不明な話だった。
「ごめん」
「まあいいわ、本題はそっちじゃないし、聞いても話してくれない覚悟はしてたから」
「本題?」
「答えられる範囲でいいから教えて!」
「できる限り頑張るよ」
俺が握りこぶしを見せると、エリンは苦笑いした。
「まず、あなたは虚無の賢者様の、高弟のひとりなのは間違いないよね」
「それは……本当に、わからないんだ」
あの爺さんが、虚無の賢者かどうか、確信がない。
なぜなら虚無の賢者はまだ生きていて、他国で活躍しているからだ。
しかし爺さんは……俺を守るため、目の前で殺された。
エリンにその話をすると、
「ねえ、その時、そのお爺さんの死体を確認した?」
エリンは不思議な質問をした。
「目の前で騎士達の槍を複数、体中に受けたんだ。さすがに生きては……」
そして俺の返答の途中で、目を輝かせて、言葉をさえぎる。
「もしかして、派手に血しぶきが飛んで、大声で叫んだりして、崖から落ちたりとかしてない?」
まさにその通りだから、驚いて大きな口を開けてしまうと、
「それ、彼の奇跡のひとつよ。伝承では2回、同じことして生き返ってるから。不死の賢者って名は、そこからきてるんだし」
エリンは驚く俺の手を取って、ブンブン振り回すと、子供みたいな笑顔を見せた。
「でも、嘘をつく必要は……いやまて!」
何か引っかかって、悩み込んだら、
「前日かその数日前に、マスクと名前を受け取ってない?」
「ああ……、いや、確かに」
爺さんが死ぬ2日前に、道化のマスクと『幻想』の名を受け取った。
あっけにとられていると、エリンが「やっぱり!」と叫んで、俺の頭に抱きつく。
ふわりと柔らかな何かに顔面が挟まれる。
着痩せするタイプなのだろうか? 結構大きい気がするのだが。
なんか甘い匂いもするし、ちょっと居たたまれない。
「凄い凄い、間違いないわ! チャーリーは虚無の賢者様から奇跡を伝授された高弟のひとりで、あなたの大切なお爺さんは、今もきっと生きてる」
やっと離れてくれたエリンは、宝物を見つけた子供みたいにはしゃいでいる。
しかし……エリンの言うとおり、そう考えると、つじつまが合うことが多い。
「でも、ちょっといったん保留でいいかな? 頭の中がぐちゃぐちゃだ」
この混乱は、エリンの膨らみに挟まれたショックだけではない。
「うん、ごめん。そうよね……。でも、ちゃんと考えて。あなたの奇跡は、本当に虚無の賢者様そのものなの。見たことがあるあたしが言うんだから、それだけは信じて」
エリンはそう言って優しく微笑んだ。
「ありがとう。で、本題って、これじゃないんだろ」
なんだか彼女の優しさと、意外に大きな何かに触れて、任務に邪魔な感情がうずき出したようで、怖い。
気を引き締めるために、小さく深呼吸する。
「そうだった、実はこれなんだけど」
エリンが胸にしまっていた古いタロットカードを取り出そうとする。
不器用なのかなかなか上手く行かず、ネックレスが絡まったり、ボタンを外しすぎたりしたせいで、いろいろと見えてしまう。
やはり、意外と大きかった。
「あたし、実は『忌み子』だったの」
「忌み子って、魔力暴走する?」
エリンは神妙に頷く。
忌み子は、魔力量が多すぎて制御できず、多くは10歳を前に自爆死すると聞いている。
公的記録の最長命が確か12歳。
忌み子の魔力は膨大で、自爆によって街ひとつ消失した記録まである。
だから忌み子は、魔力暴走が始まる前に、殺されてしまうのが現状だ。
そして、忌み子が治った記録もない。
彼女の話が本当なら、その記録や定説がすべて覆されてしまう。
「そもそもあたし、あの夜、森の中に捨てられるはずだったの。でも両親が、やっぱり無理だって、引き返そうとした時に、襲われて……。今思うと虚無の賢者様は、噂を聞いて、探しに来たんじゃないかって」
「これは?」
「賢者様がくれた、『忌み子封じ』のカード。このおかげで、あたし魔力暴走を起こしたことがないのよ」
差し出されたカードからは、何の魔力も感じないし、毒や薬の反応もない。
「これが大量生産できれば、世の中の不幸が少しだけ減るの。あたしの研究も、賢者様を探す理由も、そこなの」
「ちょっと借りてもいいかな」
「もちろん」
手に取って確認しても、そんな大それた仕掛けは存在しない。
俺が使うカードと同じような、毒や薬を仕込むポケットは存在したが、そこにはなにも入ってなかった。
「ごめん、僕にはわからない」
「そっかー。まあ、そうだよね」
エリンは思いのほか、明るく笑って、
「で、本題なんだけど」
その後、声を潜めて顔を近づけてきた。
「襲ってきたのって、ここの教諭でしょ。なんとなくそんな気がしてたの。あたしが脅迫状の相談したら、賢者会から卒業と同等の称号を授与するし……。父が預かる領へ、賢者会推薦の貿易取引を斡旋してもいいから、実家に帰ればって、言われたのよね」
あまりに距離が近いから、吐息がかかってくすぐったい。
この人、距離感がおかしいのでは? そんな気がしてきた。
「悪い話じゃなさそうだが」
「でもあたしの研究が進めば、あと一歩で、忌み子に対する未来が開けそうなの」
「つまり……」
「もう少し学園で研究を進められるように、なにかできないかな?」
切れ長の美しい瞳が、俺の目の前で輝く。
確かに彼女は危険だ。教諭陣が遠ざけたくなるのもわかる。
頭の回転が速く、勘が良く、努力家で、定めた目標に対する情熱は目がくらむほど眩しい。
俺は甘い吐息から逃げるように距離を取って、立ち上がる。
そして、露店で買ったマスクを被る。
感情という雑音を遠ざけ、任務に徹する。間違えてはいけない。
「いいだろう、ただしこれは取引だ」
「ど、どうすれば……?」
エリンは緊張した面持ちで、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「俺の秘密を守り、仲間になれ」
そして同じく露店で買った、グリフォンの面を渡す。
そう言えば監視下における。そう、これは任務のためだ。
俺の魔力が無いことだけを秘密にしてもらえばいい。
どうせ明日には、俺は学園を去る。それまでの問題だ。
エリンは震えた手で、グリフォンの面を受け取る。
「あたし、虚無の賢者様の高弟の、弟子になれたのね」
「まだ仲間としての信用を得ていない。今後の活躍しだいだな」
「名は、いただけるのでしょうか?」
そこまで考えてなかった。まあ、適当でいいか。明日までの話だし。
「グリフォン。仮の名だが、今はそう名のれ」
するとエリンは、その美しい目元に薄らと涙を浮かべた。
「ありがとう、あたし頑張る! ねえ、あなたのマスクの名はなに?」
「あー、それはまだ機密事項だ」
「まあいいわ、だいたい想像つくし」
エリンは立ち上がると身を預けるように倒れ込み、俺がそれを受け止めたら、強く抱きしめてきた。
華奢だが柔らかい身体の感覚が、肌に伝わる。意外と大きな胸が、形を変えるほど俺を強く押す。
俺の鼓動が、少しずつ早くなる。
心の中の、感情という名の雑音が消えない。
似たようなことが、つい先日、ここで起きたような気がしないこともないが、今は無視しよう。
「で、その、そろそろ離れてはいただけないでしょうか?」
「なに言ってるの? さんざんあたしを抱いたくせに」
上目使いに睨みながら、ぷくりと頬を膨らます。
普段は凜としてるのに、時折子供のような表情を見せて惑わせる。
狙ってやってるんだったら怖い。
「その言い回しには、語弊があるような?」
「チャーリーってすましてるけど、意外とエッチだよね。さっきネックレス外すときも胸元覗いてたし、結構堂々とスカート覗くし」
そしてニヤリと微笑みながら、さらに胸を押しつけてきた。
やっぱり年頃の女性は苦手だ。
なんとか逃げ出そうと思案してたら、
「それにあたしまだ、空は飛べないわ。ちゃんとここから降ろしてくれないと困るんだけど。ああそれから、今寮に戻ったら、また教諭陣に襲われないかな?」
退路を塞がれた。
俺は悩んだあげく、エリンを抱いたまま、自分の寮まで屋根伝いに移動する。
ワイヤーでジャンプするたびに、嬉しそうな悲鳴を上げてはしゃいでいたから、きっと楽しかったのだろう。
まあ、喜んでいただけたのなら、本望だ。
× × × × ×
寮に戻ると、既に帽子屋の気配があった。
さて、この状況をどう説明すべきか悩んでいたら、玄関のドアが開く。
「おかえりなさ……なにそれ?」
帽子屋の表情が隣に立つエリンを見て、一瞬で笑顔の天使から、憤怒のオーガに変わった。
背筋に冷たいものが走る。
「そうだな、まず、事情を説明しよう」
俺が震えながらそう言うと、帽子屋に驚いたエリンが俺の腕にしがみつく。
「家では飼えません、捨ててきてください」
しかし帽子屋は、バタンと大きな音を立てて、玄関を閉めてしまった。
ペットか何かと勘違いしたのだろうか?
エリンはなぜか、またグリフォンの面を被ってるし。
「誰、あれ?」
「仲間だ」
「あたし嫌われたのかな?」
エリンが不思議そうに首をひねる。
どうだろう? 俺と違って、人見知りとかするタイプじゃないが。
「なにか誤解があるのかもしれない。良いヤツだから、安心してくれ」
しかし、何度ノックしても帽子屋は玄関を開けてくれなかった。
しかたなく、異世界式最大謝罪スタイルである『土下座』で謝ったら、やっと玄関は開いたが……。
なぜか帽子屋にもエリンにも、白い目で睨まれた。
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